第1話 青春は転落する

 世界は夕焼けで満たされていた。

 学生の僕にとって世界とは、この目が届く範囲でしかない。

 普段は舗装された地面か平坦な床板が半分、もう半分を退屈な風景で埋められている視界。

 今はそれら全てが紅い夕焼け色に塗られていた。


 僕は放物線上の頂点を早々と通り過ぎ、下に落ち始めようとしている。

 展望台の茶色いベンチを踏みつけ、その先の錆びた壊れかけの手摺に足を掛けて、走った勢いそのままに跳ぶ。

 途端に開けた視界にはピントが合わないほど遠い地面が見えた。

 想像を超えた高さに体中の力が抜けるような感覚がする。


 ――高校に上がってから最初の夏休み。その前日のことだ。

 ――僕は学校から帰る途中、制服のまま宙に放り出されていた。


 生温い空気を掻き分けながら、重力を置き去りにするような錯覚が僕を満たす。

 僕の視界は首を動かすことなく次々に移り変わっていた。

 夕焼け色の次に見えたのは暗く沈んだ海、影が落ちた無言の砂浜、コンクリートの寂しそうに汚れた灰色。それもすぐに夕焼けのオレンジとぐるぐる混ざる。

 体が前転をしながら落ちているんだ、と他人事のように思った。

 抜け落ちた記憶の分だけ空っぽな頭の中を、バケツ一杯のペンキを溢したように色が広がる。

 そんな中、僕はただ一つの事実だけを頭の中で呟いた。


 大丈夫。僕は死なない。


 この瞬間にも地面に激突しそうなのに、時間は引き延ばされ続け、終わりが無い。

 頭はいつもよりも冴えている。それなのに思考は空回りを続けた。

 どうしてこうなったんだっけ?

 そんな場合じゃないのに、考えてしまう。これが走馬灯というものなのだろう。

 そうして僕の意識は過去へと遡る。



 //――――――――

 //――――――――――――――

 //――――――――――――

 //――――――――



 ――――それは少し肌寒い朝。

 僕が展望台から落ちる14時間前。


 僕、上代一かみしろはじめは聞き慣れた電子音で目が覚めた。


「……」


 意識がぼんやりと覚醒していくと無機質なアラームが鳴っていることに気が付いた。もう起きなければいけない時間だ。

 薄く目を開けると視力に合わせて網膜投影映像ヴィジョンが再調整され、目の前の風景に重なるように時刻が表示される。


「……まだ時間じゃない」


 そう呟くと僕は再び目を閉じた。二度寝の言い訳ではない。

 設定していた時間よりも早いのだ。

 このまま二度寝をしたい気分だったが、妙な時間にアラームが鳴るということはなにか理由があるはずだ。

 重たい瞼をなんとか開き、アラームの設定を確認すると見覚えのない時間が登録されていた。

 RATラットのバグだろうか?

 RATは国家の枠組みよりも頭一つ抜けた巨大企業である『エーテル社』製のデバイスだ。今やこれが無いと日常生活すら困る代物となっている。

 以前大きなバグが発生したこともあるくらいだ。アラームがおかしくなっても不思議ではない。

 それよりも、どうしてこんなに体が重いのだろうか。気を抜くとベッドに沈み込んで再び寝てしまいそうな強い眠気に襲われる。

 だけど、アラームに不具合があるということは、次のアラームは鳴らないかもしれない。そうなってしまえば僕は次に目覚める自信が無い。

 どうにか上半身を起こすと冷たい風が何処からか吹き込んで身震いをする。風の出所は半開きになった窓からだった。

 窓から外を横目で見ると薄明かりの空に青白い月が浮かんでいる。夜明けが近いのだろう。

 それから、まだ薄暗い自室を見渡した。

 自分が寝ていたありきたりなベッド。木でできたテーブル。それにアンティークの物理ディスプレイと繋げっぱなしのレトロなゲーム専用装置がぽつんと置いてある部屋だ。


 ずり落ちたタオルケットを体に巻き付けると改めて時刻を表示し、その傍に表示されていた日付を確認する。

 7月19日。

 終業式。

 つまり、明日から夏休みだ。

 そう考えるだけでもワクワクして目が冴えてきた。


「顔でも洗うかな」


 はやる気持ちをそのままに立ち上がって洗面台のある一階へと向かった。

 ……のだが、玄関のチャイムが早朝の静寂を壊すように鳴った。

 僕は足を止める。

 誰だろう?


