第2話 幽霊は起動する

 ゴーストは約1年前のRATの大規模バージョンアップによって発生したバグが原因で生まれたものだ。

 曰く、公式によるとゴーストとはRATの記憶領域ストレージの残滓である。

 曰く、噂によるとゴーストとはエーテル社の陰謀の一端である。

 住良木真だったら、まずは天使との関係性を考えたはずだ。


「ただいま」

「遅かったな。勝手に遊んでるぞ」


 自宅に帰ると玄関には一組、自分以外の靴が並べて置いてあった。

 元々は真と一緒に記憶が消えた原因を調べる予定だった。だけど、終業式の最中に出たスケジュール通知が気になって、一人で展望台に行ってみたのだ。

 真には先に家で待ってもらうように連絡をしていた。真にこのことを言わなかったのは、通知にわざわざ『一人で』と書いてあったからだ。この通知を設定したのは記憶を失う以前の自分だ。何か理由があるはずだ。真のことも完全に信用した訳ではない。

 勿論、通知が気になるといっても、僕の記憶にないものだ。遠くから様子を窺うくらいに留める予定だった。

 自分が記憶を失う原因になったトラウマに関係している可能性がある以上、危険な相手かもしれない。

 でも、道中出くわした迷子犬に追い回された結果うやむやになってしまった。

 一体誰と待ち合わせをする予定だったんだろうか。

 

 コーヒーの香りが漂うリビングに入るとゲームをしている真がいた。

 ゲームと言っても原始的なもので、物理ディスプレイに接続する専用装置と、それに繋がる操作端末を使用するものだ。

 操作端末にはいくつかのボタンが表面に付いていて、符号めいた操作をする必要がある。

 プラスの様なボタンを押すと上下左右に歩く。丸い『A』と表記されたボタンを押し込むと操作キャラがジャンプする。

 すぐ隣の『B』が表記されたボタンは複数の役割が存在し、走る時や敵への攻撃に使う。

 操作を覚える必要性があり、直感的に操作できるMRゲームと比べるとかなり難しい。

 グラフィックスも含めて明らかに現代のゲームよりも劣っているのだが、何故か定期的にやりたくなってしまう魅力がある。


 特に最近のゲームと違う点があって、何度でも無料で復活できるのだ。

 普通は、復活回数に限度があるものだ。それ以上復活しようとするなら課金をしなければならない。


「……なんだそれは」


 ゲームを中断してこちらを振り向いた真は開口一番にそう言った。かなり驚いたらしく、声を出すまで暫く固まっていた。

 僕の後ろには先程出会ったばかりの水上碧と名乗るゴーストが浮いていた。


「見ての通りゴーストなんだけど……。泊めて欲しいって頼まれたんだ」

「ゴーストがその場から動ける訳無いだろ。それに、泊めて欲しいって誰に言われたんだ」

「私から言ったんだよ」


 ゴースト自らが自発的に喋りだしたことに、真はかなり動揺した様だった。


「……それはダメだ。元いた場所に戻してこい」

「そんな捨て猫みたいに言わなくてもいいじゃない」


 水上は頬を膨らませながら、拳を上げて抗議の声を上げた。

 ただし、真が怖いのか僕を盾にするように隠れながらだが。

 真本人は怒っていないのだろうけど、彼の表情はいまいち分かりづらい。


 真が泊めることを反対するのは理解できる。会話できるし自分の意思で動けるゴーストなんて、怪しすぎる。

 でも、僕が拒死であることを知っている以上、真に説明しなければならないし、連れてこない訳にはいかなかった。

 それに、僕は女の子を独りで置き去りにするなんてできなかった。


 彼女は目覚めると海岸に居たらしい。

 自分がゴーストになっていることは目覚めたときから理解していたそうだが、その他の記憶は無くなっていた。

 当然ゴーストである以上、人に見つかればバグとして報告され、初期化フォーマットによって消されてしまう。

 途方に暮れた彼女は不思議な声を聴いたそうだ。


『死なない人間が落ちてくる。名前は上代一。場所は水上碧が最初に目覚めた海岸。上代一は水上碧を救える』


 正体は判らなかったそうだが、行く当ても無かったので海岸が見渡せる岩陰に隠れていたらしい。

 そして、本当に僕が落ちてきた。

 僕は彼女から聞いた話を真に話した。


「例え悪さをしようとしても、何にも触れることが出来ないんだよ。問題ないって」


 そう言って僕は水上のお腹辺りで手を振った。

 勿論手はすり抜けてしまう。


「……変態」


 水上は酷く冷たい目で僕を見た。必死に弁護しているのに酷い扱いだ。


「ともかく、大丈夫だって」

「住良木さん、お願い」


 僕らの言葉に真はため息をついた。


「分かった……。そもそも、ここはお前の家だ。俺がとやかく言えることじゃない」


 そう言うと僕らの横を通り過ぎて真は部屋から出ていく。


「ちょっと、どこ行くんだよ?」

「今日はもう帰る。また明日な」


 真は足早にリビングから出て行ってしまった。


「勝手すぎたかな……」

「……やっぱり迷惑だった?」


 碧は悲しそうな顔をした。

 僕は慌てて否定する。


「いやいや、気にしなくていいよ。僕は両親とも仕事で赴任してて居ないし。真はあんな態度だけど、僕みたいな人間をほっとかないで助けてくれるくらいお人よしだから」

「うん。……ありがとね」


 ……さて、どうしようか。

 ゴーストとはいえ、女の子と二人きりという状況は初めてだ。


「……私もう疲れちゃった。お風呂入ったら寝るね」

「ゴーストって汚れるの?」

「はぁ……。君はもっと言葉を選んで会話すべきだと私は思うな。まあ、汗はかかないけど……気分的には入りたいかな」

「そうなんだ……。えっと、部屋から出て左手の扉だから」

「ありがと。あっ、覗くんじゃないぞー」

「覗かないよ!」


 彼女は笑いながらふわふわとリビングから出て行った。

 僕は真が途中で放置したゲームを自室に片づけた。

 そういえば、碧は服どうするんだろう。

 その疑問は彼女が数分後に浴室から戻ってきたときに解決されることになった。


「お湯に触れないんだからお風呂に入れないじゃない……」

「あはは……。って、あれ? その服どうしたの?」

「ああこれ? 念じたら変えれたんだ。ほら」


 そう言うと碧は服を色々なものに変えて見せた。

 それぞれの服は彼女の私服だったものなのだろうか。最終的にはパジャマに変わって終わった。


「へぇ。便利だね」

「お風呂に入れないマイナスが大きすぎてあまり喜べないかな」


 碧は欠伸をして空中で横になった。


「もう寝るね」

「そこで良いの?」

「うん。ベッドにも触れないんじゃどこで寝てもあまり変わらないよ。熱くも寒くも無いし大丈夫」

「分かった。じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」


 電気を消すと彼女が放つ光がはっきりと見えた。他の明かりが少しでもあるとこの光は見えなくなるので、昼間のゴーストは遠目に見ると普通の人間と見分けがつかない。

 ゴーストの青い燐光は普段目にするどの光とも違う輝きで波打つように揺らいでいて、じっと見ていると魅入られそうになる。


 ある種の生物は死の間際に青い光を放つという。

 この綺麗な青は紛れもなく死者の証なのだ。

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