第17話「……もう少し、このままじゃダメ?」

 羽菜さんがトートバッグからとりだしたのは密閉容器だった。ひとつだけではない、三つ、四つ、五つと増えていき、結局十個もの密閉容器がレジャーシートの上に並べられた。


 蓋を開ける。なかから出てきたのは――。


「レタス?」

「だけじゃないよ」


 つぎの容器には玉子サラダ、そのつぎの容器にはウインナー。以降、ツナ、ハム、コロッケ、唐揚げ、焼きそば、ポテトサラダ、粒あん。


 最後に割り箸とプレスチックのスプーンを渡された。


「お好きな具材をはさんでお楽しみください!」

「おお……」


 俺は感嘆の声を漏らしていた。趣向がすごく凝っている、だけじゃない。すごく手間がかかっている。


 一人暮らしをはじめて、料理の大変さは身をもって知っている。


「これだけの品目をちょっとずつ用意するなんて、すごく大変じゃなかったですか?」

「全然。駿太くんと一緒に食べるって考えたら、すごくはかどっちゃった」


 と、はにかむように笑う。


 ――そんなに俺とのピクニックを楽しみに……。


 食べる前から胸が満たされる。


「さ、食べて食べて。ケチャップとマスタードもあるよ」

「はい、いただきます」


 俺は唐揚げをコッペパンにはさんで口に運んだ。


 冷めているのに肉が柔らかい。衣は濃いめに味つけされていて、素っ気ない味のコッペパンによく合っている。


「どう……?」


 期待と不安に満ちた目で俺を見てくる。


 うまい。それはまちがいない。でもそれじゃ足りない。もっと、噴水みたいに勢いよく噴き出そうなこの歓喜を言葉に乗せなければ。


「とにかくうまいです」


 乗せられなかった。


「よかった」


 でも羽菜さんは嬉しそうに微笑んだ。


「どんどん食べてね」


 俺は言われるがままにどんどん食べた。焼きそばもコロッケもおいしかったし、ツナとポテトサラダとレタスの組みあわせも最高だった。でもやっぱりウインナーとレタスにケチャップとマスタードをかけた、いわゆるホットドッグの組みあわせは鉄板だった。


「ふふ」


 ホットドッグを頬ばっていると、羽菜さんがふいに小さく笑った。


「え、なんですか?」

「動かないでね」


 羽菜さんは身を乗りだした。


 鼻と鼻がくっつきそうな距離。


 ――……!?


 とうとつな急接近に身体が固まった。羽菜さんは微笑み、親指で俺の口の端を撫でる。


「ケチャップ、ついてたよ」


 指の腹についたケチャップをしゃぶるようになめる。指が離れるとき「チュッ」と音がした。


 ――うう……。


 顔がかあっと熱くなった。その原因は、子供っぽいことをしてしまった恥ずかしさと、扇情的な羽菜さんの仕草に興奮してしまったのと、両方のようだった。


 しかし羽菜さんは気にする様子もなく、玉子サラダをはさんだコッペパンをかじっている。ときおり吹く風が髪を揺らした。


 ちらりと見えた彼女の耳が真っ赤になっていた。


 ――……?


 羽菜さんも照れたのだろうか。でも、なにに? 顔と顔が近づいたこと? ケチャップをなめたときチュッと音がなってしまったこと?


 いや、多分、ここまで『恋人』っぽいことをしたのに、俺が無反応だったから恥をかかせてしまったんだろう。


 ――はあ……。


 もっと役に立ちたいのに。このままじゃエンディングは近いかもしれない。まあ、もともとバッドエンドは確定の恋愛シミュレーションだ。だからバッドエンド1がバンドエンド2に分岐したにすぎないんだけど。


 おそらく最後になるだろう羽菜さんの手料理を、俺は噛みしめるように食べた。





 食事を終え、水筒のお茶をすすりながら談笑した。


『恋人』っぽいことをしようとするとがちがちになる俺でも、ふつうに会話をするだけなら問題く、なごやかなものだった。


 羽菜さんはすでに疲労困憊だったから、いまからさらに散策というわけにもいかないだろう。


「そろそろ帰りましょうか?」


 そう提案すると、羽菜さんは顔をうつむけてしまった。


「ど、どうしました?」

「……もう少し、このままじゃダメ?」

「え……?」


 訴えるような上目遣いで俺を見る羽菜さん。


 ――それってどういう……。


 まだ俺と一緒にいたい……?