 RATを操作して玄関のモニターをヴィジョンに映すと自分と同じ年くらいの少年が立っていた。

 少年は僕の通う学校の制服を身に着けている。

 酷く病的だが整っている顔は、モニター越しのせいなのだろうか。死人のように酷く青白く見えた。

 見覚えのない顔だ。もしかすると、隣の家と間違っているのだろうか?

 僕は玄関に向かい扉を開けた。微かに顔を出した朝日を眩しく感じながらも彼に向かって尋ねた。


「えっと……。誰ですか?」

「……あぁ。俺の名前は住良木真すめらぎまことだ。早速だが昨日貸した本を返して欲しい」


 本?

 会うのは今日が初めてのはずなのだが……。

 彼の無表情な顔を暫く凝視したが何も思い出せない。


「えっと……」

「昨日、学校の帰りに貸したはずだ」

「昨日ですか? 昨日は授業が終わった後、すぐ家に帰って……」


 あれ?

 僕は昨日どう帰ったんだっけ?

 まだ寝ぼけているのか思い出せない。

 念のためにRATのストレージを検索すると、たしかに本のデータが1冊だけ存在していた。

 見覚えのないタイトルの本だ。そもそも僕は本を読まない。データは一つだって持っていないはずだ。

 RATのストレージに表示された本を僕は彼に見せた。


「えっと……。これですか?」


 僕が差し出したストレージのヴィジョンではなく、怪訝な顔をしている僕を見ながら住良木は奇妙なことを言い出した。


「本当に忘れているみたいだな……。拒死きょしの事も覚えていないのか?」

「きょし?? さっきから何を――


 最後まで言い切る前に僕は黒い塊を突き付けられた。

 逆光でよく見えないにもかかわらず、僕にはその正体がはっきりと理解できた。

 これは……、銃だ。

 しかも、立体映像イミテーションなんかじゃない。本物だ。


 数年前。世界全体は度重なるテロで緊迫した状況にあった。

 その結果、全ての国で銃火器の規制が始まり、RATの完全な人記憶検索により実銃のほとんどが表舞台と裏舞台から回収された。今では平和記念のモニュメントの材料として各国の首都に鎮座している。

 レプリカやモデルガンなんかも回収対象になったそうで、こちらもあっという間に世界中から消えていったと聞いている。

 僕らの世代ともなると、出所不明のグレーゾーンな動画でしか銃を見たことが無い。

 動画や立体映像イミテーション程度でもグレー。本物の銃は勿論真っ黒。違法のはずだ。

 なんでそんな物を持っている?


 疑念が恐怖に変わる間もなく、引き金はひかれた。

 思ったよりも響く金属同士がぶつかる"カチン"という音のすぐ後ろから、大きな爆発音が聞こえた。

 僕は反射的に目をつぶった。そのせいで弾が飛び出す瞬間は見えなかった。

 ただ、目をつぶる直前。暗くて底の見えない銃口は間違いなく僕の心臓へと向いていた。


「毎度のことながら衝撃が強くて手が痺れるな。これでも火薬を減らしたんだが」


 本物……なのか? 鼓膜が未だにびりびりしている。

 争いから程遠い平和の直中に収まっているこの世界に実物の銃が存在している? どこから? どうやって?

 というか僕は撃たれたのか?!

