第20イヴェ 緊急事態宣言の解除
五月十四日の夕方、一週間当たりの新感染者数が、人口十万人当たり〇.五人以下に低下した結果、四月に発令された緊急事態宣言は、八都道府県を除く、全国三十九県において解除された。
その後、解除県数は増えてゆき、五月二十五日の夜ついに、最後まで解除されなかった北海道と、埼玉県、千葉県、神奈川県、東京都も、五月三十一日の期限日を待たずして、七週間にも及んだ禁足状況から解放された。
だが、この解除を機に、社会が完全に元通りに戻った分けではない。
例えば、秋人と冬人が通う大学は、前期講義はフル・オンラインで行われるし、後期の講義も、オンラインと対面のハイブリッド講義になるという噂が流れている。
そして、図書館などの学校施設に関しても、段階的に解除してゆくという方針に関する情報が提示されただけで、いまだに利用可能な状態にはなっていない。
それより何より、イヴェントや、ライヴ、コンサートだ。
特に五月、六月は、緊急事態宣言解除直後であるため、会場、あるいは、演者や運営によって、開催か延期か中止かで、かなり揺れているのだ。
五月という不透明な時期に早くも、夏に行う予定だったツアーの延期や中止を発表した演者がいたかと思えば、その反対に、まさに同じ時期のツアーの開催を発表した演者もいた。
本当に、心の底から〈生歌〉に飢えているので、秋人は、夏から初秋という大学が夏期休業期間中のライヴの開催は喜ばしいことこの上ないのだが、こういった状況下にあって、はたして、本当に開催できるのか? 開催直前になって、突然、再延期、場合によっては中止の発表がされるのではないか、という懸念が拭い去れない。
〈絶望〉とは、静的な状態よりも動的な状態の方がその度合いは強い。
つまり、期待や希望が、裏切りや絶望へと移り変わった時の方が、より深い絶望になるように思われる。
とはいえども、緊急事態宣言解除直後、やるかやらないかの判断が非常に難しいのは理解できる。
仮に、とある運営が開催を決断したとして、例えば、うちは取り止めにしたのに、なんであんたの所はやるの、という他の運営からの同調圧力や、ライヴに来たこともないエセ識者のマスメディアにおけるコメントという風評被害、〈三密禁止絶対主義者〉や、社会一般からの浅慮な否定など、おそらくきっと、様々なマイナス感情に取り囲まれてしまうことが容易に推測できるからだ。
あるいは、もしも、参加者の中から、感染者が発生して、それが拡大してしまった場合、アーティストのみならず、運営も大打撃を受けてしまうことも容易に想像できる。
開催、延期、中止の判断の難しさは、きっと、こういった事情に理由があるのではなかろうか。
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