第3話 光の先へ

「くはっ……」


 星のように光のまたたやみの中、俺は息もえになりながら、歯を食いしばって懸命に両手で光の糸を手繰たぐり寄せて進む。

 な、何なんだ……このキツさは。

 ただ糸を辿たどって進むだけの動作が信じられないほど辛い。


 天使長イザベラから示された元の世界へ戻る道。

 それは俺の腕章から伸びている光の糸を伝って進むだけの至極単純な道すじだった。

 だが、いざ動き出すと俺の体は重く、自分でも想像していなかったほど動けない。

 まるで何年も病床に伏せて筋力の弱りきった病人同然だ。


「おいおい。どうしたバレット。もうヘバッちまったのか?」


 ほとんどうようにして糸を手繰たぐって進み続ける俺のすぐ後ろで、同じように糸をつかむドレイクが面白がってはやし立てる。

 こいつは俺と違って肉体を現世に残していないから、この光の糸を辿たどって行っても元の世界に戻れるわけじゃないんんだが、面白がって遊んでやがるんだ。

 俺が顔を苦痛にゆがめてヒィヒィ言いながら進むのとは違い、ドレイクは楽々と後からついてきやがる。

 ムカつく野郎だが、こいつの能力が俺とは天と地ほどの差があることは認めざるを得ない。


『おやめなさい。ドレイク。バレット様はここに慣れていないのです。バレット様。ゆっくりで構いませんよ』


 そう言ってイザベラは柔和にゅうわな笑みを浮かべる。

 くっ……天使に気遣きづかわれるなんて一生の恥だ。

 しかも憎らしいことに俺を先導して同じように糸を手繰たぐり進むイザベラも、ドレイク同様にまったくすずしい顔でスイスイ進んでいきやがる。


 何で俺だけこんなにキツイんだ。

 腕が重い。

 手に力が入らねえ。

 そんな俺の様子を見てドレイクが言う。


「おまえは今、肉体を持った姿だが、意識プログラムの状態であることに変わりはねえんだ。だからもっと意識の力で体を動かさねえと、永久に辿たどり着かないぜ」

「意識の力? 何だそりゃ」


 いぶかしむ俺にドレイクは自分のこめかみを人差指で差しながら言う。


「俺たちは普段、何の気なしに走ったり飛んだりしているが、それは全部頭から信号を出して自分の体に命令しているから出来ることなんだよ。だが、現世では当たり前のように出来るそれも、この場所ではその命令をより強固に、確固たる意思を持ってやらねえと動けなくなる」


 より強く意識して体を動かせってことか?

 面倒くせえ場所だ。

 仕方なく俺は腕に強い意識を送り、動け動けと命令する。

 だが腕は相変わらず重いままだ。


 くそっ。

 マジでイラつくぜ。

 腕の重さに耐え、息苦しさに肺が悲鳴を上げるのもこらえて、俺は少しずつ進む速度を上げていく。

 頭と体を連動させようとこんなにも必死になったことは今までない。

 そんな俺の様子を後ろから見ていたドレイクが言う。


「バレット。おまえかなりきたえてるな。下級種としての限界点に達してなお、その先に行こうと足掻あがいたんだろうな。見りゃ分かる。あきらめの悪い奴だ」

「……うるせえよ」


 疲労困憊ひろうこんぱいで動き続ける中でそんな話をされたもんだから、俺は苛立いらだった。

 それにしても魔王ってのは、見ただけで相手のことが分かるのか?

 まあ、百戦錬磨れんまのドレイクには色々と分かっちまうんだろうよ。

 俺のトゲのある言葉もまったく意に介さず、ドレイクは続きを話す。


「けど、色々ともったいねえな」

「なに?」

「おまえは目に見えるステータスのパラメーター上昇ばかりにとらわれてんだよ」


 目に見えるパラメーター?

