第13話 夢想という名の野望
思考プログラムの化身となった上級天使のグリフィンは言った。
目的はこのゲーム世界を抜け出して、あちら側の世界に行くことだと。
このゲームを作った奴らやプレイヤーらのいる世界へと。
それはまるで夜空に浮かぶ月に行って見せると豪語する夢想家の話だったが、野望に燃えるグリフィンの瞳は自分の行いに一寸の疑いも持たぬ狂信的な光に満ちていた。
「絵空事だと思うか? だがこの世界には多くのプレイヤーがあちら側の世界から訪れるだろう? ならばこちらから向こう側へ渡れないという道理はあるまい」
それは一介のNPCに過ぎない俺にはよく分からない感覚だった。
そんなことを考えたこともないからだ。
俺は首輪の解除が終わったら旅に出るつもりだったが、それはあくまでもこのゲーム世界の中の話だ。
目の前にいるグリフィンの話は、あるかどうかも分からない新大陸を夢見る冒険家のそれで、俺にはいまいちピンとこない。
「フンッ。ここから出て行きたきゃ1人でヒッソリと行けよ。立つ鳥
怒りを込めてそう言うが、グリフィンは少しも
「バレット。今我々がいるこの世界は永遠ではない。ゲーム世界は様々な要因により唐突な
その問いに俺はスッと自分の気持ちが冷えるのを感じた。
こいつは俺たちNPCが気にしても仕方のないことに
それが世の
「それがNPCってもんだ。永遠に生きられるとでも思ってんのか?」
「永遠とは言わぬが、あちらの世界に行けば、人の営みがある限り生き続ける方法がある。姿はなくとも意思はある。そんな思念体としてクラウド世界の中で生き続けるんだ。それが私の最終目標だ」
こいつのワケの分からない目的のために自分が犠牲にされたことは許せんが、今の俺が怒りを
事ここに及んでそんなことが意味を成すのかどうか分からねえが、俺に待つのが消滅の運命だとしても、絶対にこんな奴に心まで
「くだらねえ。てめえの
「そうであろうな。それは私も胸が痛むさ。だが……すぐにそれもどうでも良くなる」
「……なに?」
「いや失敬。こちらの話さ。そろそろ本題に入ろうか」
そう言うとグリフィンはまたもやパチンと指を鳴らし、背後の映像を切り替えた。
するとそこには、
画面の
「貴様の体は今、天樹の塔の分析室の中にある特別牢に
「あとは消去処分を待つばかりかよ。これを見せて俺を悔しがらせようってのか? いい
「ハッハッハ。それは楽しそうだな。だが、貴様の肉体は消さずに残すよう、マーカスの権限を使って私が指示をした」
何だと?
「マーカスは上級種の中でも幹部会に席を持つほどの
「んなことはどうでもいい。俺の肉体を残すだと? てめえ。何を考えていやがる」
そう言う俺にグリフィンはニヤニヤとした笑みを浮かべたまま何も答えようとしない。
まさか……。
「てめえ。俺の体を乗り物として使うつもりか」
「……ククク。ちょうどいい悪魔の体が欲しくてな。安心してくれ。私は貴様の口調や性格などもよく見てきた。ちゃんと貴様のキャラクターを崩さずに演じてみせるさ」
「くっ……」
俺の体がまったく別の人物によって使われる。
しかも
それを考えただけでヘドが出そうになる。
そんな俺の内心を
「この世は無情だな。バレット。俺は何食わぬ顔で貴様の体を使ってのうのうと今後も生き続け、本来の持ち主である貴様はこのような場所に閉じ込められ、命運が尽きようとしている。さぞかし悔しかろう」
「クソ野郎が……」
「これはひどい言われようだ。では、そのクソ野郎がどうやって貴様らを監視していたのか教えて差し上げようか」
そう言うとグリフィンは得意気に指を鳴らして見せた。
そして例によって画面が切り替わる。
画面の
また過去の映像かよ。
そしてそこにパッと映し出されたのは、俺のことを目の
『
そこに映し出されたのは上級種のディエゴだった。
俺は即座に気が付いた。
この映像は……上級種・アヴァンの視点だ。
それからこいつらは不正プログラムで開けた
この後だ。
俺が
その道中でアヴァンとディエゴが交わした会話が映像の中に記録されていた。
『ディエゴ。ここらで張ってりゃ、あの見習い天使の小娘が現れるってのは本当か?』
『ああ。グリフィンが確定情報として高値で売り付けてきやがった』
『フンッ。まあ、今までもあいつの情報が間違っていたことはねえからな。それにしても天使のくせに同胞を売るとは、大したタマだぜ』
そうか。
こいつらとグリフィンは
俺は映像を楽しげに見つめているグリフィンを
「おい。潜入捜査官。女王様への忠誠心はどうした? 裏で悪魔どもにティナの情報を売っておいて、よくもまあ白々しく小娘に説教できたもんだな」
「ハッハッハ。そう言われると返す言葉もない。だが、私とあのディエゴはキャメロン殿に選ばれた運命の同胞でもあるんだ。不本意だが、彼らに協力することで自分の利益を引き出せるなら、私に
そう言うとグリフィンは一本の試験管を取り出した。
その中には緑色に輝く液体が収められている。
「これは異世界からやって来たある女科学者が使っていた薬を極秘のルートでくすね、それを私が分析して複製した物だ。自分の姿を動物や虫などに変化させることが出来る。これを持っていた女科学者は異世界からやってきた魔女や聖女の仲間らしい」
ティナが話していた天樹の塔の戦いで堕天使キャメロンと戦った異世界のNPCたちのことか。
「これがあれば目に見えないダニ程度の小ささまで変身することができる。私はこの時、ダニになって上級悪魔アヴァンの
「アヴァンの視点ってわけじゃなく、てめえの目から見た映像ってことか」
「その通り。そしてこの後、私は貴様との接触の機会を利用して、貴様の体に移り住んだんだ」
「移り住んだ……そういうことか」
ビジョンの中では俺が不正プログラムによって
「ティナがあそこに落ちてくることまで予想していやがったのか」
「これでも長年、敵地で潜入捜査をやってきた。NPCたちがどのような動きをするのか予想することは難しいことではない。ティナのような素直なタイプなら
ここからこいつは監視のためにしばらく俺の体に勝手に巣食っていやがったのか。
映像の中では俺がティナと出会ってからの日々が
クソッ!
