第19イヴェ 冬人、ライヴ後に初めて意気消沈する

 神戸、福岡、名古屋、そして横浜という全国四都市を巡ってゆく、「ワンマン・ライヴ・コンサート・ツアー ~題名なき音楽界~」と銘打たれた、アニソン・シンガー〈LiONa(リオナ)〉のホール・ツアー、その初日の神戸公演の幕が下りた。


 未だ、感染症のパンデミックの状況下にあるので、退場時の密を避けるため、参加者達は、運営からの指示の下、観客席から整列退場する事になっていた。

 その退場は、ホールへと続く出入り口に近い、後方座席列から順に案内されていったので、冬人の指定座席がある八列目は、比較的、遅い退場順となった。

 冬人は、今回のライヴの二曲目の「アラミタマ」の歌唱において早くも、すぐ後に座っていた観客によって、椅子の背を強く蹴られていた。それ以降、ライヴの間中ずっと、またソイツに絡まれるかもしれない、と気が気ではない心理状態になっていた。

 だから、退場時にも、その批判者から何か言掛りを付けられるのではなかろうか、と内心ビクビクもしていたのである。


 八列目と九列目が呼ばれた時、冬人は、首を僅かに捻って、後方の様子を探ってみた。

 すると、である。

 後の客は、運営が指示する退場順を無視して、さっさと帰ってしまったらしく、既にその姿は九列目に無かったので、冬人の心配は杞憂に終わった。


「あれっ!? シュージンさんの弟君、ちゃうん?」

 観客席からロビーに出た冬人は、その広い空間で、兄・秋人と同じイヴェンター・グループに属している、グッさんとスギヤマ、そして、ふ~じん他、数名のヲタクたちにバッタリと出会したのであった。

 

 冬人は、イヴェンター・ネームを知っている、その三人以外とは面識がなかった。

 兄・秋人が最もオシているのは、翼葵(つばさ・あおい)と真城綾乃(ましろ・あやの)なのだが、それ以外にも、〈最オシ〉ツー・トップが属しているレコード・レーヴェル、〈カエデ・ミュージック〉の〈現場〉に時々顔を出しており、LiONaもまたカエデ・ミュージックの所属なのである。

 つまり、兄にとって、LiONaは、〈主現場〉ではないため、タイミングが合えば行く、そのような〈現場〉であった。

 基本的に、冬人のイヴェンターの知り合いは、兄の仲間が殆ど全てなので、必然的に、LiONaの〈現場〉においては、彼が知った顔の数は激減してしまうのである。


 ロビーでスギヤマ達とエンカした時、気落ちしていた自分の感情が微かに明るくなったのを冬人は自覚した。

 この変化が気になったらしい、〈D・Dスギヤマ〉が、〈ヒヤアニ!〉の初日で自然連番になった冬人に、こう尋ねてきたのである。

「弟君、今日のライヴで、なんかあった? 最初、浮かない顔、しとったみたいやけど」

「いえ、な、何でも……ないです。今日は、知り合いが全くいない遠征で、神戸はソロでの参加だったので、偶然、皆さんに会えて嬉しくなった、そんな感じですね」

「そうなんや。それなら、ええんやけれど……」

 スギヤマは、それ以上深くは、冬人に追求してはこなかった。


 だが本音を言えば、兄の知人とはいえ、知った顔を見かけた瞬間、不平不満を全部ぶちまけたくなったのだ。


 今回の席運は最悪で、自分は、背後の観客にとっての〈蹴りたい背中〉になってしまい、実際に、椅子の背もたれを物理的に蹴り上げられたのだ。

 悪かったのは、ソイツの視界を塞いでしまった自分かもしれないけれど、でも、「ノー・キッキング」、そして、「言い方あああぁぁぁ~~~」と、ライヴの最中、さらには、ライヴ後もずっと考え続けるハメになってしまい、結局、まったくライヴを楽しめなかったのだ。


 こんな風に、この日の神戸公演の冒頭で体験した〈蹴り上げ事件〉のことを、ここにいる皆の前で、気の赴くままに、全てを吐き出せたら、どんなにスッキリした事であろう。


 しかし、ツアーの初日のライヴ直後に、きっと良い気分になっているに違いない、LiONaのイヴェンター達の余韻を、自分の負の発言によって、引き裂いてしまうかもしれない事、それを冬人は恐れた。

 だから、喉元まで出掛けていた不平不満を、なんとか飲み込んだのである。

 だが、吐露する事なく、戻してしまった冬人の感情は、霧消する事なく、冬人の内で渦巻ながら、その心の奥底で澱となっていったのであった。


               *

 

 ネットの旅行サイトで見付けた、廉価な三宮のカプセル・ホテルで一泊した後、弟・冬人は、日曜の早朝発の飛行機で、東京に戻ってくる予定になっていた。

 運悪く、「青春18きっぷ」の利用期間の期限は、前日の土曜日がリミットだったので、この日、弟は、行きとは異なる交通手段を利用する事になった。

 それが、「スカイマーク」の飛行機なのである。

 「ポートライナー」という列車を利用すると、三宮から神戸空港までの駅間は八駅、その所要時間は約二十分と、駅から空港までのアクセスがよいのが神戸空港の特徴だ。

 さらに、神戸・羽田間のスカイマークは、うまいタイミングで安い便が購入できれば、一万円以下で済んでしまう。

 これは、新幹線と比べて遥かに廉価で、つまるところ、出発地が神戸で目的地が東京の場合、高速バスを除くと、スカイマークの利用こそが、肉体的にもお財布的にも、最も優しい移動手段なのである。


 秋人は、外せない用事と、LiONaのライヴが被ってしまったため、悔しさを抱きつつも、最オシの〈現場〉じゃないから、と割り切って、土曜日のライヴの参加を諦める事ができた。

 こうした前日の土曜日の午後とは違って、日曜の午前中に、然したる予定が無かった秋人は、羽田空港まで弟を迎えにゆくことにしたのである。


 午前八時半――

 神戸からの飛行機の到着時刻となり、程なくして、冬人が到着ゲートから出てきた。

 だがしかし、である。

 楽しかったはずのツアーの初日の翌日であるにもかかわらず、弟は浮かない表情を浮かべているのだ。

 もしかして……、神戸で何かあったのかな?

 秋人は、弟の身に何が起こったのか、気になって気になって仕方がなくなっていたのであった。

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