第2話 金策と女騎士

「おいこらテトラァ! この前紛失した騎士団の剣と鎧ぃ、まだ弁償してねぇじゃねぇか!」


 栄えあるカルボニス王立騎士団のダイナ団長に朝から怒られた。数日前のことなのに、まだ覚えていたとは……。


「お前、黙ってりゃ踏み倒せると思ってるだろ。でもそれは間違いだ。確かに俺はお前の支払いの件を完全に忘れていた。だが、優秀な経理のアイヴィ君がいるからちゃんと支払い状況を確認できるってわけだ」


 堂々と「自分だけなら忘れてました」宣言をしながら視線を右に動かす。追いかけると、机に座って書類の山と向き合っているアイヴィの姿が見えた。

 団長の声はデカいので話が聞こえていたのだろう、会話に割り込んできた。


「団長、僕は今年からここに配属されたのですが、僕が来る前はどうだったんですか?」

「あ〜、一応そういう役職もあったけど、騎士団に入るやつは基本的にデスクワークが嫌いだからな。テキトーだよ、テキトー」


 アイヴィがやれやれと額に手を当てた。

 彼はスーツ、団長は赤いジャージ。私は普段着のTシャツとジーンズ。

 周りの人を見ても鎧を律儀に来ている人は少数派で、とてもではないがここが騎士団の詰所とは思えないだろう。一般人百人に聞いても正解率は半分来ないのではなかろうか。何なら騎士団志望の若者に絞ってもそこまで変わらなさそうな気もする。

 こんな人たちに鎧の話をされても払う気にはならない。なったとしても払えないのだが。


「テトラさん、今、払わなくても何とかやっていけるだろう、と考えましたね?」


 アイヴィの指摘を受けて顔が引きつる。


「ダメなのか? 着ている先輩方も少ないぞ?」


 一度ため息をついて、


「普段の業務なら差し障りありません。しかし、腐ってもここは王立騎士団です。王侯貴族からの仕事や、国を代表する業務に当たる場合は鎧の着用を義務付けられています。武器に関しては規則が緩いのですが、やはり相応の格式ある武器でなければなりません」

「鎧が無ければ?」

「その仕事には参加できず、最悪の場合は解雇処分を超えて斬首処分ですね。……ここの規律、野蛮過ぎませんか?」


 解雇。金がないのに。

 それは困る。斬首の方がマシに思える程度には困る。

 ならば早めに金を収める必要がある。しかし、手元の金はあまりに乏しく、給料日はまだまだ先だ。

 ポケットから取り出した所持金(=全財産)とにらめっこする。


「うーむ、この金がパアァッと増えないものか……。しかし、そんなウマイ話はどこにも……ん? うま……?」


 妙案、来たれり。

 善は急げということで、午後の業務が無いのを良いことに一直線に目的地へと走る。走り出す直前にアイヴィが頭を抱えていたような気がするが気にしない。


「支払いから逃げるわけじゃないぞ。これから金を増やしてくるだけだ!」


 とも伝えておいたからな。

 せっかく支払う意欲を見せてやったのに「僕の心配はそっちじゃないです」とか言って頭を抱えていたのだが。


「ふむ。ここが噂に聞く競馬場か。思っていた以上に客が多いな」


 視線の先に横長の石造りの建物が横たわる。入口へと多くの人──主に成人男性が吸い込まれていく。

 流れに乗って私も中へ入った。

 壁面には大きく、今日行われるレースと出走馬や騎手、配当の目安が書かれた紙が貼り出されていた。

 もし高い配当になれば、今の所持金でも十分大きな額になる。そうすれば、弁償してもなお使いきれない金が転がり込んでくるはずだ。広がっていく夢に、人知れず口元が緩んだ。

