第12話 裏切りの破戒天使

 突如として俺の前に姿を現したのは、上級天使ではあるがマーカスとはまったくの別人だった。

 だが、俺はどこかでその男の顔に見覚えがあった。

 鋭い目付きと灰色の短髪。

 体つきはマーカスよりも二回りは小柄こがらだ。


 こいつ……どこで見たんだったか。

 俺が記憶の中を探り続けている間、その男はまるで俺の記憶の糸がつながるのを待っているかのように、おのれの姿をさらして微動だにしない。

 そのたたずまいに異様な雰囲気を感じ、俺は男をにらみつけた。


「てめえは……何者だ? 何しに来やがった」


 突っかかるような俺の問いにも男は口元にすずしげな微笑を浮かべて答えた。


「我が名はグリフィン。これでも上級天使のはしくれでな」


 グリフィン……そうだ。

 こいつは確か、ティナがその行方ゆくえを追っているという疑惑の人物だった。

 天国の丘ヘヴンズ・ヒルの潜入捜査官として地獄の谷ヘル・バレーに乗り込んでいたこいつは、不正プログラムを取り締まるべく不正者の特定とリスト作りをしていた。

 だが、こいつは不正プログラムの生みの親である堕天使だてんしキャメロンと接触し、不正プログラムをゆずり渡された。

 その後、忽然こつぜんと消息を絶ったこいつを捜索するために放たれた天使の追手も、恐らくはこいつに消されたとのことだった。


「おたずね者がこんな場所に現れやがったか」

「ほう。私を知っていたか。ティナに聞いたな。これは前言撤回をしなければならん。守秘義務を破り、そんな秘密をらしてしまうとは愚か者めが。ティナはよほど貴様に心を許していたのだな」

「物質の存在しないこの場所には出てこられないんじゃなかったのか? さっきと話が違うぞ」

「勘違いさせてすまないね。肉体のあるマーカスの姿のままでは出てこられないが、実体のないこちらの姿ならいくらでも可能なんだ」


 グリフィンはすずしげな顔でそう言った。

 実体がない?

 どういうことだ。


「私のことをティナから聞いたんだろう? いくら捜索しても見つからない、と。それはそうだ。私は自分の肉体を捨てて、思考プログラムだけの存在となったのだから、いくらゲーム内を探してもグリフィンなどという男が見つかるはずもない」


 肉体を捨てて思考プログラムだけの存在になっただと?

 何だかワケの分からない話すぎて言葉が出ねえ。

 だが、そんな荒唐無稽こうとうむけいな現象も、こいつが不正プログラムの保持者だってなら途端とたんに現実味を帯びてくる。

 そう考えてしまうほどに、俺は不正プログラムの威力を見せつけられてきたからな。


「さっきのマーカスってのは何だったんだ?」

「数ある私の人形のうちの一つさ。私はこの思考プログラムのままだと、ゲームのフィールド内に存在することが出来ないんだ。だからマーカスは天国の丘ヘヴンズ・ヒルで活動するための便利な乗り物なんだよ」


 そういうことか。

 自分自身は思考プログラムだけの存在となり、地上で活動する時には実体を持つNPCの中に乗り移る。

 ティナの話によればグリフィンは潜入捜査官として隠密おんみつ行動にけていたというから、そのくらいはお手のものなんだろう。

 マーカスのような乗り物をいくつも用意しているとすれば、グリフィンを発見するのは困難を極める。

 いや、ほとんど不可能に近い。


「それで? 神出鬼没の手配犯がわざわざ姿をさらしてまで、俺から一体何をしぼり取ろうってんだ? てめえの利益になるようなもんを俺が持っているとでも思ってんのかマヌケ野郎」


