呪術式:母胎回帰
魔女というものが時代遅れになりつつあった世界において、長く戦争屋として活躍し続けた女がいた。
名前はダリア。一つ指を弾けば森林を一晩で灰に変え、一年あれば街を沈める稀代の呪術師。
彼女は魔女にしては珍しく前線で戦うことを好み、その身体には痛々しい傷がいくつも残っていた。右腕に至ってはかつて槍で丸ごと刺し潰されたので、今は他人の腕を奪って継ぎ接ぎにし、呪術で動かす義手に頼っている。
やがて自分の所属する国が列強の域に達したころ、彼女は突如として引退を宣言。
一人の美しい助手と共に、誰も知らない場所へと消えて行った。
◆◆◆
「ダリア様? 隠居する、とは聞きましたけどここはちょっと人里から離れ過ぎでは……」
雇い主に連れられるまま三日三晩。セリーは馬車も通れる道がないような森の奥地にある木造の家の中で、不安を口にした。
「隠居? 違うねぇ。あたしの都合でしばらくここで生活するだけさ」
この世界において最後の魔女と称されるダリアは、はぐらかすような調子だった。
顔にも傷。首にも傷。大きく開いた黒い装束の胸部分にも傷。
おおよそ露出している肌から見えるのは傷、傷、傷だ。
それでも背筋を曲げず真っ直ぐ立っている姿に、セリーはいつまでも見慣れるということがない。
「……何さ。急に黙っちゃって」
「いえ。相変わらず美しい佇まいだと思いまして」
「あたしは嫌いだけどね。あたし自信の身体の見場。右腕に関してはゾンビアームだし」
「前線で私たちの国を守った証ですよ?」
「見解の相違だ。私が考える美しさはセリーだよ。胸でかいし目も綺麗だし、髪もそのパツ金どうなってんの。ご飯に毎日金粉でもかけて食ってんの?」
「給料さえあればそういうのもいいと思いますけど。金粉ご飯」
「本当にセリーは綺麗だなぁ。ここに来た甲斐があるってものさ」
ダリアは満足気にセリーの金色の髪を撫で、笑顔を見せる。
隠居するつもりでないのであれば、一体何をしにここまで来たのか。セリーは未だに聞き出せていない。
しばらくここに住む、とは聞いた。ついでに『まあ……一年は暮らすんじゃないかな。概算だけど』という曖昧な追記情報も。
暮らすつもりでないのなら、こんな奥地に、何故?
「さて。じゃあ説明しようか。しばらく私は何もできなくなるからね。早めに越したことはない。ここでやるのはただ一つ、ちょっとした大がかりな儀式だ」
「儀式?」
「言ったらセリーが逃げかねないので詳細は伏せるけど、一年程度で多分終わる。その間、お互いにこの館から出られない……ないし、ほぼ離れられない」
ダリアは稀代の呪術師なので、一年あれば人間が想像する大抵の願望は叶えられるだろう。
内容をセリーに聞かせない、というのは不安だ。
最悪、儀式が終わり外に出たら人間が絶滅している等のものでなければ何でもいい。セリーに逃げる気は毛頭ない。
「私の全てはダリア様のものです。逃げるだなんて……」
「今回の術式は飛び切りグロテスクだから、流石のあたしもちょっと不安なんだよね」
「それでも、親を亡くした私を拾って仕事まで与えてくれたあなたになら……」
セリーの中にあるのはダリアに対する忠誠心。そして恩義だった。常識を捨てたわけではないが、ダリアについていきたいという願いはそれらを凌駕するほど大きい。
抜き身の好意を浴びせかけられたダリアはと言うと、少しばつが悪そうだった。
「運が悪いとあたしかキミのどちらかか、どちらも多分死ぬけど」
「構いません! で、一体何をしたいのですか?」
「……どうしても欲しいものがある、とだけ。戦争屋を廃業したら絶対にやってみたいことだったんだよね」
欲しいもの。
稀代の呪術師がどうしても欲しいと願うもの。
それは一体、何だろう。
死者の蘇生?
新天地の発見?
星間旅行?
