第21話「羽菜、って呼び捨てにして」
羽菜さんは学校の制服を着ていた。半袖のワイシャツにリボンタイ、紺と灰のプリーツスカート、そして黒のソックス。このあたりでは見ないデザインだ。
髪はお下げにして、黒縁のメガネをかけている。
「どう?」
なんて照れくさそうにメガネをいじる。
「どうもこうも、なにがなにやら」
「これね、母校の制服。実際に着てたやつ。わたし学級委員長やってたんだよ? 真面目そうでしょ」
「たしかに真面目そうです」
首から上は。それより下は大変なことになっている。
ワイシャツの胸回りがぱつぱつで、ボタンとボタンのあいだの布地がぱかっと開きそうになっている。スカートの上からでもわかるお尻の充実した肉感は、もはや暴力的ですらあった。
委員長が原因で風紀が乱れる。
「あの……、きつくないですか?」
羽菜さんは愕然とし、うなだれた。
「ね、年齢的にきついって言われた……」
「い、いえ、そうじゃなくて――」
――サイズのことなんだけど、言えないよなあ……。
やっぱり羽菜さんには率直になれない。
「じゃあ、まだまだいける?」
「それは……、その……」
俺が返事に窮すると、羽菜さんはしゃがみこんでしまった。
「ごめんなさい、試着したとき『まだまだいけるじゃん!』とか思ってごめんなさい……!」
「だから違うんですよ!」
エロすぎるのだ。ここまで熟成された色気を発散する高校生はいない。
「ナチュラルメイク、っていうんですか? それでここまできめが細かいっていうことは、本当に肌がきれいなんだなって」
薄いメイクを施した顔はむしろ童顔の類であり、高校生でも充分に通じると思う。だからこそそのギャップが余計にインモラルな雰囲気を助長しているとも言えるのだが、それは黙っておいた。
羽菜さんは『にへら』と笑った。
「そ、そうかなぁ? そんなことないと思うけどなぁ?」
などと言いつつ、視線をちらちらと寄こす。目が、
『そういうのもっとちょうだい』
と言っていた。
「髪がつやつや」
「そう?」
「爪がぴかぴかしてる」
「そう?」
「現役の高校生に負けてませんよ!」
「そうかなあ!」
褒めそやすたびに羽菜さんの背筋が伸びる。褒められて本当に伸びるひとを俺ははじめて目の当たりにした。
「じゃ、行こっか!」
すっかり上機嫌になって意気揚々と歩きだした羽菜さんのあとを、俺は慌てて追った。
◇
デートは本当にノープランだった。駅横の複合商業施設『イースタ』に入り、衣料品や靴を見て回る。いわゆるウインドウショッピングだ。
「似合う?」
なんて、羽菜さんは柄物のTシャツを身体に当てる。
「似合いますけど、羽菜さんにはこっちの無地のやつのほうが」
一部の隆起がとてつもないので柄が歪みそうだ。
「それ禁止」
「え?」
「『羽菜さん』ってやつ。今日は高校生なんだから」
コスプレデートではなく高校生カップルの放課後デート、というのが今日のシミュレーション内容らしかった。
「羽菜、って呼び捨てにして」
「あ、はい。
ぎゅっと喉がすぼまる。
――あれ?
下の名前で呼ぶことに抵抗なんてないはずだ。地元ではみんなだいたい下の名で呼んでいた。
なのに羽菜さんにだけは妙に気恥ずかしくなってしまった。しかしこのまま黙っていると、変に意識をしていると悟られてしまう。
俺は覚悟を決めた。
「――羽菜」
「なに? 駿太」
俺は顔を勢いよく後ろに振り向けた。少し遅れて顔が熱くなってくる。間にあってよかった。
――名前を呼ばれただけなのに、なんでこんなに……。
舞いあがってしまうのだろう。
「どうしたの?」
「だ、誰かに呼ばれた気がして。――う、上の階に行ってみましょ――行こうか!」
羽菜さんから顔を逸らしたまま、俺はエスカレーターのほうへ足を向けた。
アミューズメントパーク『ナミコミュージアム』で、俺たちは対戦型レースゲームに興じた。
「駿太うますぎない!?」
「羽菜さ――羽菜がスピード出しすぎなんだよ」
最初は彼女がリードするのだが、カーブでぎりぎりを攻めすぎて何回もクラッシュする。その後ろを安全運転の俺が抜き去る、という構図で三連勝した。
――羽菜さん、免許持ってるはずだけど……。
機会があったとしても彼女の車には乗らないでおこう。
「つぎ、あれ!」
彼女が指さしたのはエアホッケー。
正直、負ける気がしない。羽菜さんは数百メートル自転車を漕いだだけで動けなくなるていどの体力だ。負ける要素がない。
