2.保健医――クレア・ディサーユ。







「はぁ……。かったるいわ」


 一人の女性が、学園の保健室でそう口にした。

 大きなため息に、生気の感じられない瞳。黒の髪はぼさぼさで、手入れをしっかりしているかは謎だった。しかしながら身体つきに関しては、大人の女性らしい。

 逆説的にいえば、それがなければ女性らしくない、といった風貌だった。


 白衣に身を包む彼女――クレア・ディサーユは独りごちる。


「あたしは、可愛い女の子じゃなくて男の子が好きなんだっての。だってのに、どうしたって派遣先が女学園なのさ。萎えるわ~……」


 学内は禁煙なのだが、煙草に火をつけて。

 一服しながらクレアは――。


「保健医を志したのも、全部可愛い男の子のためだってのに……!」


 ――学会のジジイどもめ。

 鼻を鳴らしながらそう吐き捨てた。

 完全に愚痴である。もっとも、学会の判断は正しいと言わざるを得ないが。


「はぁ、仕方ない。お仕事はお仕事だし、今度の身体測定の準備をしておこっと」


 そう気持ちを切り替えて、彼女はひとまず資料に視線を落とした。


「今年は一学年を担当、か。――全百五名、と」


 淡々と、名簿に目を通していく。

 クレアにとっては、非常に詰まらない時間。



「…………ん?」



 その、はずだった。


「フィーナ・ニクリストス――伯爵家令嬢、か。たしか生まれながらに病弱で、学園に入学できるか分からない、って……学会で話題になっていたような?」


 一人の女生徒の資料で、手が止まった。

 まじまじと魔法印刷写真を見つめ、顎に手を当てるクレア。そんな彼女は――。


「体調、よくなったのかしら。いいえ、そんなことよりこの子――」



 舌なめずり、一つ。




「――なんだか、そそる顔立ちしてるじゃない?」




 ほんの少し、呼吸を荒くしてそう呟いた。


「これは、少しだけ楽しみができたわね。せっかくだし……」


 そして、資料を閉じて立ち上がる。

 不敵な笑みを浮かべて、こう言い残すのだった。



「いただけるものは、いただきましょうか」――と。




◆◇◆




「――くちゅんっ!!」

「どうしたの、フィーナちゃん。風邪?」

「ううん。大丈夫だと思うけど、誰かが噂したのかな」


 僕はアリーシャに答えながら、ハンカチを取り出して鼻付近を拭く。


「花粉が飛んでるのかもしれないね、まだ春だし」

「花粉症じゃないはずなんだけど、ね」


 そして、本当に何気ない世間話をする。

 身体測定を明日に控えて緊張感が高まっているが、とりあえずアリーシャには気取られてはいけない。アーニャは僕が男子だと知っているので、どこか心配そう。

 しかしこればかりは、誰を頼ることもできなかった。


「うーむ……」


 公爵家令嬢、という親友がいるものの。そのようなところで権力を振りかざせば、あとでしわ寄せがくるに違いなかった。


「……まぁ、もうなるようになる、かな」

「なにがー?」

「ううん、何でもないよ」


 考え込んだ末に僕がそう口にすると、アリーシャが首を傾げる。

 そんな彼女に笑いかけながら、僕たちはひとまず校舎に到着した。いつも通りに靴を履き替えて、教室へと向かう。その道中のことだった。



「…………ん?」



 なんだろう、生々しい視線を感じた。


「なん、だ?」


 いつも感じているそれとは、また別のもの。

 全身を舐め回すように向けられたその視線には、思わず全身が怖気立つ。



「…………!?」



 しかし当然ながら、振り返ってもそこには誰もいなかった。

 僕の挙動に、親友二人は何事かとこちらを見る。


「どう、しました?」

「フィーナちゃん、始業に遅れるよ?」

「え、あぁ。うん……」


 声をかけられて、とりあえず彼女たちを追いかけた。

 きっと気のせいだろう。



 そう、自分に言い聞かせて。


 

◆◇◆



「ふぅん、なるほどね?」


 フィオが見えなくなってから、姿を現したのはクレアだった。

 彼女はどこか納得したように頷いて、手に持った資料に視線を落とす。


「もしかしたら、もしかするかもしれないわね」


 そして、何かよからぬことを考えています、そう言わんばかりの表情を浮かべた。周囲には誰もいない。そう思っていたからだった。

 だがしかし、そんなクレアに声をかける少女がいた。



「貴方、わたくしのフィーナ様に何をなさるおつもり?」



 声のした方に目を向ける。

 すると、そこにいたのは小柄な少女――シャルロットだった。

 明らかに見下すような表情で、少女はクレアを見る。それこそゴミを見る目で。


「ふぅん? どうやら、熱烈なファンがいるのね」

「何をするつもりか、今すぐ答えなさい。――この年増」

「…………なんですって?」


 こめかみに青筋を立てるクレア。

 そんな彼女に、シャルロットは重ねてこう言った。


「神聖なる乙女の園に、貴方のような下劣な考えの方がいると困りますの。例えそれは同姓であっても。フィーナ様に危害を加えるなら――」



 右手を前に突き出し、首を傾げながら。



「――わたくしの魔法で、焼き払って差し上げます」



 シャルロットは、光なき眼でそう告げたのだった。


「あら、面白いじゃない?」


 その言葉を受けて、クレアはまた不敵に笑う。


「過去、学園を首席で卒業したあたしに挑戦するだなんて、良い度胸だわ」


 そして、白衣を脱ぎ捨てた。

 身軽になった彼女は、少女の魔法に備えて身構える。



「…………過去の栄光、でしょう? 今の魔法学主席は、わたくしですの」

「たしかに現役ではないわ。でも、貴方みたいな小娘に負けるつもりもないの」

「ふふふ。その小娘に負けて、泣いても知りませんことよ?」

「言うじゃないの、久々に面白くなってきたわ……!」



 両者の間に、火花が散る。

 早朝の、人気のない廊下にて。


 互いに譲れない戦いが、始まろうとしていた――!



 

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