第13話「今日、一番甘い」
その『白雪の恋人』は大きなハート型をしていた。
俺と羽菜さんはお菓子作りを体験できる『白雪の恋人ワークショップ』に参加していた。特大の白雪の恋人に四色のチョコペンでお絵かきができ、しかもお土産屋さんでよく見るあのパッケージに梱包してくれる。
ワークショップは盛況で、工房は満員。カップルもちらほらいるが、子供連れの家族のほうが多い。
紙の帽子とエプロンを着用し、俺と羽菜さんは作業台の前に並んで立った。バットにハート型の白雪の恋人と、茶、桃、水、白の四色のチョコペンが置いてある。
「ハートにメッセージを書いて送りあうの。素敵じゃない?」
「メッセージ……って、なにを書けばいいんですかね」
「それはもちろん『恋人』として相手に伝えたい思いを……!」
と、胸に手を当てる羽菜さん。
――伝えたい思い……か。
まっさらなハートを見つめる。伝えたいことがたくさんあるような気はするのに、具体的な言葉はなにも浮かんでこない。
羽菜さんは鼻歌でも飛びだしそうな楽しそうな表情で、すらすらとなにか書いている。俺の視線に気づくと身体を斜めにして隠し、
「内緒」
と言って笑った。
その表情を見た瞬間、ぐちゃぐちゃした感情に補助線が引かれた。
――そうか……。
長らく導きだせなかった答えの尻尾を、ようやくつかんだような気がした。
――シンプルでいいんだ。
俺はチョコペンを手にとり、思い浮かんだ言葉をハートに書きつけた。
◇
「ここで開けるんですか!?」
パーク内のカフェでお互いの白雪の恋人を交換した矢先、羽菜さんはそれを紙袋からとりだした。てっきりうちに帰ってからのお楽しみだと思っていた。
「だって、反応を見たいし」
それもそうだ。そもそも俺のリアクションを見るという趣旨だし。
でも、なんだ、その……、すごく恥ずかしい。
「じゃあ、駿太くん、先に開けて」
「俺ですか?」
いっそ俺のメッセージを先に開けてほしかった。あとだとトリを飾るみたいで荷が重い。
でも、羽菜さんはうずうずそわそわして俺の手元を見ているし、そんな期待するような顔をされると断りづらい。
俺は紙袋から箱をとりだした。蓋を開け、袋詰めされた白雪の恋人をとりだす。通常の白雪の恋人をそのまま巨大化したようなパッケージだ。なんだかちょっともったいない気もしたが、袋の端を裂いてクッキーを引きだした。
ピンクのチョコで大きく書かれた『LOVE』の文字が目に飛びこんできた。その下には『また一緒に来ようね♥ 羽菜より』と添えられている。
シンプルなメッセージ。でも、その『ふつうっぽさ』が俺には効いた。
羽菜さんはシナリオライターだ。きっと俺が考えつかないような言い回しで照れさせようとしてくるに違いないと身構えていた。
なのに、このシンプルなメッセージ。まるで、ドリブラーに相対したディフェンダーが、あらゆるフェイントを想定して備えていたのに、簡単にぽんとボールを前に蹴られて股を抜かれたような感じだ。
一言で言えば、意表を突かれた。
俺は頬杖をつくみたいにして手のひらで顔を覆った。顔が熱い。多分、いやまちがいなく赤くなってる。
「やった……!」
羽菜さんが小さな歓喜の声をあげた。
「凝ったメッセージより、駿太くんにはストレートな感じのほうがいいかなって思ったの」
「はい……」
そのとおりだった。一瞬、本気で『俺と羽菜さんは恋人同士である』と勘違いしそうになったほどだ。
「じゃあ、駿太くんのを開けるね」
「うう……」
ますます気が重くなる。俺のメッセージもシンプルだが、羽菜さんのように狙いすましたシンプルではない。ただ思ったままを書いただけ。
本心だ。だからこそ平静ではいられない。
羽菜さんが俺のメッセージに目を落とした。楽しそうに微笑んでいた彼女は、メッセージを読むと目を大きく見開いて、そのあと紅潮した顔を隠すように口を手で覆い、うつむいた。
「これ……、もうほぼ、プロポ……!」
ごにょごにょとなにか言っている。
『羽菜さんをずっと笑顔にできるように頑張ります 駿太』
それが俺のメッセージ。
さっき「内緒」と言って笑った顔を見たとき、わかった。
羽菜さんの表情を曇らせたくない。ローズガーデンでさせてしまったような、あんな顔には。ずっと笑っていてほしい。いや、笑わせてあげたい。それが『恋人』の俺にできることだ、と。
「あ、あの、どうでしたか?」
おずおずと尋ねた。
「あ~はい! わたしの負け!」
「そういう趣旨でしたっけ……?」
「ねえ、ほんとに? ほんとにモテないの?」
「いえ、だから……。あ、でも――」
否定しようとしたが、思い当たることがあった。
「あ、ほらやっぱり! モテたことあるよね?」
羽菜さんは前のめりになる。
「田舎にいるとき、人見知りの犬にやたら懐かれました」
「犬の話!?」
「犬の話ですけど……?」
「そうじゃなくて……。――ん、まあ、いいや。それも駿太くんっぽい」
と、苦笑する。
「駿太くんの良さって、同い年くらいの子にはわかりづらいのかもねえ。――あ、ごめん、バカにしたわけじゃなくてね」
「いえ、よかったです」
「? よかったの?」
「だって、だから年上の羽菜さんの目に止まったわけですよね。なら、よかったです」
羽菜さんは両手で顔を覆ってしまった。
「ど、どうしました?」
「今日、一番甘い」
「まだ食べてませんけど」
花さんは白雪の恋人を両手で持ち、サクッと端っこをかじる。
「いま! 食べた!」
「順序が」
「白雪の恋人レベルになると食べる前から甘いのっ」
すごいな白雪の恋人。さすが銘菓。でもたしかに頭に思い浮かべるだけで、ラングドシャクッキーの軽い歯ざわりとホワイトチョコの濃厚な甘みが口に広がるような気がするから、あながちまちがってはいないかも。
俺は羽菜さんのメッセージが書かれた白雪の恋人をスマホのカメラで撮影したあと、同じようにかじった。
「たしかに、今日一番甘いです」
「……駿太くん、インスタやってるの?」
「やってませんけど……?」
あんなSNS界のお洒落代表みたいなアプリ、俺が使いこなせるわけがない。
「なんでですか?」
「写真を撮ったから」
「ああ、これは記念に」
「なんだ、さらされるのかと思って冷や冷やした」
ほっと胸に手を当てる。
「そんなことしませんよ」
仮にインスタをやっていたとしても、あの写真をアップするなんてありえない。
『リプレイス』のあのセリフ――弥子の「なにもないってことは、これからなんにでもなれるってことだね」というセリフは、たしかに俺にとってとても大切な言葉だ。しかしそれは物語のなかの主人公、あるいはたくさんのプレイヤーに向けられたセリフで。
でも、この白雪の恋人に書かれたメッセージは、世界中でたったひとり、俺のためだけにしたためられた言葉だ。
頼まれたって誰にも見せてやらない。
俺は羽菜さんからの言葉を、心の大事な物入れに厳重にしまいこんだ。
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