状態異常:命の砂時計

 命の砂時計の大小は、個人の能力に影響を与えない。


◆◆◆


 完全フルダイブ型VRゲームの発展により、eスポーツがかつてない隆盛を遂げてから数年。


 全国大会への切符を賭けて、二つの勢力が相争う。


 片方はeスポーツの名門、時狭間女学院。

 片方は何の変哲もないどこにでもある進学校、四辺形学園。


 使用ソフトは《ストリートサイ》。大昔に流行った漫画を元にしたゲームで、単純なシステムながら高い戦略性とリアリティが売りのベストセラーだ。


「ふうっ……ふうっ……ふー……」


 息を整え、相手を待つ。

 お互いに、残りのプレイヤーは一人。


 この残り一人を殺した方が、全国への切符を手にすることになる。


 時狭間女学院所属、超太宰雪ちょうだざいゆきは激情の炎に臓腑を焼かれていた。


「どうして……ッ!」


 何故ここまで追い込まれているのか。

 自分の所属は全国の常連。相手は今まで大した名も上げていない弱小。互角の勝負をしているという時点で、大きく想定からは外れている。


 雪はこの勝負、絶対に負けるわけにはいかなかった。

 強豪校のプライド――ではない。


 個人的なプライドから、負けたくなかった。


「!」


 ――来た!


 足元に何かが転がってきた。

 今更確認するまでもない。それは、見慣れた破片手榴弾フラグメントグレネードだ。


 物陰の向こうから、彼女が投げ込んで来たのだ。


 ドカン! と破裂し周囲に破片をバラ撒くが、早めに退避したので大したダメージにはならなかった。事前に周囲の瓦礫やゴミを壁にしておいたのも大きかったろう。


 ――来い! 来い! 追撃に来い! その瞬間に私がアンタの頭にぶち込んでやる! 次が最後だ!


 歯軋りしながら思い出す。

 相手側の最後のプレイヤー。自分の姉、超太宰春ちょうだざいはるのことを。


 姉はいつも自分の先を行っていた。

 年齢だけの話ではない。知力、魅力、体力、運に至るまで、単純なパラメータで雪が彼女に勝っているところは一つもない。


 それでも雪はたった一つ、ゲームでだけは彼女に負けたことがなかった。

 ジャンルは関係なく、アクション、パズル、RPGの攻略タイムアタック、その他思い出せる限りすべてにおいて勝ち続けてきた。


 それだけが雪にとっての誇りだった。


『人間、得意なことと不得意なことがあるからさ。完璧な人間なんていないんだよ』


 自分に負けていた姉は、いつも悔しそうにそう言う。

 あの姉と並べるものがたった一つあるというだけで、とても嬉しかった。

 その誇りが嘘だと気付いたのは、二年前のことだ。


 とある格闘ゲームのオンライン対戦において、何度も雪を負かすプレイヤーがいた。

 何度やっても、まったく勝ち筋が見えない相手。

 興味を持った雪は、チャットの流れで彼女と会うことになった。


『渋谷のハチ公前で、赤と黒の縞々のマフラーして待ってるから!』


 それが彼女とした最後のチャットになるとは、受け取った頃には考えもしなかった。


 予想できるはずがない。

 渋谷のハチ公前にいたのは赤と黒の縞々のマフラーをして、誰かの到来を楽しみに待っているだった。


 雪は今までの自信がすべて虚構だったことに気付き、自分を待つ姉を背にして、気付かれないようその場を後にした。


 あのときの惨めさは、今でも心に傷として残っている。


 それきり、雪は春とゲームをすることをやめた。

 もう一生するまいと心に誓った。


 手加減をされた状態で勝っても、手加減抜きで確実に負けるのも耐え切れない。


 幸い、姉もあれきりゲームに触ることをやめてくれた。

 もうこれ以上、この苦い思い出が頭をもたげることもないと思っていた。


 それなのに!


「そこ、銃弾で抜ける程度には壁が薄いんだよ」

「ッ!」


 咄嗟にしゃがむと、ついさっきまで頭の高さにあった壁がぶち抜かれ、破片が飛び散る。

 冗談ではない。壁を銃弾で抜くなど、肩が外れるほど強い拳銃を使わねば不可能だ。


 一体どのようにステータスを組んでるのか、想像もしたくなかった。おそらくセオリーからは充分外れているだろう。


 急いで壁から離れ、逃げようとして――


「……姉さん」

「そう呼ばれたのすら、何ヶ月ぶりかな」


 壊れた場所から、壁を蹴り砕いて春のアバターがやってきた。

 やはり、持っているのはかつて『反動が強すぎる』として欠陥銃の烙印を押されたようなリボルバーだった。


 それを、両手にそれぞれ一つずつ持っている。


 バケモノじみた怪力だった。


「ふざけてる……!」

「酷いな! 部活のみんなにもそう言われたけど、私は大真面目だよ!?」


 噛み合わない。

 雪は炎に身を焼かれるような心持だというのに、春は家で見るような、いつも通りの調子だった。


 家から離れるためだけに全寮制の時狭間にまで逃げた雪が、ますますバカみたいに思えてくる。


 もう言葉も交わしたくない。早く撃ち合って、勝利でも敗北でもいいからこの場を終わらせたい。


 だがその前に――どうしても訊きたいことがあった。


「どうして? 姉さん、最近はゲームなんてやってる素振りなかったでしょう?」

「ん?」

「何で今更……どうして、私の夢を阻むようなマネを……!」

「……後輩のため」

「は?」

「可愛い後輩がいてさ。さっき雪が殺したツインテの中の人なんだけど。その子に勧誘されて入ったんだよね。ゲーム部」


 絶句した。


 ――それだけのために強豪校の時狭間にまで牙を剥いたのか。


「……夢。夢、ねぇ。悪いとは思うけど、負けるわけには行かないんだよね。こっちも本気だから」

「いくつ私から取れば気が済むの?」


 口をついて出てしまえば、もう止まらない。


「才能も、体力も、運もない。こんな私にはお母さんもお父さんも期待しない!」

「……そんなことないけど。ここまで来れただけ凄いじゃん」

寿!」


 今度は春が絶句した。

 雪は産まれつき心臓が悪い。現代医学の粋を集めても、二十代を迎えられるかどうか。


 雪に残された時間すら、春とは比べるべくもなかった。


「……うん。知ってるよ。雪の持ってる命の砂時計が、他の人より小さいってことはさ」

「だったら!」


 ドガン!

 飛び切り大きな音が響いた。


 雪は、自分の身体が粉々になったことを、千切れて宙に跳んだ頭で認識した。


 HPバーが、一気に削れていく。


、か。それを言った時点で負けを認めたも同然でしょ。勝ちを譲れ、としか続かないもん。その言葉」

「――!」


 決着のサイレンがフィールドに鳴り響く。

 強豪校、時狭間女学院は地区予選にて敗退した。


「それと誤解をもう一つただそうか。私、あなたから何も取ってない。最初からあなたには何もないんだよ」


 それを最後に、雪の意識は暗転する。

 VRのダイブ状態から解き放たれ、姉より先に現実へと引き戻される。


 ――ちくしょう。


 その無念を見送った春は、妹のアバターが消えた後をじっと見つめていた。


「……あの格ゲーで私と雪がマッチングしなければ、今でも仲良くゲームできてたのかな」


 仮定でしかないそれは、結局現実に何一つとして影響しない。

 命の砂時計が流れている限りは、結局前を向くしかないのだから。

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