第9話 教会と女騎士
「今日の仕事は教会の視察か」
「僕らは色々お世話になるからね。ちゃんとチェックしておかないと、いざという時に怪我人の治療等が出来ないようでは困るわけだよ。まあ、お世話になっているお礼も兼ねているんだけどね」
アイヴィが手土産の入った袋を掲げる。仕事用のものでなければ奪い取って食べていたはずだ。
「しかし、前から思っていたが、騎士団の仕事か、コレ?」
「何事も現場を知るのが大切なのさ。それに、教会の治療サービスは騎士団専属のものじゃない。民衆のものでもある。民衆の生活を守るための騎士になりたければ、ここでその一端に触れるのも悪くないだろう」
「ああ、そうだな。騎士団は、表向きは王族のものだが、私は王侯に奉仕するために騎士を志したわけじゃない。みんなの幸福な生活を助けるためだ」
「うん。居酒屋とかで毎回聞かされているから改めて言われなくても分かっているよ」
「そうか? そんなこと言った覚えがないのだが……。思い返せば、最近は忙しくて全然行けてなかったな。今夜辺り行くか?」
「テトラさんは毎回酔いつぶれていますからね。あまり飲む機会を設けないようにしていたんですよ。……それはともかく、今夜は本当に予定が入っているので無理です」
「一人で飲むのはアレだからなぁ、やめておくか」
会話に区切りがついたところで、教会の建物を見上げる。
教会自体はどこにでもあるが、私たちの目の前に立っているのは、その中でも最も大きな部類になっており、天高くそびえ立つ数本の塔に四方を囲まれた高い建物だ。さすがに城よりは小さいが、街の建物の中では群を抜いて高く大きい。
それもそのはず、この国の教会の総本山と呼ばれているらしい。信仰心があまりないのでふんわりとした情報しかないが、それだけ重要な教会というわけだ。
教会では、日々の信仰的行為だけでなく、呪いの解除や解毒、大きな怪我や病気の治療などが行われている。敬虔な信者でなくても利用できるため、教会の利用者は多い。
大多数の人が医療目的のために教会を利用していると言っても過言ではない。
私も数回訪れたことのある場所なので、遠慮なく入っていく。
「あらまあ、騎士様。神にお祈りですか?」
今日は鎧を着用するようにと言われていたので、新人っぽい可愛らしいシスターにもすぐに騎士団の人間だということが伝わったようだった。
「祈る神なんていないよ。すべてを解決するのは筋肉だけさ」
「お祈りではなくて申し訳ないのですが、騎士団では定期的に視察を行っているものでして。ああ、これは騎士団からのささやかな心付け……いえ、奉納品です」
「これはこれはご丁寧にどうも。私、新人魔導士のマリリンと申します」
魔導士は、主に回復魔法を使う者たちのことを指す。
魔導士の卵は、教会とそれに連なる修道院でしか育成されないため、基本的に教会に滞在している。ここで修業を積むことが回復魔法の技量の向上にも繋がるらしい。ある程度の実力になると冒険者のパーティーなどに誘われて兼業になるため、教会と冒険者ギルドの双方から収入が入るようになりウハウハな生活になるとかならないとか。
こちらも挨拶を済ませる。
「それで、視察とはどのようなことをするのでしょうか?」
「ここに来る人の層をチェックしたり、医療器具や人員が適切な質及び量を備えているかを確認したりするのが書類上の主な業務ですね」
「あとは、最近困っていることなどがあれば話を聞いておく……だっけ、アイヴィ?」
「うん。騎士団の方で手伝えそうな案件なら、色々手配できるからね。困りごとというのは、教会の中だけじゃなくてもいいですよ。ここには色んな市民が集まってくるわけですから、街の人々が抱えている問題やその噂も多く寄せられることでしょう」
何か心当たりがあるのか、マリリンさんは困ったような顔をした。
「ええ。教会に関係のない相談というのも多いですね。しかし、人々の不安の解消にも付き添うのが教会に携わる者の使命の一つですから……」
「そういうのは回復魔法が苦手な魔導士とか、普通の人を雇ってやってもらったらいいんじゃないか?」
「確かに、回復魔法が不得意な人たちには優先的にそういう仕事が振られるようにはなっているのですが、この神聖な教会で普通の人を雇うなど……」
途切れた言葉をアイヴィが拾った。
