第28話「本当の恋人みたいだったよね」

 いままで迷惑をかけたこと、嘘をついていたこと、看病をしてもらったこと、それらのお詫びとお礼をさせてほしい。そんな羽菜さんの申し出に、俺は迷わずこう言った。


『じゃあデートしてください』


 そんなのでいいの? と彼女は言ったが、そんなのいいんだ。


 俺はさらに条件を加える。


『羽菜さんが行きたい場所に連れていってください』


 シミュレーションではない、ただのデート。そして多分、最後のデート。





「ここだあ……!」


 羽菜さんは歓声をあげた。


 夏休みに入ったつぎの日のこと。俺たちはとある交差点に来ていた。


 なんの変哲もない交差点に見える。でもここが、羽菜さんがもっとも訪れたい場所なのだという。


「ここね、『ファミリア』で出てくる場所なんだ」


 ファミリア、というのは十五年以上前、つまり俺が生まれる前に発売されたギャルゲだ。名作として名高いゲームであり、様々なハードに繰りかえし移植されているから、俺でも名前くらいは知っている。


 羽菜さんは「うわあ……!」とか「この角度だあ……!」などと黄色い声をあげながらスマホで写真を撮りまくっている。


「どういう場面で出てきた場所なんですか?」

「ここでね、ヒロインの美直みなおちゃんが」

「はい」

「反対側の道を歩いている主人公の男の子を見つけて横断歩道を渡って」

「ええ」

「車に轢かれて死ぬの」

「なんつー場所に連れてきたんですか」


 最後のデートなのに。


「泣けるの……!」


 と言って、羽菜さんは本当に泣いた。久々にオタクモード全開である。


 聖地巡礼。それがいま羽菜さんがもっともやりたいことだった。


 道行く地域住民たちは、はしゃぐオタクを見慣れているのか、何食わぬ顔で通りすぎていく。


 エモすぎて泣くオタクと冷めた地域住民。台風でも発生しそうな温度差だ。


「この道をまっすぐ行くとね、主人公たちが通ってる学校があって」

「そこでは誰が死ぬんですか?」

「死なないよ!? いじめを苦にして不登校になる娘はいるけど」

「重さの種類が変わっただけじゃないですか」


 どんなゲームなのだろう。いずれにしろ体調のよいときにプレイしないと参ってしまいそうだ。


「でね、こっちに行くと鯛焼き屋さ――あ、誰も死なない鯛焼き屋さんがあって」

「一般の鯛焼き屋さんが死亡率高いみたいに言わないでください」

「その鯛焼き屋さんはゲームに直接登場するわけではないんだけど、ヒロインのひとりがね、すごく鯛焼きが好きで、あそこの学校に通っていたから、ここの鯛焼きじゃないかって言われてるの」


 羽菜さんは祈るみたいに手を組んだ。


「それを、今日、食べる……! 食べるまでは死ねないって思ってた、あの鯛焼きをついに……!」

「……羽菜さんは死なないでくださいね?」


 思い残すことがなさそうで怖い。


 くだんの鯛焼き屋さんは、小ぎれいでこぢんまりとした店構えをしていた。鯛焼きをふたつ購入し、店の前の小さなベンチで食す。


 鯛の周りに生地が餃子の羽のようについていて、それがスナックのようにさくさくしている。あんこは甘すぎず、しかししっかりと小豆の風味がしていてとても美味だ。


 羽菜さんは夢見心地の表情で鯛焼きを頬ばっている。


 ごくりと飲みこんで、彼女は遠くを見たまま言った。


「わたしね――筆を折ろうと思ってた」

「はい。――え!?」


 いきなりの衝撃告白に、俺は羽菜さんを二度見した。


「でも、今日ここに来て、やっぱり好きだなあって思って。だからやめるのやめた」

「な、なんだ。びっくりした」

「白川さんに仕事をもらえないか相談してみる」


 と微笑んだ。


 大丈夫。いまの羽菜さんならきっとまた、リプレイスのときのような素晴らしいシナリオを書けるはずだ。少なくとも俺はそう信じている。


「たとえばですけど、俺たちの『恋愛シミュレーション』を題材に物語を書くとしたら、どんなふうに書きますか?」

「う~ん……」


 羽菜さんはしばらく考えてから言った。


「ヒロインをね、素敵に書くよ。運動不足のせいで年下に迷惑をかけないような」

「ははっ、それはいいですね」

「あと、そうだなあ……。サービスも必要だから、ちょこちょこお色気シーンを入れるかな。わたしをそのまま書いたら地味だし」

「……」


 お色気シーンはめちゃくちゃたくさんあったけど、全然自覚がないらしい。やっぱり羽菜さんは単にすきだらけなだけだったようだ。


 鯛焼きを食べ終わったあとも俺たちは聖地巡礼をつづけた。主人公たちも乗っていた路面電車に乗り、ヒロインが入院した病院を見にゆき、主人公がバイトしていたファミリーレストランで食事をした。