セリーの思いつく限りの願望、そのどれもが実行可能だ。
「ああ、私が動けない間の雑事は全部用意しておいたゴーレムがやってくれるから、生存に関する不安はほぼ考えなくていいよ。死ぬかもしれないっていうのも、やっぱり余程運が悪いときだけさ」
「この期に及んで、まだ教えてくれないんですね」
「……すぐ解るさ。本で読んだ限り、二か月くらいかなぁ」
「……?」
「向こう行こう。あっちの部屋に全部用意してあるからさ」
悪戯っ子のような笑みを浮かべ、ダリアはセリーを連れて奥へと歩いていく。
◆◆◆
この木造の建築物は外見からはわからない程に広い。
ひょっとしたら空間を捻じ曲げられているのかもしれないと疑うくらいに。
長い廊下をしばらく歩いた先、大きなドアを開けて招かれたのは窓のない部屋だった。
光源は無いが、どういうわけだか一定より絶対に暗くならない不思議な部屋。
置いてある家具はベッドだけ。しかし、ベッドが置いてある床周辺には囲い込むような魔法陣がぐるりと描かれている。
「ダリア様。これ……」
妙な予感を感じて隣を見ると、ダリアが魔女特有の黒い装束を脱ぎ去っているところだった。
肌着も全部手早く脱ぎ、烏の濡羽色の髪をすべて背中に流す。
「セリーも脱いで。全部」
「……あの。ひょっとして肌を重ねる系の儀式が必要で……?」
「一回やれば後は待つだけさ」
「……」
こういうタイプの儀式は初めてではない。
初めてではないが、ダリアは毎度の如く直前になってから『やるぞ』と言う。
できることなら化粧も気合を入れたものにしたいので、どんなに早くとも三日前くらいには言って貰いたいと何度も言っているのだが。
この大事な局面に至ってもダリアはダリアだった。デリカシーがない。
だからと言って、嫌いではないが。
セリーは一つ溜息を吐いた後、服に手をかけ始める。
ここまで来るために森を進むと聞いていたので、色気も何もない狩人のような服だ。
どうせ脱ぐのだから関係無いのかもしれないが、少しくらいはお洒落しておきたかった。
「んじゃあベッドの上に乗って。早く早く」
「はい」
それにしても、こんな設備をどうやって作ったのだろうか。
セリーが来たときには既に当たり前のように存在しているこの家の中には、当たり前のように家具も完備されている。
このベッドも体重を預けても大して軋まず、貴族が使うような上質なものだった。
「あたしの魔女としての力は万能だからね。ただ家具に関しては全部買ったものをせっせと運んだものさ」
「当たり前みたいに表情を読まないでくれます?」
「はい、これ飲んで」
「……これは?」
乳白色の、一見すると牛乳のような液体が入ったコップを渡された。
だが臭いがしない。ひょっとしたら味もしないのではないかと予期させるくらい無臭だ。
「飲んだ後十時間くらいは確率を百パーセントにする薬」
「えっ、な、何のですか? 何の確率が百パーセントになるんですか?」
「時間はたくさんある。儀式が終わった後で考えてみればいい」
怪しいことこの上無かったが、セリーの中に断る理由がない。
不安ごとコップの中身を口に入れる。
やはり、味は無かった。粘性も水に近い。何らかの薬であることはわかるが、どのような意図なのかは不明なままだ。
飲み干した後、ダリアにコップを奪い取られた。
そしてそのままベッドに押し倒される。
「きゃっ」
背中全体に直接、上質な絹の感触が当たる。最初はひやりとしていたが、セリーの体温が上がるのに連れて段々と熱を持ってきた。
やはり、何度やってもダリアの前で裸になるのは恥ずかしい。
だが、イヤではなかった。むしろダリアに自分の姿が余すことなく見られているこの感覚が愛おしくなる。
そして、セリーが裸のとき、ダリアも大抵裸なのだ。
普段は見えない場所にも、やっぱり傷が付いている。
みんなのために戦った英雄の証。性別は同じ女のはずなのに、自分とは随分違う。
女性にこんな感想を抱くのはおかしいかもしれないが、雄々しいと思ってしまう。そして、今からこの力強い生命に滅茶苦茶にされるのだと思うと更に胸が高鳴る。
「始めようか。セリーにはしばらく辛い思いをさせると思うから、せめてこのときくらいは幸せを感じて欲しいな」
「だ、ダリア様。私……あんっ!」
儀式が始まった。
肌を触られ、ねぶられ、つねられ、吸いつかれ、痕を付けられて、もみくちゃになって、汗だらけになって――
ダリアが一瞬、今まで見せたことのないような昏い表情を浮かべた。
◆◆◆◆
ダリアがいなくなっている、ということに気付いたのは儀式が始まってから四時間後のことだった。
散々一方的に嬲られたので、疲れ切ってしまったセリーは自分でも気づかない内に眠ってしまっていたらしい。
ベッドの上には裸で気絶していた自分以外は誰もおらず、ダリアはここから出て夕食でも作っているのだろうか、と呑気に考えていた。
だが、やがて気付く。
ダリアがいない。本当に、この建物のどこにも存在しない。
そして再度あのベッドと魔法陣の部屋に戻り、気付いてしまった。
ダリアの脱ぎ捨てた服のすべてが、脱ぎ捨てたままここにある。
信じられないことだが、彼女は儀式中に消失してしまったとしか考えられなかった。
