第9話「じゃあさ、またはじめない?」

 六月も下旬となり、すっかり日が長くなった。おかげで飛鳥馬の練習に付きあったあと、街をぶらぶらとする時間も長くなった。


 こんなときフードコートの存在はありがたい。カフェみたいに高いドリンクを買う必要がないし、ファミレスみたいに長居を疎まれるようなこともない。


 学校に程近いデパートのフードコートに俺はやってきた。本当は毎日でも来たいのだが、お店に悪いので自嘲している。


 ファストフード店でメロンソーダのSサイズを注文し、隅っこの席に座る。


 羽菜さんに紹介してもらった漫画はすでに読み尽くし(どれも面白かった)、最近は漫画アプリで時間を潰している。


 しかし今日はゲームをやろうと考えていた。そのゲームは、新たに購入はしたが、はじめてプレイするわけではない。Zwitch版でプレイ済みのゲームのスマホ移植版である。


 そのタイトルは言うまでもなく、『Re-place~幸福な王子と七人の世界~』。Zwitch版ではギャラリーは百パーセント解放しているし、おまけ要素もしゃぶりつくした。ストーリーだって頭のなかで鮮明に再生することができる。


 でも、またプレイしたくなったのだ。もちろん羽菜さんが担当した弥子シナリオを。


 プロローグを進めていく。もちろんセリフは飛ばさない。


 オープニングムービー。口ずさめるようになるほど何度も聞いた主題歌。もちろんここでは口ずさまないけど。


 最初の選択肢。フラグは全部頭に入ってる。俺は少しも迷うことなく、弥子ルートを目指す。


 弥子の初登場。懐かしい声。そこに『このセリフは羽菜さんが書いた』という要素が加味されて余計に感慨深い。


 セリフのバックログを呼びだし、音声のボリュームを大きくして何度も再生する。もちろん周りの迷惑にならないようイヤホンをしている。


 しかしそれがいけなかった。


 背後から近づく陰に気づくことができなかった。


 俺の顔の横にぬっとべつの顔が現れて、イスから転げ落ちそうになった。


 梶浦野々だった。俺はイヤホンをはずした。


「な、なんだよ。びっくりした……」

「いまのがシミュレーションゲーム?」


 俺が言った『シミュレーション』とは違うが、たしかにこの種のゲームは『恋愛シミュレーションゲーム』と呼ばれたりするからまちがってはいない。


「……そうだけど」


 最近はずいぶんとオタクにとって過ごしやすい時代になったとはいえ、さすがにギャルゲをプレイしているのをクラスメイトの女子に見られるのは気恥ずかしさがある。


「寂しい~」


 案の定、梶浦さんは半笑いになっていじってくる。


「そういうのってさ、家でひとりでやるもんじゃないの? 見られたいの? もしかしてドM? 引く~」

「がやがやしてるほうが落ち着くし……」

「それ勉強するときのやつじゃん。ゲームのときには使わないでしょ」


 けらけらと笑う。


 正直、梶浦さんのイジりは嫌いではない。一見攻撃的に見えて、実はひとを傷つける要素は少ない。だから彼女とのやりとりを俺はけっこう楽しんでいる。


 ふだんなら。


 でもいまは画面に表示されている弥子と――いや、弥子に命を吹きこんだ羽菜さんと、どうしても比べてしまう。


 梶浦さんとのやりとりはスポーツのようなものだ。対戦しているときは楽しいが、どっと疲れてしまう。


 しかし羽菜さんと一緒にいても疲れることはない。むしろどんどんエネルギーが充填されていくような、そんな気分になる。


 梶浦さんが嫌になったわけではない。俺がべつの楽しさを見つけたというだけの話だ。


 でも、梶浦さんはを口にしてしまった。


「そんなくだらないことしてないでさ、本物の恋をすればいいのに」


 すうっと内臓が冷えるような感覚と、頭に血がのぼる感覚。


「……なに? くだらないって」


 思いのほか低い声が出た。


「え、なに? 怒ったの? たかがゲームじゃん」


 彼女に悪気はないんだろう。でも、もうダメだった。


「梶浦さんがゲームに興味がないのは勝手だけどさ。『くだらない』とか『たかが』とか、ひどすぎないか?」

「……なに本気になってんの? 冗談じゃん」

「べつに俺はいいよ。寂しいとでもドMとでも、なんとでも言えばいい。でもゲームはさ、クリエイターが魂削って作ってるんだよ。で。それをさ、冗談でもバカにするなよ……!」