 まゆひそめる俺に構わずドレイクは言う。


「俺たちが自分のメイン・システムで確認できる能力値は限られている。だが、俺達NPCにはそれ以外にも多くのパラメーターが備わっているんだ」


 NPCが持つステータス内のパラメーターは腕力や敏捷びんしょう性などの身体能力を表す項目があるが、ドレイクの話によれば俺たちNPCを構成している目に見えない無数の裏パラメーターこそが、NPCが細やかな動きや思考を実現するために重要な要素なのだということだった。

 

「そういう毛細血管のような裏パラメーターの微細な数値が上昇することで、俺たちNPCは細やかな成長をしていくんだ」

「俺はそういう部分がおろそかになっているとでも言いたいのか」

「おそらくな。しっかりときたえ上げられたおまえだが、その体を一本の木に例えると、幹や太い枝にはしっかりと栄養が行き渡っているが、細い枝や葉まではそれが行き届かずに貧弱になっているってところだな。実にもったいねえ」


 ドレイクの話に俺はがらにもなく目からうろこが落ちる気分だった。

 こんな話は今まで聞いたことがない。

 まだ俺には今よりも強くなれる余地があるってことか?


「腕力や素早さってのは能力値が頭打ちになればそれ以上きたえても能力上昇は見込めない。だが、そういう裏パラメーターの数値をきたえ上げることで、目に見えてそのキャラクターの動きが精度を増していくんだ。より精密な動きや思考が出来るNPCになっていく。そうすると実際の戦闘で、ほんのわずかな差でねばって相手を上回ることが出来るようになる。そういうねばりがあれば自分よりも強い敵を倒せる可能性も増すんだ。たとえば……下級種が上級種に勝てるようになったり、とかな。なかなか面白い話だろ?」


 得意気にドレイクはそう語る。

 それにしてもこいつ、よくしゃべるな。

 話し出すと止まらないタイプ、なんてもんじゃない。

 話好きで舌がよく回り、言葉が次から次へと口をついて出てきやがる。

 魔王ってのは寡黙かもく強面こわもてなイメージだったが、実際のこいつは全然違う。

 だがドレイクの人柄ひとがらはともかく、その話は俺にとって興味深いことこの上なく、俺は胸のうずきを抑えつつ慎重に切り出した。


「自分よりも強い敵に勝てる? 魔王だった男にそんなこと言われても説得力がねえな。おまえにとっちゃ大抵たいていの相手は自分より弱いだろ。自分よりも圧倒的に実力が上の奴とやり合ったことがあんのかよ」


 そう言う俺にドレイクは声を立てて笑った。

 

「ハッハッハ。もちろんあるさ。俺だって最初から強かったわけじゃねえ。辛酸をめて、それでもい上がったんだ。強い奴に勝ちたくても勝てない悔しさはよく知っている」


 そう言うとドレイクはチラリと前方のイザベラに視線を送る。

 そういえばドレイクはイザベラに負け続きだったって話だな。

 すずやかに微笑みを返すだけで何も言わないイザベラをよそに、俺は一番気になっていることをドレイクにたずねた。


「どうすればその裏パラメーターってやつはきたえられる?」


 俺の問いにドレイクはもったいつけることなく、何でもないことのように答えた。


「おまえ今やってるじゃねえか。そういうことだよ」

「なに?」


 今やってる?

 俺は光の糸を伝って必死に進んでいるだけだ。

 まさか今のこの動作が俺の裏パラメーターをきたえ上げてくれるのか?

 きょを突かれてほうける俺をドレイクがかす。


「ほれ。手が止まってるぞ。どんどん進め。意思を体に正確に伝えねえから、そんなチンタラ進むことしか出来ねえんだ。イメージを体現することに集中しろ」


 俺は舌打ちをすると再度、手に力を込めて光の糸をつかみ、前へと進む。

 先ほどと同様に頭からの指令を強く発しながら。

 相変わらずキツイ。

 確かに今まで感じたことのないたぐいの疲労感だが、このキツさが俺の体を細部まできたえ上げてくれるのだとしたら、俺にとっては疲労も苦しさも大歓迎だ。


「普段なら何でもない動作を、強烈な負荷をかけた状態で行う。それが鍛錬たんれんの基本だよな。その原理を応用するんだ」


 そこまで聞いて俺はドレイクの言わんとしていることを理解した。


「今の俺のように肉体と思考のつながりが希薄になっているような状況で、鍛錬たんれんをするのが一番の早道ってことか」

「そうだ。飲み込みがいいじゃねえか。制限付きの鍛錬たんれんは効果的だからな。だが、今この状況のような事態は滅多にあるもんじゃない。だから、せいぜいここにいるうちにせっせとはげんでおいたほうがいい。どうだ? やる気になったろう」


