アニソン春のサクラ祭
第05イヴェ オレ、東京さ行くダ!
〈君に感謝を、また逢えたね〉と題された、LiONaの武道館ファースト・ワンマン・ライヴの物販待機列も、かなり長くなっていた。
ライヴ・グッズの幾つかは、通販で事前販売されていたのだが、売り切れてしまった品や、現地でしか売られない限定品を欲する者、あるいは、五千円購入ごとに、三月九日の武道館ライヴ限定のステッカーが配布されるため、そのノベルティー・グッズを求めるヲタク等が、物販開始数時間前からライヴ会場である武道館に徐々に集まり始めていたからである。
「ぼんじゅ〜、フユ。なんだ、最前に並んどるのかよ。部屋がもぬけの殻だったから、どこに行ったのかって思っとったけど、やっぱ、もう武道館に来とったんだな」
「シューニーも、物販に来たんだね」
「まあな。さすがに、今日のステッカーは欲しいしね」
物販待機列にやって来た際に、最前に座す冬人に気付いたヲタクこそが、冬人の実の兄、佐藤秋人(あきひと)であった。
*
佐藤冬人には、二歳年上の兄がいる。
冬人がアニメに興味を抱いているのは兄に負うところが大きい。
兄、秋人は秋、冬人は冬生まれなので、実のところ、我が親なから単純な名付け方だな、と冬人は思っていた。
その兄、秋人は、十年近く前に週刊少年誌で連載され、国営放送にてアニメ化もされた物語の主人公と同じ名前だったので、友人に「シュージン」と呼ばせようとしていたのだが、その奮闘虚しく、そう呼ぶ者は皆無であった。それ故に、幼き日の弟、冬人に、「シュージン」という呼び方を強要してきたのである。最初のうちこそ、兄を「シュージン兄ちゃん」と呼んでいた冬人であったのだが、結果的には「シューニー」という呼び名に落ち着き、今に至っている。
とまれ、「シュージン」という呼び名こそ定着しなかったものの、兄・秋人と物語の登場人物の共通点は、その名前だけではなかった。つまり、漫画好きにして、かつ、兄もまた勉強ができたのだ。兄は、子供の頃から一度たりとも、親から勉強しなさい、と言われたことがない。
一般論として、ヲタクは、趣味に夢中になるあまり、勉強もしない、頭の悪い非常識人というレッテルを貼られがちだ。
たしか、五、六年前の事だったと思うが、塾から帰ってきてから、兄と民放の情報・バラエティー番組を観ていた時の事であった。その日の番組テーマは〈アニメの規制〉であった。
その番組には、いわゆる文化人がコメンテーターとして出演しており、そこに呼ばれた何人かのアニメ・ヲタク達と討論するという内容であった、と記憶している。
しかし、スタジオの雰囲気は最悪だった。
アニメ・ヲタクは、あたかも犯罪者予備軍であるかのように扱われており、テレビの前にいた佐藤兄弟は、苛立ちを抑える事ができず、悔しい気持ちを隠せずにいた。
その番組の中で、自称文化人の出演者の一人が、事もあろうか、アニメのキャラクターについて熱く語るヲタク大学生に対して、「そんな暇があったら勉強しろっ!」と恫喝したのである。
それに対して、そのヲタク学生は、まるで〈暖簾に腕押し〉を体現したかのように、こう応じたのだ。
「センター試験で、僕、英語、満点でしたけど、何か」
とさらっと言ってのけたのである。
この瞬間、〈ヲタクは勉強しない・できない〉という一般人の思い込みによる否定的なイメージは秒で覆されてしまった。
「要するにさ、結果さえ出せば、周りは、もはや何も文句なんて言えやしないんだよね」
秋人は、机をバンバン叩きながらニヤっと笑ったのであった。
そしてさらに、司会者の女性が、就職が決まっているアニヲタ学生に対して、社会に出ることは〈お宅〉にとって矛盾ではないのか、と疑問を投げつけてきたのである。
この人、ヲタクは部屋に籠ってアニメを観て、ずっとゲームをやっているとでも思い込んでいるのであろうか、と冬人は思った。
そして、その軽率なコメントはこう切り返されたのだ。
「何故、ヲタクは働かないと思っているのですか? 働いたら負けみたいな、〈ヲタクは社会不適合者〉って前提こそが偏見ではないのですか? そもそもの話、趣味には先立つものが必要なのですよ」
こう、バッサリと切り捨てたのである。
痛快であった。
親、親戚、学校、社会などが、「勉強しなさい」と口うるさく言うのは、要するに、良い成績を取って、より良い学校、さらに、より良い会社に入らせるためである。身も蓋もない言い方だが、つまりは、そういうことなのだ。
しかし、その番組に出演していたアニヲタさんは、大学は誰もが知っている東京の私立大学、内定先も一部上場企業で、思い込みの激しい一般人からの、ヲタクに対する一方的な否定を許す隙を一分すら与えなかった。しまいには、言葉を封じられた〈アニメ否定派〉の出演者は、ヒステリックに怒鳴り散らすことしかできなくなってしまったのである。
「大切なことは、自分とは異なる考えの持ち主だからと言って、何でもかんでも一方的に否定するのではなく、これまで自分が知らなかった物事に対して興味・関心を抱いている人の考えに、先ずは耳を傾けてみる事ではなかろうか。
そうした、相対的なものの見方・考え方こそが大切で、あらゆる考え方は肯定されて然るべきだが、仮に、ただ一つ否定され得る考え方があるとするのならば、他人が大切にしている物事を、自分の狭い考えに基づいて、一方的に〈否定〉する事であろう」
後日、この番組について述べたブログを佐藤兄弟は発見した。
これは、アニヲタ学生が通っている大学の講師が書いたものであった。
この考えに感銘を受けた秋人は、今、その大学の二年生で、冬人も春には兄と同じ大学に入学予定であり、三月末から東京で二人暮らしをする事になっている。
現在、一人暮らしの兄は大学の近くの神楽坂で下宿しているのだが、そこは一人用の部屋であるため、兄弟で暮らすにはさすがに手狭で、そもそも、同じ大学に通うのだし、別々の部屋を借りるのも不経済なので、二人で暮らす事になっていた。
引っ越しの手伝いを冬人に望む秋人に対して、当の冬人は、「片付けなんてシューニー独りでできんじゃん」と上京を渋っていたのだが、秋人から届いた短いメッセージが、面倒臭がっていた冬人の気持ちを一瞬でひっくり返したのである。
「こっちは連休、リリイヴェ祭」
このメッセージを読んだ十分後には、冬人は、東京行きの飛行機のチケットを手配し終えていたのであった。
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