第5話 幽霊屋敷と少女と女騎士(下)

 クラヴィスちゃんに引きずられながら、真っ暗な森の中を進む。木々が生い茂るこの場所には、月明かりもほとんど差し込まない。あるのは静寂と暗闇だけだ。


「街からかなりの距離を歩いたと思うのだが、家はまだなのか?」

「もうすぐだよ。この森の中だもん」


 その言葉通り、唐突に煉瓦造りの塀が目の前に現れた。私の身長より少し高い程度の塀の上には、金属製の柵のようなものが並んでいた。

 ぼんやりと眺めていた私に向けて、


「そっちからは入らないよ。正面ゲートから入る方が一番楽だから」

「この煉瓦を壊すか、飛び越える方が楽じゃないのか?」

「呪いとかの耐性があるなら、ご自由に。……何が仕込まれてるかわからないし」

「すまん。そっち方面はサッパリだ。堂々と入ろう。ともかく、番犬とやらは私に任せてくれ」


 壁に沿って歩くこと数分。不自然なほど無防備な空間が現れた。奥には明かりのついた屋敷が見える。隠居生活のための家なのか、それほど大きくない。

 暗い中での戦闘では、視覚以外のモノが頼りになってくる。音を聞き分け、獣特有の臭いの位置を探ろうと頑張ってみたが、全く気配がしない。


「生物の気配がないな……。犬なんているのか?」

「今はいないかな。敷地に踏み入れたら出てくるよ。生物というより、防衛機構と考えた方がいいんじゃない? 夜にしか現れない家に、普通の犬が長年住めるわけもないし」

「それもそうか……。ん? ところで君のひぃお婆ちゃんは? ほら、明かりは灯っているみたいだし、呼びかけてみれば……」

「ひぃお婆ちゃんは少し前に死んじゃった。遺産は大体こういう形で魔術的な所有権の書き換えをしなきゃ物理的に相続できないんだって。似たようなやつが多いし、早めにどうにかしなきゃ危ないやつも多いから……。そうじゃなかったら修行して、独りでどうにかできるようになってから……と思ってたんだけどね」