 言われるまでもなく俺の手と思考に力がこもる。

 それから俺は一心不乱に光の糸を伝って進み続けた。

 そんな俺を前方のイザベラにこやかに見守り、後方のドレイクがやいのやいのとはやし立てる。

 かつての天使長と魔王が自分の前後にいるという奇妙な状況の中で進み続ける俺は、それからしばらくの間、饒舌じょうぜつに語るドレイクから様々な情報を得た。

 

 それらの話は思わずまゆひそめたくなるようなものだった。

 かつてドレイクは自分自身をきたえるために、わざと体に毒やらのろいを受けた状態で厳しい訓練や実戦を積み重ねたり、数々の能力低下魔法を複合で体に浴びたまま相手を攻撃せずに防御のみで連続耐久戦闘を数十時間ぶっ続けで行ったりしたという。

 そこまでいくともう変態だろ。


「そうやっていくと不自由を克服しようと体が勝手にもがき出すんだ。その結果、何が起こったと思う? 劇的な変化さ。見た目の能力値は変わってねえのに、明らかに身体能力が向上したんだ。具体的には、より長い時間息を止めて水中に潜っていられたり、長距離飛行をより長く行えるようになった。要するに省エネで体が動かせるように変化したんだ。それだけじゃない。敵の攻撃パターンの見切り性能や、攻撃を受けた際のダメージ軽減のための防御行動の精度が向上した」


 明らかに身体能力や判断能力が強化されたのは、裏パラメーターが見えないところで成長していたからだとドレイクは語る。


「だが裏パラメーターってのは俺らNPCは見ることが出来ないんだろ? おまえはどうやって数値の向上を確認したんだよ」


 俺の言葉にドレイクは少し言いにくそうにしながら頭の角をコリコリとかく。


「そりゃおまえ。魔王特権ってものがあってだな……」

うそですよ。魔王は一NPCですから、そんな特権はありません。私が教えたのです』


 横からイザベラが口をはさみ、ドレイクが面白くなさそうに舌打ちをする。

 なるほどな。

 イザベラは俺たち普通のNPCとは違って、自分自身が天樹の塔をつかさどるシステムでもあるという。

 そのくらいのことは分かるんだろう。

 それにしたって……。


「そういうのを気軽に自分の男に教えちまうとは、天使長様は思いのほか不良天使だな」

『うふふ。夫ですもの。ま、妻に何も言わず姿を消して、5年と5カ月も放っておくヒドイ夫ですけれど。普通なら離婚ですわね』

「……も、もうそのくらいにしてくれ。同族の若い奴の手前でカッコつかねえだろ」


 よほどバツが悪くなったのか、それまで饒舌じょうぜつだったドレイクはそれきりムッツリと黙り込んだ。

 その代わりに今度はイザベラが前方から話しかけてくる。


『バレット様。ティナが最後にあなたに申し上げた言葉の真意なのですが……』


 イザベラの言葉が俺の脳裏に思い起こさせる。

 フーシェ島で見たティナの泣きそうなつらを。


― バレットさん。すみません。でも……あなたを守りたいんです。―


 俺が生きていた時に最後に聞いたティナの言葉を思い返していると、イザベラが少し伏し目がちに言う。

 