マジで頭にくるぜ。
こんなクソ野郎を体に飼っていて、それに気付きもしなかったマヌケな自分自身にもな。
「ティナが貴様と行動を共にしてくれたことで、私は目的に最大限近付くことが出来るようになった。貴様とティナの体を自由に行き来できるようになったからな。そして私はティナの体に移り住み、修復術に手が届く寸前まで
そう言うとグリフィンは薄笑いを浮かべる。
俺は胸の内で歯ぎしりするような思いでビジョンを見つめた。
俺は自分がなぜ不正プログラムに感染したのかを気付かされ、ハラワタが
不正プログラムを所持するグリフィンが、小さなダニとなって俺の体に取りついた。
それは
俺が真実を察したことに感付いたのか、グリフィンはしたり顔で言う。
「さて。天樹の塔で行われていた貴様の肉体の分析結果から、貴様が不正プログラムに感染した時刻が判明した。それをこの記録映像の時刻に重ね合わせてみようじゃないか」
楽しげに思い出を振り返るような調子でグリフィンがそう言う。
そして映し出された映像を見て俺は
死ぬ思いで上級種どもを倒したその夜、
その翌日、首の後ろに痛みを感じた時はすでに俺の体は
ダニになったグリフィンの野郎に首の後ろを
吐き気がするぜ。
「……クソ野郎にまんまとハメられたってわけか。自分のマヌケさに失望したぜ」
「そんなに
「黙れぇぇぇぇぇっ!」
怒りを抑え切れずに俺が叫んだその時、目の前に奇妙なシステム・ウインドウが浮かび上がった。
真っ黒なウインドウには桃色の文字が浮かび上がる。
【HA……】
だが、一瞬だけ現れたそのウインドウは
何なんだ?
ワケが分からず戸惑う俺の目の前で、グリフィンは低い声で
「むぅ……単純な怒りでは馬脚を
「何なんだ今のは?」
「言っただろう? 貴様の首輪の中に
感情の中に隠された暗号?
いよいよ理解し
そう思ったその時、俺はグリフィンの後方に浮かぶ映像にある変化を見て取った。
『ガァァァァァッ!』
『くそっ!』
それは
ティナの体に発動した天使長の防御プログラムが限界を迎えて、気を失ったティナの背後からアヴァンが襲いかかって来た場面だ。
そこでティナを抱え上げて後方に逃れた俺の背後に、ウインドウが浮かび上がっていた。
【H……】
あんなもんが出ていたのか?
その時は必死で俺はまったく気が付かなかったが、それは今しがた一瞬だけ現れて消えたウインドウと同じものだった。
「貴様は今まで気付かなかったようだが、俺が監視している最中、少なくとも三回はあのウインドウが現れていた。それは貴様がひどく感情的になった時にだけ現れたんだ。天使長様は防御システムの
そう言うとグリフィンは指を鳴らし、映像を切り替える。
その画面には取調室のような部屋で、
「ティナ……」
ティナはその取調室のような場所の壁に設置された大型のモニターを見つめていた。
その顔は不安げで、疲れ切ったような色が
そしてティナが見つめるモニターの中には、
俺は不快感を覚え、怒りを押し殺してグリフィンに向け声を
「てめえ……何のつもりだ?」
「あらためて先ほどの映像を見て、気付いたことがある。あの奇妙なウインドウが現れるのは、貴様がティナに関わることで感情を
そう言うとグリフィンはニヤリと笑みを浮かべた。
それは
「バレット。今から貴様の体を試運転する。よく見ていろ。私は貴様の体をうまく使って見せるぞ」
「待ちやがれ!」
俺の制止の声が響く前に、グリフィンの姿が唐突に目の前から消えた。
あの野郎……一体何をするつもりだ。
そう
そんなティナの顔が見る見るうちに青ざめ、その
そしてティナが見つめるモニターの中で、物言わぬ
それからすぐにボソボソとくぐもった声が聞こえてきた。
その声がティナを
今にも泣き出しそうなほど目に涙を浮かべたティナがガタンと
それはモニターの中で身じろぎしている俺の体から聞こえてくる声だった。
『ティナ……俺を裏切りやがって。絶対に許せねえ』
俺は自分の耳を疑った。
その声は……確かに俺自身の声だった。
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