第14話 まやかしの姿

『ティナ……俺を裏切りやがって。絶対に許せねえ』


 俺が見つめるビジョンの中では、取調室の椅子いすに座っていたティナが壁にえ付けられたモニターを食い入るように見つめていた。

 そのモニターにはろうとらわれた状態の俺の体が映し出されている。

 その体には今、グリフィンの意思が乗り移っていて、勝手に俺の口を使って何やら恨み言をれ流し始めやがった。

 何なんだこのふざけた状況は。


『バレットさん? い、意識が……』


 いきなり俺がしゃべり出したと思ったティナは、仰天して目をいた。


『黙れ裏切り者。よくも俺をこんな場所に閉じ込めやがったな』


 それは間違いなく俺の声だが発しているのはグリフィンだ。

 腹立たしいことに奴は俺の体に乗り移り、ティナの前で俺を演じていやがる。


『バレットさん。本当にごめんなさい。私……』

『何を白々しい。俺を捕らえるために一芝居打ちやがったんだろうが。ウブな小娘だと思っていたが、とんだメギツネだったってわけか。まんまとだまされたぜ』

『ち、違います。あなたをだますつもりなんてありませんでした。聞いて下さいバレットさん』

『黙れっ! てめえの言葉はもう一切信用しねえ。その薄汚い口を閉じてろ』


 目の前で繰り広げられる聞くにえない茶番劇に、俺はうなり声をみ殺すことしか出来なかった。

 グリフィンが乗り移った俺の口からは情けねえ恨み言がとめどなく続き、それを聞いたティナは言い訳をする気力も失せてしまったかのようにガックリとうなだれている。

 くそったれが。

 どいつもこいつも本当にくそったれだ。


『俺を正常化してここに閉じ込め、たんまり褒美ほうびでももらったか? あのマーカスとかいうクソ野郎に俺が串刺しにされた時は内心でガッツポーズでもしてやがったんだろうが。ふざけやがって。てめえなんかを少しでも信用した俺がマヌケだったぜ』

『ご、ごめんなさい。何を言われても言い訳できないことは分かっています。だから私、あなたが元の姿でこの世界へ戻れるよう、全てを投げうってでも力を尽くしますから』

『だからてめえの言葉は信用できねえって言ってんだろ。そうやっててめえはとうとう俺の首輪の解除をしなかっただろうが。口だけなら何とでも言えるんだよ』


 その言葉にティナはグッと口を閉ざして押し黙った。

 何も言い返すことが出来ないんだろう。

 そりゃそうだ。

 ティナの奴がいつまでもグズグズと首輪の解除をしなかったのは事実だからな。


『てめえが俺をこんなブザマな運命に引き込んだ。こんな目にあうくらいなら、悪魔の臓腑デモンズ・ガッツの底であのまま生きめにされていたほうがよっぽどマシだったぜ』

『バレットさん……』


 ティナの目が悲しげに揺らぐ。

 あのまま悪魔の臓腑デモンズ・ガッツの底にいたほうがマシだった?

 本当にそうか?

