第23話「けっこう筋肉あるんだね」

 手抜きをした絵画みたいに青一色の空。日差しが強く、上を向いているだけで目が融けてしまいそうだ。


 プールデートにはもってこいの日和だった。俺は手でひさしを作って白亜の宮殿みたいな建物を見た。


 ガトーパレス。ホテルとスパを統合した、いわゆるリゾートホテル。とくに広大なプールとスパが有名で『水の楽園』の異名を持つ。


 子連れの家族やカップルが続々と入場していく。多分、いや、ほぼまちがいなく、本日の客のなかで偽物のカップルは俺たちだけだろう。


 ――羽菜さんとプールデート……。


 楽しみすぎて、昨夜はあまり眠れなかった。


 入学したてのころの俺に、


『お前は三ヶ月後、年上のめちゃくちゃきれいな女のひととプールデートすることになる』


 と教えてやっても、絶対に信じないだろう。いまだって、トラックに轢かれて意識不明になっている俺が見ている走馬灯じゃないかと少しだけ疑っている。


 ――どんな水着を着るんだろう。


 ワンピースか、タンキニか。いずれにしろ、ふだんのファッションを見るかぎり、落ち着いた感じだろう。


「お待たせ!」


 羽菜さんの声がして、俺は振り向いた。


「いえ、全然待って、な――」


 語尾がすぼまる。


 ――脚、ながっ!


 キュロットスカートの丈が短く、白くて肉づきのよい健康的な美脚が惜しげもなく披露されていた。キャミソールが透けて見える白いシャツも含めて、羽菜さんには珍しい露出の多いファッションだ。


 彼女は俺の反応をじっと見て、満足そうに微笑んだ。


「行こっか?」


 そして颯爽と入口へ向かう。


 ――夏だし、プールデートだし、開放的な気分になっただけだよな。


 深く考える必要はない。開放的な気分になることはいいことじゃないか。


 顔を出しそうになったネガティブな自分を押しこめて、俺は彼女のあとを追った。





 着替えを終えて出てきた羽菜さんに、俺は声をかけることも忘れて見とれた。


 フリルのついた白いビキニだった。予想だにしなかった大胆なチョイス。


 ――もうこれ、ほぼ下着じゃないか……!


 いや、わかっている、これは水着だ。でもデザインが、大人のひとがつけるセクシーな下着を想起させるのだ。


 それにビキニだと、ふだんは隠されていたトップとアンダーの大きな差が明るみになる。


 ――すさまじいな……。


 女性の身体に対してすさまじいという形容が適切かはわからないが、そうとしか表現できないほどのすさまじさなのだ。胸の下で雨宿りができそうだ。


 それ以外にも、髪をシニョンにして露わになったうなじとか、お腹とか、腰つきとか、むっちりしたヒップとか、とにかくすべてが目に毒だ。


 肩紐のずれが気になったのか、羽菜さんは親指をかけて引っぱり、ぱちっと離した。


 胸がたゆんと揺れる。


 ――ほんとに揺れるんだあ……。


 ここまで露骨な胸揺れは3D格闘ゲームでしか見たことがない。


「水着の感想は言ってくれないの?」


 後ろで手を組み、すねたみたいに身体を揺らす。


「料理のお皿って大事だと思うんですよ」

「お皿?」


 羽菜さんは首を傾げる。


「使い慣れたお皿で食べる料理もいいんですけど、ふだんとは違う、ちょっと凝ったお皿によそうだけで印象がずいぶん変わって、すごくおいしそうに見えたりするじゃないですか」

「うん」

「そんな感じです」

「ああ……」


 あごに指を当て、得心したようにこくこくと頷く。


「どうしよう、わたし、駿太くんに食べられちゃうのかな?」

「そ、そういう意味では……!」

「うふふ、駿太くんもおいしそうだよ」


 と、胸にタッチされた。ひんやりした手に急に触られて身体がびくんとなる。


「けっこう筋肉あるんだね」

「あ、あの……」


 俺は周囲に目をやった。


「は、早くプールに入りませんか?」

「なに? 照れちゃった?」


 それもある。しかし俺が気になったのは、男性客たちが先ほどからちらちらとこちら――というか羽菜さん――を盗み見ていることだ。


 気持ちはわかるが、いらいらする。羽菜さんはグラビア写真じゃない、俺の『恋人』だ。


「行きましょう」


 羽菜さんの手を引いてプールに入る。


「駿太くん、強引だね」


 なんて言いつつ、なんだかちょっと嬉しそうな表情をする。


 プールの水はぬるま湯くらいの温度だった。身体が温まるほどでも冷えるほどでもないちょうどいい水温。これならいくらでも浸かっていられそうだ。


 プールデートなんて、本気で泳ぐこともできないだろうし、いったいなにをすればいいんだろうと思っていたが、ただ水に浸かって、身体を浮かべたり、手を引いたり、足をばたばたさせたり、疲れたらおしゃべりをしたりするだけで、こんなにも楽しいものとは思わなかった。


