第5話「わたしの彼氏は君だから」

「訊いていい?」

「なんですか」

「いまさらなんだけど――駿太くん彼女いる?」

「本当にいまさらですね!?」


 俺たちは駅ビル内の複合商業施設『ルナプレイス』を並んで歩いていた。


「いませんよ」


 一番仲がいい親族以外の女性は鶴子さん(八十六歳)だ。同じクラスの女子とも――まあ、ひとり、やたらちょっかいをかけてくる女子がいるけど、そういう関係になりそうな娘はひとりもいない。


『羽菜さんは彼氏いるんですか?』


 その質問が喉まで出かかって、俺は慌てて飲みこんだ。年上の女性にそういうことを尋ねるのは失礼なような気がした。


 急に黙りこんだ俺を羽菜さんは覗きこむようにして見つめる。


「な、なんですか?」

「いないよ」


 俺は「ぶっ」と吹きだしてしまった。羽菜さんはにっと歯を見せて笑う。


「合ってたでしょ?」

「……まあ、はい」

「安心して。わたしの彼氏は君だから」


 ――もう……、もう!


 そんなセリフ、反則だ。でれでれしないでいられるわけがない。俺は咳きこむふりをして両手で口元を覆い隠した。


 心配そうな顔をする羽菜さん。


「風邪?」

「い、いえ。それより、シミュレーションって具体的になにをするんですか?」

「わたしを恋人だと思ってデートをしてほしい。駿太くんにお願いしたいのはそれだけ」


 恋なんてしたことがない俺にとって『それだけ』が一番難しかったりするのだが。


「わたしも君と恋人のつもりで接するから、自然なリアクションを見せてほしいの。――まあ、こんな年上と恋人だなんて全然嬉しくないかもしれないけど」


 などと自嘲気味に笑う。


「そんなことありませんよ! 俺のほうこそ釣りあってなくて……」


 今日の俺のファッションはチェックのシャツにデニムというシンプルな出で立ち。整髪料はつけてはみたものの、ふだんとは違う髪型に違和感を覚えて落としてきてしまった。


「ダサくてすいません……」

「全然ダサくなんてないよ!」


 羽菜さんはぶんぶんと手を振って否定した。


「駿太くんは素朴なの」

「……素朴?」

「落ち着いてて、清潔感があるっていうのかな。お姉さんはそういうほうが好きだな」


『好き』という部分だけが耳の奥で残響音となって響き渡り、それが身体全体に反響して幸福感に満たさていく。


 俺ははっと息を飲んだ。


 ――違う違う。羽菜さんはあくまで恋人っぽく振る舞ってるだけだ。


「ははっ、上手ですね。演劇とかやってました?」

「……? やってないけど。人前で演技とかできないし」

「……」


 いっそ「うまいでしょ、てへっ」って言ってくれたほうが気が楽だった。


「大丈夫?」


 急に黙りこんだ俺の肩に羽菜さんはそっと手を置いた。

 俺は思わず飛びのく。


「だ、大丈夫です。ちょっと……アパートの鍵を閉めたか心配になって」


 全部演技だって言ってくれないと、恋に免疫のない俺は、いまのちょっとしたボディタッチでだって勘違いしてしまいそうになる。


 それともこれは『演技じゃないよ、という演技』なのか? 俺の素のリアクションを引きだしたい羽菜さんの仕掛けなのだろうか。


 ダメだ、このままでは際限なく疑心暗鬼になってしまう。結局のところ、俺みたいな恋愛ビギナーはいくら考えたって無駄なのだ。羽菜さんの言うとおり、深く考えずに自然なリアクションをしよう。それが彼女のためになる。


 俺は大きく深呼吸をして、気持ちを入れかえた。


「ところで、どこに行きましょうか。あ、そこのスパゲッティのお店とか」


 すると羽菜さんは露骨に慌てた。


「そ、そこはリサーチしてな……じゃなくて! ――ロックされてるから!」

「……ロック?」

「まだ解放されてない」

「いや、ばんばん出入りしてますけど」


 人気のお店なのか、ひっきりなしに客が出入りしている。


「あれは……NPCノンプレイヤーキャラ

「NPC!?」

「『デートスポットはフラグを立てないと解放されない』。これ恋愛シミュレーションゲームの常識。だからあそこには入れない!」

「わ、わかりました」


 いや、本当はさっぱりわからないけど。


「じゃあそこのカフェなら」

「そこは、ちょっと……」

「ロックされてるんですか?」

「いや、仕事の打ち合わせで使うからリラックスできない……」


 こっちはめちゃくちゃ現実的な理由だった。


「駿太くん、結構カフェとか行くの?」

「いえ、学校近くのフードコートが多いですね。カフェはお値段がそこそこするので。――ところで俺たちどこに向かってるんですか?」

「ちょうど着いたよ」


 俺たちは三世堂書店前に到着していた。なるほど、シナリオライターらしいチョイスだ。


「やっぱりシナリオライターさんってたくさん本を買うんですか?」

「うん。趣味の本と、資料も買うから。最近はもっぱら電子書籍だけど」

「俺もです。便利ですよね」


 羽菜さんは遠い目をした。


「便利だし、いくら買っても家の床が抜けないのがいい……」

「はい。――え?」


 いったいどれほどの本を所有しているのか気にはなったが、なんだか訊いてはいけないような表情をしていたので触れないことにした。


 店内をぶらぶら歩く。


「駿太くんはどんな本を読むの?」

「ええと……」


 ――漫画しか読まねえ……。


 ここは『なんかかっこいい本を読んでますアピール』をしたいところだが、あいにくとなんかかっこいい本は読んだことがない。


 ――くそっ、ドストエフスキーでも読んでおけば……!