「クラヴィスちゃんの考えが立派なのは分かったが、つまり、この家はお化け屋敷ということなのだろう? この際白状しておくと、私は幽霊系のやつがダメなんだ」

「ここまで一緒に歩いてきたら、今更言われなくても分かるって」


 年の離れた少女から冷たい視線を送られる。昼は少し暑いぐらいだったのに、この辺は実にひんやりしていた。

 騎士のプライドを守るために言い訳しておく。


「か、勘違いするな。私は何となく心細いなどという女々しい理由で苦手なわけではない。やつらには物理攻撃が通用しないから恐れているんだ」

「テトラお姉ちゃんがそこまでの脳筋だとは思ってなかったなぁ。でも、王立騎士団の人なら、新人でも聖騎士みたいな技が使えるんじゃない?」

「クラヴィスちゃんは物知りだね。……一応できる。できるけど、あの系統だけは見習いの連中とそこまで変わらない技量だ。他の実技試験で点を補ってきたからな」

「自信満々に言うことではないと思いますが……自信がありそうなのでもう踏み込みます」

「案外スパルタだね?」


 クラヴィスちゃんが敷地に踏み込むと、屋敷の玄関前に、この前の高級牛肉(ブラックダイヤモンドカウ)より一回り小さい程度の黒い犬が現れた。

 あの牛より小さいと言っても、普通に成人男性より大きい。グルルル……という獰猛な息遣いとともに熱気が立ち上る。首の数に合わせて三つ。


「番犬じゃなくてケルベロスじゃないか!」

「ケルベロスは犬だよ?」

「そうかもしれないが……ふむ。自警団の男が返り討ちに遭うのも納得だ」


 突進してくるケルベロスを受け止める。

 物理的に触れられるのなら、深刻な問題はないと言ってもいい。

 投げ飛ばしながら尋ねる。


「この犬っころはどうにかできるはずだ。この後はどうする?」

「中に入って、この屋敷の核となっている術式を探す。探知は常に行っているけど、この屋敷は見かけよりも広いから時間が掛かりそう」

「そうか……なら、鼻が利くやつが必要だな」

「テトラお姉ちゃん、まさか……」

「そのまさかだ。ワンちゃんには最後まで付き合ってもらう!」


 ケルベロスの攻撃をいなして回り込み、尻尾を掴んで振り回す。

 遠心力を活かして左右交互に地面に叩きつけながら歩く。


「さあ、番犬が大人しくなっている間に進もう」

「うん……」


 クラヴィスちゃんは完全にドン引きしていたが、私にはモンスターを従えるためのスキルがないので仕方ない。熟練のテイマー冒険者でもケルベロスは難しいと思うが。いや、それ以前にこいつはモンスターというより魔法で構築された別の何かだったはずなのでテイム系のスキルが効かなさそうだけど。

 ケルベロスをベチンベチンとリズムよく地面に叩きつけながら屋敷の扉をくぐる。

 そこには、草原が広がっていた。青空が広がり、遠くに街の影のようなものが見える。振り返ってみても草原が広がっているだけで、扉はどこにも見えなかった。


「は?」

「言ったでしょ? 見かけより広いって」

「ここまでくると見かけもクソもないだろう」

「でも注意して。ここは屋敷の中だから、見かけより狭いわ」

「広いのか狭いのか、私にはもう理解できないな」

「壁や床、天井とかに、草原や青空のテクスチャが貼られているだけよ。魔術の素人が盗みに入ったとしても、どこに部屋や財産があるかなんてサッパリ分からないってわけ。ちょっと準備するから待ってて」


 クラヴィスちゃんが自分の目元を抑えながら何かの魔法を発動させる。

 魔法の完成を待ちながら、


「ふむ。この辺に壁や柱があるのだとすれば……」


 何もなさそうな空目掛けてケルベロスをぶん投げると、すぐに何かと衝突した。

 青空に叩きつけられるケルベロスの図は非常にシュールである。

 私が思いつきの実験をしている間にクラヴィスちゃんの魔法が完成したらしく、淡い緑の光が目元に宿り、その状態で周囲をぐるっと見回して頷いた。


「これで私は屋敷の中を正常に認知出来るようになったわ。あなたにも付与してあげたいけど、調整が難しいからダメね。最悪の場合、視力を失うかもしれないから……」


 そこで言葉が途切れた。

 言葉に余韻を持たせようという感じの途切れ方ではなく、何か別のものに気付いて言葉を失ってしまったという風な様子である。

 彼女の視線は、私の方を向いていたが、厳密には私ではなく、私の背後を見ているようだった。あの犬の心配だろうか。私の見立てでは、そんなに体力が残ってなさそうだったため、それほど身構えることでもないと思うのだが……。

 一応確認するために振り返ってみると、青空に突き刺さっているケルベロスの首付近から火柱が出現していた。炎は壁を伝って、恐らく天井があるであろう場所に、這うようにして燃え広がっている。

 出火の原因は恐らく、ヤツのブレスか何かだろう。

 この火のおかげでようやく私にもこの場所の天井の高さが分かってきたのだが、青空の一部が焼けているような絵面はやっぱりシュールと言わざるを得なかった。


「君が相続する予定の家に火を放ってしまって申し訳ないな」

「大丈夫よ。実際の家と違って修復は簡単だから」


 その言葉を聞いて動き出そうとしたら、腕を引いて止められた。


「でも、全部壊して解決しようとするのは愚策よ。カウンターとしてどんな魔法が仕組まれているか分からないから」

「そうだな。でもとりあえずあの犬は連れていこう。見殺しにするのは可哀想だし、あの体力ならいつでも抑え込める」


 異議が唱えられなかったので、尻尾を掴んで壁から引き抜く。

 反省したのか、元気がないのか、はたまた力関係を学習したのか、無理に暴れることはなかった。

 その様子をみたクラヴィスちゃんがケルベロスに近付いて首元を撫でた。私も彼女の真後ろに立っていたからか、特に抵抗はなかった。むしろ気持ちよさそうにしている。この距離なら、ワンちゃんが何かするよりも私の拳の方が速いからな。