 そう言う俺にグリフィンはニヤリと口のはしを吊り上げる。

 天使のくせに悪魔のような禍々まがまがしい笑みを浮かべてグリフィンは言った。


「ティナの中に天使長様が残した防御システム。それが邪魔なんだ。修復術を盗もうとしてもブロックされてしまう」


 その話に俺はまゆを潜めた。


「以前にティナの体から修復術を盗み出そうとしたことがあるような口ぶりだな。ティナの奴はてめえには直接面識がねえと言っていたぞ」

「確かにグリフィンとしてもマーカスとしてもティナに直接の面識はない。だが、私はここ数日、ずっとティナを監視していた。ティナが気付かなかっただけでな」

「監視だと?」


 ここ数日でティナを監視していたってことは、あいつと行動を共にしていた俺のすぐ近くにもこいつがいたってことか。

 そんな馬鹿な……。

 俺をあざ笑うようにグリフィンは陽気な調子で話を続ける。


「今、貴様が考えている通りさ。私は貴様のこともよく知っているよ。まあ、まだまだ数日の付き合いだがな」


 俺は必死に頭をめぐらせる。

 こいつは思考プログラムの状態ではフィールド上に存在することが出来ないと言った。

 仮にそれが本当だとしたら、どんな形で俺たちを監視していたのか。

 ティナの持っていた保護色マントのように姿を消すアイテムを使っていたのかもしれない。

 

「それでも貴様とティナの様子を見ているうちに、ふと頭にある可能性が浮かんだんだ。ティナの防御システムを解くかぎが貴様の中に隠されているんじゃないか、とな」

「ああ? 馬鹿も休み休み言え。そんなもんを受け取った覚えはねえよ」

「ふっ……ククク」


 俺の言葉にグリフィンはのどを鳴らして笑う。

 その小馬鹿にするかのような笑い方に俺はイラついて声を荒げた。


「何を笑ってんだ。この野郎」

「これは失敬。貴様があまりにも無知でおろかだからつい笑ってしまったよ。ここはあわれんで差し上げるところだったかな?」

「ナメてんじゃねえ!」


 怒りを爆発させようにも振り上げる拳がない。

 くそったれが!

 そんな俺に構わずにグリフィンはキザな仕草でパチンと指を鳴らして見せる。

 途端とたんに奴の背後に大型のビジョンが浮かび上がった。

 そこに映し出される光景に俺は思わず息を飲む。


『バレット様。この子の小さな体と小さな勇気を守って下さり、感謝いたします』


 それは上級種どもとのとりでの戦いの最中、様子がおかしくなったティナが発した言葉だった。

 その映像にはティナのただならぬ様子が映し出されているが、それは俺がこの目で見ていたものと思しき映像だ。

 俺の記憶の中の映像か?

 そう思った俺だが、注意深くそのビジョンを見つめるうちに、すぐにあることに気が付いた。


 これは……俺の目から見た映像じゃねえ。

 その映像は俺の目線よりも微妙に下方からのアングルであり、なおかつわずかに後方からの視点になっていると気が付いた。

 まるで俺の肩の上に置いたレンズから撮影しているかのような映り方だ。

 そこで俺はある可能性に思い至り、ハッとしてグリフィンを見た。


「こいつは盗撮だな。俺のすぐそばに監視用の妖精でも放ってやがったか」


 天使どもは監視用の妖精を使役することがある。

 その妖精が記録していた映像なのだとしたら、不自然ではない。

 だが、俺がその妖精の存在に気付かなかったのは妙だ。

 この映像が撮影できるほど近くにいたとしたら、たとえ羽虫程度の小さなものだとしても必ず気付くはずだ。


「そこまで気付いたかバレット。だが惜しいな。またしても50点だ」


 そう言うとグリフィンは鷹揚おうような仕草で首を横に振って見せる。

 その背後のビジョンの中に映し出されているのは、ティナが聖光透析ホーリー・ダイアリシスとなえた途端とたんにその小さな体がまばゆい光に包まれ、そして頭上の輪が3つに増えて猛烈にかがやき出す場面だった。

 あの後、ティナは強烈な攻撃で上級種のアヴァンを圧倒したんだ。


「ちなみにこの聖光透析ホーリー・ダイアリシスは天使長様の固有スキルだ。それは我々天使ならば誰もが知っている。このスキルを使えるのは天使長様だけだということもな。いかんせん天使長様の力が強すぎて、ティナの貧弱な体ではおそらく1分と続けられないだろうが、万が一の際の防御プログラムとしては十分だろう。だが、これほど強大な力をティナの体内に収め続ければ、必ず無理が生じる。その結果がこれだ」


