第14話「この前のお姉さん、誰?」

 放課になり、俺は鞄をつかんで席を立った。


 今日はディナーデートだ。いったん家に帰って着替えることを考えると飛鳥馬の居残り練習に付きあうほどの時間はないが、恥をかかないよう食事デートで守るべきマナーを調べるくらいの余裕はありそうだった。


 うきうきとした気分で教室の出口へ向かおうとした、そのとき。


「ちょっといい……?」


 梶浦さんに声をかけられた。


「あの、さ……」


 あけすけな彼女にしては珍しく、もじもじして言いよどんでいる。


「こ、この前はさ……、ごめん」


 この前、というのはフードコートでの一件を指しているのは明白だった。あれ以来、梶浦さんとはなんとなく気まずく、飛鳥馬を介してしか話していない。


「好きなものを否定されたら怒るよね……」


 あのとき、たしかに俺は腹がたった。クリエイターへのリスペクトがない言動に。でも念頭にあったのはクリエイター全般ではなくて、羽菜さん個人だったような気がする。


 いや、まちがいないだろう。もしも羽菜さんと出会っていなければ、梶浦さんからあんなことを言われても、いつもどおり笑って受け流すことができたはずだ。


「いや、こっちこそごめん。きつく言いすぎた」


 俺は正直ほっとしていた。『仲違い』をあまりしたことのない俺は『仲直り』のしかたがよくわからなかった。


「うん……」


 しおらしくうつむいていた梶浦さんが急にぷうっと吹きだした。


「お互い謝って仲直りって、幼稚園児かよっ」


 と、俺の右肩をチョップする。げんこつじゃないのは彼女なりの反省だろうか。鋭さが増して余計に痛いんだけど。


「ははは、たしかに。じゃ、そういうわけで」


 俺は小さく手をあげて、いそいそとその場を去ろうとした。


「待って」


 梶浦さんに呼び止められ、ぎくりと立ち止まる。


「この前のお姉さん、誰?」


 ――そりゃ訊かれますよね……!


 遁走に失敗した俺は、あきらめて梶浦さんのほうに向き直った。


「あ、あのひとは……」


 答えを用意してなかった俺は言葉につまった。しかし無言の時間が長くなれば長くなるほど変な勘ぐりをされてしまう。


 案の定、梶浦さんの表情に怪訝の色がにじみはじめる。


「なに? もしかして――」

「こ、後見人だよ」

「後見人?」

「ほら俺、一人暮らししてるから。そういうひとが必要なんだよ」


 口から出任せのわりには説得力があるのではないか。


 しかし梶浦さんの表情にはまだ含むところがあった。


「それにしては妙に距離が近くなかった?」

「それは……、俺を助けたつもりだったらしいよ」

「ふうん……」


 こくこくと頷いている。その顔が徐々に晴れていった。


「ま、そうだよね。冷静に考えて、あんな年上のひとと高校生が付きあうわけないし」


 はっはっはと愉快そうに笑う。


「……そうだよな」


 梶浦さんの気分が快晴になるのと同時に、俺の気分はどんよりと曇っていった。


『あんな年上のひとと高校生が付きあうわけないし』


 羽菜さんと俺は釣りあわない。才能も情熱も容姿も、そして年齢も。梶浦さんの言葉は文字どおり、釘のように俺の胸に突き刺さった。


 勘違いするな、あくまでシミュレーションだぞ、と。


「じゃあ俺、行くから」

「はいよ~。たまには飛鳥馬と付きあってあげてね。寂しがってたから」


 今度こそ俺は教室を出た。羽菜さんとのデート――いや、デートのシミュレーションへ向かうために。





「駿太くん、ちゃんと髭を生やしてきた?」


 スープカレー店に入る直前、羽菜さんは振りかえって尋ねてきた。


「い、いえ。あんまり生えないし……。でもなんでですか?」

「ここのお店ね、髭が生えてると割引になるの」

「なんですか、そのシステム……」


 看板を見あげる。


『スープカレー ヒゲおとこ


 そこにはそう書いてあった。


 ――店名ぃ……。


「なぜヒゲ男……。――あ、スープカレーを開発したひとのトレードマークが口ひげだったとか、そういう由来が」

「ここの店主がヒゲ男なんだって」

「シンプル」


 自動ドアをくぐったとたん、スパイシーな香りが漂った。入口の入ってすぐのところが待合スペースになっていて、漫画喫茶と見まごうほどの量の漫画が棚にぎっしり詰めこまれている。


 羽菜さんがなぜこの店をチョイスしたかがわかったし、まだ見ぬヒゲの店主に親近感が湧く。


 店内はほぼ満席だったが、タイミングよくいた席にすんなり案内された。


 メニューは、チキン、ポーク、ソーセージ、野菜といったオーソドックスなものから、豆づくし、納豆、温泉卵などの変わり種もある。


「駿太くんはなにを頼むの?」

「う~ん……、羽菜さんはなにを?」

「わたしは……、野菜カレーかな。辛いのはあまり得意じゃないから、辛さ二段階目で」

「じゃあ俺はチキンの辛さ六で」

「大丈夫? 五でも激辛って書いてるけど」

「問題ありませんよ」

「辛いの好きなんだね」


 羽菜さんは店員さんを呼びとめて注文する。


 俺も辛いのは得意というわけではない。にもかかわらず六段階目にしてしまったのは、梶浦さんに言われたことを引きずっていたからかもしれない。


 辛いものを食べられれば大人ってわけじゃないことはわかってる。でも、少なくとも子供ではない。


 ちょっと意地になっているのかもしれない。


 たわいもない会話をしていると、注文したスープカレーが運ばれてきた。


 じゃがいも、にんじんのあいだに、骨付き鶏もも肉が横たわっている。スープの色を見るかぎり、そこまで辛そうには見えない。


「じゃあ、いただきます」


 羽菜さんは手を合わせた。スプーンをお冷やに浸けてから食べはじめる。


 ――あ、羽菜さん、カレーを食べるとき『スプーンを濡らす派』なんだ。


 最近ではあまり見ない作法だ。うちの家族ではじいちゃんが『スプーンを濡らす派』だった。米がくっつかなくて食べやすいんだと主張していたが、俺はなんとなくルウが薄まる感じがして真似しなかった。


 ――羽菜さんはおじいちゃん子なのかな……。


 些細な仕草を見ているだけで飽きない。


「食べないの?」


 はっと我に返る。ぼうっと見つめてしまっていたようだ。


「た、食べます。いただきますっ」


 スプーンでご飯をすくい、スープに浸してから口に運んだ。


 俺はそのとき、このスープカレーが『激辛』の五段階目をさらに上回る六段階目であることをすっかり忘れていた。

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