 どこかで太鼓が鳴っているような音が聞こえてきたと思ったら、それは俺の心臓の音だった。


「あ、あの……」


 お茶で喉を潤したというのに、もうからからに渇いていた。言葉が出てこない。


 俺がまごついていると、羽菜さんはゆるゆると首を振った。


「ごめん、わがままだよね。忘れて」


 と、立ちあがる。


「羽菜さ……!」


 制止しようとした――その瞬間。


 羽菜さんがばたっと前のめりに倒れた。その勢いで麦わら帽子が吹っ飛ぶ。


「羽菜さん!?」


 羽菜さんはまるで猫が伸びをするみたいなポーズになった。


「う、うう、う~……」


 いや、髪の毛がばさっと投げだされ、腕を伸ばしてうめく姿は、どちらかというとテレビ画面から這いでてくる系の怨霊のようだった。


「羽菜さん……?」

「脚が……動かない……」

「はい?」


 ――脚が動かない?


 羽菜さんの脚がぷるぷると震えている。よく言われる『生まれたての子鹿』状態だ。


「あのね、自転車を漕いだあとすぐは大丈夫だったの。でも、ご飯を食べはじめてからだんだん脚が重たくなってきて、いまはもう全然力が入らない……」


 多分、激しい運動(※羽菜さんにしては)をしたあとすぐに座ってしまったため、血行が悪くなって老廃物がたまったのだろう。


「あの……、よかったらなんですけど、俺、なんとかできるかも」

「治せるの?」

「治すというか、かなり楽にはできるかも。でもちょっとここでは……」


 ぐるりと見回す。俺たち以外にもピクニックを楽しむ来園者がたくさんいる。


「ちょっと人目が気になるというか」


 べつにやましいことをするわけじゃない。ただ、傍目はためからは変なことをしているように見えるかもしれない。


「移動していいですか?」


 ちょっと離れたところに木陰がある。あそこならば目立たないだろう。


「で、でも、歩けない……」

「大丈夫、任せてください」


 羽菜さんにずれてもらい、容器やレジャーシートを片付けた。リュックを前にかけ、トートバッグを肩に提げると、俺は羽菜さんの前に背を向けてしゃがみこんだ。


 後ろに手を伸ばす。


「さあ、乗って」

「え、あ……」


 戸惑うような気配。しばしの沈黙のあと、


「うん……」


 と、小さく言って、素直に俺の肩に腕を回し、体重を預けた。


 ――うっわ……。


 背中に密着する羽菜さんの身体の体温と柔らかさ。とくに首のつけ根あたりに感じる包みこまれるような感触は、子供のころ友人の家で試させてもらった二万円超えの枕にも勝るとも劣らない。いや、ちょっと勝っている。


 ふともものつけ根の下に手を入れて支え、立ちあがる。


 ――あ、軽い。


 羽菜さんは一部の肉づきが大変に豊かであるため、無意識にそこそこの重量をイメージしてしまっていた。


「ごめんね、重くて……」


 羽菜さんはか細い声で謝る。


「全然そんなことないですよ。むしろ軽すぎです。羽根さんに改名したらどうですか?」

「なにそれ」


 ぷっと吹きだした息が耳元にかかってぞくっとした。


 木陰へと歩く。


 羽菜さんは押し黙っている。背中に彼女の激しい鼓動を感じる。


 緊張しているのだろうか。だがそれもいたしかたない。身体の自由がきかないうえ、男に背負われ人目の少ないところに連れていかれるのだ。


「やっぱり整骨院に行きましょうか? 俺じゃあ不安ですよね」

「え? ふ、不安はないけど……?」


 ――……?


 じゃあ、なんで急に黙りこんだりどきどきしたりしてたんだろう。俺の考えすぎだったんだろうか。


 そうこうしているうちに木陰に到着した。羽菜さんを幹に寄りかかるように座らせる。ここなら人目を気にしなくて済みそうだ。


「さて」


 俺は彼女の足元にしゃがみこんだ。

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