「教会の体裁の問題でもある、か。普通の人でも解決できることに多くの人が気付けば、それだけ教会の利用者が減り、信仰心を育むチャンスも少なくなっていく」
「まさしくそうなんです」
「難しい話だな。私はパスだ。モノが揃ってるかどうかを数えに行ってくる」
「テトラさんも、たまには難しい話を考えた方がいいですよ。騎士団の定年は他所よりかなり早いとはいえ、長く在籍すれば部下も増えて決断しなければならないことが増えますからね」
「あまり実感が湧かないな。まあ、力仕事と単純労働は任せろ」
「逃げましたね……」
アイヴィの小言を受け流しながら、手早く簡単な作業に移る。
関係者用の通路にも、騎士団の鎧を着ておけば躊躇わずに踏み込んでいける。
とはいえ、あまり入ったことのない区画だったため、どこに調査対象のモノが置かれているのかも分からない。
とりあえず一番奥まで進んでから、虱潰しのように全ての部屋を回っていけばいいだろう。
通路の一番奥の扉を数回ノックしてドアノブに手を掛ける。返事は聞いていないが、人がいなかったり、重要な取り込み中なら鍵が掛かっているはずだろう。
扉はあっさりと開いた。
「失礼する。騎士団の者だ。定期監査を……」
高級そうなしつらえの部屋で、どこかで見たような気がする禿げかけのおじさんが、二回りは若そうな秘書らしき女性と戯れている姿が見えた。絶対に見覚えがあるような気がするのだが、世の中にはこういうおじさんが多いのも事実なので、私の勘違いなのかもしれない。
それよりも仕事だ。
私の方を向いたまま固まっている男女に歩み寄る。
緩そうなシャツから、だらしない腹が見える。
「監査で来るのは初めてでな。まだこの教会内部の部屋の配置をよく知らないんだ。医療用品が置かれている場所を教えてもらえると助かるのだが……そもそもここは教会の内部で合っているのだろうか? 全然別の建物の部屋に繋がったという可能性もあるが……」
「え、ええ、ここはカルボニス王国内でも最大の教会の深奥、大司教様の……」
解説を始めた秘書っぽい人の口を、おじさんが手で物理的に塞いだ。
「何を言っとるのかね、ミッシェルチャンは❗️ めっ❣️ ここは、おじさんとミッシェルチャンの愛の巣😘💕💕それ以上でもそれ以下でもないよ👌」
「はぁ……」
絶妙に聞いたことのある喋り方のおじさんだ。
おじさんがこっちを向いて喋っている間、ミッシェルと呼ばれた女の人は心底イヤそうな表情をしていた。ここに愛はないのだと悟りつつも、話を戻す。
「つまり、教会内のあの扉は、魔法か何かの影響で全く関係のない部屋に繋がっていたという認識でいいのか?」
「おじさんも魔法のことは詳しくないからよくわかんないな。でも、そういうことなんじゃないかな❓🤔おじさんはただのおじさんだよ😃」
「そうか。邪魔したな。文句は騎士団ではなく、変な扉にした教会の方に言ってくれよ。私もお前も被害者なんだからな」
「えっ、もう帰るのかい?Σ( ̄。 ̄ノ)ノ せっかくだからおじさんと遊んでいこうよ🙋♂️」
「いや。仕事中だからな。それに、ここはお前とミッシェルさんの愛の巣だろう? 邪魔者は空気を読んで帰らせてもらう」
おじさんよりミッシェルさんの方が「帰らないで」と言わんばかりの悲しげな表情を浮かべた。
「三人でお馬さん🐴ごっこをしよう。そんなに長くは掛からないからネ❗️」
「お馬さん……あっ、あの時の競馬場で会ったおじさんか!」
「おお、覚えていてくれたんだね❗️ 運命感じちゃう🥰💞」
「感じるな。帰らせてもらう」
「アッ……チョット……🙇♂️」
回れ右して扉を開けると、やはりさっきまで歩いていた通路に出た。
一番近くの部屋の中にいた魔導士に他の部屋を案内してもらって仕事を終える。
簡単な点検を終えてもまだアイヴィとマリリンさんは話し合っていた。
「大体の仕事は終わったぞ」
「ありがとう。こっちも色々と教会やその周辺の悩み事を聞いていたところだ。騎士団の方でも力になれそうなことはあったけど、やっぱり教会内部の問題が多いみたいだね。官僚時代に少し聞いていたけど、噂通りさ」
「はぁ。あっ、内部の問題と言えば、この建物の一番奥の部屋は魔法か何かで他所の部屋と繋がっているらしいぞ。中にいたおじさんにそう言われた」
「魔術師協会じゃないんだから、冗談ということにしてもらいたいね。……で、そういう話もあるのかい?」
視線を向けられたマリリンさんが何度も首を捻る。
