4.雨降って地固まる。







 これは、シャルロットの中にある遠い記憶。


「お母さま? このイヤリングには、どんな力があるのです?」

「ふふふ。これにはね? ――運命の人と出会わせてくれる力がありますよ」

「運命の人……?」

「そう、運命の人」


 今よりさらに幼い彼女に、病床の母は優しく微笑みかけた。

 そして、愛娘の頭を撫でながら言う。


「このイヤリングはいつか貴方と、素晴らしい人を結んでくれる」


 それはどちらかといえば、願いであるようにも思われた。

 だが、シャルロッテを不安にさせないように。

 母はもう一度、口にするのだ。


「シャル? ――貴方がいつか、自分のすべてを許せる人と出会えますように」



◆◇◆



「キミ、あの時の子だよね?」

「貴方は……」


 僕が声をかけると、小さな同級生は泥で汚れた顔をこちらに向けた。

 服も雨水でぐずぐずになっており、せっかくの可愛らしいフリルも台無しだ。僕は持ってきたタオルを差し出しながら、視線を合わせるようにしゃがむ。

 すると少女は驚いたように一歩、後ろに下がろうとして――。


「きゃ……!」

「――危ない!」


 足元を滑らせ、転びかけた。

 僕は寸でのところでそれを受け止めて、ふっと息をつく。


「大丈夫? えっと――」

「――シャルロット、ですわ」

「そっか。大丈夫かな、シャルロット」


 僕の言葉に、しおらしく答える少女――シャルロット。

 そこに部屋の前で受けたような印象はなく、棘というものがなくなっていた。

 抱き起こしてあげると存外、素直に従ってくれる。ひとまず立ち上がらせて一息ついた後、ふと部屋から持ってきた物を思い出すのだ。


「ねぇ、シャルロット。これ、キミのだよね?」


 差し出したのは、一つのイヤリング。


「そ、それはっ!」

「慌てて持ってきたから、少し汚れちゃったけど。ごめんね?」


 雨の中、僕は少女の片耳にそれをつけてあげる。

 息がかかる距離に迫って少しだけドキドキしたが、どうにか無理なくこなせた。


「…………」


 シャルロットは、両手をそのイヤリングに当ててうつむく。

 そして、静かに泣き出したのだ。



「ごめん、なさい……!」



 謝罪の言葉を漏らす。

 堰を切ったように飛び出した言葉。

 それは留まることを知らず何度も、何度も彼女の口からこぼれた。


「わたくしは、なんていう間違いを……!」


 そして、僕の胸に飛び込んできた。

 泣きじゃくる。雨音の中でも、ハッキリと分かる声で。

 まるで赤子のそれのようだったが、しかし今は思う存分泣いた方が良いのだろう。



「ごめんなさい、ごめんなさい……!」



 事情は知らない。

 けれど、今の僕にできるのは優しく彼女を包み込むことだった。



「大丈夫。大丈夫だよ」――と。



 この少女は小さなその身に、いったいどれだけの重荷を背負ってきたのか。

 それは想像することしかできないけれど、悲しみという感情はきっと、誰かと分かち合うべきだと思う。だから、僕はただ静かにシャルロットを抱きしめた。


 放ってなんておけないだろう?

 女の子が、雨の中で一人泣いているなんてこと。


「フィーナさん、わたくし……!」

「ん……?」


 その時だった。

 不意にくしゃくしゃな顔で、少女が僕に言った。



「もしかしたら、貴方のことが――」



 しかし、そこまでだった。

 それ以上に少女の目を奪う出来事が、あったから。



「――あぁ、貴方の言う通りですのね」



 雨が上がったのだ。

 月明かりが顔を出して、僕たちを照らす。


「虹は、見えないけどね」

「ふふふ、そうですわね」


 僕がそう言うと、シャルロットはくすりと微笑んだ。

 とても、愛らしい花のような笑顔で。



「でも、フィーナさん。これは知っていまして?」

「これ、って?」



 少女は躍るように離れると、くるりと回転してこちらを向いた。

 そして、無邪気な表情でこう言うのだ。



「虹のたもとって、目には見えないそうですよ?」――と。




◆◇◆




「いやぁ、教科書も靴も見つかってよかったよ」

「良かったね! フィーナちゃん!」

「そうですね」


 数日後、僕はいつものメンバーと共に登校していた。

 あの一件の翌日のこと。何もなかったかのように、失くし物は発見された。それぞれ、どうしてそこにあるのか、という場所に置かれていたけれど。

 とにもかくにも、一件落着。

 僕も安心して学園生活に集中できる、というものだった。


「そういえば、フィーナちゃん。部活動って、興味あるかな?」

「え、部活動?」


 桜並木の道を歩いていると、不意にアリーシャがそう訊いてきた。

 彼女は魔法競技部というものに所属している。魔法を使って模擬戦を行う一種のスポーツなのだが、どうやらそれに僕を誘おう、ということらしい。


「あー、ごめんね。私はあまり興味がなくて……」

「そっかー。残念だなぁ」


 苦笑いしつつ答えると案外、素直に引き下がるアリーシャ。

 僕はホッと胸を撫で下ろして、前を向いた。

 正面玄関は目と鼻の先だ。


「さて、今日も一日――んん?」


 足を踏み入れ、自分の靴箱の扉を開ける。

 すると、すぐに異変に気が付いた。


「どうしました? フィーナさん」

「あ、いや――」


 心配そうに覗き込んできたのはアーニャ。

 また靴を隠されたのか、と思ったのだろう。しかし、今回は違った。



「これ、って……?」



 入っていたのは、可愛らしい便箋。

 開いてみるとそこには、丸っこい文字でこう書かれていた。




『フィーナ様。この世の誰よりも、お慕い申しております』




 ――以下、長々と愛の言葉。

 僕はそれを見て、思わず苦笑いを浮かべた。そして――。



「また、どこからか視線を感じるな……」



 首筋から背中にかけて、寒気を覚える。

 しかし、振り返っても誰もいなかった。



「あ、あはは……」




 まぁ、きっと杞憂に違いない。

 そうだ。違いない。



 僕は自分にそう言い聞かせ、ひとまず靴を履き替えて友人二人を追いかけた。

 安定しかけた学園生活に立ち込めた暗雲から、目を逸らすように。




◆◇◆




「あぁ、本日も見目麗しいですわ、フィーナ様!」


 物陰からフィオを見ていたのは、他でもないシャルロットだった。

 周囲の人々は、以前とは違う意味で距離を取りながら歩く。



「いつかきっと、振り向いて下さいますわよね?」



 やはりこの少女、どうしようもなく人付き合いが苦手らしい。

 しかしその心は以前とは比べ物にならないくらい、晴れやかなものになっていた。


 

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