第25話「好きなんだからしょうがない」
ポコン、ポコンと音がする。
夕暮れのテニスコート。飛鳥馬がサーブを打つ。ボールはコートの端に置かれた三角コーンをかすめていった。
俺は久しぶりに飛鳥馬の居残り練習につきあっている。
あれから二日たったが、羽菜さんからの返事はない。
バッドエンド。しかしこれはゲームではない。現実はバッドエンドのあともつづいていくのだ。
羽菜さんと出会って以降プレイが中断していたギャルゲ『おね☆ちゅう』を再開した。
画面には、頬を染めた二次元の女性が映っている。長い黒髪がきれいで、優しそうな目元をしていて、とても胸の大きなお姉さんキャラ。
ゲームで気晴らしをするつもりだったのに、彼女のことを思い出して気分が塞ぐ。
画面下部に三つの選択肢が並んでいる。
・微笑む
・手を握る
・抱きしめる
「『抱きしめる』じゃない?」
「うおっ!?」
いつのまにかカゴのボールを打ち尽くした飛鳥馬が、俺のそばに来てスマホを覗きこんでいた。息があがっている。
「はあ、はあ……。強引にいったほうが、はあ、はあ……、こういうキャラはなびく……はあ、はあ……!」
「ギャルゲでそんなに興奮すんなよ、怖いよ……」
「駿太が教えてくれたんだろっ」
そんなことを言った気もする。
――……。
俺は一番上の『微笑む』をタップした。
お姉さんキャラは悲しげな表情をした。
『やっぱり、わたしみたいなおばさん、君にふさわしくないよね……。素敵な女の子を見つけてね。――さよなら』
画面右上の好感度メーターが急激に下がった。
「な?」
飛鳥馬がどや顔をした。
「所詮フィクションなんだから大胆にいかないと」
「そうだったのかな……」
飛鳥馬はコートへ引きかえし、散らばったボールをカゴにもどしていく。俺もゲームを中断してボール拾いを手伝った。
結局、才能豊かな大人である彼女に、なんの才能もない子供の俺は釣りあわなかった。それに尽きるのではないか。
黙々とボールを拾い集める飛鳥馬を見る。才能という意味では彼のほうがずっと羽菜さんにふさわしい。
「そういえばさ、飛鳥馬はなんで俺なんかとつるむんだ?」
飛鳥馬はきょとんとした。
「なに? 急に」
「だって、お前ならもっと……すごい奴らといくらでもつきあえるだろ」
「俺のこと嫌いになっちゃったの?」
「茶化すなよ。真面目に言ってる」
う~ん、と飛鳥馬はうなった。
「ひととつきあうのってさ、すごいかすごくないかじゃなくて、好きか好きじゃないかじゃない?」
「……じゃあ、俺なんかのどこが好きなんだ?」
「それは」
照れたように首の後ろに手を回す。
「俺がキレたときのこと覚えてる?」
「ああ。しつこく野球部に勧誘されて、先輩の胸ぐらつかんだよな」
「あのあとさ、いろんなひとからすごく言われたんだよね。『そんなことで怒るなんてどうかしてる』とか『くだらないことで怒るな』って。で、孤立しちゃって。――でもそんなとき、お前、言ったんだよ」
「……なんか言ったっけ?」
「覚えてないの? まあ、それも駿太っぽいけどさ」
飛鳥馬は笑って、俺が言ったというセリフを口にした。
「『怒ってもいいけど、暴力はダメだよ』って。それを聞いたときさ、『俺、怒ってもよかったんだ』って思ったんだ。俺の怒りを認めてもらえた気がした。――だからだよ、お前とつるんでるのは」
そんなことを言ったような気もする。しかし、飛鳥馬が大事にしてくれていたその言葉を、言った本人がすっかり忘れていたことが申し訳なくて、俺はそれ以上、なにも言えなくなってしまった。
口ごもっていると、飛鳥馬がこうつけたした。
「居残りにつきあってくれるのも、そう。誰も俺がソフトテニスに転向したことを認めてくれないけど、お前だけは認めてくれてるような気がして、すごく嬉しいんだ」
練習につきあったあといつも律儀に礼を言うのは、そういう気持ちの表れだったらしい。
ふと、白川さんの言葉を思いだした。
『基準、と言えばいいのかな。――君みたいな子がそばにいてくれると、自分の立ち位置を再確認できてとても助かる』
ネガティブに傾いていた飛鳥馬の感情は、俺の存在が物差しとなってニュートラルにもどることができた、ということだろうか。
でもそれって、俺はなにもしていない。俺という存在に周りが勝手に影響を受けているだけ。ゲームでいえばパッシブスキル――自動発動の能力だ。
じゃあ、俺のパッシブスキルが効かない相手に、俺はどうしたらいい?
