第22話「俺の良さってなんなんですか?」

 駅ビル内の複合商業施設、ルナプレイス。羽菜さんとはじめてデートしたその場所を、俺はひとりで歩いていた。


 向かうのはカフェ『スターボックス』。今日はフードコートではなく、少し奮発してカフェでゆったりしたときを過ごそう――というわけではない。


 羽菜さんの様子を窺うためだ。彼女は以前、このスターボックスを仕事の打ち合わせで使うと言っていた。今日の打ち合わせでも使っているかはわからないが、いても立ってもいられず、放課になると同時に学校を飛びだし、ここへやってきた。。


 先日のデートの羽菜さんは――制服姿がとてもかわいくて思い出すだけでもにやにやしてしまいそうになるし実際シールを何度も眺めてはにやにやしているがそれは置いておいて――無理をしているように見えた。


 俺をからかうことはいままでもあったが、彼女自身も楽しんでやっていたと思う。でも昨日は切羽詰まっていたというか、表面上は笑っているけど全然楽しくなさそうだった。


 羽菜さんはなにに追いつめられているのか。それを探るために今日はやってきた。


 十六時すぎという中途半端な時間のせいかスターボックスはいていた。学校の制服のままだと目立つため、店には入らず遠くから彼女の姿を探す。


 ――いた。


 こちらに背を向けていたが、カップに口をつけたときちらりと横顔が見えた。


 その正面に座っているのは、男。羽菜さんより少し年上に見える、スリムで、お洒落パーマをかけた中性的な男性だった。


 ――……。


 もやっとした。仕事なのだと頭で理解していても、胸のもやもやは晴れそうにない。


「あのふたり、めちゃめちゃ美男美女じゃない?」

「たしかにー。理想のカップルって感じ」


 店から出てきた女性ふたり組が、ちらちらと羽菜さんたちのほうを見ながら話している。俺の目にも羽菜さんたちは理想のカップルに映った。


 だから気持ちがざわつく。。


 以前、羽菜さんは彼氏はいないと言っていたが――。


 ――好きなひとはいない、とは言ってないんだよなあ……。


 羽菜さんが肩を揺らして笑い声をたてた。


 耳を塞ぎたくなった。俺以外の男と彼女が楽しそうにしているのが、なぜかこんなにも苦しい。


 ――来なきゃよかった……。


 こんな調子では様子を窺うどころではない。俺がすごすごと退散しようとしたとき、ふたりが立ちあがった。打ち合わせが終わったらしい。


 ――やべっ……!


 このままでは見つかってしまう。俺はスターボックスを離れ、一番近いトイレに駆けこんだ。


 洗面台に両手をつき、深々とため息をつく。


 多分いまの俺はひどい顔をしているから、鏡を見る気になれない。冷やせば少しはましになるのではないかとざぶざぶ顔を洗っていると、隣の洗面台にひとの気配がした。


 ちらと目だけそちらに向ける。


「――っ」


 危うく声が出そうになった。


 隣で髪をいじっていたのは、羽菜さんと打ち合わせしていた男性だった。


 ――落ち着け、落ち着け……。


 べつにやましいことは――やっていたけど、だからっておどおどしていたら余計に怪しまれる。俺はおもむろにポケットティッシュで顔を拭い、鏡に顔を寄せて前髪を払うと、悠然と出口へ向かった。


 男性が鏡越しにこちらに目を向けた。


「さっきこっち見てたよね?」

「はひっ」


 とうとつに声をかけられ、俺はティッシュを落とした。


「み、み、見てませんけど……?」

「彼女の知りあいでしょ?」


 知りません、と言って立ち去ればよかったのに、俺のなかにめらめらと燃えあがった対抗心が冷静な判断をさせてくれなかった。


「はい」


 彼を正面に見すえ、はっきりと告げる。俺だって羽菜さんとたくさん話をした。食事もしたし、たくさん笑いあった。


 すると彼はほっとしたように顔をほころばせた。


「よかったあ……! 今日は白シャツだから、返り血は浴びたくなかったんだよね」

「……え?」


 ――いまこのひと怖いこと言わなかった?


