2.友達、とは。





「う、うーん……?」


 ひとまず寮へ帰還。

 ここについては一人部屋なので、不意打ちがない限りは気を抜ける場所だ。

 そこで僕は、先ほどのアーニャとの会話を思い返すこととした。彼女は赤面しながら、僕に「友達になってほしい」と言ったのだ。

 これは、そのあとのやり取りの抜粋である。



◆◇◆



「友達、だって……?」

「は、はい。そうです」


 完全に想定外だった発言。

 僕の思考は一度、完全に凍り付いた。

 しかし深呼吸を繰り返して、どうにか復旧。


「えっと、とりあえず今日のことから振り返ろうか?」


 それでも順を追って整理しないと、とても理解が追いつかなかった。

 なので僕は、アーニャにそう言って確認を取る。


「えー、アーニャさん? キミは僕が男だって、気付いたんだよね」

「はい、この目で見ました」

「ふむ……」


 とりあえず、その点に認識の違いはないらしい。


「だったら、普通はそれを王家とかに報告するのが筋、じゃないのかな……?」

「そ、それは……」


 だったら次はその問題だ。

 彼女が王族と繋がりを持つ家系であり、発言力があるのは明白だった。

 それなのに、どうして僕の家の不正に目を瞑ろうとしているのか。そして同時に、友達になりたい、という話をしてきたのだろうか。


 その謎については、ハッキリとさせたかった。


「えっと、ですね……?」


 モジモジしながら、どうにか言葉を探すアーニャ。

 急かすことは愚策だろう。僕は彼女の言葉をジッと待った。


「わ、わたしは、その……一人ぼっちで、喋るのも下手、で……」

「………………」

「だか、ら。もしかしたら、貴方なら……相手を、してくれるかな、って」

「……あぁ、なるほど?」


 小動物のように怯えながら、アーニャはどうにか話し切った。

 それをじっくりと頭の中で噛み砕いて、僕はようやく納得する。

 要するにこの少女は、ある種の弱みを握った僕相手なら、他の人のように無視はしないだろう――と、そう考えたようだった。

 なるほど、それなら合点がいく。


「でも、それは……」


 どうなのだろう?

 弱みを握った状態で、果たしてそれは友人関係と言えるのだろうか。

 その点がはっきりとしなくて、僕は即座に返答することがはばかられた。


「あの……! 返事は、明日でも構いません!」

「アーニャ……」


 こちらが黙っていると、公爵家令嬢は振り絞った大きな声でそう言った。

 そして、瞳を潤ませて踵を返してしまう。


「あ……!」


 追いかけることは、できなかった。

 どうにもその時はまだ、答えが出ていなかったから……。



◆◇◆



 ――以上が、先ほど起きたことの流れである。


「友達、かぁ……」


 僕はボンヤリとベッドに寝転がり、天井を見上げつつそう口にする。

 ここにくる前は、当然ながら僕にも友達がいた。いまは適当に言って連絡を絶っているが、それでも縁は切れるものではない。

 そして、それには理由もなにもないのだ。


「友達、って――」


 ――なにか理由があって、なるものなのか?


 僕の中にはそんな疑問が浮かんだ。

 アーニャはなにか、条件がないと人と話せないと考えているような気がする。

 それは大きな思い違いであり、思い過ごしだと思われた。もしも、誰かと友達になりたいのなら――。



「――あぁ、そろそろお風呂が空いてくるかな?」



 そこまで考えて、ふと時間を確認した。

 もう消灯時間まで間もなく。この時間帯であれば、きっと共同の風呂場にも誰もいない。さすがに女の子に紛れて入浴するのは、ね?


