第2話「困る!」

 駅の西口を出てすぐの立地と十八時という時間もあって、トヨハシカメラは学生や仕事帰りの人びとで賑わっていた。さすが都会、田舎の夏祭りよりもひとが多い。


 俺はタブレットやパソコンのコーナーには目もくれず、エスカレーターで三階へ向かった。


 ゲーム売り場にたどりつく。ここには引っ越してきてからまだ数回しか訪れていない。にもかかわらず、陳列されたゲーム機やモニターに映る新作ゲームのPV、きれいに並べられたゲームソフトのパッケージを目の当たりにすると、ホームに帰ってきたようなほっとした気持ちになる。


 べつにお目当てのゲームがあるわけじゃない。ここには心の栄養を補給しに来ている。しかし冷やかしばかりでは悪いので、プリペイドカードを買うときはここと決めている。金のない高校生なのでそれくらいで勘弁していただきたい。


 ソフトが並べられた棚のあいだを歩くだけで気持ちがリフレッシュする。洗車機に洗われる自動車は、おそらくこんな気持ちなのだろう。


 パーティーゲームのコーナーを通りすぎる。


 目指すはギャルゲコーナー。大作や洋ゲーが強い昨今のゲーム業界において、それでもなお根強い人気を誇るジャンルだ。


 RPGの棚を曲がる。ギャルゲコーナーが見えた。


 の、だが。俺は立ち止まり、慌ててRPGの棚に隠れた。


 先客がいたのだ。しかも女性だ。年の頃なら二十代半ばといったところだろうか。背中まである黒髪を黒いヘアゴムでぎちぎちに縛っている。えんじ色のジャージを着ており、赤いフレームのメガネをかけていた。


 身を隠した理由は、女性のそばでギャルゲを吟味することに気恥ずかしさがあったからというのもあるが、それよりもその女性の異様さにあった。


 彼女は棚の前にしゃがみこみ、ソフトのケースを両手に持って、血走った目でなにかぶつぶつつぶやいていた。


『ゲーム』という単語から想起される幸福とか愉快という感情とは真逆の鬼気迫る表情。


 近寄りがたい、なんてレベルではない。この一角だけ人気ひとけがない。ちょっとした威力業務妨害である。


 俺はそろりとその場を離れ――ようとした。


 そのときである。


 女性の首がぐるりと回り、俺のほうを向いた。


 女性の大きな目がさらに大きく見開かれる。彼女はゆらりと立ちあがると、震える手をこちらに差しのべ、


「あ、あ、ああ……!」


 と、うめきながら、ふらふらした足どりでこちらに歩み寄る。


「ひっ」


 恐怖のあまり喉が鳴った。


 ――なんでこのひとギャルゲコーナーでバイ○ハザードの形態模写を……!?


 あまりの異常事態に、身体が完全にこわばって逃げだすことができない。


 彼女の手が俺の肩をつかんだ。


「た、助け……!」

「君、身長は!」

「……はい?」


 ――身長?


「身長と体重は!」

「ひゃ、百六十九センチ、五十九キロです!」


 気圧されて正直に答える。


「中肉……中背……!」


 彼女の手が肩から俺の顔に移る。しなやかな感触が頬に触れた。ひんやりとして気持ちいい。


「素朴だけど磨けば光りそうな容姿もすばらしい……。――君、高校生?」

「え、あ、はい」

「帰宅部?」

「はい」

「友達は多くはないけど、悪友がいる?」


 飛鳥馬の顔が思い浮かぶ。


「いると言えばいますけど……」

「成績は平均点くらい?」

「う……。まあ、だいたい……」

「本当に存在するなんて……」


 女性は歓喜の声をあげ、身をくねらせるようにして打ち震えている。


「最後にもうひとつだけ。――まさか……、一人暮らし……?」

「な、なんで――」


 思わず驚きの声をあげてしまった。


 ――なんで俺の個人情報を知ってるんだ? うちの高校の先生……? いや、でも見たことないし……。


「嘘……。こんなことって……」


 両手で口元を押さえ、ぽっと頬を染める。黒目がちの目が潤んで、星空を映した湖みたいにキラキラしている。


 俺は思わずドキッとした。その表情はまるで恋する乙女のそれだ。さっきの鬼気迫る表情とのギャップもあってとてつもなく可憐に見える。


 しかし、いくら可憐とはいっても不審であることに変わりはない。ほんの少しだけ後ろ髪を引かれる思いはあるが退避すべきだ。


「あの……、俺、用事が……」


 一歩後じさると、


「待って!」


 と、カマキリみたいな俊敏さで手をつかまれ、ぐいっと引きよせられた。息がかかりそうな距離から彼女は俺を見あげる。


 ――ち、近い……!