という考えの浅はかさを、俺はすぐに知ることとなった。
「勝ったー!」
羽菜さんは万歳をしてくるりと回った。
「くぅ……!」
俺はホッケー台に拳を打ちつけた。
「駿太、意外と弱いねえ」
くくく、と笑う羽菜さん。
違う、違うんだ。見えているんだ、パックは。ただ、羽菜さんが前屈みになるとべつのものに目が行ってしまうんだ。
すごく揺れるのだ、胸が。前後左右、自由自在に。彼女の胸が揺れるたび、俺の視線も揺れる。胸に、パックに。
するとパックはいつの間にかゴールに吸いこまれている。
羽菜さんに勝つには、まず己の煩悩に打ち勝つしかない。
「じゃあ、つぎはプリントシール機に行こ!」
「プリントシール機?」
「あ、俗にいう『プリ○ラ』ね。でも『プリ○ラ』って商標登録されてるから、ライター的には避けたい単語なんだよね」
「『羽菜さん』が出てるよ」
「あ」
しまった、という顔をしたあと、
「一緒に『プリ○ラ』撮りたいな。……ダメ?」
なんて小首を傾げる。その仕草に俺の心臓は打ち抜かれた。
「いいよ、何十枚でも!」
「そ、そんなには撮らないけど」
あまりのかわいさに気持ちが前のめりになってしまった。
「じゃ、これにしよっか」
と、羽菜さんは投入口に硬貨を四枚放りこみ、タッチパネルで撮影モードや背景を選択する。
「手慣れてますね」
「予しゅ――」
羽菜さんは咳払いをした。
「よ、よっしゃ」
「なんで小さい気合を入れたんですか?」
「いいから! ほら、入ろ!」
俺の手を引いて撮影ブースへ入る。
――まぶし……!
ブースはは白々とした光に包まれていた。
「この機種、美白でめっちゃ盛れるんだよ」
なるほど、そのためのライティングか。
「はい、寄って~。頭と頭をくっつける」
カウントダウンがはじまると、羽菜さんは肩を寄せて首を傾げるようにした。
「ほら、早く」
「は、はい」
思わず素で返事してしまう。
シャッター音とフラッシュ。正面のモニターにいま撮影された画像が表示される。
半目で首を傾げた俺が映っている。まるで寝落ちの瞬間を切りとったみたいな画像だった。羽菜さんは申し分なくかわいく撮れているので、余計に俺の不細工さが際立っている。
羽菜さんが「ぷうっ」と吹きだした。
「駿太のかわいいところ撮れちゃった」
――……かわいいかあ?
どう考えても羽菜さんのほうが軽く数億倍はかわいいと思うけど。
「ほら、あと七枚だよ」
そのあとは、小顔に見えるというあごピースそしてみたり、指でハートマークを作ってみたり、両手を頭の上に立ててウサギの耳みたいにしてみたり、最後のほうではネタがなくなってファイティングポーズをしてみたり。
なんとか撮影を終え、落書きをし、シールが印刷されて出てきた。
「半目が大きくなってる……!」
羽菜さんが腹を抱えて笑う。
画像に補正がかけられた結果、俺の半目はでかくなり、あごがシャープになっていた。頬に両手を添えれば完全にムンクの『叫び』だ。
ちゃんとした顔で撮影したかったけど、羽菜さんが笑ってくれたから――。
――まあいいか。
ナミコミュージアムをあとにして、『イースタ』内をぶらぶらと歩く。
「恋人とのシールはね、電池パックに貼るんだよ」
「え? 電池パックって……?」
「ケータイの」
「スマホのバッテリー? いや、開けらないよね……?」
「前は開けられたのっ。パカパカするやつ」
「パカパカ? 蓋が?」
「蓋じゃなくて本体が!」
「本体がパカパカ? それ壊れてるんじゃなくて?」
「折りたたんでパカパカできるの!」
「開いておいたほうが便利じゃない?」
「……もうこの話やめない?」
顔は笑っているが眉が逆立っている。
「ご、ごめんなさい」
半ギレの羽菜さんなんてはじめて見た。ふだん優しいひとが怒るとものすごい迫力がある。
そのあと羽菜さんは無言になってしまった。機嫌を悪くしてしまったのかとやきもきしていると、
「あ、あのさ!」
と彼女がすっとんきょうな声をあげ、俺はびくりとした。
「は、はい!?」
「あ、ごめん。ちょっと訊きたいことがあって……」
羽菜さんはもじもじと言いにくそうにしている。すうっと息を吸って、ようやく質問を口にした。
「わたしが、もしも駿太と同い年で……。女子校じゃなくて共学に通ってて、そして駿太と出会ってたら――どうなってたかな?」