アクティブスキル――手動発動の能力がほしい。でも俺にはその才能がない。凡庸で、すべてにおいて平均値の俺には。
「どうして野球をやめたんだ?」
いままで避けていた話題を俺は口にした。せっかく恵まれた才能があったのに、それを捨ててしまった飛鳥馬に、嫉妬を感じずにはいられなくなっていた。
飛鳥馬は手鞠のようにボールをバウンドさせた。
「好きじゃないから」
彼の放ったサーブは三角コーンに当たってぽこんと音をたてた。
「嫌いだったのか?」
「父親がさ、野球好きなんだよ。だから俺が活躍するとめちゃくちゃ褒めてくれるんだよね。それでなんとなくつづけてただけ。――でも、中学の部活が
てんてんとボールをついて、ラケットを構える。
「でも、才能があって、活躍してたんだろ?」
「してたよ。でもそれは俺が望んだ才能じゃなかった。神様が勝手に授けたものだ。これのせいでずいぶん嫉妬されたり嫌な思いもしたよ」
二打目のサーブが三角コーンを捕らえた。飛鳥馬は気持ちを落ち着けるように「ふー……」と細く長く息を吐く。
「なんでソフトテニスを?」
「仲のいい友人が楽しそうにやっていたから。それを観るのがすごく好きだったんだ。そうしているうちに自分もソフトテニスが好きになっていって、それで高校に上がって迷わず入部した。父親と喧嘩したなぁ……」
「それで虫の居所が悪くて、あわや暴力沙汰か」
「反省はしてるよ。暴力はいけないよね」
「才能もあったし、野球のほうが活躍できたろ」
「でも――」
飛鳥馬はボールをついた。
「好きなんだからしょうがない」
三打目のサーブ。力強く放たれたそのボールは三角コーンに直撃した。
「っし……!」
飛鳥馬は小さくガッツポーズをした。
「駿太、見てたよね? 証人になってくれるよね?」
「あ、ああ……」
ついに飛鳥馬は三連続ヒットを成し遂げた。才能のあった野球をやめて転向したソフトテニス。約三ヶ月ものあいだただひたすらサーブを打ちつづけて、ようやく。
「お前すごいな」
賞賛の言葉が口をついた。
「駿太さ、なんか悩んでる?」
「……なんで?」
「妙に質問が多いから。あ、べつに訊かないけどね。駿太も、俺のこと訊かないでくれてたし。――でも、もし悩んでるなら」
飛鳥馬はにっと笑って言った。
「悩むってことは、それだけ
「……」
「好きならつづける価値はあると思うよ。そのうち三角コーンをとらえることだってできる。きっとね」
その言葉には重い説得力があった。
才能はなくても、つづけていればいつかなにかを変えられるかもしれない。
変えられないかもしれないが、やってみなければ絶対に変えることはできない。
結果が出ないかもしれないのに努力することはつらいことだ。でも
俺は、バッドエンドのあとも日々がつづいていくことが耐えがたいと感じた。でもいまは、それが救いのように思える。
俺は立ちあがり、鞄をつかんだ。
「ごめん。ボール拾い、手伝えない」
「いいよ」
「ありがとうな」
練習後の飛鳥馬の決まり文句を、今日は俺が口にした。
学校を出て、駅へと走った。走らずにはいられなかった。
俺はまだ
いや、つづけるんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます