第6話「でも、わたしでいいの?」

 ――なんだよ……!


 放課後の教室。俺はネット掲示板の書きこみを読み、ひとり憤慨していた。


 羽菜さん――シナリオライター・佐藤一の評判を調べてみようと思いたった。しかし評価は散々だった。


『テンプレ』『無味乾燥』『情緒がない』『ギャグが寒い』『エモくない』『刺さらない』『才能ない』『ふつうにつまらない』『もうやめろ』


 デビュー作の『リプレイス』のシナリオこそ評判はよいものの、それ以降の作品はおしなべて評判が悪かった。


 ――そりゃ好みに合わないことはあるだろうけどさ、でもそこまで言うことないだろ……!


 しかしリプレイスのシナリオはあんなにすばらしかったのに、以降の作品で急にクオリティが下がるなんてことあるのだろうか。そりゃたくさん書けば何作かはそういう作品も出てくるだろうけど……。


 スマホの時計が十六時五十分を表示している。羽菜さんとの待ち合わせは十七時半だからのんびりはしていられない。


 俺はスマホをカバンに突っこんで席を立った。


 と、そのとき。


「あー、深井、また佐々原くんにフラれてんのー」


 近くで女子の声がした。


 声の主は梶浦かじうら野々のの。好奇心の強そうなアーモンドアイを細め、にやにやと笑っている。フラれた、というのは、飛鳥馬の居残り練習に付きあわず帰ることを指しているらしい。


 彼女と深井飛鳥馬は中学校が同じだったらしく、入学当初から気安く話す仲だった。俺と飛鳥馬が友人になってからは、俺も梶浦さんの標的になってしまったというわけである。


 飛鳥馬は肩をすくめた。


「駿太、俺は悲しいよ。ほかに女でもできたの?」


 ――『ほかに』ってなに?


「は? なに? 彼女いんの?」


 梶浦さんは眉間にしわを寄せた。


「全然そんなんじゃないよ」


 羽菜さんとはそんな関係じゃないし。


「シミュレーションをやってるだけ」


 嘘はついていない。

 すると梶浦さんは、


「なんだ、ゲームか」


 と言って、俺の右肩をパンチした。一回だけではなく、二回、三回と。しかも嬉しそうに。


 ――ドS……!