「ダリア様……!?」
ありえない、とセリーは思う。
まず彼女はセリーに嘘を吐いたことは一度も無い。隠し事は病理的な数存在するが、決定的に嘘を吐くことだけは絶対に無かったのだ。
お互いにこの館から出られない、ないし離れられないと言うのならば絶対にダリアはこの建物の中にいる。
いる、はずなのだが。
三日経っても、五日経っても、一週間経っても、ダリアの姿は見当たらなかった。
稀代の魔女、ダリアは助手のセリーを残して消失し、セリーの孤独な日々が幕を開ける。
「ダリア様……」
何度目かわからない呟きは、建物にぶつかって消えるのみだった。
二週間、三週間、一ヶ月……ふと、違和感に気付く。
「?」
身体の調子がおかしい。
最初は風邪かと思ったが、どこかいつもと違う。
いつもは美味しいと感じるはずのコーヒーが、急に味覚に拒絶されるようになった。
「まさか……」
二ヶ月。月経が遅れ始めた。
閨を共にしたことがあるのはダリアだけだったので到底ありえないはずだったが、考えを改める。
相手は魔女だ。何だってやるし、何だってできる。
三ヶ月。見た目上の変化はそうないが、もう明確に感じ取れる。
自分の胎の中に、何かがいる。
◆◆◆◆
今更ながら、何故ゴーレムなどという人形を配置していたのか理解した。
おそらく、このときのために用意していたのだろう。
「かっ……はっ……うううっ……!」
十ヶ月。せり出した腹はもう誰の眼から見ても妊娠していることを主張していた。
セリーはベッドに寝かせられ、その周囲をゴーレムたちが囲んでいる。
セリーの汗を拭いたり、筆談でセリーに呼吸の仕方を指示したり、湯を用意したりとテキパキと動いていた。
(痛い。ていうか苦しい。辛い。何故私をこんな目に……!)
いや。その考えは無駄だった。ただの八つ当たりでしかない。
ここ数ヶ月で『何故』には答えが出ている。
ダリアは『欲しい物がある』と言っていた。『今回の儀式は飛び切りグロテスク』だとも。
一度たりとも嘘を吐いたところを見たことがない彼女は『全部終わるまでは二人とも館を離れられない』とすら言った。
つまり結局、ダリアは一度たりとも外に出ていないし、ついでに言うならセリーの傍から離れてもいなかった。
なので、錯乱しながら、主を呪いながらも――
「ああっ……く、苦し……ひひっ……」
セリーは笑いを堪えきれないでいた。
ダリアに感謝してすらいた。こういう背徳的な儀式は、実のところセリーも嫌いではない。
役得だ。
「あ、ああああっ……あああああああああううううっ……!」
やがてそれは産まれて来た。
朦朧とした意識で、やり切ったらしいということだけは認識できた。
(……産声が……聞こえない?)
不安に思いながらも、最後の力で首を巡らす。
だが、ゴーレムが自分から取り出した何かに世話をしているのが、辛うじて見える程度だ。
まさか、と思ったが。
ゴキン、と音が鳴った。
ゴーレムの影に隠れていた何かが、急激に大きくなっていく。
やがて、それはセリーより少し背が高いくらいにまで成長すると、近くにあった湯を頭から被り、セリーの方に向き直った。
「お……あーあー……んんっ……えほっ! ふう……直で息を吸うのは……十ヶ月ぶりだよねぇ……ひゅーっ……!」
声は少し高くなっていた。
だが、喋り方は同じだ。聞き間違えるはずもない。
予想した通りだった。やはり、彼女は――
「ダリア、様……」
「感謝するよ、セリー。キミのお陰で生まれ変わることができた」
髪の色は元のままだ。だが、そこにいたダリアはセリーの特徴をいくつか受け継いだようだった。柔らかな胸、綺麗な瞳、大まかなシルエット。
何よりも、そのダリアが今産まれた証拠として、へその緒がまだ残っている。
「あなたが、欲しかったのって……」
「まともな親が欲しかったんだよ。魔女って言われるようなヤツが、まともな家庭環境で育ってたと思う? しかも前線で戦争屋をやるようなヤツが」
「……」
「あとセリーの綺麗さがずっと羨ましくって。どっちも手に入れたいってなったらもう、この計画のことを思いついていたのさ」
セリーの胎を使った産まれ直しの儀式。
それがダリアの実行した術の正体だった。
「ああ、セリー。可哀想に。あたしのせいでお腹に痕ができてるじゃないか……」
そう言うダリアは、心の底から楽し気だった。
無理もないとセリーですら思う。
愛する者と、今の今まで一心同体だったのだから。
それが楽しくないわけがない。セリーの顔にも、ダリアと同じ笑みが浮かんでいる。
「大丈夫。安心して。子供は親に感謝して生きるもの。だからさぁ……」
ダリアは心の底から、嘘偽りなく約束する。
「その気になったら、今度はあたしがセリーを産むよ」
疲労の末、セリーの意識は闇に堕ちていく。
彼女の中にあったのは感謝だった。無事に産まれてきてくれてありがとう、と。
ただ。
(元のあなたのことも、本当に嫌いじゃなかったんですけどね)
もうどこにも存在しない傷だらけのダリアの姿を、瞼の裏に浮かべていた。
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