第3話 視点は転回する

 なんだか懐かしい夢を見たような気がする。

 ただ、それがなんだったのか、頭痛が邪魔をして思い出せない。

 僕は手を伸ばすように藻掻いたけど、何かに足を取られるように目覚めた。


「……朝か」


 ヴィジョンに表示された時間は早朝を指し示していた。僕は体を起こすと、まだ暗い部屋を見渡す。自分が寝ていたありきたりなベッド。木でできたテーブル。それにアンティークの物理ディスプレイと繋げっぱなしのレトロなゲーム専用装置がぽつんと置いてある部屋だ。

 ただ、いつもと違う点がある。部屋が全体的に青く照らされているのだ。光源はベッドだ。

 ベッドが光っている理由は一つしかなかった。布団を捲ると彼女が寝ていた。

 道理で妙に温かいと思った。


「あれ?」


 おかしい。そもそも、彼女には触れないはずだ。温かさなど分かるはずも無い。

 恐る恐る彼女の頬に触ってみると想像以上に柔らかい感触が返ってきた。


「……おはよう一。……所で君はどうして私の頬を触ってるんだい?」

「えっと、確認したくて……。気付いてますか? 触れるようになってるんです」


 一体どういう理由でそうなったのかは分からないが、彼女は物や人に触れられるようになったらしい。


「ああ……、夢じゃなかったんだ」


 そう言って碧は僕に抱き着いてきた。


「昨日の夜に目が覚めちゃって。……たぶん寒かったからだと思う。ゴーストとして目覚めてから寒さなんて感じたことなかったから夢だと思った。それで急に寂しくなったんだ。それから君を探してベッドの中にもぐりこんだ。君は温かいね」


 どうやら泣いていたらしく目元が赤くなっていた。

 自分が死んでいるという状況で目覚めてから彼女は一人だった。それでも気丈に振舞っていたのは自分を鼓舞するためだったのだろう。


「あの……、恥ずかしいんでそろそろ放してくれませんか」

「おっと、そういば夢じゃないんだったね」


 彼女は悪戯っぽく笑った。




 それから数分もしない内に夜が明けた。それと同時にインターホンが鳴る。

 扉を開けると真が神妙な表情で立っていた。


「水上は天使とつながっている可能性が高い」

「ちょっと待って、急にそんなこと言われても……。そもそも、理由はなんだよ」


 真はリビングに入るなり話を切り出した。僕は始まった話に追いつけない。

 どうして碧と天使が関係するんだ?


「そもそもゴーストは天使が作り出したということで間違いないだろう。昨年、世界各地でゴーストが出現した瞬間に空間弦子濃度が高まったという報告が多数挙がっていたからな」

「弦子って?」

「弦子は生物の認識を生み出している根源だ。天使が現れたと考えられる場所で必ず濃度が上がる。水上に何か変化はなかったか?」

「そうだった! どうしてだか分からないけど、碧に触れられるようになったんだよ」

「やっぱりか……。となると、今までのゴーストは試作だった可能性が高い」

「それってどういう意味?」

「水上は他のゴーストとは違う。特別なゴーストってことだ」


 たしかに、水上は普通のゴーストとは違うところが多すぎる。

 過去の情報を繰り返し反芻するようにしか振舞えないゴーストと違い、自分の意思で判断し、移動ができる。

 それに接触すら出来るようになった。

 僕の後ろで浮いている碧を見てみると、次々に出てくる聞き慣れない言葉に混乱しているようだった。

 だけど、僕はこれらの単語を聞いたことがあるらしい。軽い頭痛と共に理解の感覚が奥底から浮かび上がってきた。


「それに、今日がいつか気付いているか?」

「今日? 昨日が終業式で、夏休みが今日からだから20日でしょ」

「ヴィジョンで確認してみろ」


 真に促され、ヴィジョンを確認すると異変に気づいた。日付が19日となっている。昨日と変わっていないのだ。


「……まさか。RATがおかしくなってるんじゃ」

「俺もそう思ってニュースを確認したが、昨日と全く同じ速報を一字一句違わずニュースキャスターは喋っていた。間違いなく、昨日を繰り返しているんだ。しかも、そのことに気付いているのは調べた限りだと俺たちだけだ」


 僕は愕然とした。あまりに異常なことが起こり続けている。一体どうして?