 グリフィンがそう言って再び指をパチンと鳴らすと後方の映像が切り替わり、先日の海上での堕天使どもとの戦いの場面が映し出される。

 クローズアップされているのはティナが暴走して体から桃色の光を無差別で放射している場面だ。


「……天使長の力の影響でこの暴走が起きたってのか?」

「その因果いんが関係は確定には至っていない。だが、私は間違いなくその影響が一番大きな要因となってティナの体をむしばんでいると考えている」


 フンッ。

 確かにあの異常な強さはティナのちびっこい体には重すぎる。


「だが天使長様も考えもなしにティナにそんな力を残しているはずがない。ティナに負担がかかり過ぎた時のために必ずその力をティナの体から切り離すかぎを残しているはずだ。それも普通じゃ考えられないような方法でな」

「ケッ。それを俺が持っているだと? てめえの目は大した節穴ふしあなだな。そんな重要なもんを俺みたいな一介の悪魔にたくすはずがねえだろうが。それとも天使長はそんなに能無しなのか?」


 そう言った途端とたん、俺は再び激痛に襲われた。


「うぐあああっ!」


 グリフィンの野郎がまたもや奇妙な力を使いやがったんだ。


「口をつつしみたまえよ。こんな悪行に身を染めてはいても私は曲がりなりにも天使なんだ。ロールアウトされた瞬間から天使長様への敬意をこの身に植え付けられている。だから天使長様を悪く言われると無条件にこの体が反応してしまうんだよ」


 くっ……。

 天使長への背信行為を働いているくせに、こいつがいまだに天使長様などど敬称をつけて呼ぶのはそういう理由かよ。


「それに私がそのかぎが貴様にたくされていると考えたのには根拠がある。ティナが貴様につけた首輪だ」


 グリフィンがそう言って指を鳴らすと、再び大型ビジョンの映像が切り替わる。

 それは悪魔の臓腑デモンズ・ガッツの外に広がる森の中の光景だった。

 ティナの奴が俺の首輪解除をしようとして失敗した場面が映し出されている。

 それにしても俺は一体いつから隠しりされていたんだ?


「運営本部がこの首輪の解除プログラムをティナから要請されたと聞き付けた私は、マーカスの体を使い、その運搬役を買って出た。その際にそのプログラムを分析し、首輪の構造を割り出したんだ。そして首輪の中にかぎが隠されている可能性に目をつけた」


 そうか……ティナが言っていた。

 グリフィンは潜入捜査官になる前は分析官だったと。

 専門家のこいつなら、その程度のことは簡単に分かるんだろうよ。


「この首輪を解除できるのはティナだけであり、首輪をハメられた本人はティナに危害を加えることが出来なくなる。ティナの修復術を奪おうとするやからがティナ本人を捕まえても、防御システムを解くかぎが無ければ修復術を盗み取ることは出来ない。そのかぎがまさか貴様の首輪の中にあるとは誰も思うまい。そしてティナ本人はこのことを一切知らされていないため、仮にとらわれて拷問ごうもんを受けてもこの秘密がバレることはない。なかなかうまく考えられた仕組みだ。さすがは天使長様」


 饒舌じょうぜつに持論を語るグリフィンにムカついて、俺は怒りの視線を向けた。


「そもそもてめえはティナの修復術を盗んで何をするつもりだ? 不正プログラムを扱い切れなくなって修復術に頼らざるを得なくなったか? ならあの見習いのチビに頼んで修復してもらえばいい」

「ハッハッハ。これは心外だな。私はこれでも不正プログラムを誰よりもうまく扱っているつもりなんだが。あのディエゴという上級悪魔などよりははるかにね。だが、貴様の話には一理ある。不正プログラムを毒としたら、修復術は薬だ。そして毒は時に恐ろしい反応を見せることがある。だからそれを抑え込むための薬は欠かせない。従って私はその両方を手にすることにしたんだ。至極当然な論理だろう?」


