第06イヴェ 振り返れば〈おし〉がいる

 令和二年二月二十二日土曜日――


 この日は、二が四つ揃ったゾロ目の日であった。年号が変わらない限り、次に二が揃うのは二十年後となる。この覚え易い日が、佐藤冬人のリリイヴェ・デヴュー日となった。


 兄・秋人からは、早めに床に就くように、と言われていたのだが、昨晩は、興奮のため、なかなか寝付けなかった。それで、タブレットでネット小説を読んだり、SNSを何とはなしに流し見しながら、いつの間にか寝落ちしたのは丑三つ時(午前二時から二時半の間)を過ぎていた。草木すら眠っているのに、冬人は眠れなかった分けだ。

 やがて、ベランダを訪れた雀の鳴き声が耳に入ってきた時、薄っすらと目を開けた冬人が右脇に視線を送ると、布団は畳まれ、兄の姿は既になかった。そして枕元には、「起こしても、起きなかったので置いてゆく」という走り書きのメモだけが残されていたのである。


 その書置きを読み終えた瞬間、冬人の状態は一瞬にして睡眠から覚醒へと移り変わった。

 寝過ごしてしまったのか?

 目覚まし用にアラームは早めに午前九時にはセットし、十分ごとのスヌーズにしておいたはずだ。

 それを無意識に止めてしまったのであろうか?

 冬人は大慌てでスマホで時刻を確認した。


 〈7:00〉


 セットした時刻よりも二時間も早かった。


 シューニー、まじかよ、なんで、そんなに早く〈デッパツ〉するんだよ。

 他に用事でもあったんかな?


 ホームページ上の情報によれば、イヴェントの開始時刻は十四時で、CDの会場販売開始時刻は十三時から、秋人の住む下宿からイヴェント会場の川崎までは、ドア・トゥー・ドアで一時間強、どう考えても自分が寝坊したとは思えない。

 まあ、早くとも十二時位に到着すれば余裕じゃないかな? そんな風に独り言ちながらアラームを、午前十時にセットし直し、冬人は再び蒲団に入り込み、惰眠を貪ったのであった。


 移動に関して、秋人からは、徒歩で最寄りのJRの駅まで行ってから、総武線に乗り、秋葉原で乗り換えて、京浜東北線で川崎まで来るように、と指示されていた。

 冬人は、ネットの交通案内を参照し、その経路よりも、メトロを利用した方が、コスパよく移動できるみたいだけれど、とメッセージを兄に送ったら、それに対して、「東京に来たばかりの冬人には地下鉄は魔境」とだけ返ってきた。そのため、ここは大人しく兄に従って、JRを使う事にしたのである。


 そして十二時――

 冬人はリリース・イヴェントが催される川崎の会場に到着した。

 そこは、シネコン、ライヴ・ハウス、レストラン、カフェ、そして多種多様なショップが立ち並ぶエンターテインメントの複合施設で、イタリアの街をモデルにしているらしく、路面はヨーロッパを想起させるような石畳の小道、店の外観も南欧風、さらに、この日のイヴェントが催される屋外の噴水広場は、円形のステージを取り囲むように広がり、座席は階段状になっていて、まさに、世界史の教科書で見たことがある、古代ギリシアやローマの〈円形劇場〉のようで、実に雰囲気のある場所という印象を受けた。


 会場に到着した、というメッセージを秋人に送ると、その直後、最前列にいた数人が振り返って、階段の上方に向かって手を振り出した。その中には秋人もいた。


 へっ!?

 シューニー、僕の到着がそんなに嬉しいの? でも、手を振ってんの兄貴だけじゃないよね?

 振り返ると、冬人の背後には、その日のイヴェントに出演するアニソンシンガーの姿があった。


 まじ?

 顔、ちっさっ!

 そして、このタイミング、神かよっ!


 この突然の事態に、振り返った冬人の身体は、そのまま固まってしまっていたのであった。


〈参考資料〉

 〈WEB〉

 「コンセプト」、『ラ チッタデッタ』、二〇二三年三月十一日閲覧。

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