 俺からの反論がよっぽど予想外だったのか、梶浦さんはしばらく言葉を失っていた。


「――ひ、必死すぎ。キモい! キモいキモいキモい!」


 ようやく彼女の口から出てきたのはマシンガンみたいな罵倒だった。


「フィクションじゃん! 現実見なよ! だからモテないんだよ!」

「……」


 反論はない。すべて事実だ。でもなぜか『フィクション』『現実見なよ』という言葉がぐさぐさと心に刺さる。


「だから佐々原くんは……!」

「ごめん、待った?」


 梶浦さんの面罵を遮るように他方から声がかかった。

 聞き覚えのある声。もう直接は聞くことはないと思っていた声。


 俺は顔をあげた。


 羽菜さんがいた。彼女は梶浦さんを見て、それから俺を見た。


「お友だち?」

「え、あ、はい」


 羽菜さんは梶浦さんににっこりと微笑みかけた。


「駿太くん借りるね」


 俺は促されて立ちあがる。


 羽菜さんは俺の腕に腕をからめてきた。


 もう一度、梶浦さんに笑顔を向ける。


「じゃあ、ごきげんよう」


 腕を引っぱられ、フードコートをあとにする。梶浦さんは目と口を丸くしてぽかんとしていた。


 エスカレーターで階下へ向かう。俺はとうとつな出来事に言葉を発することができないでいる。


 羽菜さんがぷっと吹きだした。


「『ごきげんよう』だって。生まれてはじめて言っちゃった」


 くっくっと笑う。


 唖然としている俺に気づき、羽菜さんはからめていた腕を放した。


「あ、ごめんね」

「いえ、全然……」


 むしろありがたかったのだが、いまはそれよりも気になることがある。


「なんでここに? しかもジャージじゃないし……。誰かと会うんですか?」


 羽菜さんははにかんだ。


「君に会えるような気がしたから」


 心臓がきゅっとするような甘い感覚。


「で、でも、シミュレーションは終わりましたよ」


 羽菜さんはエスカレーターを一足早く降りて、くるりと振り向いた。


 手を後ろで組み、上目遣いで俺を見る。


「じゃあさ、またはじめない?」


 俺は彼女の前に降り立った。


「わかりました。やりましょう」


 羽菜さんは苦笑した。


「また即答……。説明くらいさせてよ」

「すいません」


『即答してしまうのは、相手が羽菜さんだからですよ』


 なんて、ちょっと浮ついた言葉を俺は飲みこんだ。


「あのね」


 羽菜さんは左のなにもない空間に目を泳がせてから、いままでよりワントーン高い声で、


「駿太くんのおかげでいいものが書けてね、それがつぎの仕事につながったの。でもアウトプットばかりだとインスピレーションが枯れてしまうから、急いでインプットしなければならなくて、だからまたお願いできないかなって」


 と一息で言いきり、やっと俺のほうを見て笑顔を形作った。


 ――……?


 なんだか違和感があった。まるで用意してきたセリフのような。


 怪訝に思って考えこんでいると、羽菜さんは、


「と、いう理由なんだけど……」


 とつけたして、申し訳なさそうな顔で上目遣いをした。俺ははっと我に返って返事をする。


「はい、ぜひやらせてください」


 羽菜さんはほっと息をついた。


「でも、本当にいいの? もうわたしに協力する理由もないのに」


 理由はある。


 羽菜さんと一緒にいることが、すごく楽しいかったから。羽菜さんとのシミュレーションが終わって、すごく寂しかったから。


「まだ恩を返しきれてませんから」


 でも俺は全然べつの理由を口にしていた。


 デパートを出て、それぞれの家路につく。


「じゃあ」

「さよなら」


 背を向けて数歩も歩かないうちに、羽菜さんに呼びとめられた。


「駿太くん!」


 俺は立ち止まり、振り向く。


「今度会うときは、また『恋人』で」


 羽菜さんは少し照れくさそうに笑う。


「はい、『恋人』で」


 俺はそう言ってまたすぐに歩きはじめる。にやつきそうになる顔を引きしめ、小走りする。


 ――つぎのデート、どこに行くんだろう。


 空を見ると、三日月が俺の代わりににやにやと笑っていた。

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