「とりあえず、シャワーだけでも」


 僕はコソコソと、誰にもバレないように部屋を出て浴場へと向かうのだった。





 そして、思惑通り。

 広い浴場には、誰もいなくなっていた。


「ふぅ、これなら安心かな?」


 念のためタオルで全身を隠しながら入浴する。

 慣れない一日の疲れが、ドッと溢れ出し、湯の中に溶けていくようだった。

 湯煙が包む空間で、僕は悠々と口笛なんかを吹いてみる。それは王都で流行っている作曲家のものだったが、そこで思わぬ反応があった。


「……あ、あれ?」


 ――おい。ちょっと、待て?

 いま、別の口笛が聞こえなかったか……?


「も、もしかして……!?」


 間違いない。

 いま、確実に他の誰かが口笛を吹いていた!

 僕はとっさに全身を隠しながら、その音の出どころを探る。

 そうしていると、湯煙の中から出てきたのは――。


「あ……」

「キ、キミは……」

「あの、はい。さっきぶり、ですね……」


 ――アーニャだった。

 彼女はその豊満な身体をタオルで、不完全に隠しながら現れた。

 湯煙でどうにかなっているが、これはかなり危険な香りがしている。僕は即座に背を向けて、小さく縮こまった。


「どうし、たのです……?」

「なんでもないよ!? なんでもあるけど!!」

「…………?」


 そんなこちらを見て、アーニャは不思議そうに言う。

 どうやらこの少女はなかなかの天然、無警戒少女のようだった。


「あの、お隣座っても?」

「……うん」


 声に頷くと、僕の背中に肩が当たるような距離感で腰を下ろす少女。

 全身から冷や汗が流れ出るような感覚に襲われながら、どうにか呼吸を整えた。落ち着くんだフィオ、ここは冷静かつ紳士であれ……!


 必死に自分に言い聞かせ、どうにか僕はこう口にした。


「そういえば、さっきの曲だけど……」


 それは先ほどの口笛について。

 訊ねると、ハッとしたようにアーニャは言った。


「あの、もしかして貴方もお好きなんですか? ――ダッターニャの曲」

「少しだけ。まだまだ、にわかだけど……」


 ダッターニャというのは、先ほどの口笛で吹いた曲の作曲者だ。

 巷ではそこそこの知名度があるのだが、まさか公爵家の令嬢が知っていようとは。


「もしかして、こういうの好きなの?」


 僕はほんの少し興味を持って、彼女に訊ねる。


「は、はい! 実は彼女がデビューしてから、ずっとファンなのです!」

「あはは、そうなんだ」


 するとアーニャは声のトーンを上げて、とても嬉しそうにそう答えた。

 そして、どういったところが好きなのかなど、細やかな説明をしてくれる。その話は決して不快なものではなく、むしろ知らないことを知れて楽しかった。

 そうすること十分ほど。

 はたと気づいたのか、アーニャは急に言葉を切った。


「あ――す、すみません。わたし、嬉しくて……」


 謝罪を口にして、声をすぼませる。

 申し訳なさそうなその声色に、僕は思わず――。


「あははははははははははは!」


 ――なかなかに大きな声で、笑ってしまった。


「え、あの……?」

「いいんだよ、アーニャ」


 当然、ポカンとする少女。

 そんな彼女に、僕は肩越しに振り返りながらこう言った。



「こうやって好きなことを話せる相手なら。それはもう、友達なんだよ」――と。



 今日のことを思い出しながら。


「なにか弱みや、条件がないと話せないなんておかしいんだ。友達は自然と好きなものとか、好きなことを話している間になっているものなんだから」

「え、それじゃあ……?」


 僕は、キョトンとするアーニャにこう言った。



「隠してくれ、ってのはお願いになるんだけど。――僕でよければ!」



 小恥ずかしく、少しだけ頬が熱かったけど。

 不器用な少女を安心させるように、できる限りの笑顔で。


「…………あ、ありがとうございます!」


 それを受けて、アーニャはその表情を緩めた。



「あぁ、やっぱり」




 その笑顔にはやはり、綺麗以外の褒め言葉が見つからない。

 それほどまでに、美しい微笑みだった。



 

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