 それにもかかわらず、痛くないし死ぬ様子もない。ただ大きい音がして驚いただけだ。

 混乱から醒め現実を咀嚼し終えたころになって、僕はようやく我に返った。

 慌てて撃たれたであろう箇所を探す。血を止めなけば。


 だが、血は一滴たりとも流れていなかった。


 その代わりに真っ黒い煤のようなものが張り付いていた。

 これは……なんだ?

 震える手で触れようとすると薄っぺらい煙が揺れ踊るようにどこかへ消えた。

 代わりに穴が開いた服が見える。その先の肌に穴は開いていない。


「俺がたった今、これでお前を撃ったことは覚えているか?」


 住良木の質問を皮切りに僕は動けなくなった。

 それは恐怖が原因でも、混乱が理由でも、彼の質問の意味が分からなかった訳でもない。

 記憶が浮かび上がってきたからだ。それも、最初から脳に刻み込まれていたかのように鮮烈に。

 同じような光景、似通った質問を知っている。

 忘れてはならない。


「……覚えてる」


 拒死。

 僕は死ねない。

 どんなことが起きても。


「どうやらその様子だと成功のようだな。何度も撃つ羽目にならなくて良かったよ」


 真はようやく表情を和らげてそう言った。和らげたと言っても少し眉尻が下がった程度で、相変わらず表情は死人のように固い。

 それから銃を腰の後ろに仕舞って再び口を開く。


「一の記憶について説明する。立ち話もなんだ。中に入ってからにするぞ」

「あっ、ちょっと」


 扉はオートロックで当然鍵がかかっている。それに真が何者か僕は分かっていない。彼を制止しようとしたのだが……。

 真がRATをドアノブに接触させるとあっさりロックが解除された。

 鍵を……持っている?


「銃を向けた後でなんだが安心しろ。俺はお前の味方だ」


 真は振り返りざまにそう言った。

 なんとも説得力の無い言葉だが、僕は彼が間違いなく敵ではないと考えていた。しかし、僕が取り戻した記憶の中に彼は存在しない。

 そう考えているのはどうやら、いまだ思い出せていない記憶の部分のようで、僕は再び混乱しそうになる。

 落ち着け。例え敵意であっても問題ない。

 殺されることは無いのだから。

 そう考えてハッとする。僕は自然と自分が死なないことを前提に考えていた。


「えっと……。よろしく?」


 そう言いながら差し出した僕の手を、真は押し戻した。


「いや、俺を信じるのは思い出してからでいい。無理に信じようとされてもやりづらいからな」

「あぁ……、そうだね。えっと、僕たちって知り合いだったの?」

「そうだ。一と俺は簡単に言うと親友だった。俺は今もそのつもりだが」


 廊下を迷いなく進んでいった真を慌てて追うと、キッチンに入るなりコーヒーを淹れ始めた。

 まるで勝手知ったる我が家と言った風だ。


「コーヒーお前も飲むよな?」

「いや、遠慮しとくよ。苦いものは苦手なんだ」

「へぇ。記憶が欠落すると嗜好も変わるんだな」

「しこう?」

「好き嫌いの事だ。一はコーヒーが好きなんだよ。だからここにコーヒー豆が置いてある」


 真が指差す位置、開かれた戸棚にはコーヒー豆らしき袋や見覚えの無い道具や収納されている。

 有り得ない。それなのに、僕は驚くことが出来なかった。

 未知なのに既知。そんなことが立て続けに起これば現実感はどこか薄れていく。


 僕は真を置いてキッチンを後にすると、何かに導かれるように自室に向かった。

 一度落ち着きたかったのか、それとも僕の内側にある僕以外の意志によるものなのか分からなかった。

 今朝起きた時と風景は変わらない。自分が寝ていたありきたりなベッド。木でできたテーブル。それにアンティークの物理ディスプレイと繋げっぱなしのレトロなゲーム専用装置がぽつんと置いてある部屋だ。

