第3話「いわば『恋愛シミュレーション』」
『Re-place~幸福な王子と七人の世界~(
彼女の名刺にはそう書いてあった。
「あ、ああ……」
今度は俺がバイ○ハザードの形態模写をやることとなった。
「ま、じ、で……? リプレイスの……?」
リプレイスをはじめてプレイしたのはいまから約二年前、中学二年生のころだ。PCから
ふだんはあまりシリアス系はやらないのだが、この作品にははまった。タイトルのとおりオスカー・ワイルドの『幸福な王子』がモチーフで、すべてを失い田舎に引っ越してきた主人公が、そこで出会った少女たちと大事なものをとりもどしていく物語だ。
にわかギャルゲオタクの俺が唯一、はまりにはまった作品。しかも俺が一番好きなヒロインのシナリオ担当。
「お、俺、リプレイス、まじで好きで、弥子シナリオ感動して……!」
「そうなの!?」
ふわっとつぼみが開いたように微笑んだ。
「うわあ、ユーザーさんに直接会ったのははじめて……。嬉しい、ありがとうね」
「とくに弥子のあのセリフ――。全部なくして自暴自棄になっている主人公に言った『なにもないってことは、これからなんにでもなれるってことだね』が大好きで大好きで……」
そのころから没個性で目立たなかった俺は、ずいぶんとそのセリフに慰められたものだった。
「そ、そう。よかった」
なぜか彼女の笑みは急にぎこちないものになった。目が泳ぎ、そわそわと身体を揺する。
――俺、なんか変なこと言った……?
なんだか変な空気になりそうな予感を察知した俺は話を変えた。
「ゲーム売り場に来たのはやっぱり、ほかの作品を参考にするためですか?」
「え? あ、ああ、そうじゃないの。ある作品の締め切りが近いのに、いまちょっとスランプ気味で筆が止まってて……。
「気分転換のためにゲーム売り場へ?」
「いろんなところに行ったけど、結局、身体はここに帰ってきてしまう」
「鮭みたいですね」
彼女は目を見張った。
「ほらやっぱりツッコミがうまい!」
「いや、やっぱりって、さっきからなにを――」
彼女は俺の質問を無視してギャルゲの棚にもどると、手に数本のソフトを持ってきた。
「『びびっどガールズ!』の主人公・康孝、『フィナンシェ』の春樹、『ラブ・ラ・ドールズ』の直斗。彼らには共通点があります。それはなんでしょう?」
「やったことないからわかりませんけど、ツッコミがうまいことですか?」
「残念! 不正解」
「じゃあ正解は」
「正解はツッコミがうまいこと」
「いやいや! だからそう言ったじゃないですか!?」
「この名作たちをプレイしたことがない――それが不正解です」
「クイズには正解しましたよね……?」
彼女は一本のソフトを掲げた。
「これからプレイするなら、とくにこのフィナンシェがおすすめ」
――無視のしかたがエグい。
「洋菓子店を舞台にしたラブストーリーで、お店を建て直すというオーソドックスな物語なんだけど、とにかく伏線がうまいの。序盤の何気ないセリフや一枚絵、立ち絵に至るまで計算され尽くされてて、それらが中盤以降で一気に回収されていく……! それと同時にヒロインたちの狂おしく切ない想いが明らかにされていって……! とくにメインヒロインの
「『うぼぁ』?」
彼女は口元を覆ってうずくまってしまった。
「う、う……、ふぐぅ……!」
彼女は泣いていた。ものすごい早口だったし、舌でも噛んだのだろうか。
「だ、大丈夫ですか?」
「ご、ごめんなさい。感動が蘇ってきちゃって……」
――ええ……?
好きな作品をプレゼンしているうちに感極まって泣いてしまうだなんて、ガチオタのなかでもかなり重度のやつじゃないか。
彼女はうわごとのように「琴葉ぁ……、琴葉ぁ……!」とつぶやいている。
正直、俺はちょっと引いていた。しかしそれ以上に、
『うらやましい』
と感じていた。彼女はギャルゲを愛していて、おそらくそれが乗じてシナリオライターという職業に就いたのだろう。
夢中になれるものがあって、そして才能がある。彼女は俺にないものをすべて持っている。
ポケットティッシュを差しだす。
「よかったら」
「うう、ありがとう……。その優しさ、『
――わからん……。
「あの、さっきから思ってたんですけど――。紹介してくれたゲーム、結構古いやつじゃないですか?」
「え!? で、でも、一番古い『びびっどガールズ!』でも六年前……」
「六年前って俺、小学四年生ですし」
「しょ……!」
驚愕の表情のまま固まってしまった。俺は慌ててフォローした。
「で、でも、佐藤さんもそのころは高校生か、なんなら中学生ですよね?」
彼女は埴輪みたいにぽかんとした表情で言う。
「成人……して……ましt」
――声ちっさ……。
女性と話すときは年齢の話題は避けろ、とはよく聞くが、今日俺はそれを身をもって知った。メリットがひとつもない。
これ以上、地雷を踏みたくない俺は話を元にもどした。
「それより、いきなり彼氏になってとか、いったい俺のなにがそんなに気に入ったんですか」
彼女は埴輪の顔からもどった。
「あ、うん。君があまりにもギャルゲの主人公っぽかったから」
「主人公……?」
――モブの俺が?