 疲れてるのかちょっとクマが濃いけど、目がきれいだし、肌は白くて透明感がある。


 それに、それに――。


 俺の視線が下がる。


 ――とても大きい……!


 ゆったりとしたジャージの上からでもそうとわかるほど、彼女の胸はとても豊かだった。しかもその隆起が俺の胴に触れそうなところまで迫っている。


 生まれてはじめて3D映画を見たときの感動と興奮を俺は思い出していた。


 彼女はさらに畳みかけてくる。


「わたしの心が訴えてるの。君はまさに『理想の彼氏』だって……!」


 そう言って彼女は俺の手を胸に抱くように握った。


 柔らかくも、しっかりと手を押しかえす弾力。たとえるなら『崩れないババロア』。大きさも形もボウリングのボールみたいなのに、硬さとは無縁の丸みだった。


 ――うわあ……。


 全神経が右手の感触に集中し、逃げるとか手を振り払うとか、そういった建設的な思考に割く脳のリソースは残っていなかった。


「だからお願い――」


 彼女の真剣な目が俺をとらえた。


「わたしの彼氏になって!」

「え? はい? カレ……シ……?」

「そう、カレシ! 恋人! ボーイフレンド! ラヴァー!」


 俺は聞き間違いの線を捨てた。どうやら彼女は俺に、ナンパを一足飛びにして告白しているらしかった。


 ――ついに、モブキャラの俺に恋の季節が……?


 しかも女性のほうからの告白。そんなの選ばれしグッドルッキングガイだけの特権かと思っていた。


 ――それに、こんな……。


 俺は再び右手を意識した。


 ――こんな……!


 すばらしすぎる感触に、俺の本能はさっきからゴーサインを出しまくっている。でも彼女の存在が不審すぎるのと、田舎者特有の都会に対する警戒心が合わさって、俺はなんとか拒否の言葉を搾りだすことができた。


「む、無理です!」

「困る!」

「俺のセリフですけど!?」


 はっきりと迷惑であることを告げればさすがにあきらめてくれるだろうと思いきや、彼女はかえって嬉しそうな顔をした。


「ツッコミもうまいなんて……、完璧……!」


 口元を手で覆い、また恋する乙女みたいな顔をする。


 ほっぽりだされた俺の右手が、名残惜しさのあまりわきわきとうごめいた。しかしおかげで頭がまともに回りはじめる。


 ――「本当に存在するなんて……」とか「完璧……」とか言ってたよな……。ということは、このひとはというよりもに惹かれているってことか……?


 首を傾げた。


 ――でも没個性な俺が、いったいどんな属性を持ってるって言うんだ?


「俺のなにが『完璧』なんですか? というかまず、あなたは……?」

「え、ああ! 言ってなかったっけ? わたしは――」


 ポケットから財布をとりだし、クレジットカードやドラッグストアのポイントカードのあいだから名刺を抜く。


「予備があってよかった。佐藤さとうはじめと申します」


 にっこり微笑み、両手で差しだした。


「あ、は、はい、どうも」


 生まれてはじめて名刺をもらったのと、堂に入った彼女の所作に、俺は胸を触っていたときとはべつの緊張感を覚えた。


 名刺をしげしげと見る。


 ――男みたいな名前だな。って、え……?


「シナリオライター?」


 珍しい職種に思わず声が出た。


「うん。一応、裏に担当した作品が。まあ公表できる範囲でだけど」


 名刺を裏返す。


「え!?」


 声が裏返った。そこには思いもよらない作品名が書いてあった。

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