 しかし、よく見ると違和感があった。

 テーブルの上に花瓶がある。朝日が僅かに差し込む室内に彼岸花が咲いていた。

 触れようとするとすり抜け、触ることが出来ない。立体映像イミテーションだ。初めからそこに在ったのに気づかなかった。

 見慣れてしまったように。


「僕じゃない。一体だれが……」


 花を見ていると焦燥感と共に冷や汗が滲む。

 これ以上見てはいけない。そう直感した。

 僕はいつの間にか震えていた手でRATを操作し、イミテーションを非表示にする。

 目の前の花が消えると同時にいつの間にか遠くなっていた聴覚が戻ってくる。耳元で鳴っていると思えるほどに激しい自分の心音が聴こえる。

 その音を聞きながら心を落ち着けようとしていると、扉が開けられる音がした。

 振り向くとコーヒーカップを持った真が入り口に立っている。


「おい、大丈夫か?」

「あ……。うん」

「……とりあえず、リビングに行くぞ」


 僕は失った記憶を取り戻した結果、おかしくなってしまったのだろうか。

 頭痛がする頭に手を当てながら、僕は真の後についてリビングへ向かう。

 リビングには自室と同じく木製のテーブル。そこに椅子が3つ並んでいた。椅子はどれも違うデザインで、統一感は無い。

 真はテーブルにカップを置くと、白と黒の積み木を繋ぎ合わせたような酷くバランスの悪い椅子に座った。


「まずは現状を整理しよう。一は拒死について忘れていた。それは分かるな?」

「うん。それについては思い出した。……完全じゃないみたいだけど」

「どこまで思い出した?」

「えっと……。拒死という特性によって僕は死ねないこと。それに拒死の目印である屠譜。拒死が起きた箇所は黒い靄が発生する。それだけかな」

「ああ、それで大体合っている。だが、注意して欲しい。拒死は厳密には不死ではない。死につながる要因を排除しているだけで、通常の不死とは実体が違う。死の要因は何も怪我だけじゃない。心的外傷も死につながる場合がある。つまり、トラウマのような辛い記憶ですら拒死の対象として排除される」

「ということは……。僕が記憶喪失なのは拒死が原因?」


 ティースプーンでカップの中身をかき混ぜながら真はこめかみに人差し指と中指をあてた。


「そう考えて間違いないだろう。拒死による記憶の消去はトラウマとなる記憶以外も巻き込んでしまう。記憶は個々が複雑に絡み合っていて繊細なものだ。一部が消えれば連鎖的に他の記憶も消える。だから直接関係がない俺に関する記憶も無くなってしまったみたいだな」


 真はもっともらしい事を言っているが、本当なんだろうか?

