3.男爵家令嬢――シャルロット。







 シャルロット・アーデベルチは、アーデベルチ男爵家の一人娘だ。

 幼くして母を亡くし、継母によって育てられた。しかし年月を重ねるごとに二人の間には、どうしようもない溝があるのが分かってくる。

 その結果として、半ば逃げ出すようにしてシャルロットは学園へやってきた。

 しかし問題は他にもある。


「わたくしに不釣り合いな者には、近寄る権利すら与えませんわ!」


 というのも、彼女は高飛車なタイプのコミュ障だったのだ。

 継母との関係もあって歪んでしまったのか、シャルロットは虚栄を張ることで身を守るようになっていた。そうなってくると当然、庶民上がりの学生は近寄れない。

 さらには貴族の者たちからも煙たがられる。


 最終的に、一週間足らずで少女はボッチになっていた。





「雨が降るなんて、気象魔法師も言っていませんでしたわ」


 そんなシャルロットに転機が訪れたのは、にわか雨が降ったある日のこと。

 小さな少女は唇を尖らせて、正面玄関に突っ立っていた。他の生徒たちは彼女に目もくれず、傘をさして寮へと向かう。

 もっとも、先述のような経緯がなかったとしても。

 このような殺気を放つ者に、声をかける変わり者はいなかった。


「はぁ、イライラしますわ」


 ボンヤリと、そう漏らすように呟いて。

 シャルロットは空を見上げた。分厚い雲に覆われたそこからは、大粒の涙が降り注いでいる。ただの雨のはずなのに、そんな想像を働かせてしまうほどには、彼女の心には空虚があった。


 なにも、上手くいかない。

 本当の母親が亡くなってから、自分には不幸ばかりだ。


「きっと、誰もわたくしを見てくれない」


 つま先でトントン、と。

 暇つぶしの音楽を奏でて、少女は無為な時を埋めようとした。

 それでも全然、気持ちは晴れない。そもそも彼女自身、自分が何を求めているか分かっていなかった。だから、人前でどう振舞えばいいのか分からないのだ。


「はぁ……」


 もう、何度目か分からないため息。

 少女はもう一度、雨に対する文句を口にした。




「さっさと晴れないのですか?」

「早く晴れてくれないかなぁ?」




 ――ピクリ。

 肩が弾むのが分かった。

 まったくの無警戒。少女は、声のした方へと目をやった。


「あれ、キミも雨宿り?」


 すると、そこにいたのは一人の見目麗しき令嬢。

 金の髪に澄んだ瞳。幼い顔立ちには、シャルロットにはない優しさがあった。

 小首を傾げながらその人は、少女に問いかける。どうやら同級生らしいが、シャルロットの悪評は知らない様子だった。


「ホントに困るよね。私も傘を持ってこなかったんだ」

「………………」


 その女生徒は、こちらの返事を待たずに話を進める。

 おそらく、誰でもいいから話し相手が欲しかった、というところか。鼻歌交じりにゆっくりと、身体をメトロノームのように振っている。

 シャルロットは興味なくその歌を聞いていた。

 すると不意に、その女の子はこう口にするのだ。


「この曲の意味、知ってる?」――と。


 こちらを見ることなく、ただの世間話として。

 シャルロットは無言でうつむいた。答える必要はない、そう思ったから。

 曲の意味など聞いたところで、自分の人生には何の足しにもならない。それこそ延々と降り続けるこの雨のような、自分の生涯にとっては。


「えっと、ね。この曲はね――」


 そう、思っていた。

 そう思っていたからだろうか。




「『上がらない雨はない。虹のたもとはきっと、そんなキミの足元に』」

「…………虹の、たもと?」




 ふと、関連性のある言葉に反応してしまった。

 ようやく返事を引き出せたことが嬉しかったのだろうか、相手は空を見上げながら語り始める。


「上手くいかないことなんて、たくさんある。でも希望の架け橋は、その中にでもかかっているんだよ――って、意味なのかな? 私はちょっと事情があって学園にきたけど、この曲を聴いて元気を出してるんだ」


 前向きに、微笑みながら。

 そんな彼女の横顔に、シャルロットは思わず見惚れた。

 なぜだろう。きっとこの人にも、理不尽な出来事があったのだと、そう思えた。


「…………」


 それだというのに、自分とは正反対。

 シャルロットはいつまでもウジウジと後向きで、笑ったこともない。ずっと過去の出来事に縛り付けられていて、そこから抜け出せないでいる。

 だからこそ、少女にはその人が眩しかった。


 耳に触れる。

 そこには、実母の形見であるイヤリングがあった。


「あ、晴れてきたね!」

「え……?」


 その時だった。

 相手の少女がふいに、そう口にしたのは。


「それじゃ、ありがとう! 世間話に付き合ってくれて!」

「あ、あの……!?」


 まだ小雨が降っていた。

 しかし、その少女はまるで鉄砲玉のように飛び出していった。



「――――あぁ」



 でも、それを追うことはできなかった。

 なぜならその時、空には――。


「綺麗……」



 ――希望の架け橋が、かかっていたから。





 あの日からシャルロットは、フィーナに執着するようになった。

 なぜなら彼女のことが、どうしても頭から離れなくなってしまったから。理由は分からないが、自分の感情に不器用なシャルロットは、それを憎しみと捉えた。


 きっとあの日、自分は辱めを受けたのだ。

 どうしても埋められない、心の清さがあるという辱めを。


「憎い、憎い憎い憎い! あの子に会わなければ、きっとこんなに胸が苦しくなることなんてなかったのに!!」


 シャルロットは、草木を掻き分けながら口走る。


「どうすれば良いのか、分からない! わたくしは、わたくしは――」


 涙ぐみながら、少女は必死に母の形見を探した。



「――わたくしは、いったいどうしてしまったの!?」



 自分の心の動き。

 それが、まったく分からないまま。


「はぁ、はぁ……!」


 すっかり日は落ち、周囲は暗くなってしまった。

 雨も降りだした。服がどんどん汚れていく。


 それでも形見のイヤリングは見つからない。

 しかし、それでも少女は諦めない。


 なぜならアレは、自分にとってかけがえのない物だから。

 大切な母から預かった――。



「――あの。もしかして、探してるのはコレかな?」

「え……っ!?」




 いずれ大切な人と巡り合うための、魔法のイヤリングだったから。



 

「思い出した。キミ、あの時の子だよね?」




 シャルロットが見上げた視線の先。

 そこにあったのは、同じく雨に濡れたフィーナの姿だった。



 

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