 俺は助けを求めるように平積みされた本に目をやった。


 ベストセラー小説家の最新刊、人気お笑い芸人のエッセイ、翻訳が待望されていた海外のビジネス書、自己啓発本、ダイエット本、などなど。


 一冊も読んでなかった。


 ――漫画以外で読んだ本、漫画以外で読んだ本……。あっ。


「さ、参考書、とか」


 すると羽菜さんは一瞬きょととんとした顔になって、そのあとすぐに笑った。


「わかる。ふだん読んでる本をひとに教えるのって、自分の内面をさらすみたいで、なんか恥ずかしいよね。否定されたら自分の人格まで否定されたような気分になるし」


 羽菜さんは胸の下で腕を組み、うんうんとしみじみ頷いた。


 そう、まさにそれだ。読んでいる本を尋ねられたときの居心地の悪さを、羽菜さんは見事に言語化してくれた。なんだか嬉しい気持ちになる。


「大丈夫だよ。どんな本を読んでても駿太くんを笑ったりしないから。だから君のこと、もっと教えて?」


 と、小首を傾げるように笑いかける。


 ――はああああ……!


 脳内の俺が悶絶した。


 ――もうほんと……、やめて……、好きになっちゃう……!


 羽菜さんはまるで布団のようなひとだ。いじける俺をすべて受けてとめて「大丈夫」と慰めてくれる。


 俺はコミック売り場まで移動し、面陳列されている漫画を指さした。


「あれです。『ビーストスターズ』」


 羽菜さんはぱっと顔を明るくした。


「面白いよね~! 肉食獣と草食獣の恋。それに、自然界では本来強者である肉食獣のほうが生きづらそうにしているのが、風刺が効いてて深いし」

「それと『コミュ障さんとただの人』」

「可愛いよね~! ふたりの関係がピュアでキュンキュンする。わたし、この作品が読み切りのころから好きで、絶対連載になると思ってたよ~」

「それから『異世界から帰ってきたおっさん』」

「笑えるよね~! おっさんが恋のフラグをばきばきに折ってるところが。あとなにげに、おっさんのチートに関する設定が凝ってるのも笑える」


 さすが羽菜さん、すべて読了済みだった。

 楽しそうに話していた彼女が急に真顔になる。


「『ビーストスターズ』『コミュ障さんとただの人』『異世界から帰ってきたおっさん』が好きな駿太くんには、『アクトレス』『ウザい後輩と遊びたい』『恋するマネキン人形』がおすすめ」

「Amaz○n!?」


 リコメンドが早すぎる。


「それと『コミュ障さんとただの人』を読んでいるひとは『すきだらけの甘野さん』『僕のなかのやばいとこ』『いじめないで小鹿野さん』も読んでます」

「だからAmaz○nですかって!」

「それとその棚に面陳されてる『けものがかり』」

「これもおすすめですか?」

「師匠の白川秋墨あきずみ先生が原作をしてるので買ってください」

「露骨なダイレクトマーケティング……!」


 いまのが一番Amaz○nっぽい。


 羽菜さんは苦笑いをした。


「おすすめするのも勇気がいるんだけどね。面白いよって勧めて、つまんなかったて言われたら、センスがないって言われたみたいで落ちこむし。――もしかしたら気づいてるかもしれないけど、わたしってちょっとオタクだから」


 ――『ちょっと』?


 俺の知らないあいだに『ちょっと』の意味が変わったのだろうかと思ったが、話の腰を折るのも悪いので黙っておいた。


「でも、駿太くんの好きな本を訊いたのに、自分だけなにも言わないのはちょっとずるい気がするし」


 自信なさげな上目遣いで俺を見る。


「もしかしたら駿太くんには合わないかもしれないよ? もちろん全部おもしろいと思うけど」

「大丈夫ですよ。仮に合わなかったとしても、それはそれで面白いじゃないですか」

「面白くなくても面白いの?」

「『あの日のデートでいろんな漫画をおすすめしてもらったなあ』って思い出になるじゃないですか」


 羽菜さんはぽかんとした。


「え、俺、なんか変なこと言いましたか?」


 あまりに的外れなことを言って呆れさせてしまったのかと肝を冷やした。

 しかし彼女は首を振る。


「ううん。ただ――、面白いか面白くないかの世界で仕事をしているから、面白くなくてもそれはそれでいいって考え方が新鮮で。いや、違うか……」


 羽菜さんは口に拳を当て、しばし考えたあと言った。


「忘れてたのかも。それを君が思い出させてくれた。――ふふ、やっぱりわたしの目は正しかったな」

「我を忘れていても審美眼は曇らないんですね」

「その件についてはほんと申し訳ないと思っています……」


 しゅんとしたように肩をすくめてみせたあと、羽菜さんは「ぷっ」と吹きだした。俺も釣られて笑う。


 ――なんか、いいな、こういうの。


 本当の恋をしたら、もっと幸せなんだろうか。


 それはわからない。でも多分、俺が走馬灯で見る最初の光景は、今日この日のことなんじゃないかと思う。





 帰りの地下鉄のなかで、スマホに着信があった。羽菜さんからだ。


 俺はわくわくしながらメッセージを開いた。


『お世話になっております。佐藤です。本日はまことにありがとうございました。次回のシミュレーションの予定は後日、改めてお送りいたします。よろしくお願いいたします。』


 ――ビジネス……!


 良い夢を見ていたのに布団を引っぺがされてたたき起こされたような、空しい気分になった。


『了解です』


 俺は短い返事を送り、イスに身体を沈めた。

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