[選べ。上代一。拒死を受け入れるか。それとも限りある生を認めるか]


 急に声が聞こえた。まるで碧が言ってた不思議な声みたいだ。

 そう思ったのも束の間だった。僕は頭痛と共に自分がすべきことを思い出した。


 例え辛くても、僕は僕の為に。


 もう始めてしまったんだ。


 それに。


「だが、分からない。ゴーストが完成したらどうなるんだ? 完成したゴーストとはなんだ?」


 僕は考え込む住良木の後ろに回り込んで、テーブルの裏に貼り付けてあった銃を――。

 ―――――――――――――――――――。

 ―――――――――――――――――――――――――――。

 ―――――――――――――――――。

 僕は銃口を次の標的である水上に向ける。

 背後で誰かが倒れる音が麻痺した鼓膜を揺らした。

 僕は住良木を殺したようだ。


「……なんで?」


 引き攣った顔をする水上の心臓を狙って――――。

 ――――――――――。

 ――――――――――――――――。

 胸部に空いた穴を僕は眺めていた。

 どうやら水上も殺せたようだった。それから、天井に向かって尋ねる。

 頬を液体が伝う。少し返り血を浴びたらしい。


「何回目だ?」

[現在の回数は住良木真、水上碧の両名共に344回です]


 僕はあと666回、彼らを殺さなければならない。いや、殺すのではない。処理をするんだ。

 一歩前に足を出すと、薬莢がつま先に当たって転がる音がした。

 音につられて下を見ると、住良木の死体も水上の亡骸もそこにはなかった。正常にリセットされたようだ。


「どうして処理した瞬間以外の記憶が消えたんだ」

[上代一はゴーストを人間として認識し始めている。その影響だろう]


 地の底から響くような声が聞こえる。彼、或いは彼女は天使だ。

 僕は天使と契約をした。


[それよりもだ、興味深い事にゴーストにリセット前の記憶が一部定着している。現に住良木がゴーストの正体ついて理解し始めていた]

「ゴーストの完成に支障は無いのか?」

[それは無い。むしろ完成に近づいている証拠だ。カラーコード定着までの時間が早くなったおかげで、物理的接触が可能になるまで早かったでしょ]

「たしかに、玄関で接触した時点で触れられる状態だった」

「ゴースト自身には後光が見えず。故に物理的接触が早々に可能となった個体は自分がゴーストであることを理解できないってわけだね」


 僕はキッチンに向かい、コーヒーを淹れ始めた。

 その香りにほっとすると同時に、自分が緊張していたことが分かった。

 ゴーストを処理することに僕は慣れたはずだ。あれを処理することは、ゲームのセーブデータを消すようなものだ。

 そう言い聞かせながらリビングにコーヒーを持っていく。

 テーブルの椅子の一つに天使が膝を抱えて座っていた。

 一見すると、小学生くらいの中性的な子供のように見える。だが、暫く見ていると姿や細かい所作から得たいの知れない存在が人間を装っているように感じられ、不安な気分になる。

 彼女、或いは彼が僕の持っているコーヒーカップに視線を注ぐ。


「記憶が消えたのは、俺がゴーストを人間として見ているからだと言ったな」

[正確には深層心理で、ですがね]

「そんなはずはない。俺は確かに……。あれはゴーストであって人間じゃない」

[しかし、住良木真と水上碧のカラーコードを継承したゴーストだぞ。生前の固有2Sとリンクした模造だ]


 天使は視線をコーヒーに固定したままぼんやりと答えた。

 どうやら天使は僕があのゴーストに対して、人間だった碧や真と同様に感情移入していると言いたいらしい。

 だが、僕は二人が既に死んでいるとはっきり知らされている。

 ゴーストが完成することで拒死が機能し、そこで初めて彼らは僕と等しい存在になるはずだ。

 だから過程である不完全なゴーストを僕は自分と同じ人間だと思わない。


[上代一は完成したゴースト。つまり100パーセントの弦子同一性を持ったゴーストしか人間と認めない。瞬間的弦子同一性の不完全さを否定の根拠とするなら、時間経過による弦子変化は問題にならないのか?]

「確かに、老いによって人は変わってしまう。だが、それは別の人間になってしまうこととは違う」

[やはり拒死は面白い。止まった世界を生きるのに、心は変化に富んだ人間のままだ]


 天使は表情を笑ったように作り、僕の後ろを覗き込むように前のめりになった。


[天使は2Sそのものに干渉不能。構造が分かっても過程が分からない以上、再現は出来ぬ。『種火』である上代一の助力が必須なんだ]


 僕が関与した強い感情を伴う破壊は、2Sから放出され人間へと受信される弦子を結び、固定することが出来る。

 それは、僕自身が受信し自己を発生させている『弦子』が絡まっているからだそうだ。

 固定された弦子は時間方向への特定の変化が出来なくなる。

 それが拒死の正体だ。


「わかってる。俺も、碧と真を生き返らせたい。利害が一致している以上、俺は協力を続けるよ」

[生き返るのではない。死ねなくなってしまう結果、生前の状態に復元されるだけ]

「それで良いんだ。俺にとって、生き返るのも死ねなくなるのも変わらない」


 僕はこの世で一人きりの拒死だ。

 拒死は一人。5世紀前から変わらず僕だけだった。

 僕は死と同等、あるいはそれ以上に孤独を恐れていた。

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