 何せ、いきなり僕を銃で撃ってきた奴だ。僕の記憶が消えた原因が真の可能性だってある。

 だけど、いくら表面上で疑ってもそれは自分の内側で否定される。


「原因に関しては思い出さない方が無難だな。また記憶が消える可能性がある。それに……」

「それに?」

「残念ながら俺は一になにがあったのか知らない。一が記憶喪失になっていることに気が付いたのはついさっきだ。俺から教えられることはない」


 真はコーヒーをかき混ぜる手を止めて僕の目を見た。それから言い聞かせるように繰り返した。


「いいか。失った記憶を取り戻そうとするな」

「……分かった」


 わざわざ自分のトラウマを掘り返すような被虐趣味は無い。

 もしかすると、自室で見た彼岸花はもしかすると消えた記憶に関するものなのだろうか。

 念のためにデータごと消しておいた方が良いのかもしれない。


「それじゃあ、他の記憶が消えていないか確認しよう――」



「――いたた……」

 僕は頭に手を当てて痛みをこらえていた。

「記憶が戻る度にニューロンが再活性化されるんだ。その余波で三叉神経が興奮状態になるからな。当然頭痛が起きる。拒死に消されない唯一の痛みだ」


 現在、僕と真は通学路を歩いていた。

 拒死に関する情報は割と少ない。それは拒死が非常に稀だからだ。

 真から聞いた話だと、拒死である人間は過去にも存在したらしいが、どの時代であっても必ず一人だけらしい。しかし、一人以下にもなったことが無いとも。

 つまり、『拒死である人物が寿命を終えるたびに新しい拒死を持った人間が生まれる』ということだ。

 なんだか不気味だ。

 でも、そんなことよりも重要なのは拒死に関する次の3点だろう。


 一つ、死の要因となる事象は消滅する。

 これは今朝も見た通りだ。銃弾は服に穴を開けこそしたが僕を傷つけることは無かった。それに放たれた銃弾は何処にも落ちてなかった。発射された銃弾は体に触れる直前に、死の要因として判断され消滅した。


 二つ、拒死が起きると同時に屠譜が発生する。

 拒死による事象の消滅は通常の物理法則から外れたもので、RATのセンサーは勿論、人の目からも認識できなくなる。その情報欠落が黒い靄となって表れているそうだ。

 ここまでは今朝撃たれた段階で思い出せていた。問題は次だ。


 三つ、拒死をもたらすのは天使である。

 天使とは世界に起こる超常的な出来事の原因であると真は言った。

 真は天使を研究しているそうで、僕が拒死であるという情報を聞きこの街にやってきたそうだ。拒死も天使が原因である可能性が高いらしい。

 研究をしていると言っても、天使に関する情報は拒死よりも少なく、不明な点が多いらしい。何故、天使は拒死なんてものをもたらすのか。何故、天使は存在するのか。

 そもそも天使の存在自体を疑う声の方が大きいそうだ。しかし、真は天使がいると確信しているようだった。

 真にとって天使は特別な対象のようだが、その理由を教えてはくれなかった。


「おい、この通学路は大丈夫なのか?」

「え? 何が?」

「一は犬嫌いだっただろ。それも忘れたのか?」

「ああ、その点は大丈夫だよ。この時間、三木さんのところのトイプードルは家でご飯食べてるから」


 僕は犬が苦手だ。それもかなり重度で、1メートル以内に来られると体が強張って動けなくなってしまう。

 だから通学路は調査に調査を重ねて犬と遭遇しないようにルートを決定している。

 恐怖や痛みに関する記憶は消えにくいと言うが、僕の場合はどうなのだろうか。

 ともかく、犬嫌いに関する記憶は消えていなかった。


「ならいいんだが。先週なんか犬から逃げるために海岸まで走る羽目になってたからな」

「あはは。そんなこともあったね……。そういえば、誰かと一緒に逃げてたような」

「俺は逃げなくても良かったんだが、服をガッチリ掴んで走りだされたからな」


 あの時僕の隣に居たのは真だったのか。


「そういえば、気になってたんだけど。なんでわざわざ銃で僕を撃ったの? もっと簡単に手に入るものでも良かったんじゃない」

「いくつか理由はあるんだが、一番は心理的ハードルの低さだな。いくら死なないと分かっていても、他人に刃物を向けたり鈍器を振るうのは抵抗があるからな」

「そうなの? 結局相手を傷つけるのは変わらないと思うけど」

「相手に直接触れないし力もそこまで必要としない。それに訓練もほとんどせずに使える。カッターナイフや包丁じゃそうはいかない。入手は方法を知っていればそう難しいものでもないしな」


 真はRATを操作してデータを僕に送ってきた。

 ヴィジョンに表示すると、それは見たことも無い部品や薬品のリストだった。


「なにこれ?」

「3Dプリンター用のデータと火薬の合成に必要な薬品だ。銃の部品は使い捨て前提だとそこまで強度が要らない。市販の3Dプリンターで作れる。薬品もネットで簡単に手に入るものばかりだ」