 彼は慌てたように手を振った。


「違う違う! 知りあいじゃなかったら血祭りにあげようと思って」

「いや合ってましたけど!?」


 女みたいな顔をしてすごい武闘派なのか? このひと。


「ストーカーはさ、言って治るものじゃないし、身体に教えこまないと」


 と、朗らかな笑みで拳を握る。よく見ると前腕が太くたくましい。


 ――あ、怖い。


 バトル漫画なら後半に登場する強キャラタイプだ。


「ということは君、彼女が言ってた子かな?」

「え、な、なにか言ってましたか?」

「すごくインスピレーションをくれるひとと知りあった、って。うん、たしかに――」


 彼は俺に顔を近づけて、下から上までなめるように視線を動かした。


 俺は恐怖のあまり身をこわばらせる。ヘビににらまれたカエルはこんな気持ちなのだろう。幸いなのはここがトイレだということ。漏らしても後始末が楽だ。


 彼は低い声でささやいた。


「――僕もかき立てられる」

「ひっ……!」


 ――食われる……!


 変な意味ではなく、文字どおり捕食の意味で。


「あ、自己紹介が先だね」


 と、彼はぱっと身体を離した。俺は安堵で崩れ落ちそうになる。


 彼は名刺を差しだした。


「白川秋墨です。脚本と、最近は漫画の原作をやってます」





 白川秋墨。その名を俺は知っている。いや、知っているどころじゃない。なんならちょっとファンだ。


 以前、羽菜さんから紹介された漫画『けものがかり』、その原作者。そして彼女が師匠と呼ぶひと。


 いま俺は、そんなすごいひとと向かいあって座っている。


 憩いのスペース『空の庭』。北の大地には珍しい屋上庭園だ。ラベンダーやハマナスが咲き誇る庭を眺めながら、男ふたり、自販機で買った飲み物をすすっている。


 白川さんがしげしげと俺を見る。


「ブラックコーヒーでよかったの?」

「甘いの苦手なので。ごちそうさまです」

「いえいえ」


 彼はイチゴオレを舐めるように飲んだ。


 彼の手はほっそりしていてしなやかだった。その指に指輪などはつけていない。


 ――独身、か。


 胸のもやもやがふくらむ。


 白いシャツと黒のデニムのシンプルな出で立ちも堂に入っている。それにシャツの首元の――。


 ――鎖骨がきれい……!


 シルバーのネックレスに彩られた左右対称の隆起に、男の俺ですら目を惹かれてしまう。


 ――くっ、腕力では敵わないが鎖骨なら……!


 俺はシャツを第二ボタンまではだけた。俺だって羽菜さんから鎖骨を褒められたんだ。負けやしない。


 白川さんは目をしばたたかせた。


「どうしたの急に」

「……あつくなりました」


『暑い』ではなく『熱い』のほう。ひとりでなにをヒートアップしているんだ、俺。


「それより、その……。どうして俺が知りあいだとわかったんですか?」

「あ、うん。ギャルゲのシナリオで行きづまってるときに君みたいな子がいたら助かるな、って僕も思ったから」


 ――俺、そんなにギャルゲの主人公っぽいの……?


 というか――。


「羽菜さん、やっぱり行きづまってるんですか?」

「『やっぱり』か。君にはそう見えるんだね」

「違うんですか?」

はじめ――いや、羽菜くんが僕に話したこと、君に伝えることはできないよ。仁義ってものがあるからね」

「……まあ、そうですよね」

「でも、彼女の話を聞いて僕が感じたことを教えてあげることはできる。――僕から言わせると、駿太くん、君は……」


 逡巡するように斜め上の空間に目を向けたあと、言った。


「羽菜くんにとても必要とされているよ」


 にっこりと微笑む白川さん。


 ――な、なんだよ……、いいひとじゃないか……。


 いや、俺が怯えてただけで、悪いひとだと思っていたわけではないけど。


「救うことで救われることもあるからね」


 ――……?