 何度か撫でていると、首輪のようなものが形成された。そこからリードが伸び、クラヴィスちゃんの手に続く。


「今、この子の術式を組み替えたわ。これからはもうあたしたちの敵じゃないよ」

「そうか。なら前衛はそいつに任せよう。私は殿を務める」

「ええ。気を取り直して屋敷の奥に向かいましょう」


 いくつかのトラップを迎撃しながら歩を進める。物理的なものは私とケルベロスが担当し、魔術的なものはクラヴィスちゃんが一手に引き受ける。

 曲がりくねった廊下(私には全然違う風景にしか見えない)を進む。屋敷の真の姿が見えているらしい彼女の言葉によれば、あと二部屋程度で一番奥の部屋に辿り着けるそうだ。

 後方からのトラップに注意しながら歩いていると、突然浮遊感に襲われた。

 見れば、私の周りの床が開いて完全に落下が始まっていた。クラヴィスちゃんの足元も床が消失していたが、先を歩いていたケルベロスに引っ張られて落下を免れていた。


「テトラお姉ちゃん!」

「私のことは気にするな! クラヴィス、そのままこの家を取り戻せ!」


 心配そうにのぞき込んできた彼女に叫び返す。

 自分の不始末は自分で拭わなければならない。ともかく、護衛対象である彼女にまで被害がなくて良かった。騎士の誇りは守られたのだった。

 さて、まずは無事に着地出来るかどうかなのだが、周囲が暗闇と化していて、着地のタイミングが読めない。とりあえず剣を下に構えておく。

 数秒後、身体が液体に叩きつけられる感覚がした。予想以上の衝撃に、意識がぐらつく。




「うっ……ここは……?」


 目を開けると、知らない洞窟のような場所だった。

 身体はほとんど異常無さそうで、自分が何者なのか、自分がさっきまで何をしていたのかもハッキリ覚えていた。


「そうだ! クラヴィス……!」

「呼んだかの?」


 しわがれた声に驚いて振り向く。

 私の背後に、声から連想されるようなローブ姿で杖をついた老婆が立っていた。


「ひっ、お化け!」


 焦って神聖魔法を拳に纏わせようとしたが、相手の術によって解除させられた。


「お化けではない。クラヴィスじゃよ」

「ど、どこが……。私の知っているクラヴィスは年端も行かない少女だけだぞ!」

「テトラお姉ちゃんは、怖いからお化けが苦手なのではなく物理攻撃が効かないからお化けが苦手……だったかの」

「な、なぜそれを……?」

「クラヴィス本人だからじゃよ。あれは屋敷の相続に行く時のことだったのぅ」


 ここまで言われれば、目の前の老婆をクラヴィスと認めざるをえないのかもしれない。


「くっ、殺してくれ……。護衛対象をお化け扱いなど、騎士として失格だ」

「そんなことで殺すわけなかろう。さて、そんなことよりも屋敷の相続じゃ。何が起こっているのか端的に言えば、テトラお姉ちゃんは屋敷の罠に引っかかって時を超えてしまったのじゃ」

