第18イヴェ 冬人、初めてのホール・ライヴと初体験

 下宿最寄りのJRの駅から東京駅に移動し、そこから、五時二十分に東京駅を発つ沼津ゆき、沼津から、七時五十七分発の豊橋ゆき、豊橋から、十一時二十一分発の大垣ゆき、大垣から、十三時十二分発の米原ゆき、そして最後に、米原から、十三時二十分発の姫路ゆき、といったように、起点にした東京駅から、四度の乗り換えを経て、普通列車での十時間以上もの移動の末にようやく、十五時六分、冬人は、兵庫県神戸市の「三ノ宮駅」に降り立ったのであった。


 実を言うと、乗り換えを、もっともっとタイトにすれば、あと三十分は早く、十四時半頃の三ノ宮到着も可能ではあったのだが、神戸までは、十時間もの長旅になるので、乗り換え回数は出来るだけ少なく、都度、休憩を入れるというコンセプトの下、乗り換えダッシュをせずに、乗り換え駅では一本飛ばしてでもトイレ休憩を入れよ、という兄・秋人からのアドヴァイスに従って、冬人は、今回の関西遠征は、無理のない移動を心掛けた次第なのである。

 

 今回のライヴ会場は、JRの三ノ宮駅から徒歩で五分もかからない所に位置している「神戸国際会館・こくさいホール」であった。

 開場開始は十七時、開演開始は十八時なので、十五時の到着というのは、物販後に食事をとっても、お釣りが返ってくるような時刻である。


 冬人の神戸来訪は今回が初だったので、神戸大橋や異人館など、三宮において観光してみたい場所も確かにあったのだが、この日は、三時半起きからの十時間の鈍行移動だったので、さすがに、坂を上り下りする程の体力的な余裕はなく、少しでもHPのゲージを取り戻すために、開演前に、冬人は、神戸牛のステーキを食べる事にしたのだが、ステーキは重過ぎて、少し胃にもたれてしまった。


 かくの如く、体力ゲージは満タンという状態ではなかったものの、ついに、待ちに待った、LioNAのワンマン・フル・ライヴの幕が上がる。

 体力に反比例して、冬人のメンタルのヴォルテージは、開始前から早くもマックスに達していた。


 昨年、イヴェンター〈一年生〉としての一年間の、とくに前半は、〈在宅〉を余儀なくされてしまい、当初、思い描いていた程には、〈現場〉に通うことはできなかった。

 それでも、後半は、それなりの回数、〈現場〉に足を運び、イヴェンターとしてのキャリアを、冬人は積み重ねてきたつもりである。

 そして、令和三年に入り、イヴェンター〈二年生〉の、いわば、〈オリエンテーション〉として、〈ヒヤアニ!〉の初日に参加し、さらに、ツアー開始の直前には、あたかもツアーの序章の如きミニ・ライヴに参加し、しかも、そのうちの一ヶ所では、夢にまで見た〈最前ドセン〉の経験もしたのだ。

 こうしたイヴェンターとしてのキャリアの積み重ねによって、冬人は、〈現場〉一般にも、だいぶ慣れてきたし、たしかに、経験不足は否めないとしても、単なる一般客に甘んじることなく、率先して〈現場〉で、演者の歌唱にノルことによって、それなりには、場の一体感を作り上げているヲタクの、その末席に座る事くらいはできている、そんな自信めいたものを、冬人は深めつつあった。

 そんな矢先における今回のホール・ツアーの初日なのである。


 初日の神戸公演、すなわち、今回のツアーのオープニング・ソングとして歌唱されたのは、アルバム『未知なる物』にも収録されているゲームのテーマ・ソング、「題名なき世界」であった。

 この曲を、LiONaは、ベース、ドラム、ギター、そしてキーボードという四編成のバンドと共に、愛用のクラシック・ギターを爪弾きながら歌唱していた。

 これは、まさしく〈合奏〉である。

 今回のホールでのライヴは、「LiONa・ワンマン・ライヴ・コンサート 〜題名なき音楽界〜」と銘打たれていたのだが、そのライヴ・タイトルを象徴するような歌い出しであるように、冬人には思えたのであった。


 そして、続く二曲目に来たのが「アラミタマ」である。

 令和二年に世に出たアニメ・ソングの中でも珠玉の一曲に数え上げられ、大ヒットアニメ『剣技イン・ザ・ネット』の最終クールのオープニングを彩った、あの激しい一曲だ。

 アニメのオープニングにおいても、CDやデジタル音源でも、「アラミタマ」を飽きる事なく、冬人は何百回と聴いていた。

 こうした〈在宅〉時における、曲の聴き込みに加えて、前の年、「アラミタマ」を〈現場〉で何度か聴いてもいたので,予習もばっちりだし、この曲のノリ方を理解できている、そうした自負を冬人は抱いてさえいた。


 今回のホール・ライヴでは、三月後半のミニ・ライヴの時とは違って、運営から為された文章での事前アナウンスにおいても、開演前の音声での、いわゆる〈影アナ〉においても、起立禁止は告げられてはいなかった。

 だから、「アラミタマ」が歌い出された瞬間に、己の魂を荒ぶらせた冬人のテンションは、一瞬で天井を突き抜けてしまい、冬人は、両足に体重を乗せると、身体を一気に浮かび上がらせたのであった。

 そして、昨年一年間のイヴェンターとしての経験を活かして、ミニ・ライヴで体験した最前ドセンの時と同じように、会場全体の一体感を自分が作り出したい、そんな風に考えながら、スタンディングした冬人は、「アラミタマ」のアップ・テンポの曲調に合わせて、身体を小刻みに揺すり、幾つかの〈現場〉の時でしてきた時と同じように、激しい曲調に合わせて、〈手振り〉をし始めたのである。


 その時であった。

 突然、冬人は後方から、物理的な強い衝撃を受けたのだ。

 何らかのアクシデントか、あるいは、もしかしたら気のせいかも、とも思ったのだが、すぐさま、さらに強烈な第二撃に見舞われた。

 すぐ後の客が、冬人の椅子を、激しく蹴っていたのである。

 さらに、その直後、後方から力強く肩を掴まれて、こう言われたのだ。

「おい、てめえ、いい加減にしろよっ! ライヴじゃなくて、コンサートなんだから、動かず、じっとして、お歌を聴いていろっ! 特に、その〈エアペンラ〉、目障りなんだよっ! こっちは、好きな曲がきて昂まっているのに、てめえにノリノリになられて、気分、台無しだわ」


 精神に強い衝撃を受けた冬人は、その後、俯き膝の上に両手をおいたまま、残りの曲を〈聞く〉ことになってしまった。

 だから、二曲目の「アラミタマ」以降のことは全く記憶にない。

 ライヴの間中ずっと、後から蹴られ、その客から、お気持ちを表明されてしまった事が、ずっと頭の中でぐるぐる巡り続けていたのであった。


 これまで、それなりに〈現場〉でイヴェンターとしての経験を積んできた。だがしかし、このような事は一度として体験したことはなかった……。

 意味は全く異なるけれど、兄・秋人が、見送りの際に言っていたように、ワンマン・ライヴは、これまでの〈現場〉とは全くの別物だったのである。

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