 羽菜さんはオタク特有の早口でストーリーを説明する。最後のファミリーレストランを出るころには、プレイしたことのない俺でもあらすじを説明できるくらいになっていた。


「最高に楽しかった……」


 駅に向かう道。羽菜さんは恍惚とした表情を浮かべた。


 俺も楽しかった。いや、俺は多分、羽菜さんが楽しそうにしているのを見るのが好きなんだ。


 シミュレーションじゃないデートでも、俺たちはこんなにも相性がいい。


 最後のデートでそれがわかるだなんて、皮肉な話だ。


 駅に着いてしまえばデートは終わり。前を向いて歩きはじめた羽菜さんに俺はもう必要なく、今度こそシミュレーションは終止符を打つことになる。


 駅までの道が長くなればいい。本気でそんなことを願ってしまう。


 羽菜さんが急に立ち止まった。


「どうしました?」


 道の脇をじっと見ている。俺も釣られてそちらに目をやった。


 赤い小さな鳥居があった。石畳がその奥へと延びている。


「ここも聖地なんですか?」

「うん、そう」


 おずおずといった様子で、羽菜さんは言う。


「場面、再現してみようか?」

「再現?」

「わたしが鳥居のところで立ってるから、駿太くんは走ってきて」


 俺の返事を待たず、彼女は小走りして鳥居の台石のそばに立った。


 そして手招きする。俺は言われたとおり駆け寄った。


 羽菜さんは手を後ろで組み、


「ごめんね、急に呼びだして」


 と、俺のことを上目遣いで見て、ぱちぱちとウインクした。


 返事をうながされているようだが、元ネタを知らないので返事のしようがない。


 俺は無難な言葉を返してみる。


「いや。用って?」


 羽菜さんは境内のほうに目をやった。


「君に言いたいことがあって」


 ――え? 合ってたの?


 彼女のセリフがつづいたということは、俺のセリフは正解だったらしい。


 たっぷり時間をとったあと、羽菜さんは俺の顔に目をもどし、言った。


「君が好き」

「……」


 意を決したような表情、固く握られた拳、震えるくちびる。


 迫真の演技に、俺は思わず言葉を失う。


 羽菜さんは俺の身体に腕を回した。


 そして、背伸びして、頬にキス。


「っ!?」


 俺はされるがまま、かかしみたいに棒立ちだった。


「あ、お……」


『俺も』、と口にしようとした瞬間、羽菜さんはパン! と手を叩いた。


「はい、終了!」

「……え?」

「ふたりが恋人になったシーンでした~」


 と、おどけたように言う。


「……そ、そうですか。は、ははっ。い、いきなりキスされたからびっくりした」

「頬へのキスは挨拶みたいなものでしょ?」

「そう、ですね」


 そう、なのか? じゃあなんで羽菜さんはそんなに恥ずかしそうな顔をしてるんだろう。


「ファミリアにはこんな甘い感じの場面もあるんですね」

「ううん、ファミリアじゃないよ」

「え、じゃあ、なんのゲームですか?」


 羽菜さんはちょっと考えるような素振りをしたあと、微苦笑した。


「忘れちゃった」


 ――……?


 ガチオタの彼女が、シーンの再現までしたゲームタイトルを忘れるなんてあり得るのだろうか。


 いぶかしく思ったが、羽菜さんは『この話はおしまい』とばかりに駅への道にもどってしまった。しかも妙に早足だ。俺は首をひねりひねり、彼女のあとを追う。


 駅に着き、俺は改札を抜けた。しかし羽菜さんは改札の手前で立ち止まった。


「あれ? どうしたんですか?」

「別々に帰ろう」


 俺は彼女に向き直った。


『別々に帰ろう』


 それはつまり、ここで『さよなら』ということだろう。


「そうですね」


 思いのほか、すんなりと口にすることができた。


 本当はもっと一緒にいたい。でもここで駄々をこねれば、彼女を困らせるだけだ。


 俺は少し大人になれたのかもしれない。まあ、遅すぎたわけだけど。


「お仕事、頑張ってください」

「駿太くんも、学校、頑張って」


 小さく手を振る羽菜さん。


 俺は彼女に背を向けた。


「駿太くん」


 顔だけ振り向ける。


「短いあいだだったけど――、わたしたち、本当の恋人みたいだったよね」


 羽菜さんは泣き笑いみたいな顔で言った。


「そうですね」


 俺も多分、羽菜さんと同じような顔をして言った。


 鼻をすすって、俺はホームへと足を踏みだした。

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