 非常に抽象的な言い回しだった。慎重に言葉を選んでいるようだ。


 でも、彼なら羽菜さんを救うためのヒントを持っているかもしれないのだ。遠慮はしていられない。


「俺は羽菜さんを救いたいんですよ。でも、足りないんです」

「なにが?」

「才能が」


 俺にはなんの才能もない平均値の人間だ。彼女のような才能豊かなひとを救うには、なにもかもが足りない。俺は自分がいかに才能がなく没個性であるかを白川さんに語った。


「才能、ねえ」


 話を聞き終わった白川さんは「ふっ」と笑った。


「『才能』ってさ、不思議な言葉だよね。ひとがそれを口にするとき、だいたいあきらめや羨望のニュアンスになる。『自分には才能がないから』、『あのひとは才能があるから』ってさ」

「……」


 たしかにそのとおりだ。まさにいま俺がネガティブな意味で『才能』という言葉を使ったばかりだ。


「羽菜くんは才能があるよ。これは肯定的な意味でね。夢中になれる才能、っていうのかな。自分で沼に身を沈められるというか」

「あ、それ、めちゃくちゃわかります」


 最近はあまり見せない『スイッチ』の状態がまさにそれだ。


「かなりとがってるよ、彼女は。だから君といるのが心地いいんじゃないかな」

「だから、って……?」

「君の周り、変わったひとが集まらない?」

「変わったひと……?」


 まっさきに思いつくのが飛鳥馬。中学生のころ野球でエース級の活躍をしていたが、高校でソフトテニスに転向。理由を聞いたり野球への復帰をうながすと激高する。


 そんな彼と、どういうわけか馬が合う。しかし――。


「集まるってほどでは……」


 と、目の前にも『変わったひと』がいるのに気がついて、俺は「あ」と声をあげてしまった。


 白川さんはくつくつと笑う。


「そうだね、僕もだ」

「い、いえ、その……、そういうわけでは……」

「自覚があるからいいよ。――まあ、まだ高校生くらいだと、君みたいな人間の魅力に気がつくひとは少ないのかもしれないね」


 言い回しは違えど、それは以前、羽菜さんが白雪の恋人パークで口にした言葉――「駿太くんの良さって、同い年くらいの子にはわかりづらいのかもねえ」――と同じだった。


「俺の良さってなんなんですか?」


 羽菜さんには訊けないけど、白川さんになら。


 彼はあごに手を当ててしばし考えてから言った。


「調香師って知ってる? パフューマーとも言われるけど」

「香りを調合するひとですか?」

「そう。芳香剤とか、石けんとか、アロマオイルとかね。――彼らってものすごい数の香りのサンプルを連続で嗅ぐわけじゃない? そうするとさ、嗅覚が麻痺したり鈍くなったりする。そんなとき、あるものの匂いを嗅いでリセットするんだけど……、それはいったいなんでしょう?」


 いきなりのクイズ。


「え、ええと……、ふぁ、ファ○リーズ!」


 白川さんは吹きだした。


「面白い発想だね。でも不正解。正解は――」


 と、おもむろに俺のほうを指さす。その先をたどっていくと、おごってもらった缶コーヒーがあった。


「コーヒー?」

「正確にはコーヒー豆だね。小瓶に数粒、コーヒー豆を入れておいて、リセットしたいときに嗅ぐ」

「へえ……。でもそれが俺の良さとなんの関係が?」

「君はコーヒー豆なんだよ」


 人生のなかでコーヒー豆にたとえられる瞬間が訪れるとは思いもしなかった。「香ばしい奴だな」という皮肉だろうか。


 しかし、どうやらそういうことではないようだった。


「僕らのとがった感性をリセットさせてくれる」

「……?」

「基準、と言えばいいかな。創作をする人間は常に『面白いとはなにか』を考えつづけてる。だから自分でも気づかないうちに発想が複雑だったり奇抜になりすぎていたりするんだよ。読者には理解できないくらいに。そんなとき君みたいな子がそばにいてくれると、自分の立ち位置を再確認できてとても助かる」


 脳裏に羽菜さん宅で食事をしたときの光景が浮かぶ。


「それって白米みたいなものですか?」

「白米?」

「濃い味や香りの強いものを食べても、白米を食べたらニュートラルにもどって、つぎもおいしく食べられるので」

「ああ……」


 白川さんは感心したような顔でこくこく頷いた。


「コーヒー豆よりわかりやすい。――ね? そういうところだよ、君の良さ」

「ふつう、だと思いますけど」

「すべてにおいてふつうでいられる人間は、もはやふつうではないよ。それは大変な個性だ。――いや、あえて『才能』と呼ぼうかな。目立たないかもしれないけど、社会には絶対に必要な人間だ」