 俺はグリフィンが俺の声で言ったことを胸の内で繰り返した。


「いや……違う」


 ケルをぶっ飛ばし、堕天使どもを叩きつぶし、上級種を打ち倒し、大ダコや海棲人マーマンにも勝った。

 どれもこれも地の底にうずくまったままだったら経験できなかったことだ。

 ティナなんかと知り合ったことは確かにくそったれな運命だったが、その後、歩んできた道を俺は後悔してなどいない。

 そんな俺の内心とは裏腹に、グリフィンの操る俺の口はティナを責め立てる。


びる気持ちがあるってんなら、今すぐに俺をここから自由にしてみせろ』

『そ、それは……』

『そら見ろ。出来もしないことを偉そうに語るんじゃねえよ。これだから天使は信用できねえんだ』


 浴びせられる罵倒ばとうにティナはくちびるんでうつむく。

 ガキめ。

 そんな程度でしょぼくれた顔してんじゃねえ。

 言われっぱなしでいねえで、言い返してやれ。

 俺に見せたような小生意気なところを見せろ。


 いつしか俺は忸怩じくじたる思いでティナの反撃を渇望かつぼうしていた。

 ティナは弱いくせに無鉄砲なところがあり、小心者のくせに生意気にも言い返してくる負けん気の強さがある。

 それがあいつの短所であり、長所でもあった。

 だが、あのアホは今ひどくおびえているように見えた。


 俺には何となく分かった。

 おそらくティナは自分がやったことが本当に正しかったのか、と自信を失っている。

 俺を裏切ったんだと思っていやがるんだろう。

 だからあんな不安げな表情で言われるままになっている。


 アホな小娘だ。

 裏切りなんざ、悪魔の世界じゃ日常茶飯事だ。

 だまされるほうが悪い。

 逆に誰かをだましたとして、してやったりと思いこそすれど気に病むことなどまずない。

 悪魔は気楽な稼業かぎょうなんだよ。


 だがティナはそう割り切れるほどきもが座っていない。

 天使だから、というわけではなく、ティナ個人の性格の問題だ。

 数日間行動を共にして分かった。

 あいつは自分の信念を貫くためなら勇敢になれるが、いざ信念が揺らぐような出来事が起きた時には、途端とたんにああして頼りなくなる。

 まだガキなんだ。


 グリフィンはメギツネなどと言ってティナを好き放題にののしるが、女悪魔リジーのような本当のメギツネを知っている俺に言わせれば、あいつは覚悟の足りないヒヨコに過ぎん。

 自分の使命に従って俺を切ると判断したなら堂々としてりゃいいんだ。

 それが出来ないからあいつは甘い。

 メギツネってのはそんなに甘い奴がなれるもんじゃない。


『悪魔の俺を利用してまんまと自分の使命を果たし、いらなくなったらさっさと切り捨てる。天使のかがみだな。てめえの大事な天使長様もあの世で泣いて喜んでるだろうよ。ティナは随分ずいぶんご立派になったってな』

『そ、そんなことは……』


 俺自身の声で続けられるティナへの恨み言を聞くうちに俺は、自分の心持ちを整理できるようになってきた。

 確かに俺をこんな目にあわせたティナの奴には腹が立つ。

 だが、もし仮に今あいつが俺の目の前にいたとして、俺は今グリフィンがしているようにティナをののしるだろうか。


「……ののしって何の意味がある? 罵倒ばとうしてティナをへこませてやればそれで満足なのか俺は?」


 自分が動けない状態でいくら相手に罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせたところで、そんなもんは負け犬の遠吠えだ。

 そうだ。

 確かに今こんな状況に甘んじている俺は負け犬だが、それでも俺はただえるだけの犬になった覚えはない。


 もし俺が今、グリフィンのようにティナと対峙たいじしたら何を言うだろうか。

 カッとなって、グリフィンが言っていたのと同じことを言うのか?

 いや、悪魔としての矜持きょうじにかけて、あんな情けなくイジけたような態度をとったりはしねえ。

 今ここで俺の命運が尽きるとしても、それは俺自身が選んで通って来た道なんだ。

 それをあんな小娘のせいにして、負け犬のようにギャンギャンえながらみっともなく死んでいくなんて……。


「そんなのはまっぴらゴメンだ」

 

 俺は他人を信用しない。

 俺は天使を信用しない。

 俺はティナを信用しない。


 だが、ひとつだけ変えようのない事実がある。

 それは俺がここ数日、自分の背中をティナに預けて戦ってきたという事実だ。

 そうしなければ生き残れない状況だったことは間違いない。

 背に腹は代えられないというやつだ。

 それでも1ミリも信用しない相手に背中を預けるほど、俺はマヌケでもお気楽でもない。


 戦いの瞬間。

 俺はティナを信頼したんだ。

 それは自分でも信じられないような行動だった。

 この俺が天使なんかを信頼していた?

 以前ならあり得ないことだ。

 俺は言い知れぬ居心地の悪さを覚える。

 だが、ティナと共に戦うことを選んだのは他ならぬこの俺自身だ。


「俺は……変わったのか?」


 俺が戸惑いながら視線をさ迷わせていたその時、再び例のウインドウが俺の目の前に唐突に表示された。

 そこには【HARM】という文字が示されている。

 HARM……【危害】ってことか?

 この文字は一体何を表していやがるんだ。


 戸惑いながらビジョンに目を移した俺は見た。

 ほんの一瞬のことだが、うつむいて下を見つめるティナの目の前のモニターに映る俺の顔が、ニヤリと口元をゆがめたのを。

 途端にモニターの中の俺の体はガクンと力を失った。

 それに気付いたティナがハッと顔を上げる。


『バレットさん? バレットさん!』


 ティナが何度も呼びかけるが、俺の体を占拠していたはずのグリフィンは反応を見せず、俺の体は再び物言わぬむくろと化していた。

 そしてそれからほどなくして再び俺の目の前に思考プログラムのグリフィンが姿を現しやがった。


「いかがだったかな? 私の熱演は。まるで貴様そのものだったろう? 喜んでいただけたなら幸いだが」


 得意気にそう言ってニヤつくグリフィンを俺はにらみ付けた。


「薄気味悪いんだよゲス野郎が。悪趣味な遊びをしやがって」

「遊び心が分からんとは悪魔の割に頭の固い奴め。だがなバレット、遊びはついでだ。ティナを精神的に追いつめて貴様に揺さぶりをかければ出てくるかと思っていたんだ。ビンゴだったな。【HARM】。暗号だ」