「……」


 僕は慌ててデータを消去した。


「RATのデータ検閲が厳しいことくらい知ってるだろ! なんてもの渡すんだよ」

「大丈夫だ。さっき渡したリストは画像として表示するとリストに見えるが、通常はMRRPGゲームのアプリでしかない。一昔前に特例として実行された大掛かりな人記憶検索でもされない限りバレることは無い」


 まだ真の事を完全に思い出せてはいないけど、常識外れな奴だという事は分かった。

 まあ、拒死なんてものに関わろうとするくらいだから常識が無いのは当然か。

 死なない体質なんて、フィクションだとしか思えない能力だ。常人ならば、端から信じることは無いだろう。


「拒死って他人に知られたらやっぱり不味かったりする?」

「そうだ。軍事転用も考えられるし、大抵の国だったら研究対象として連れ去られるだろうな」

「やっぱりかぁ……」

「すぐに信じる奴はいないだろうが、拒死が起きるところを見られたりすると不味いだろうな。誰にも言わない方が賢明だ」

「真以外に拒死を知っている人っているの?」

「少なくとも、この街には居ない」


 真にも天使研究の仲間がいるのだろうか。遠くの海を眺める彼の横顔は少し寂しそうだった。


 この街は海沿いに長く伸びた形をしていて、周囲を切り立った崖と海で囲まれている。外部との交通は1日2回往来する船くらいなもので、船よりも物資の流通を担う大型ドローンの往来の方が多い。

 実際には崖の向こう側にも土地が広がり人も住んでいるのだが、ここに来る人は船で来ることがほとんどだ。必然的に街の外を思い浮かべると海の向こう側ということになる。


 崖は崩落防止の為に一面コンクリートで覆われているが、2年ほど前にそれだと味気ないということになったそうだ。今では定期的にプロアマ問わず絵を募集して、壁一面に共有のヴィジョンで映しだすようになっている。それが目当てで観光に来る人もいるくらいに有名だったりする。

 僕らが向かっている学校は街の中心、海に面した位置にある。周囲と断絶された土地柄のせいか、他にない新しい手法を取り入れた教育を行っていて評価が高い。そのおかげで、わざわざ街の外から船でやってくる生徒が多く、昼間は賑やかになる。

 その反面、夕方から早朝にかけてこの街は寂しいくらい静かになる。

 僕が住んでいる家は街の端に位置しているのだが、徒歩30分で向こう端までたどり着けるほど狭い土地しかない。

 だから、この街に住んでいる人は少ない。

 今日も今日とて通学路は人が疎らだ。僕らが会話を止めると波と風の音だけが聞こえた。


 校舎に着くと、放課後にまた会う約束をして別れた。

 終業式は面倒だからサボるらしい。


「一君、おはよう。なんだかぼーっとしてるけど大丈夫?」

「委員長おはよう」

「だれが委員長だ」


 軽く頭を小突かれた。

 どうやら教室についてから気が抜けたのか放心していたらしい。

 気が付くとメガネで気の強そうな少女が僕の前の席に座っていた。

 彼女は入学当初から友達が出来なかった僕を、何かと気にかけてくれたいい人だ。

 だから親しみを込めて委員長と呼んでいるのだが、彼女は気に入ってくれない。

 そもそも、髪型がロングからショートに変わったせいで委員長というあだ名がしっくりこなくなっている。


「本当に大丈夫?」

「何かというか……。まあ、人生にはいろいろあるわけで」

「人生を語る年じゃないでしょ」


 呆れた顔をされた。

 だが、拒死について話すわけにはいかない。

 そういえば、僕は放課後以降のどのタイミングで記憶を無くしたのだろうか。


「委員長って真のこと知ってる?」

「真君? 知らない人なんていないでしょ。サナトリウムの貴公子様なんだから」

「何……、その呼び名」

「イケメンでミステリアスで孤高。そして守ってあげたい病弱な雰囲気。彼ってこの学校のアイドルみたいなものなんだから。知ってて当たり前でしょ」


 初めて知った。

 いや、そもそも僕は真の事を忘れているのだった。

 なるほど、有名人だったのか。


「そもそも、上代君の唯一と言っていいほどの友達じゃない。昨日も放課後も一緒に帰ったでしょ」

「それなんだけど、僕達ってその後……」


[定期バイタルチェックの時間です]