 いや、楽しいのは相手が羽菜さんだからだろう。


「あそこ、行ってみようか」


 羽菜さんが指さしたのは『ワイルドリバー』。うねるチューブのなかをふたり乗りのボートで滑りおりる、いわゆるウォータースライダーだ。


 下から見るとそうでもなかったが、階段を上ってみるとけっこうな高さがある。チューブのなかへ勢いよく流れこむ水が白いしぶきをあげていた。


 ボートの後方に羽菜さんが乗る。必然的に俺が前方へ乗りこむことになる。


 ――羽菜さんの背中をじっくり堪能できるチャンスだと思ってたのに……。


 しかしいまから「後ろを譲ってください」なんて頼んだらどれだけヘタレなんだと勘違いされそうなので、大人しく前方に座った。


 補助員の男性がボートを押す。俺たちはチューブの口に飲みこまれた。


 最初はゆっくりと流れるボート。徐々にスピードをあげて、最初のカーブをすぎたころから加速が増す。


 ――けっこう、速い……!


 俺は取っ手を握りしめた。


 急カーブを曲がる。ボートが右に左に大きく揺れる。


『きゃ――!』


 なんて羽菜さんの黄色い声が聞こえてくるのを期待したのだが、彼女は無言。肝がすわっているのか、はたまた恐怖のあまり声がでないのか。いずれにしろ顔が見えないのでわからない。


 出口が見えた。最後の直線を最高のスピードで滑りおりる。


 チューブから飛びだした瞬間、ボートに急ブレーキがかかる。投げだされないように取っ手を握る手に力をこめる。


 背中に衝撃。手が滑り、俺の身体はあえなく吹っ飛ばされる。


 着水。こういうときパニックになってはいけない。水深はせいぜい腰の高さだ。底に足をつけ、身体を持ちあげ――ようとしたとき、背中に重みを感じた。


 柔らかい感触。多分、羽菜さんの身体だ。俺の胴に手を回し、きつくしがみついている。俺は脚に力をこめて身体を起こした。


「っぷぅ」


 俺は息を吐きだした。


「もう大丈夫ですよ」


 声をかけると羽菜さんは腕をゆるめた。彼女のほうに身体を向ける。


 しかし彼女は俺の腰から手を離そうとはしなかった。


 軽くハグをするような形。まるでキスをする直前のような距離感。


 羽菜さんの髪からぽたぽたとしずくが落ちる。後れ毛が首筋にぴったりと張りついている。荒い呼吸。息を吸うたび、豊満なバストが水着の下で窮屈そうに形を変える。頬を流れ落ちた水滴が首筋を這い、胸元を伝って、胸の谷間に落ちた。


 彼女はじっと俺を見つめる。


 どくどくと心臓が跳ねる。俺の呼吸も荒くなる。


 またあのときのような、彼女を独占したい衝動が湧きあがってくる。


 ――まずい。


 このままくっついていてはいけない。


「羽菜さん。――羽菜さん!」


 俺の呼びかけに、羽菜さんはなんだかちょっと虚ろな笑顔を浮かべた。


「ん? なあに?」

「どうしたんですか?」

「どうもしないよ」


 羽菜さんはどうもしないかもしれないが、このままだと俺がどうかなってしまう。


 俺は腰に回された彼女の手をつかんだ。


「つぎのひとが来ちゃいますから、行きましょう」

「うん……」


 少し不満げな顔をする羽菜さん。


 彼女の気持ちに水を差してしまったかもしれない。でも、あのままじゃよくない気がした。


 ――難しいな……。


 羽菜さんを励ますとか救うなどという俺の手に余る大それた目標は捨てたのに、どうしてこうもうまくいかないのだろう。


「つぎは向こうの流れるプールに行きましょうよ」


 俺は白々しくならないよう気をつけながら笑顔を形作り、羽菜さんの手を引いた。

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