 さて、後は馬と騎手の選定だが……初めてだからイマイチ勝手が分からない。どうしたものか。


「ヤッホ〜☺️そこのお嬢チャン、ここは初めてかい❓」


 圧倒的に女性が少ない上に、声が飛んできた方角的にも確実に私に話しかけてきたのだろう。

 振り向くと、片手に酒の入ったコップを持ったおじさんが立っていた。髪の後退具合や顔に刻まれたシワを見るに、私の親よりも年上だろう。


「私か? ああ、初めてだが……」

「やっぱり⁉️ こんなところに国宝級の美人が来るなんて珍しいからネ(^_−)−☆」

「美人だなんて、そんな……」

「照れなくてもいいヨ。さて、そんなお嬢チャンにコレ❗️ おじさんからの奢り(^^)v」


 ズボンの後ろから取り出した紙束を差し出してきた。見出しの「フェイスグラム、夢の三冠へ!」という文字は楽に読めたが、びっしりと書かれた細かい内容まで読む気にはなれなかった。


「気持ちだけありがたく受け取っておこう。文字とにらめっこするのは苦手でね」

「そうか〜、そりゃ残念( ;∀;) じゃあ基本的な買い方だけ教えておこうカナ❓」

「親切にどうも」


 あとで情報料を請求されるのだろうか、と内心不安に思っていると、表情に出ていたのか、


「おっ❓ ちょっと怪しまれてるのカナ❓σ(^_^;) 心配しないでよ。あんまりお金が無いから、賭けられるレースも少なくて、話相手を探していただけなんだナ。おじさん、家に帰っても女房や娘から嫌な顔されるだけだからネ……こう見えてもおじさん競馬うまいからサ😘」


 という弁明を聞いてもいないのにされた。


「う、うむ。私に言われても困るのだが、まあひとつ買ってみようじゃないか」


 おじさんに薦められるがままに馬や買い目を決めていく。全財産をベットし、観客席まで移動。人で埋まった通路をかき分けながら自分たちのスペースを確保する。

 レースの直前に買ったので、それほど待つこともなくスタートした。

 当たれば鎧代も武器代も払えるような組み合わせだ。無邪気に神を信じていた幼少期以降では初めてと言っても過言ではないほど熱心に神へ祈りを捧げる。


「およ❓ レースは見なくていいの❓」

「ううむ……正直、自分が賭けた馬がどれなのかもイマイチ分からないからな」

「でも、今のところは結構良い線いってるヨ❓」

「本当か? なら頼む!」


 馬たちが最後の直線に入ってスピードを上げていく。観客たちの叫声や嬌声、罵声に悲鳴が一段と大きくなる。


「ほら、前から三頭とも君の賭けた馬サ。おじさんの予想も洗練されて来たネ(^_^)v」

「あなたが神か……!」


 ハハハとおじさんが笑っているのを見ていると、視界の端に嫌な予感を捉えてしまった。

 騎手の鮮やかなムチ捌きが閃いたとともに、四番手にいた馬の動きが変わり、跳ねるような歩様でスピードを上げていく。


「ま、待て! それ以上速くすると……!」

「ウメ! ウメェッ! そこや! そこ差さんかい! 差せ! 差せ差せっ! 差せええええぇぇーーーーっ!!」


 私の制止の声は、後ろの席のおじさんの野太い声にかき消されてしまった。必死度が違いすぎて文句も言えない。

 結果として、さっきまで四番だった馬がゴール直前で前の馬を追い抜き、三着に食い込んでしまった。

 その瞬間、私の馬券は紙屑になった。潔く千切って捨てる。

 ちなみに、後ろのおじさんが叫んでいた「ウメ」という単語は、私の夢を壊した馬の騎手の名前らしい。

 とぼとぼと受付付近に戻っていると、おじさんが気遣わしげな声を掛けてきた。


「ま、まあこういうこともある( T_T)\(^-^ )でも次勝てばいいのサ。がんばれ❗️」


 だが、私には次がない。さっきのレースに全財産を突っ込んでしまったからだ。


「も、もうお金が無いんだ。今日は色々教えてくれてありがとう」


 そう言った私の前に、お金が差し出された。さっきつぎ込んだ額の倍はありそうだ。

 おじさんの顔に視線を移すと、優しげにひとつ頷いた。ならば遠慮は要るまいと、おじさんのやや太めの腕を掴む。一瞬、腕を引っ込めようとしたように見えたが、気のせいだろう……と思っていたのだが、手からお金をもぎ取ろうとしたら強めに抵抗された。


「ちょ、ちょっと待とうかお嬢チャン。タダであげるとは言ってないじゃないか。ていうか力強いネ……(^^;;」

「なるほど。しかしお金は持ってないぞ」

「大丈夫😘👌 ちょっとカラダを触らせてもらうだけだから😍💕」


 鼻息を荒くした赤ら顔のおじさんを見る。

 あまり良い気分ではないが、これで挽回のチャンスを得られるなら……。

 金、身体、カルボニス王立騎士団の一員であるというプライド……しかし着実に傾く天秤。


「くっ、殺せ……!」


 おじさんが目をしばたたかせる。


「エッ……つまりどういうことカナ❓ 何が欲しくて、何をさせてくれるのか、正直に言ってごらん❓」

「つ、つまりだな……」


 言葉を続けるために息を吸い込んだその静寂に、忙しない足音が割り込んできた。


「テトラさん! やっぱりここにいましたか」


 聞き慣れた生真面目な声の主を確認すると、予想通りの人物が肩で息をしながら近くに立っていた。


「アイヴィ……どうしてここに?」

「そんなことより、お金はどうなりましたか?」

「ふっ……あの芝生に染み込んでいったさ」


 げんなりした様子で顔に手を当ててため息をついた。

 しかし、ここで朗報を届けてやる。


「そう落ち込むな。実は、ここにいる親切なおじさんが、少し身体を触らせるだけでお金をくれると言ってくれたんだ。そのお金で次は勝つ! それで全て解決だ!」


 朗報だと思っていたのだが、アイヴィのため息は深まるばかり。

 ようやく顔を上げたかと思うと、いつになく真剣な表情で私の方を見た。


「テトラさん。あなたが誰に肌を触らせることにしても僕にはそれを止める権利や資格はありません。しかしながら、うちの規律にはそのような公共の場での身売りを禁じる条項があるということを忘れてはいませんか? 支払うべきお金が増えますよ?」