横を歩く羽菜さんはうつむいたまま答えを待っている。
「それは……」
俺が返答しようとした、そのとき。
「――っ!!」
羽菜さんが声にならない声をあげて立ち止まった。
「え、え? どうした?」
「知りあい、が……!」
正面から女性ふたりが歩いてくる。
「友達?」
「い、いや、そこまででは。女子大のとき同じ講義をとっていただけで……」
羽菜さんの焦りは痛いほどわかった。
なにせ年甲斐もない(失礼)コスプレの真っ最中なのである。友人であればジョークでごまかすこともできるだろうが、顔見知りていどではそれも難しい。もしも俺だったら恥ずか死ぬ。
でもこの場所は連絡通路みたいになっていて一本道だ。壁際に一台、自販機があるだけで隠れられそうな場所もない。
などと、へどもどしているあいだにも、羽菜さんの知りあいとの距離は縮まっていく。羽菜さんは右往左往するばかり。
ここは俺がどうにかしなければ。
「こっち!」
俺は羽菜さん肩を抱いて、自販機横の壁に押しつけた。しかしこれだけでは身を隠すには不十分だ。
俺は壁にひじをつき、彼女に覆い被さるようにした。自販機と俺の背中でなんとか隠すことができているはずだ。
羽菜さんは目を丸くし、首をすぼめるようにして身を固くしている。
俺は小声で言う。
「少しだけ我慢して」
羽菜さんはこくこくと頷く。
距離が近い。俺のお腹に羽菜さんの胸が押しつけられている。覆い被さっているから、ふたりの息がこもってムワッとしている。
呼吸が荒くなる。心臓が跳ねる。
羽菜さんは顔を真っ赤にして目をうろうろさせている。
恥ずかしそうな表情。でも嫌がっているようにも見えない。
妙な気分になる。
『このままいけるんじゃないか?』
などという考えがちらりと頭をよぎった。
「羽菜……」
羽菜さんは上目遣いで俺を見た。
「駿太……」
「羽菜……」
「駿太……。――駿太くん!」
ぽんぽん、と胸を叩かれる。
「もうとっくに行っちゃったよ」
「え?」
通路を見渡す。先ほどのふたりはすでにいなかった。
「あ、す、すいません」
「なんで謝るの? 助かった、ありがとう」
羽菜さんは顔をぱたぱた扇いだ。
「な、なんかあっついねえ! ジュースでも飲もっか? ちょうど自販機もあるし」
手が滑ったのか、投入しようとした百円玉が床に落ちて転がる。
「あっと」
拾おうと同時にしゃがみこんだ俺たちの顔が近づいた。
「っ!?」
俺も羽菜さんも弾かれたように立ちあがった。
羽菜さんの顔が赤い。しかし多分、俺のほうが赤くなっている。
羽菜さんはそんな俺の顔をじっと観察でもするみたいに見つめていた。
「な、なんですか?」
腕で顔を隠す。
「ううん、べつに」
彼女は百円玉を拾いあげた。
「なに飲む? おごってあげる」
と、微笑む彼女の表情には、すでに余裕がもどっていた。
◇
別れ際、俺は尋ねた。
「明日はどうします?」
「え? 珍しい。駿太くんからデートの催促なんて」
ふふ、と笑う。
「やっぱり――」
「『やっぱり』?」
「ううん、なんでもない。――明日はちょうどこれくらいの時間に打ち合わせがあるの。だから、また今度、連絡するね」
羽菜さんは、
「バイバイ、駿太」
と、悪戯っぽい笑顔で手を振って改札に消えた。
俺は「ふう」と大きく息をついた。
羽菜さんの様子が、やはりどこかおかしい感じがする。制服でデートだなんてシチュエーション自体もそうだけど、それよりも言動に含むところがあるような居心地の悪さがある。その違和感の正体を探るため、俺はデートを催促した。
でも今日の俺は、ひとのことを「おかしい」だなんて言う資格がない。
自販機の陰で羽菜さんと密着したとき俺のなかで、
『このまま羽菜さんを自分だけのものにしてしまいたい』
という激しい衝動が顔を出した。
彼女の柔らかい身体、甘い匂い、耐えるような表情、荒い呼吸音、それらが俺のなかのなにかに火をつけたような感じだった。
――ダメだ。
気持ちに流されては、フィクションの恋はすぐにでも終わりを迎えてしまうことだろう。
――我慢しないと……。
「そういえば――」
明日、打ち合わせがあるって言ってたな……。
羽菜さんが俺以外の人間とどういうふうに話しているかを観察すれば、なにかつかめるかもしれない。
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