 話に割り込むようにRATの音声通知が入った。これはエーテルが提供する医療サービスの一つで、RATから読み取ったバイタルデータを元に体調管理のサポートをしてくれるものだ。

 以前のこの国は自殺者が多く、事故や病気よりも死者を出していた。その結果、国政としてメンタルケアが義務となっている。

 バイタルチェックが終わると、測定したデータをもとに各種警告が出る。場合によっては病院に向かってカウンセリングや薬の処方があったりもする。割と些細な事でも反応するので、春先になると花粉症の人は警告が鳴りやまなくなるのは風物詩となっている。


「…………うん。今日も健康。そっちはどうだった?」

「えっと。……うへぇ、軽い脱水と睡眠不足の警告が出てる」

「へへーん。健康雑魚め」

「口が悪いよ、委員長」

「だからー。委員長じゃないって」

「イタッ」


 2回も言ったせいかデコピンされた。


「そういえばさっきなんて言おうとしてたの?」

「あぁ。僕たちが放課後どこに行ったのか見た?」

「ううん。見てないけど。なに? 怪しいことでもしてたの」

「いやいや、してないって」


 ――校内放送です。校舎屋上のゴーストは無事に削除されました。繰り返します。校舎屋上の――


「まだゴースト残ってたんだ……」

「どうしたの? そろそろ体育館に行かないと終業式始まっちゃうよ」


 委員長と一緒に廊下を歩いて行くと窓から屋上が見えた。

 屋上に居たゴーストはうちの生徒だったのだろうか。

 ゴーストはRATのバグによって生じたものだ。

 死者の最後の目撃情報が記憶領域ストレージから引き出され、立体映像イミテーションとして再現されている。

 それは死という非日常を可視化して、僕たちに意識させる象徴だと言えるだろう。

 今の僕は非日常の傍を歩いている。

 いつもと変わらないはずの世界は気付かなかっただけで薄氷の上に成り立っていた。誤って踏み外せばもう戻れないのだろう。

 体育館の入り口をくぐると集まった生徒達が視界一杯に広がった。

 もし僕が拒死であるということを知ったら、一体何人が悪意を僕に向けるのだろうか?

 もしかすると記憶を失う前の自分は恐怖していたのだろうか?

 拒死が周囲に露見して、親しい人が変わる瞬間を。


「えー、本日は――」


 校長の長い話を聞き流しているとスケジュール通知のアイコンがヴィジョンにポップアップした。

 周りにバレないように視線操作に切り替える。


[19:00 待ち合わせ 展望台 必ず一人で]


 ただ、それだけが書かれていた。

 

「――昨今の痛ましい事件の数々を受け、本校は――」




「――ッ!?」


 眩しい斜陽に目を刺されて目が覚めた。

 茜色と群青色のグラデーションに彩られた空。浅黄色の蝶たちが入り混じり、楽し気に踊りながら飛んでいく。

 気絶してたのだろう。僕は砂浜の上に倒れていた。

 それにしても……。


「……死んだかと思った」


 いくら死なないからと言って、気絶はするようだ。

 と言っても、時間にして1分も経っていない。


「頭から落ちたけど……。うん、大丈夫そうだね」


 仰向けに倒れていた僕を覗き込む少女がいた。

 逆光でよく見えないが、同じ学校の生徒だろうか? 見覚えのある制服を着ている。


「それって大丈夫に見えないんじゃ……いやまあ、大丈夫なんですけど」


 怪我は無い。

 しかし、異常なまでに高鳴った心音と、それに引っ張られて高ぶった神経が未だに宙を舞っている感覚を残している。

 カフェインを過剰摂取したような気持ち悪さが胃の底でひりついていた。

 その感覚もしだいに消えていく。これも拒死のおかげなのだろうか。僕はすこしふらつきながらもゆっくりと立ち上がった。

 制服に付いた砂を手で軽く払うと、少女が納得するように呟いた。


「本当だったんだ。”上代一かみしろはじめは死なない”って話……」

「……」


 そういえば、バレたら不味いんだった……。どうしよう。誤魔化せるか?