「時を……? いや、そこはいい。私にはどうにも出来ない領域の話だからな。……それで、あの屋敷はどうなったんだ? ちゃんと相続できたのか?」


 老婆は静かに首を横に振った。だが、それほど悲壮的な空気が漂っているわけではなかった。


「あの時は実力不足で術式の改変が行えなかったのじゃ。しかし、今ならできる。少し、付き合ってもらえるかの?」

「当然だ。私は何をすればいい?」


 老婆は少女の時代を思い起こさせるように不敵に笑った。


「テトラお姉ちゃんには今からあの屋敷の鍵を持って過去に戻ってもらう。それを使えば相続の儀は終了じゃ」

「思っていたより簡単だな」

「というわけで、これ、鍵」


 クラヴィスがさっきからずっと手に持っていた杖を渡してきた。


「これは杖だろう」

「魔術的な家なのだから杖が鍵でも不思議ではなかろう?」

「なるほど。言われてみればそう思えてくるな」

「これから過去に送るが……当然、時間移動は簡単ではない。過去に戻ったテトラお姉ちゃんは、これが鍵であることを覚えてはいないじゃろう」

「覚えていないだろうな」


 断言できてしまうのが悲しい。


「しかも、この鍵は高度に設計されているから、あの頃の自分では扱えない。別の何かで起動する必要がある」

「叩き折るとか?」

「台無しじゃ。そういうわけで、起動のための合言葉を設定しておく」

「その合言葉を忘れたら元も子もないのでは?」

「うむ。じゃから、咄嗟に出てくるような言葉を使う」

「そんなのあるか?」

「もう設定してあるから、幸運を祈ろう。では」


 足元に魔法陣が出現して、またも身体が浮き始めた。

 そのままどこまでも上昇していき、気付けば赤い絨毯の上に投げ出されていた。




「ぐはっ!」

「テトラお姉ちゃん! 大丈夫ですか? いきなり降ってきたからビックリしました」

「あ、ああ。大丈夫だ……いや、何か大切なものを忘れている気がするから全然大丈夫じゃないな」


 さて、それは何だったか……。よくある洋風の書斎の中で考え込んでいると、


「ところで、手に持っているその杖は?」


 指摘されてからようやく気付いた。私の手にはしっかりと古めかしい杖が握られている。


「これが何か重要なものだったような気がするのだが、さっぱり思い出せない」

「あたしならその杖を使えるかもしれないよ。貸して」


 とても大事なものだったような気がするのだが、私が持っていても仕方がないという話も一理あるので貸してみた。

 クラヴィスちゃんは色んな術式を試そうとしているようだが、一向に何も起こる気配がない。


「私が何か覚えてさえいれば……。不甲斐ない」

「うーん、あたしでも使えないってどういう杖なのよ」

「護衛に来たというのに足を引っ張ってばかり……。くっ、殺せ……」


 沈んだ空気の中、ケルベロスの鳴き声だけが響き渡る。

 何度もうるさく吠えたてるので不審に思っていると、杖が光を放ち始めた。


「今まで何も反応しなかったのに……何かキッカケがあったの?」

「それより、持っていて大丈夫なのか? 危ないものじゃないんだろうな?」

「うん。この杖からあたしに向けて莫大な魔力が流れ込んできているだけ。……ああ、これだけの魔力があれば、いける!」


 クラヴィスちゃんが書斎の机の上に置かれていた古びた本に向き合うと、魔力同士がぶつかり合う独特な感覚と共に、その余波としての激しい光や風が巻き起こった。

 その渦中にいるクラヴィスちゃんを見守ること暫し。

 すべてが収まると、何事もなくクラヴィスちゃんが立ち上がった。


「相続の儀は完了よ。あの杖が無ければ、ひぃお婆ちゃんの術式を書き換えることは出来なかった。ありがとう、テトラお姉ちゃん!」

「そうか? 正直何も出来ていなかったような気がするのだが……」

「いいえ。人を未来に飛ばす罠を逆手に取って、未来のあたしから魔力リソースをもらってくるという重要な役割をこなしてくれたわ!」

「ううむ……よく分からんな。まあ、役に立てたというのならありがたい」

「せっかくの広い屋敷だし、今日はここに泊まっていきなさい。あたしがここの主になってからの、記念すべき一人目のゲストよ!」

「そうだな。色々予想外のことが多くて疲れたよ」


 その後、二人で掃除や調理などをして同じベッドで眠った。

 サイズを調整できるという話だが、今のままでは一人で使うには広すぎる。

 おまけに人里離れた森の中にあるのだから、人も寄り付かなくなって幽霊屋敷になるのは当然だろう。

 これからはクラヴィスちゃんの下で、人の集まる温かな空間になってもらいたいものだ。

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