1.公爵家令嬢――アーニャ。






「フィーナちゃん、どうしたの? そんなにうな垂れて」

「え、ううん。なんていうか、私ってどこかこう抜けているというか。どうして、こうやって下手を打つのかな、って思ってたの」

「……? よく分からないけど、元気出して!」

「………………」


 ――教室にて。

 偶然にも隣の席になったアリーシャに慰められながら、僕は突っ伏していた。

 それもこれも、先ほどの旧校舎裏での出来事のせいである。あの少女は何も言わずに立ち去ったけど、この二か月の努力を水の泡にするには十分な事件。


「ごめんね、姉さま……」


 そうは口にしたものの、どこか「これでよかったのでは」という気持ちもあった。

 そもそもが無茶な話だったのだ。男である僕が、化粧で誤魔化したとして、この女学園で生活するなんてこと。

 全寮制であるのに、初日からミスを犯しているのだ。

 もう駄目だろう。


「あ、先生が入ってきたよ?」

「うん。とりあえず、授業を受けようか……」


 そうは思いながらも、律義に教科書を開く僕。

 すると不意に、反対側からこんな声をかけられた。


「…………あの、教科書忘れてしまって」


 どうやら、初日から小さなミスをした子がいたらしい。

 僕は気持ちを切り替えつつ、その子の方を向いた。

 すると、そこにいたのは――。



「………………はい?」



 表情を変えない、女の子。

 机に突っ伏していたから気づかなかった。

 そこにいたのは間違いなく、先ほど校舎裏で会った女の子。



「どう、しました……?」

「…………」



 ずいぶんと小さな声で言いながら、小首を傾げる女の子。

 対してこちらは無言で、口角がヒクつくのを感じながら教科書を開いた。なんだろう、背中に嫌な汗をかいている。

 あの時は緊張なんてしなかったのに、今はすごくドキドキしていた。


 もっとも、それはトキメキなんかとは程遠かったが。


「…………ありがとう、ございます」

「い、いえ……」


 両方に見えるように教科書を置くと、その女の子は極めて小さく礼を述べた。

 僕は視線を合わせないようにしながらも、横目で様子を確認する。


 見れば見るほど綺麗な女の子だった。

 蒼の髪を流すようにして、落ち着いた印象を与えてくる眼差し。しかしながら感情の起伏は感じ取れず、少々もったいないかな、と思わされた。


「…………? なにか?」

「な、なんでもないです……!」


 ヤバい、観察していたのがバレた。

 挙動不審になりながらも、僕は前を向く。

 そしてしばしの間、教員の話を淡々と聞いていた。その時だ。


「…………ん?」


 なにか、紙切れが女の子から送られてきた。

 折りたたまれたそれを開き、中に書かれた文字を見る。そこには――。


「う……!?」


 ――苦笑いが浮かぶ、そんな内容があった。

 というのも「放課後に、先ほどの場所で」との文言。

 たったそれだけなのだが、僕に対する威圧としては十分だった。


「あの……」

「…………」


 声をかけても、相手は授業に集中している。

 取り付く島もなく、僕はその授業中ずっと気まずい感じで過ごすことになった。





「こ、公爵家……!?」

「そうだよ、ルークリヌス公爵家のアーニャさん」


 そして、ひとまず昼食の時間。

 僕はアリーシャから、あの女の子の名前を訊きだしていた。


「うわぁ、終わった……」

「どうしたの、フィーナちゃん。ずっと様子がおかしいけど」

「ううん。なんでもないよ、ただ……」


 公爵家はさすがに敵に回したらダメだろう……?

 僕の脳裏には、自分の家が没落する光景が鮮明に思い浮かんだ。

 王家との繋がりが強い貴族のトップと言えるそんな一族に、この件が知られているのは非常にマズイ。マズイというか、それどころではないような……。


「とりあえず、私はもうダメかも……」

「え、フィーナちゃん。なにをしたの?」


 改めて、がっくりとうな垂れる。

 するとそんな僕に、


「…………隣、いい?」


 そう声をかける子がいた。

 今さらながら、ここは食堂である。

 見渡せば他に席も空いているのに、いったい誰が――。



「…………」

「…………」



 ――アーニャさん、でした。

 彼女は相も変わらぬ無表情でこちらを見て、小首を傾げている。

 なんだろう。有無を言わせない圧力で、ジッと僕の隣の席を見つめていた。


「ど、どうぞ……」

「……ありがとう」


 オドオドしながら言うと、彼女は小さく感謝を述べて腰掛ける。

 そして、黙々と食事を口に運ぶのだった。


「ねぇ、ホントに何をしたの?」

「…………」


 アリーシャは心配そうにそう声をかけてくれたが、答える余裕はない。

 僕は苦笑いしながら、無理矢理に食事を呑み込むのだった。



 当然、味なんてしなかった。





 そして、いよいよ放課後がやってきた。


「いったい、どんな目に遭うのか……」


 僕は指示通りに、旧校舎の裏でアーニャを待つ。

 言い渡されるのは何か。そればかりが、頭の中をぐるぐると回っていた。

 もしも我が家の計略が王家に知られることとなったら、フィーナ姉さんの貴族としての地位とか、そんなのは可愛いものになるだろう。


「最悪、取り潰しかな……ははは……。笑えねぇ……」


 僕はどこか空虚な笑いを漏らしながら、裁定の時を待った。

 そして、そうすること十数分。



「お待たせ、しました……」



 いよいよ、その時はやってきた。

 アーニャはどこか神妙な顔をして、僕の前に立つ。


「…………」

「…………」


 そのまま、互いに無言になること数秒。

 それぞれの呼吸音が聞こえるような静寂の中、ついに彼女は口を開いた。



「…………単刀直入に、言います」


 ふっと、少しだけ深呼吸してから。













「わたしと、お友達に、なっていただけませんか……?」












 ――――はい?



 僕は目が点になった。

 対して、アーニャ女史の顔には。


「…………!」



 羞恥心が、がっつりと浮かんでいたのだった。


 

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