 こいつ……そのためにあんな真似まねを。


「【危害】か。危害からティナを守るための防御プログラムだというのに、それが暗号とは皮肉だな。やはり天使長様のお考えは我ら下の者には計り知れん」 


 敬意なのか揶揄やゆなのか分からん調子でそう言うと、グリフィンは再びそこから姿を消す。

 そして奴が次に現れたのは、ティナのいる取調室を映すモニターの中だった。

 グリフィンは再びマーカスの姿に戻っていて、ティナの前に姿を現したんだ。

 部屋の中に入って来たマーカスを見たティナは即座に立ち上がる。


『マ、マーカス隊長! 大変です。バレットさんが……』


 しどろもどろになりながら状況を説明するティナに、全てを知っているはずのマーカスは驚いたような顔で耳を傾けている。

 あの野郎。

 白々しい真似まねしやがって。

 胸の内ではこみ上げる笑いをみ殺しているんだろうよ。


『バレットが……? もしかしたらまだ不正プログラムの影響が抜け切っていないのかもしれん。とにかくティナ。本部に報告をせねばならぬから、共に来なさい』


 しかつめらしい顔でそう言うとマーカスはティナをともなって取調室を後にする。

 グリフィンの野郎。

 何を考えてやがる?

 いぶかしむ俺の目の前では、誰もいなくなった取調室の様子がそのまま映し出されていたが、やがて数分が経過した頃にその映像が唐突に切り替わった。

 そこで俺は息を飲んだ。


「どうなってやがる……」


 映像にあるのは資料室のような場所であり、せま苦しい配列のたなにぎっしりと各種の資料が詰め込まれていた。

 その一番奥の床に、両手両足を銀色のくさりで縛り上げられたティナが転がっていたんだ。

 俺が今見ているのは、そのティナを見下ろして立つ人物の目から見た映像だった。

 身動きの取れなくなったティナは愕然がくぜんとした顔でその人物を見上げて言う。


『……なぜあなたがこのようなことを? 答えて下さい! マーカス隊長!』


 やはりか。

 縛り上げたティナを見下ろしているこの人物はマーカスだった。

 誘い込んでから縛り上げたのか、縛り上げてから運び込んだのかは知らんが、マーカスはこの数分の間にティナをこの部屋に監禁したようだ。

 だが、マーカスの姿でティナを襲うのは意外だった。

 マーカスの体は便利な乗り物だとグリフィンが言っていたはずだが、謹厳実直きんげんじっちょくな上級天使の仮面をかなぐり捨ててティナに直接危害を加えることは相応のリスクをはらむからだ。


 このことが他の天使にバレちまえば、これまで疑われることなく天国の丘ヘヴンズ・ヒルの内部を探り回れたマーカスという便利な乗り物を捨てることになる。

 それでもティナの修復術を確実に手に入れられれば、後はもう用済みだと考えているのかもしれん。

 あるいはグリフィンが他にもマーカスのような乗り物を持っている可能性も十分に考えられる。


「いや、それだけじゃねえ」

 

 そもそもマーカスがティナから修復術を盗んだ後、ティナはもう不要どころか邪魔な存在になる。

 そうなれば奴は何らかの手段を用いてここでティナを始末するだろう。

 死人に口なしだから、後はもうマーカスとして何食わぬ顔で過ごしていくことも難しくはない。


『ずっとこの瞬間を待っていた。ティナ。おまえの持つ修復術。それを私に渡せ』

『な、何を……ハッ』


 そう言いかけてティナは息を飲み青ざめた。

 そして震えるくちびるで声をしぼり出す。


『あなたには……グリフィン氏の息がかかっているのですね?』


 ティナは知らない。

 目の前にいるのがグリフィンそのものだと。

 そりゃそうだろう。

 分かるわけがない。


『当たらずとも遠からずというところだな。とにかく私はおまえにあまり活躍されると困るのだよ。唯一無二のその力、おまえには荷が重かろう。放り出せば楽になるぞ』


 そう言うとマーカスは床に転がるティナの肩に手をかける。

 ティナはビクッと身を震わせてマーカスをにらみつけた。


『は、離して下さい! このようなこと、ライアン代表代理が知れば決して許されませんよ!』


 ティナは怒りの形相ぎょうそうで声を上げるが、マーカスはすずしげに笑みを浮かべて余裕のある口ぶりで言う。


『確かに。あの堅物かたぶつのライアン殿が知ったら、私は厳罰どころではないそしりを受けることはまぬがれないだろう。知られたら……の話だがな。ティナ。ここは閉じられた空間だ。いくら声を出そうが暴れようが外部には聞こえない』


 そう言うマーカスの目は怪しげな光をたたえていた。

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