「こんなの才能でもなんでも……。羽菜さんや白川さんのような才能のほうがすごいと思います」

「隣の芝生は青いってやつだね。僕は君の中庸な考え方や感性がすごくうらやましい」


 白川さんは、羽菜さんや飛鳥馬に勝るとも劣らないほど個性的だが、ひとつ違うのは、考えていることがとてもわかりやすいということだ。「助かる」とか「うらやましい」とか、あけすけに口にする。少年のように素直で率直だ。


「なんか白川さんって子供みたいなひとですね」


 だからとても話しやすくて、つい軽口を叩いてしまった。俺ははっと息を飲む。


「す、すいません、生意気言って」

「いや、いいよ。そのとおりだから」


 ははは、と笑う。


「でもね、みんな中身はこうだよ。表に出さないだけで」

「こう、って……?」

「嫉妬もすれば、泣いてもいるし、癇癪を起こして大暴れしてるし、傷ついてる」

「大人なのに?」

「大人はね、未来がせまくなっただけの子供だよ」


 そう言って白川さんはイチゴオレをうまそうに飲んだ。


「先がなくて失敗できないから、むしろ子供よりずっと臆病なのさ」

「……」


 俺はブラックコーヒーの缶に目を落とした。


「白川さん、これ飲みませんか?」

「無理無理。僕、午後にコーヒー飲むと夜眠れなくなっちゃう」

「身体も子供じゃないですか!?」


 白川さんは「面目ない」と笑った。


 俺は缶の中身を無理やり口に流しこむ。まったくおいしくない。ブラックコーヒーは、俺にはまだちょっと早いみたいだ。





 別れ際、白川さんは、


「あ、そうだ」


 と、思い出したように言った。


「なんか気にしてたみたいだから」


 ネックレスをシャツの下から出す。チェーンにぶら下がっていたのはシルバーのリング。


「結婚指輪」

「え!? け、結婚してたんですか?」

「うん。十年目だけどラブラブ」

「それはべつに聞いてませんけど」

「自慢したかったんだもん」

「ほんとに子供ですね……」


 というか十年目って、若く見えるけどいったい何歳なんだ。


 白川さんはにいっと口角をあげた。


「安心したろ?」

「は? ぜ、全然、そんな……なにを言ってるんだか……」


 白川さんはさわやかに笑い、


「会えてよかったよ」


 と、手を振って去っていった。


 当初の目的とは違ったが、俺も白川さんと話せてよかった。


 ――才能、か……。


 俺の『ふつう』は才能であり、羽菜さんの役に立っている、らしい。


 前ならそれだけで満足できたかもしれない。そもそもこの恋愛シミュレーションは、彼女のインスピレーションを湧かせるためのものなのだから。


 しかしもうそれだけじゃ嫌なんだ。羽菜さんはいまなにかに苦しんでいる。そんな彼女を救うには――。


 ――どうすれば……。


 俺は日が暮れるまで、空の庭を動くことができなかった。





『今度の土日、空いてる?』


 羽菜さんから連絡がきたのは、その翌々日だった。


 空いている。しかし、返事をためらってしまった。


 やはり自分は羽菜さんにはふさわしくないのではないか、と。


 シミュレーションなんだから、そこまで深く考える必要はないのだろう。でも彼女がもがいているのは事実で、それならば救いたいと思う。でも俺には、悩める大人の女性を救いだす才能もなく。


 まごついていると、つづけてメッセージが送られてきた。


『プールに行こうと思うんだけど』

『空いてます』


 ――……はっ!?


 俺は反射的に返信していた。自分でも驚くほどの高速フリックだった。


 でも、だって、プールだ。羽菜さんの水着姿だぞ? Zwitchを質に入れてでも行くべきだ。


 それに、思いきり遊べば気晴らしになるかもしれない。


 ――……いや。


 きっとそうだ。俺はいままで難しく考えすぎていたんだ。最適解がもっともシンプル、なんてよくあることだ。


『二日間、たっぷり楽しもうね』


 羽菜さんもこう言ってる。


 楽しもう。そうすればきっと、全部うまくいくはずだ。

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