でも言われてみればたしかに、平均的な能力に容姿、高校生で一人暮らしなどなど、プロフィールはギャルゲの主人公っぽくはある。
「さっきも言ったけど、スランプで筆が止まってて……。それで、君みたいなひとがデートでどんな反応をするのか参考にできたら助かるなあ、って」
「なるほど。つまり、デートのシミュレーションをして俺のリアクションを参考にしたいわけですか」
「それ! いわば『恋愛シミュレーション』」
彼女は俺を指さした。
「その察しのよさも主人公っぽい……!」
――なんだ、そういうことか……。
生まれてはじめて女性から告白を受けたと思って喜んでしまったが、告白ですらなかったのだ。
「で、どうかな。もし嫌なら――」
「いいですよ」
「いいの!?」
彼女は目を丸くした。
「そんな即答で……」
「恩返しですよ」
「恩返し?」
「素敵な物語を書いてくれたお礼です」
すると彼女は一瞬、驚いたような顔をしたあと、俺を
「君……すごくモテるでしょ?」
「? いえ、全然」
モテるどころか、血のつながっていない女性とこんなに長く話したのは、こちらに引っ越してきてからはじめてのことだった。ちなみに田舎にいたころもっとも長く話したのは、はす向かいの鶴子さん(八十六歳)だ。
彼女はパンと手を叩いた。
「ともかく、協力してくれてありがとう。じゃあ連絡先を交換してもいい? スケジュールの詳細を送りたいのと、なにかアクシデントがあったときのために」
――どっちかというといまの状況がアクシデントだけど。
スマホを振ってLINEのIDを交換する。
表示された彼女のアイコンは、ご飯の盛られた茶碗だった。
――なぜ白米……?
「駿太くん、ね」
「あ、はい、佐々原駿太です」
白米の下に表示された名前を見る。
「『はな』――ってもしかして本名ですか?」
「そう。鳥の羽に菜っ葉の菜で
愛の告白をしたり、好きなゲームを語りあったりしたあとにはじめて自己紹介するなんて、おかしな感じだ。
「じゃあ、近いうちに連絡するから」
と言って宇佐美さんは去っていった。
俺は「ほお……」と息をついた。
やばいひとにからまれたと思ったらいきなり告白されて、実はそのひとは大好きなギャルゲのシナリオライターで、しかもガチオタで、告白は告白ではなくて、恋人ごっこをすることになった。
感情が渋滞して、精神がぐったりしている。
店を出て、地下鉄に乗った。まだ夢のなかにいるようなふわふわとした心持ちだ。でも、ただ心地いいだけじゃなくて、ドキドキするような期待感もある。
――連絡はいつ来るかな。
俺はポケットのなかのスマホに触れた。
その瞬間、スマホが震動した。俺はびくりとなって、慌てて通知を確認する。
差出人は宇佐美さんだった。
――早いっ!?
『近いうち』が本当に近すぎる。
そこにはこう書いてあった。
『先ほどは大変ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。』
――猛省!?
『言い訳がましいのですが、わたしはインスピレーションを得るとスイッチが入ってしまい、我を忘れてしまいます。本日は佐々原様のおかげで多大なるインスピレーションを得て、いつにも増して分別のない行動をとってしまいました。』
絵文字のいっさいないプレーンなテキストに、濃い反省の色が垣間見える。さっきの暴走オタクと同一人物とは思えない。
『いま我に返り、深く恥じ入っております。恋愛シミュレーションの件も、まことに身勝手ながら白紙に戻させていただいても構いませんでしょうか? 重ねてお詫び申し上げます。まことに申し訳ありませんでした。』
――……。
俺は少しだけ考えてから返信した。
『俺が宇佐美さんのインスピレーションをそこまで呼び起こせたのなら、ぜひ恋愛シミュレーションをやらせてほしいです。宇佐美さん(というより佐藤一さん?)の新しい物語を読んでみたいですし、なにより、さっきも言いましたがこれは恩返しなので』
宇佐美さんからの返事は、俺がアパートに帰宅してからやっと来た。
『本当にありがとうございます。改めて連絡いたします。』
時間がかかったわりには簡素な文章だった。しかしだからこそ、彼女が本来は真面目で慎重な性格であることが窺える。
俺は『佐藤一』より『宇佐美羽菜』という人物に興味が湧いた。
――でも、待てよ……。
デートなんて一回もしたことがない俺が、恋人の演技なんてできる気がしない。まして相手が年上の女性だなんて……。
期待感でふくらんだ胸が急速にしぼんでいく。かわりに不安がぐんぐんと大きくなった。
夜、布団に入っても眠れず、俺は窓の外が白々とするまで恋愛シミュレーションのシミュレーションを繰りかえす羽目になった。
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