第12話「きれいな薔薇には棘がある……」
「すごい甘い匂いがするね」
と、羽菜さんは花が咲いたように微笑む。
色とりどりの薔薇が咲き誇る庭園を、俺たちは並んで歩いていた。
白雪の恋人パーク。言わずと知れた銘菓『白雪の恋人』を製造・販売する岩屋製菓が建設したチョコレートテーマパークである。カフェでスイーツを楽しめるのはもちろんのこと、白雪の恋人の工場見学、体験工房のほか、ミニSLのアトラクションなどもある。
中庭はローズガーデンになっており、七月初旬のいまはちょうど見頃で、カップルが数組、仲睦まじい様子で身を寄せていた。
羽菜さんは俺との距離感が近いから、はたから見れば俺たちもカップルに見えるかもしれない。いや、せいぜい仲のよい姉弟だろうか。
前回のデートでわかったことだが、羽菜さんはどうやら俺を照れさせたいようだ。あまり感情が顔に出ない(らしい)俺が、彼女に気を使わせてしまっているのかもしれない。内心、モーションをかけられるたびドギマギしているのだが。
――括弧つきの『恋人』じゃなくて本当の恋人だったら、羽菜さんになにをお返しできるんだろう……?
羽菜さんのインスピレーションを湧かせるきっかけになること。それが俺にできること。それには恋人らしく振る舞わなければならない。
しかし恋人らしいとはなんなのかがわからない。いや、そもそも恋がなんなのかわからない。そんな俺にいったいなにができるのだろう。
「きれいな薔薇には棘がある……」
羽菜さんは不敵な表情で俺を見つめた。
「わたしみたいじゃない?」
「はあ」
羽菜さんの不敵な表情がはがれ、急速に紅潮していく。ちょっと涙目だ。
「ツッコんでくれないと、わたし、痛い勘違い女みたい……!」
「え? いえ、そういう意味ではなく! 薔薇のイメージがなかったもので」
「じゃあどんな花のイメージ?」
「う~ん……」
色白で、可憐で、明るい――。
「百合、とか?」
「え、あ、あんな清楚なイメージ? ちょっともう、年上を捕まえてそんな……!」
などと言いつつ、満更でもない表情だ。顔もさっきより赤い。
「ちなみに俺はどんなイメージですか?」
「駿太くんは――」
ちょっと考えてから言う。
「たけのこ」
「花はどこへ!?」
「でも、好きだけどな、たけのこ」
ドキッとする。
「そ、それって……」
「うん……」
羽菜さんは恥ずかしそうに言う。
「天ぷらにしたら、もう最高。辛口の日本酒がすごく合うの」
「どこに照れる要素が」
「酒飲みと思われるかなって」
「けっこう飲むんですか?」
羽菜さんは人差し指と親指で隙間を作り、ウインクした。
「ちょっとだけ☆」
――あ、これは飲むな。
うちのじいちゃんも泥酔しているとき、ばあちゃんに『そんなに飲んで!』ってとがめられると『少ししか飲んでねえ!』って言い訳していた。
「じゃあやっぱり、一杯飲みながらギャルゲをプレイしているときが至福ですか?」
「それはない」
羽菜さんは急に真顔になった。
「ゲームは冴えた頭でプレイしないと。体調を整え、雑事をすべて済ませ、後顧の憂いをとりのぞき、ようやくPCの前に座る。中座しないよう手元に軽食と水分を用意し、照明を暗くして、ヘッドホンをつけて、そして没入するの。深く深くね」
「は、はあ……」
「酒に溺れていては、沼にはまることはできない」
――なんか名言みたいの飛びだしたぞ……。
ゲームへのリスペクトが強すぎる。
しかしそこまでの強い思いがあったからこそ作り手になれたのだろう。
――あれ? そういえば……。
「最近『スイッチ』入ってないですね」
「え? あ……」
一瞬、表情が曇る。しかしすぐに笑顔になって言った。
「駿太くんのおかげで常時入りっぱなしになってるから! ――あ、薔薇の写真も撮っておこうかな! 資料になるかも!」
と、スマホでパシャパシャと撮影しはじめた。
すっとんきょうな声、作ったような笑顔。どうしてそんなふうになってしまったのかという疑問よりも、彼女にそうさせてしまったことへの申し訳なさのほうを強く感じてしまう。
――俺は羽菜さんになにをしてあげたらいいんだろう……。
何回目かもわからない問い。しかし答えは出そうになかった。
◇
「お~!」
羽菜さんはガラスにへばりつくみたいにして目を輝かせた。
キャンディ作りの実演。ガラスで仕切られた工房で、職人の男性ふたりがせっせとキャンディを練っている。
キャンディ、なんていかにもポップな響きだが、その重さは約十キログラム。重量は全然ポップではない。
左の男性は青い色のついたキャンディを伸ばしてシート状にしていく。右の男性は巨大なキャンディーを転がして俵型に成形していた。そしてシート状になった色つきキャンディで俵型のキャンディをくるむ。
熟練の技術に、周囲の観客からも感嘆の声が漏れた。
「あれ枕にしたい……」
「朝起きたら髪の毛全部抜けますよ」
「駿太くんは夢がないなあ」
合体したキャンディを持ちあげると、自重でにゅうっと伸びて細くなった。その部分を三十センチくらいずつ薄いヘラで断ちきり、ころころと転がしてさらに形を整える。
そして冷え固まったそれを二本、束ねるように持ち、ヘラで一センチ大に切っていく。
「早いですね……! キャベツの千切りみたい」
「わたしの千切りのほうが早いけどね」
なぞの張りあいを見せる羽菜さん。
できたてのキャンディが見物客に振る舞われた。
「すごい、こんなにちっちゃいのに断面がちゃんと層になってる……!」
俺たちは同時にキャンディを口に運んだ。砂糖のシンプルな甘さが口のなかにじんわりと広がる。
羽菜さんはぎゅっと目を閉じ、
「ん~……!」
と、感極まったような声を漏らす。そしてうっとりしたような表情を浮かべた。
「あんまいねえ」
「ふふっ」
俺は思わず笑ってしまった。羽菜さんはむっとする。
「わたし、そんな変な顔してた?」
「まさか」
すごくいい笑顔だったから、なんだか俺も幸せな気持ちになっただけだ。でもそれをそのまま伝えるのは恥ずかしいから、俺はべつのことを言った。
「酒飲みなのに甘党なんだなって」
「そこ!? というか酒飲みじゃないって言ったのにっ」
「うん、はい」
「年下にあしらわれた……」
頬をふくらませたけど、すぐに笑い顔になる。
誰かと冗談を言いあったことは数えきれないくらいある。でも今日ほど楽しかったことははじめてだ。可笑しさだけじゃない、べつのなにかが胸を満たしている。それは口のなかで転がるキャンディの甘みに似ていた。
――キャンディをなめるたび、今日のことを思い出すんだろうな……。
実演が終わり、見物客が散らばっていく。
「思ったよりずっと満足度が高かったですね」
「ふっふっふ」
羽菜さんが意味ありげに笑う。
「ここで満足してもらっては困るよ、君。メインイベントはこれからだ」
キャンディショップを出た羽菜さんが、
「早く早く!」
と手招きする。
俺は小走りで彼女のあとを追った。
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