 次いで、おじさんの方を睨み、一言添える。


「そういうわけで、あなたも止めておいた方が身のためですよ。まだ牢獄に入りたくないのなら、ね」


 沈黙が流れる。最初に耐えられなくなったのはおじさんだった。髪の少ない額から脂汗を流しながら、


「お、お嬢チャン。あの男の人、帰らないのカナ❓ ちょっと怖いんだけど(汗)」


 当人に視線で回答権をパスする。

 淡々とした口調で答えた。


「僕が帰った後で同じような取引をされると、手柄を取り損ねたことになってしまって悔しいので帰りません」


 おじさんはしばらく考え込んだのち、


「君、いいことを教えてあげよう。しつこい男は嫌われるぞ。……じゃあお嬢チャン、またどこかでね(^_^*)」


 数歩進んで振り返り、


「お嬢チャン❗️ 今度は二人でご飯🍣でも行こうネ❗️」


 さらに数歩。


「あっ、今度はやっぱりお嬢チャンの家でお馬さんごっこがいいナ(//∇//)」

「私の家には馬が走り回れるようなスペースは無い!」

「テトラさん、そこですか……?」


 さすがにもう人混みに埋もれていった。

 アイヴィがため息をつきながら幾つかの硬貨を取り出した。


「僕は団長に引き抜かれてしまった文官なので馬のことは分かりませんが、テトラさんならある程度分かるのでしょう? このお金は僕からの貸しということで」

「い、いいのか? さっきは負けたぞ?」

「今日のメインレースはまだですよ。それにまあ、こういう場所に来る機会はほとんどないので、記念というやつです。早めにお金を回収する必要もありますし」

「なら、ありがたく」


 お金をもぎ取って受付に行こうとしたら肩を掴まれた。


「馬の様子やデータは見なくていいんですか?」

「見れるのか? さっきのおじさんは何も見ずに予想していたから、そういうものとばかり……」


 移動して、私たちが買うレースに出る馬たちを眺める。隣に立つアイヴィは、さっきのおじさん同様、紙束を手にしていた。


「あの栗毛の馬が一番人気のフェイスグラムですか。強そうですね。過去の戦績も申し分ありません」


 しかしどうにもピンと来ない。むしろ、他に良さそうな馬がいる。というか、あの赤毛の馬、どこかで見たことがあるような……。


「ああ、思い出した。あの赤毛の馬、シンランウェイジー……だっけ? いつも騎士団の馬の世話をしてくれているサザンファームで見たやつだ。実際に走っているところも見たことがある。一番人気がどれぐらい早いのか知らないが、この馬に関しては信頼できるぞ」

「へぇ、そうだったんですか。前回のレースの速さでは他の馬に負けているみたいですが……」

「ふん。前がいつなのかは知らないが、アレの速さは、定期的に馬の管理を押し付けられて厩舎まで出向いている私が保障しよう」

「なるほど。では、他のオススメの馬は?」

「ふむ、そうだな……」


 私が馬を挙げて、アイヴィが損の出にくいような買い方を検討する。

 ギリギリまで粘って馬券を買ってレースを見る。……相変わらず自分が賭けた馬がどこを走っているのか分からない。何ならどの馬に賭けたのか正確に思い出せない。

 隣を見ても、アイヴィは真顔だから状況が良いのか悪いのか読み取れなかった。

 ぶっちぎって一着になった赤毛のシンランウェイジーに賭けていたことは分かるが、問題は他の馬だ。

 すべての馬がゴールしたのを見届けてから、アイヴィが小さく息をついた。相変わらず冷めた表情だ。


「テトラさん」

「ど、どうだった?」

「一番人気を予想から外した時は心配していましたが……おめでとうございます。一番人気が来なかったおかげで配当も大きくなっているみたいですからね」

「やったーー!!」

「ちょっ、放してください」


 苦しげな声が耳に届いてようやく我に返った。元は文官というだけあって、騎士団の他の男連中より華奢で小柄な身体を解放する。


「すまんすまん。でも、どう賭けるのかを考えてくれたのはアイヴィだろう?」

「ほとんど何もしていないようなものでしたけどね。さて、調子に乗って他のレースに注ぎ込んで勝ちを帳消しにしてしまわないうちに帰りますよ」

「なっ……今いい感じの勢いが来ているところだろう! ここで退いては騎士の名折れというもの!」

「そういいながら全てを溶かした人を何人も見てきましたので」

「私はそいつらとは違う!」

「どうしてこういう人たちは皆同じことを言うのか……はぁ」


 苦笑したアイヴィが、先ほどのレースと同じだけの賭け金を提供してくれたので気合いを入れて予想したのだが、惜しいところで外れてしまった。

 くどくどと垂れ流される説教を聞き流しながら帰る。

 久々のまとまったお金を抱えて戻った詰所にて。


「というわけでテトラさん。僕が先ほど貸したお金と武器・鎧代、確かにいただきました」

「テトラ~、先月貸したお金覚えてる? 十日で四割の約束だったから、これぐらいかな。まいど!」

「テトちゃん、先週のランチ代、今回収してもいい? わたし今ちょっとピンチで……」

「え、あの……いや、何か色々借りたり貰ったりした覚えはあるのだがな、今日ぐらいはひと時の幸せをだな……」


 言い終わらないうちに同僚たちにドンドン徴収され、赤貧生活に逆戻りになってしまった。

 心の中で夕食に別れを告げていると、見かねたらしいアイヴィが夕食を奢る約束をしてくれた。

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