 世界をゆがませる不正プログラムとそれを元の姿に戻す修復術。

 その2つを自由に操れるようなれば、たしかにこの世の多くがこいつの思うがままになるだろう。


「その両方を手にしてどうする? ティナを排除して自分が天使長にでもなるつもりか?」

「おいおい。私はそこまで俗物じゃない。それに貴様ら悪魔の長とは違って、我々は天使の長になる資格はない。たとえ上級職であってもな。天使長の位にく者はティナのようにあらかじめ定められて生まれてくる。働きアリがいくらがんばっても女王アリにはなれないのと同じことだ。それに私は天使をたばねる存在になりたいとは思わん。こう見えても出世欲は薄くてな。地位や名誉といったものには魅力を感じない性分なんだ」


 うそくさい笑顔でそう言うグリフィンのまどろっこしさに俺は苛立いらだった。


「だったら何が目的だ? 堕天使キャメロンの後釜あとがまにでも収まって、この世界をぶっつぶそうってのか?」


 キャメロンは堕天使の王となって不正プログラムで天国の丘ヘヴンズ・ヒル地獄の谷ヘル・バレーの両方を破壊しようと目論もくろんだという。

 俺の言葉にグリフィンはわざとらしく悲しげな表情を作り、まるで死者をいたむかのように両手を組み合わせていのりのポーズを見せた。


「当たらずとも遠からずだな。確かにキャメロン殿の計画は壮大だった。だが、私と彼は違う。彼は破壊そのものに重点を置いていたが、私にとって破壊は手段でしかない。世界を全て壊し尽くそうなどとは思っていないし、そんなことに労力を使いたくはない。邪魔なものだけを壊す。まあその過程で他のものが壊れたとしても私の知るところではないがな。ククク……」

「何だか知らねえがてめえの目的のために俺はこんな目にあって、今ここでてめえのクソみたいな話を聞かされてるってことか。大迷惑な話だ。俺がどんなに頭に来てるか分かるか? 今すぐてめえのそのニヤケ面を人相が変わるほどボコボコにしてやりたいぜ」


 怒りを吐き出すことしか出来ないなら盛大に吐いてやる。

 ムカつくことにグリフィンはまったくすずしげな顔をしていやがるが。


「怒るだけ損だぞバレット。出来もしないことを口にするのも馬鹿げている。貴様はいつも拳で物事を解決してきたからこの歯がゆい状況に黙っていられないんだろうが、今の貴様に出来ることは私と人生最後のおしゃべりを楽しむことくらいだ」


 そう言うとグリフィンは再びパチリと指を鳴らす。

 すると奴の背後の映像が切り替わり、俺が見たことのない都市の景色が映し出された。

 その映像の中では、たくさんの巨大な建物群が競うようにそびえ立ち、その根元となる地上ではまるでアリの大群のような大勢の人間たちが行き交っている。

 そして人間たちの横をひっきりなしに往来おうらいしているのは、馬が引っ張っていないにも関わらず自走する馬車だ。

 

 この地獄の谷ヘル・バレーの中央都市のであれに近いものを数回だけ見たことがある。

 確か魔力で車輪を走らせる車だった。

 金持ちの悪魔が使う偉そうなシロモノだ。


 それにしてもあんな大量の車が走っているってことは、あの街の人間どもは皆、魔法使いか何かなんだろうか。

 車があんなに大量に列を成している様子は見たことがない。

 あそこは一体どこなんだ?

 まるで異世界か未来の世界のようだ。


「驚いたかバレット。あれはな、このゲームの外側の世界だ。このゲームを作った者たちやプレイヤーたちが住まう場所なんだ。私はこのゲーム世界から抜け出してあちら側の住人になりたいんだよ。そのために……この世界から抜け出すために毒と薬の両方が必要なんだ」


 そう告げたグリフィンの顔は、それまでのニヤケ面から一転していた。

 理解不能な絵空事を語るグリフィンの表情は真剣そのものだった。

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