『ティナがあなたを守りたいと言ったのには理由があるのです。私はあの子の中で聞いていました。マーカスがティナに告げた甘言を』


 イザベラの話によれば、マーカスはティナに、運営本部は不正プログラム感染者のうち主要NPC以外は消去処分する意向であるということを伝えたようだ。

 それを聞いたティナの顔色が変わるのを見たマーカスは、この俺もその処分されるNPCの中に入っていることを告げた。

 その上で奴は俺の身柄みがらを運営本部ではなく、天樹の中に預かると言ってティナをそそのかしたんだ。

 そうすることでバレットを守れると言いくるめられたティナは、俺に杖を向けた。

 そうイザベラは語った。

 だが……それが真実だとして、一体何だと言うんだ。


「……別にそんな事情を殊更ことさらに話さなくてもいい。俺にティナの心情を分かってやれ、とでも言うのか?」

『いえ。ただ、真相をバレット様に知ってほしいという、私のおろかな親心です。あなたにとっては迷惑でしかないでしょうけれど』


 まったくだ。

 ティナが俺を助けるためにマーカスの言いなりなったというなら、あいつはとんだマヌケだ。

 ティナが断絶凶刃コンティニュー・キャンセラーを浴びた状態で命を落とすことになったのも、あいつの自業自得でしかない。

 あいつは……最後まで俺を見切らなかった。

 それは致命的な甘さだ。


「チッ。小娘が。どこまでガキなんだ。シャキッとしやがれ」


 今すぐティナの奴を怒鳴りつけてやりたくても、あいつはもはや物言わぬむくろと化している。

 クソッ!

 何で俺は……こんなにイラついているんだ。

 甘さを見せるティナも、ニヤケ顔で裏工作にいそしむグリフィンにも、そして奇妙な運命の流れに翻弄ほんろうされ続ける俺自身にも腹が立って仕方ない。

 

 いつだって俺は相手を叩きつぶせる強さがあればそれでいいと思っていた。

 だが、今なら分かる。

 それだけじゃ足りねえんだ。

 襲い来る奔流ほんりゅうの中で、歯を食いしばって自分の足で踏みとどまるための強さが俺には足りない。

 俺が……俺が本当に欲しかった強さは、理不尽な状況を打開できる強さだ。

 絶対に折れない太い幹のようなそんな強さが欲しい。

 

 そんなことを考えながら光の糸を辿たどって進み続けていた俺は、気付くとイザベラとドレイクが身の周りからいなくなっていることに驚いた。

 ふと後ろを見やると、つい少し前まで俺の前後をはさんでいた2人は俺のはるか後方で俺を見上げている。

 両名ともその顔に驚きの色を浮かべていた。


『バレット様……』

「おまえ……」


 ついさっきまでチンタラ進むのがやっとだった俺は、いつの間にか疲れも苦しさも忘れて光の糸を辿たどり、随分ずいぶんと急激に進んでいたようだった。

 ドレイクとイザベラは光の糸を手放して宙に浮かび、そんな俺のそばに近寄ってくる。


つかんだな。バレット。おまえは思ったより早く成長すると思うぜ」

『バレット様。私たちはここまでです。あなたはもう大丈夫』


 並び立つ魔王と天使長はそう言うと俺から徐々に遠ざかっていく。

 俺はそんな2人に声をかけた。


「おまえらはこの先どうすんだ?」

「ま、適当にやるさ」

『ええ。久しぶりに夫婦水入らずで積もる話もありますし』

「バレット。その腕章。おまえがそのまま使えよ。けっこう似合ってるぜ」

『バレット様。ティナがあなたにおくったレッグ・カバー。困った時には頼ってみて下さい。きっとあなたの助けになると思いますよ』

 

 すぐに2人の姿は後方へと遠ざかっていき、俺はきびすを返すと再び光の糸をつかんで進み始める。

 さっきまでとは違い、俺の体は頭からの指令をスンナリと聞いて動いてくれる。

 本当にコツをつかめたようだ。


 そうして進み続ける俺の前方が徐々に白み始めていく。

 まるで夜が明けていくみたいだ。

 迷うことなく俺は糸をつかんで、その光の中へと飛び込んでいった。

 光の先へと進むために。

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