 最初の口ぶりからすると、落ちるところを見られていたようだ。

 それに、僕が拒死であるということを誰かから聞いるらしい。


 ピーッ!


 警告音と共に、親指につけたRATラットが振動する。


[生命に係わる強い加速度を検知しました。問題のない場合は30秒以内にスライド動作を行ってください。スライド動作を行わない場合は緊急通報を行います。繰り返します――]


 慌てて指で空をなぞると直ちに警告が停止し、僕は息を吐きながら安堵する。

 こんな機能があったとは。

 初めて知ったし、願わくば知ることのない人生を送りたかったのだが。


「へぇ。そんな機能有ったんだ。さすがエーテル謹製のウェアラブルデバイス『RATラット』。何でも有り過ぎて分からない事だらけだね」

「……なんで僕のことを知っているんですか? それに……」


 僕が”死なない”という事実は、僕を除いて一人しか知らないはず。

 何故それを知っているんだ?


「それよりも後ろの子って君の?」


 彼女は僕が落ちてきた場所を指差した。


「ッ!?」


 振り返ると視線の先。やけに高いコンクリートの堤防、そのさらに上の位置に展望台がある。今だと綺麗な夕焼けと海が見えるのだろう。

 その隙間から覗くのは、夕陽を眺める幸せ一杯のファミリーでも熱愛を振りまくカップルでもない。

 一匹の獣だ。

 鋭く尖った牙と爪。涎をたらしながら荒い息を立てるそれは――


「あのダックスフント可愛いね。私犬が大好きなんだ」

「……僕は嫌いなんです」


 僕の通学ルートは、犬を飼っているあらゆる世帯とその散歩ルートを避けるように考え抜いたものだ。

 しかし、どんなに避けようともどうにもならないことがある。想定のポジションから外れた迷子犬だ。迷子になるのは子猫だけにして欲しい。

 あれから逃げるために僕は展望台から飛び降りたのだ。


「そうなのか。気絶してたはじめをずっと見守っていたから、てっきり君の飼い犬かと思ったよ」

「いや、あれは僕を食べ物として見ている目です」

「あははっ。本当に嫌いみたいだね」


 そういって少女は笑みを浮かべた。

 辺りがどんどん暗くなっていき、壊れかけてもなお交換されずに放置されている旧世代の街灯がいつの間にか彼女を照らしていた。

 彼女の年齢は僕と同じか少し上くらいに見える。腰まで届きそうな長い髪には十字の髪留めがいくつも付いていた。身長は僕と同じくらいだ。


 ようやく見えるようになった顔は見覚え無いものだった。


「そういえば、自己紹介しなきゃだね。私は水上碧みなかみあお。最近幽霊ゴーストになったみたいなんだ」

幽霊ゴーストって……。おもしろい冗談――


 改めて彼女を見てみると、不自然な点があった。

 彼女は街灯に照らされているのに、影が無かった。

 そして、体が薄く燐光を放っている。


「……」


 目の前の彼女は間違いなく本物ゴーストだ。僕が以前見たことのあるゴーストと同じ特徴を持っている。

 しかし、ゴーストは通常、現在を生きる僕らを認識できないはずだ。あくまで過去のデータの再現でしかない。

 では、僕の目の前にある存在は一体何なのだろうか?


「それとね。急な話で悪いんだけど、今晩泊めてくれない?」

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