第10話「口数、少ないね」

「駿太くんって顔に出ないよね」


 JLタワー展望室『F38』へ向かうエレベーター内で、羽菜さんにそう指摘された。


「そ、そんなことないと思いますけど……」


 なんて答えてみたものの、心でも読まれたかと思い、内心おだやかではなかった。


 実は体調がよろしくないのだ。胃がむかむかとして、しきりに生唾を飲みこんでいる。


 放課になってすぐに帰宅し、羽菜さんに選んでもらったネクタイのコーディネートに着替えて駅で待ちあわせした。


 あとからやってきた羽菜さんは俺を見るなりぱっと表情を輝かせて、


「やっぱりかっこいいよ!」


 と言ってくれた。


 こんな(俺にしては)気合の入ったファッションで街に出るのは照れくさかったが、彼女の表情と言葉ですべてが報われたような気がした。


 そこが今日のピークだった。そのあとは下降の一途をたどる。


 今朝食べた三日目のカレーがよくなかったのだろうか。気温が高くなってきたとはいえ、ちゃんと冷蔵庫に入れておいたんだけど……。


 ふたりきりのエレベーター内で、羽菜さんは楽しそうにしゃべる。


「あんまり『わあっ!』って驚いたり『ああん?』って怒ったりしないでしょ?」

「そうですね」

「『ふえぇ』って泣いたりも」

「しませんよ。というか、したらしたで引きませんか、それ」

「引く」

「引くんだ……」


 仮に泣きそうでも『ふえぇ……』とだけは言わないでおこうと心に誓った。


「素の駿太くんを見てみたいなあ。恥ずかしがるところ、とか」


 小首を傾げて俺を上目遣いで見る羽菜さん。でもせっかくのデートだ、素を――体調が悪いことを知られるわけにはいかない。


「それに、あんまり自分のこと話さないでしょ?」

「聞き役のほうが楽なんですよ。田舎はおしゃべりなひとが多いので」


 それに、個性の薄い俺の話なんか聞いても誰も楽しくないだろうというのもある。


「ははあ、それで駿太くんのツッコミが培われたわけかあ」

「ふつうに返事をしてるだけなんですけどね」

「流行の『ひとを傷つけないツッコミ』だよ、駿太くんのは」


 鶴子さん(八十六歳)とのトークで培われた合いの手がいまの流行? 一周回って新しい、みたいなものだろうか。


 そうこうしているあいだにエレベーターは『F38』に到着した。


 その名のとおりJLタワーの三十八階に位置するこの展望室から望む夜景は、全国的にも有名な藻石山もいしやま展望台からの眺望に勝るとも劣らない美しさを誇る――と、デートの予習で読んだウェブページに書いてあった。


「わあ……」


 羽菜さんが感嘆の声を漏らした。


 なんともお洒落な空間だ。間接照明というのだろうか、オレンジ色の淡い光が天井や壁を染めている。大きな窓ガラスの向こうには、黒々とした空ときらびやかな輝きのコントラスト。『まるで宝石箱をひっくり返したような』なんて陳腐なたとえが思い浮かぶ。


 しかしいまの俺に、その絶景を楽しむ余裕はなかった。


 体調がいよいよ悪くなってきたのである。胃のむかむかだけでなく、めまいまでしてきた。冷や汗も浮かんでくる。


「三百六十度パノラマで景色を見られるんだよ。ぐるっと回ってみようよ」


 ぐるっと回るまでもなく、俺の目が回っている。こんなに『座りたい』と思ったのは生まれてはじめてかもしれない。


 しかし、せっかく楽しそうなのに水を差すのも悪いと思い、


「いいですね、行きましょう」


 などと心とは裏腹なことを言った。


「あ、見て! あれテレビ塔じゃない? すごい、あれより高いんだ、ここ」


 ――うう……。


 テンション爆上がりの羽菜さん、血の気が引く俺。なんだか手足が冷たくなってきた。


「つぎは西側ね」

「……はい」


 きれいな夜景を横目に羽菜さんと並んで歩けるなんて、本来なら涙を流して喜ばんばかりのシチュエーションだけど、いまは涙よりも口からべつのものが流れ出そうだ。


 羽菜さんが俺を覗きこんだ。


「口数、少ないね」

「え、いや、そんなことは……」


 つまらなそうにしていると思われたろうか。俺は焦ってとりつくろおうとしたが、羽菜さんはなぜか機嫌がよさそうに「うふふ」と笑った。


「やっぱりここにして正解だった、かな」


 ――……?


 なにが正解なのかはわからないが、ともかく羽菜さんが気分を害していないようなのでほっとした。


 回廊を西側へ向かって歩いているとカフェスペースが目に入った。幸い席は空いている。


 ――座りたい……!


すわ――」

「『すわ』?」

「い、いえ、ちょっと小腹が空きませんか?」


 危うく心の声がそのまま出そうになった。


「ふふ、やっぱり育ち盛りだなあ」


 俺たちは席に座った。


「じゃあ、わたしはカフェラテとホットサンドにしようかな。駿太くんはなに頼む?」

「俺は水で」

「小腹は!?」


 羽菜さんは俺を二度見した。


 気分がよくないので固形物はあまり入れたくない。そのままリバースしてしまう恐れがある。俺はメニューに目を走らせた。


「ま、マンゴースムージーで」


 お洒落ドリンク代表のスムージーをはじめて飲むというのに、その理由が固形物を入れたくないなどというネガティブなもので大変申し訳ない気持ちになる。


 羽菜さんが口を押さえて笑った。


「ど、どうしたんですか?」

「なんか嬉しいなって」

「嬉しい……? なにがですか?」

「ううん、こっちの話」


 羽菜さんは結局カフェラテだけ注文した。マンゴースムージーは香りが濃厚で、でも思ったより甘くなくてとてもおいしかったが、半分しか飲めず、ますます申し訳ない気持ちになった。


「じゃ、行こ」

「……はい」


 なぜかどんどん機嫌のよくなる羽菜さんにうながされ、夜景観賞にもどることとなった。

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