「大司教様のお部屋ですよね? そういう話は聞いたことがないですし、鍵が開いていれば普通に入れますが……」
「大司教様? 私が行った時は、普通のおじさんとミッシェルとかいう人の愛の巣に繋がっていたぞ。もしかして、教会の関係者じゃないとダメとか?」
「ミッシェル先輩……そういえば今日は先輩が担当の日でしたね……」
「ん? 担当? というか君はミッシェルさんと知り合いなのか?」
「知り合いもなにも、魔導士としての先輩ですよ」
私と同じく怪訝そうな表情をしたアイヴィが会話に復帰した。
「で、担当というのは何の担当なのか教えてくれないか?」
マリリンさんは周囲を確認して声を潜めた。
「アイヴィさんには少し前に話したと思いますが、この教会では、上司の方々からの理不尽な嫌がらせが横行しているのです。男性にも女性にも。ただ、女性だけに課される嫌がらせもあって、それが、大司教様と一日付きっ切りで仕事をするというものです」
「なんて酷いやつだ! 怒りが湧いてくる。くっ……殺せばいいじゃないか。ああ、本当に殺すと犯罪だから、次からそういうことをしようとも思えなくなるぐらいボコボコにするって意味で」
「まあまあ落ち着いて。みんながみんな、テトラさんみたいに職を追われてもどこででも生きていけそうなバイタリティを持っているわけじゃないから……。組織の中で生きていくのは大変なんだよ。それなりのメリットはあるけど」
「ええ。決定的な嫌がらせをしてきたことはないです。教育の一環と言われればそれでおしまいですね。でも、断れば田舎の教会へ左遷です。せっかく田舎から出てきたのに、逆戻りなんてゴメンですよ」
「ふむ。私も田舎から来たから、少しは気持ちが分かるような気もする」
「そういうわけで騎士団の皆さんの手を煩わせるようなことではありません。組織の中のことは組織の中で解決します。騎士団の方でも同じでしょう?」
そう言われてアイヴィとアイコンタクトを交わす。
「あー、うちでは力こそ権力だからそういう権力争いって逆にないんだよな。せいぜい、モンスターを狩った数で給料が変わるって場面で獲物の取り合いになるぐらい。そこでも、上下関係より力関係の方が優先される」
「人間同士で争う場面じゃないでしょう」
マリリンさんにドン引きされた。文化の違いを感じる。
「ま、時間があれば愚痴ぐらいはいつでも聞くさ。……で、視察の終了を告げるためにここの責任者に会わなければならないのだが、どこにいるんだ?」
「ええと、とりあえず案内しますね?」
見覚えのある廊下を歩いて、一番奥まで進む。
見覚えのある扉を叩いて、中の返事を聞いてからマリリンさんが扉を開けた。
「待て。変な魔法が発動される前に私も入らせてもらう」
「魔法とか特に仕掛けられていないはずなんですけどね?」
見覚えしかない部屋に来てしまった。……が、ミッシェルさんの姿が見えた。彼女の隣では、先ほどの変態おじさんではなく、教会の正式な白いローブを纏い、白い帽子を被った中年の男が書類仕事をしていた。
遅れて入ってきたマリリンさんとアイヴィに向かって叫ぶ。
「さっき来た部屋にそっくりだ!」
「だから、魔法の影響などではないと言ったじゃないですか」
違うのはただ一点。このローブの男だけだ。
顔を見ても、先ほどのおじさんと同一人物かどうかイマイチ判断できない。元々おじさんの区別が難しいというのに、この男はさっきのおじさんと違っていかにも慈愛と信仰に満ちたような柔和な表情をしている。
「はいはい。騎士団の方ですね。毎度お疲れ様です」
「この書類にサインを」
「ええ、承りました」
アイヴィとのやり取りを見ても、さっきのおじさんとは明らかに別人だ。お馬さんごっこがどうとか言い出すような人には見えない。
サインをもらい、マリリンさんと今夜飲みに行く約束をして帰路についた。
その道中、
「ふむ。噂には聞いていたが、汚職だけではなく、セクハラもやっていたのか。しかしまだ攻め崩すには足らない。外面だけはいいやつ狸め……」
遠くを見据えながらそう口の中で唱えているアイヴィの横顔は、今までで一番うちの騎士団っぽく――つまり、獲物を前にした肉食獣のように見えた。
こいつもこういう顔するのか。なんか、安心するな。
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