「それにしても、梶浦」


 飛鳥馬が言う。


「よく駿太が帰るってわかったね」

「え? だって鞄持って席立ったし」

「駿太は俺の居残り練習に付きあう前、だいたい図書室に行って課題をやる。そのときも鞄を持って席を立つよね」

「でもスマホを鞄に入れたし。図書室行くときはいつもポケットに入れるじゃん。鞄に入れたってことは帰るってこと。でしょ?」


 と、俺に答えを促す。


「う、うん。そう、だけど」


 野々は得意顔になる。飛鳥馬は片眉を上げた。


「梶浦、駿太のことよく見てるね」

「……は?」

「というか、見すぎ」

「は、はあ!?」


 梶浦さんはすっとんきょうな声をあげた。


「見てないし! むしろわたしのほうが変な目で見られてるし!」


 驚天動地の責任転嫁である。


「いや、全然見てないけど」

「見ろよ!」


 また右肩をパンチされる。このままでは右肩の筋肉だけ肥大してしまう。


「と、とにかく、帰るから!」


 俺は彼女のパンチをかわして教室を飛びだした。背後から梶浦さんのわめき声が聞こえたが、無視して廊下を小走りした。


 腕時計を見る。羽菜さんとの待ち合わせには、なんとかぎりぎり間にあいそうだった。





 駅東口にある赤い脚のオブジェ前。それが今回の待ち合わせ場所だ。


 少しあがった息を整えながら、腕時計をちらちらと見る。


「だ~れだ?」

「!?」


 背後から声がかかったと同時に視界が真っ暗になった。


 恋愛シミュレーションも今日で四回目。当初あった遠慮のようなものは薄れ、羽菜さんとの距離感が近くなった。


 最初のデートから片鱗はあったが、羽菜さんはボディタッチが多い。それがデートの回数を重ねるにつれさらに増えてきた。もともと人懐っこい性格なのかもしれない。


 そして本日、俺は生まれてはじめて「だ~れだ?」と背後から目隠しされるやつをやられたわけである。


 これはデート開始前の通過儀礼みたいなもので、返事をもったいぶるようなものではない。しかし俺には答えられない理由があった。


 背中に柔らかいものが当たっている。


 俺と羽菜さんには十五センチくらいの身長差がある。背後から目隠しするには近距離から手を回す必要があるだろう。


 すると羽菜さんの豊かなモノは否応なく俺の背中に触れることになる。


「ねえ。だ・れ・だ?」


 羽菜さんの声が返答を促す。耳元に口を寄せるために背伸びしたせいで、ふたつのふくらみがさらに押しつけられる。


 俺は率直に答えた。


「ありがとうございます」


 視界が明るくなる。振りかえると、カーディガンとロングスカートの羽菜さんが立っていた。


「なに? 『ありがとうございます』って。変なの」


 口元を押さえ、肩を揺らす。


 魅惑の肢体を用いて俺を悩殺しようとした人物とは思えない朗らかな表情。


 しかしそれも当然のこと。だって羽菜さんは俺を悩殺しようとしたわけではないのだから。


 これは彼女の素なのである。


 俺のリアクションを引きだそうと、わざとそうしているのではないかと考えたこともあった。しかし――。


「男のひとたちが羽菜さんのことを見てますよ」

「え、嘘。タグ、取り忘れてた……?」


 と、首を回して自分の背中のほうに目をやる。


「いや、そうじゃなくて。羽菜さんが素敵ってことじゃないですか?」


 すると彼女は自嘲気味に笑った。


「まさか……。わたしなんて地味だし」


 少しネガティブな羽菜さんは、自分自身の魅力を正しく理解していないのだ。


 自分の魅力に気づいていない人間が、自分の魅力で相手を悩殺しようとするだろうか?


 答えはいなである。


 しかし素だとほぼ断定できるのはその部分だけ。俺に対して好意を持っているかのような素振りが、はたして素なのか演技なのかはあいかわらずわからない。


 いやまあ、羽菜さんみたいな素敵なひとが、俺に恋愛対象として好意を持つとは考えづらい。かといって演技をしているようにも見えないから、おそらく、彼女が特別に優しいひとだというだけじゃないかと思う。


 なんて考える俺も、かなりネガティブだ。


「今日で最後のシミュレーションだけど……。本当にウニクロでいいの? いままでのお礼に、おいしいお寿司をごちそうしようと思ってたのに」

「そもそもこれは羽菜さんへのお礼なんですから、羽菜さんからお礼をもらったら変じゃないですか。でもよかったら、俺の服、コーディネートしてもらえませんか?」

「でも、わたしでいいの?」


 羽菜さんいいんだ。これからの高校生活でなにがあっても(あるいはなにもなくても)、羽菜さんが選んでくれた服に袖を通せば背筋を伸ばして歩いていける気がする。


「もちろん。じゃあ、行きましょう」


 俺たちは駅からの連絡通路を通ってウニクロへ向かった。





「うん」


 羽菜さんは頷いた。


「すごくいい」


 俺は振りかえって、試着室の鏡に映った自分を見た。


 オリーブ色のワークシャツとデニム。シャツのボタンを閉めたいけど、全部開けてインナーシャツを見せるのがいいらしい。


 ワークシャツなんて、おすすめでもされなければ着てみようなんて思いもしなかっただろうから、なんだかすごく新鮮な感じがする。


「すごくいい――んだけど、駿太くんにはちょっとワイルドすぎた、かも?」


 羽菜さんは腕を組んでうなった。俺の服なのに俺の何倍も真剣に考えてくれている。


「じゃあ、つぎ」


 と言って、服でいっぱいのカゴふたつのなかから、ブラックのジャケットとベージュのチノパンを渡してきた。


 勧められるがままに試着してカーテンを開ける。


 羽菜さんはあごに指を当て、


「んふふふ」


 と変な笑い声をあげた。


「え、へ、変ですか?」

「逆。早くもベストを見つけちゃったかも」


 鏡の自分を見る。たしかにさっきよりも似合ってる、ような気がする。


「このコーデはキープで、一応ほかにもいろいろ試そう」


 羽菜さんが選んでくれたサマーニットやTシャツ、アンクルパンツなどを次々と試着する。着せ替え人形にでもなった気分だ。


 羽菜さんも、


「なんか楽しくなってきちゃった」


 なんて言っている。


 その後、八パターンを試した。


「やっぱりふたつ目のジャケットとチノパンが一番似合うと思うなあ」

「じゃあそれを――」

「ちょっと待って。その前に、その……」


 羽菜さんが急にもじもじしはじめた。


「ひとつ、お願いが」


 羽菜さんは潤んだ瞳で俺を見つめる。


「な、なんですか、改まって」

「あの……」


 顔を赤くしてうつむいてしまう。


 この表情、この仕草は、まるで――。


 ――告白でもするみたいな……。


 そう思い至ったとたん、俺の心臓はエイトビートを刻みはじめた。顔がかあっと熱くなる。多分、羽菜さん以上に顔が赤くなっていることだろう。


 羽菜さんは決意したように顔をあげた。


「あのね……!」

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