第7話「第一ボタンを開けてくれる?」
「ぜひ着てみてほしいコーデがあるの……!」
「……コーデ?」
「そう、コーデ」
俺のエイトビートの鼓動は無事フォービートにもどった。
羽菜さんはカゴからホワイトのワイシャツと濃いブルーのデニムをとりだす。
それともうひとつ。
「ネクタイ?」
彼女が手にとったのは真っ黒で細い、カジュアルな印象のネクタイだった。
「これを試してください……!」
まるで思い人にラブレターでも渡すみたいに両手で差しだす。
「了解です……」
服を受けとり、カーテンを閉めた。
――なにをあんなに照れてたんだろう。
不審に思いつつも渡された服に着替え、鏡を見た。
「あれ?」
なんだかおかしい。
カーテンを開き、羽菜さんに尋ねた。
「ネクタイ、変じゃないですか?」
「制服と同じ結び方?」
「はい」
「ナロータイだから、それだと結び目が小さくなっちゃう。プレーンノットじゃなくてダブルノットで結んだほうがいいかも」
「はい?」
初耳の単語がいくつも飛びだしてきた。
「ネクタイの結び方。ダブルノットっていうのは……」
羽菜さんはちょっと考えたあと、
「やってあげる」
と、靴を脱いで試着室に入ってきた。
「え、ちょ……!」
「いいからいいから」
「いや、そうじゃなく……!」
仕切られた半畳ほどのせまい空間に男女が一緒に入るというシチュエーションが、女性に免疫のない俺にとって刺激が強すぎるのだ。
女性のほうだって警戒すべき状況だと思うのだが、羽菜さんはまったくそんな素振りを見せず、器用にネクタイを締めなおしている。
――うう……。
吐息が感じられる距離。白くてほっそりした指。胸元がくすぐったい。俺は顔をそらしてぎゅっと目をつむった。
「はい、できた」
ぽん、と胸を叩かれ、俺は目を開けた。ネクタイの結び目はさっきよりも大きくなって、全体のバランスもよくなっている。
「上手ですね」
「でしょ?」
「ふふん」と鼻を鳴らしてどや顔をする羽菜さん。
そのとき俺はある可能性に思い至ってしまった。
――向かいあってネクタイを結べるって……、つまりそれって……。
朝、仕事に出かける男性の身支度を手伝った経験があるということでは?
胸がもやっとした。羽菜さんの言動にほかの男の影響が垣間見えるのが、なぜか耐えがたい。
「どうしたの? 考えこんで」
「え? いえ……」
そのとき俺の胸に怖いもの見たさみたいな気持ちが浮かびあがってきた。彼女がほかの男と付きあっていたことなんて聞きたくもないが、彼女のことをもっと知りたい。そんな相反する気持ち。
俺は尋ねた。
「ネクタイの結び方が、その……、堂に入ってるなあって」
「あ~」
彼女は遠くを見るような目になった。
「前に練習したことがあるからね」
――やっぱり……。
気持ちが沈む。羽菜さんはシミュレーションの『恋人』なんだから、こんな気持ちになる必要なんて全然ないのに。
「コスプレイヤーの友だち相手に」
――……ん?
「友だち?」
「刀剣輪舞が好きでね。いわゆる刀剣女子ってやつ」
「女子ってことは、女性ですか?」
「? もちろん」
「女性かあ……!」
俺は多分にやにやしてしまってることだろう。
「なに? どうしたの?」
「友だちの女性なんだなあって」
「そうだけど……?」
羽菜さんは釈然としない顔をした。
――よかった……。なにがよかったのかよくわからないけどよかった……。
なぞの安堵感に包まれていると、羽菜さんが足元に目をやって「あ」と短く声をあげた。
「デニムの裾、余っちゃってるね」
しゃがみこみ、裾を端折る。
――……っ!?
前屈みになったせいでシャツの胸元が大きく開き、胸の谷間が露わになった。
窮屈そうに押しあげられる、柔らかそうなふたつの丸み。透きとおるような白い肌は、うっすら血管が浮きでて見えるほどだ。ちらりと下着が見える。
――水色……!
獲物のウサギを狙う鷹のように、俺は羽菜さんの胸元を見おろした。
「はい、オッケー」
と羽菜さんは顔を上げた。と同時に俺も天井に顔を向けた。
「裾上げしてもらってもいいけど、こうやってロールアップしてくるぶしを出すのもお洒落――って、天井になにかあるの?」
「い、いえ、空に思いを馳せてました」
「そう……。悩み事があるなら言ってね?」
羽菜さんが試着室を出る気配がしたので、俺はようやく顔を正面にもどした。
彼女は俺の身体に上から下、下から上へと視線を這わせ、にやついた。
「もうひとついい? ――ネクタイをゆるめて、第一ボタンを開けてくれる?」
言われたままに胸元を開けた。
羽菜さんは両手で口元を覆った。
「――っ!」
感極まったみたいに声にならない声をあげる。
「え、え? なんですか?」
「鎖骨がセクシー……!」
――なんて?
「前から思ってたの。鎖骨がきれいだなって。だから、ネクタイをゆるめたときにちらっと見えたら、すごく……、その……、エモかろうなって」
「エモかろうな」
斬新な言い回しに、俺は思わずオウム返しした。俺が女性から
羽菜さんは急におどおどとしはじめた。
「あ、ご、ごめんね。なんか変な目で見ちゃって。でも、その……、ほんと、きれいだと思ったからで……!」
「いえ、構いません。むしろもっと見てくれると助かります」
「助かるの……?」
羽菜さんはきょとんとした。俺も彼女の胸元をガン見したので、これでおあいこだ。
制服に着替え、羽菜さんが「ベスト」と言ってくれた服と、それから最後のネクタイのコーディネートをカゴに入れた。
「じゃあ会計してきます」
「え、ちょっと待って。最後のはわたしが好きってだけで、無理して買うことは――」
「無理はしてません。欲しくなったので」
予算内だし、なにより羽菜さんが「好き」って言ってくれたんだから買わない理由がない。
「ここで待っててください」
俺はファッション小物のコーナーに寄り、
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