第8話「ありがとう、大切にする」

 会計を終えてもどると、羽菜さんは真剣な表情でなにやらスマホに入力していた。


 ――スイッチ入ってる。


 最初のころは、ふだんの優しげな雰囲気とのギャップに面食らったものだが、いまはもう慣れた。それどころか彼女の役に立てたことがただただ嬉しい。


 俺は羽菜さんの隣に並んで、黙って横顔を見つめる。


 五分ほどして羽菜さんははっと顔を上げた。


「あ、ご、ごめんなさい。また我を忘れて……!」

「いえ、見てて飽きないので」


 すると羽菜さんは少し口をとがらせた。


「変な顔してる、って笑ってるんでしょ?」

「まさか。かっこいいですよ」

「……え?」

「スイッチが入ってるときの羽菜さんはかっこいいです」


 きりっとした表情もそうだし、なにより夢中になれるものがあることに憧れる。


 羽菜さんは顔を赤くしてうつむいた。


「そ、そんなのはじめて言われた」

「いままではなんて?」

「怖いとか」

「ああ……」

「無視するなとか」

「うん……」

「簡単に誘拐できそうとか」

「それはまじで気をつけてください」

「気をつけます……」


 と、決まり悪げに笑った。





 最後のデートを終え、俺たちは駅へ向かう。


 道すがら、なにも話すことができなかった。本当はもっとしゃべりたいのに、最後だって思うと頭のなかがぐちゃぐちゃになって言葉にすることができなかった。


 そうこうしている間に駅に着く。南口の、あの穴の空いた白い大理石の前。羽菜さんとはじめて待ちあわせした場所だ。


「ありがとうね」


 羽菜さんが言った。


「駿太くんのおかげでいいものが書けそう」

「よかった。どんな物語になるか楽しみです」


 そのあと、なんとなく無言になってしまう。


「じゃあ、勉強、頑張ってね」


 ちょっと苦笑いみたいな笑みを浮かべ、改札のほうへ向かおうとする羽菜さんを、


「あ、そうだ、ちょっと待って!」


 と呼びとめ、ウニクロの袋のなかから紙袋をとりだした。


「これを」


 先ほど服と一緒に買ったものだ。

 羽菜さんは紙袋を受けとった。


「これは?」

「開けてもらえますか?」


 羽菜さんは言われるがままに開封する。


「これ……」


 不思議そうな顔で羽菜さんがつまみあげたのはシュシュだった。


「お礼に」


 はじめて出会ったとき、羽菜さんは黒いヘアゴムで髪を縛っていた。でも、せっかくきれいな黒髪なんだから、それが映えるようなヘアアクセサリーのほうが似合うんじゃないかと思ったのだ。


「でも、わたしはなにも」

「もともと恩返しのつもりだったんですけど、その……、楽しかったので。つまらないものですけど」


 心臓が激しく鼓動する。気に入ってもらえなかったらと考えると不安でしかたがない。家族や友人へのプレゼントでは、こんな気持ちになったことなんてなかったのに。


「ありがとう、大切にする」


 羽菜さんはふわっと笑った。俺は安心のあまり力が抜けてしゃがみこみそうになったが、なんとか踏んばった。


 さっそくシュシュで髪をまとめ、振りかえるみたいにして俺に見せた。


「どう、似合う?」


 シュシュにはまだタグのついている。それもお構いなしに、無邪気に笑う羽菜さん。そんな飾らないところも――。


「素敵です」

「ふふ、ありがとう。――駿太くんも素敵だよ」

「? さっきの格好がですか? それはもちろん、羽菜さんがコーディネートしてくれたから――」

「そうじゃなくて……」


 言語化しづらいのだろうか、羽菜さんはしばし考えてから言った。


「駿太くんのツッコミがうまいのは、相手の言動や気持ちをしっかり受けとめてちゃんとお返しをしようとする誠実さや律儀さが根っこなんだなあって。このシュシュをくれたみたいに、ね」


 俺はただ、相手から受けとったボールを投げかえしているだけで特別なことはなにもしていない。でも羽菜さんに褒められると、嬉しくて、でも面映おもはゆくて、素直に礼が言えなかった。


「羽菜さんのボケも相当うまいですよ」

「わたしボケたことないけど……?」

「えっ!?」


 ――天然!?


 羽菜さんは真顔で首を傾げている。


「うん、あの……。羽菜さんはそのままでいいと思います」

「ありがとう……、でいいの?」


 なんだか釈然としない様子の羽菜さん。俺は笑ってごまかす。


「ところで」


 羽菜さんはシュシュに触れた。


「これ――、よく水色が好きってわかったね」


 俺はびくんとなった。


「ぐ、偶然です! 似合うと思ったので!」

「……どっち?」


 羽菜さんはくすくす笑う。俺も釣られて笑った。


 ひとしきり笑ったあと、


「今度こそ、じゃあね」


 と言って、羽菜さんは手を振り、改札へ向かう。


「あ、待って! タグ!」


 羽菜さんははっとして、シュシュをはずした。


 デートの冒頭でタグの話をして別れ際にタグでオチをつけるなんて、さすがシナリオライターだ。伏線回収はお手のものといったところか。それとも単なる天然だろうか。


 羽菜さんは決まり悪げに笑ってもう一度手を振り、今度こそ本当に姿が見えなくなった。


 こうして俺たちの恋愛シミュレーションが終わった。





 帰りの地下鉄のなかでぼんやりしていると、いつものようにスマホが震動した。俺はすかさずメッセージを表示する。


『駿太くん 羽菜です。今日も、今までも本当にありがとう! 感謝しても感謝しきれません。プレゼントまでもらってしまって……。これをつけて執筆を頑張りたいと思います。駿太くんも学校、頑張って。』


『P.S.』のあとに、もう少しだけ文章がつづいている。


『ハクねえと巫女さん、カオリエクスペリエンスもおすすめです。』


 いつものビジネスライクなメッセージではなかった。


 嬉しい、と同時に、彼女との仲はこれ以上、深まることはないという寂しさもよぎる。


 自然とため息が漏れた。


 俺は目をつむり、電車が停まるまで、羽菜さんとの楽しかった日々を何度も何度も最初から反芻した。

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