第三章 『絶海の孤島』

第1話 新たなる道

 上級悪魔アヴァンとディエゴを相手にした死闘の夜が明け、水平線の彼方から朝の太陽が昇る。


「せっかくの歴史あるとりでがこんなことに……」


 上級種どもの襲撃を受けて木っ端微塵こっぱみじんに破壊された海辺のとりでを前に、ティナは呆然ぼうぜんと立ち尽くしながらそう言った。

 かつて魔王になる前のドレイクが居を構えていたそのとりで瓦礫がれきの山と化し、もはや見る影もない。

 ティナの修復術は不正プログラムによって変質した物体を元の姿に戻すことは出来るが、それ以外の方法によって破壊されたものを元に戻すことは出来ない。

 アヴァンの爆風によって破壊されたとりでを建て直すことは運営本部でもない限り不可能だろう。


「ま、ここを戦場に選んだ以上、被害が出るのは必然だったんだ。仕方ねえさ。運営本部の奴らが修復する気があるならそうするだろうよ」


 とりでが壊されたことを俺はこれっぽっちも悔いちゃいない。

 だが俺の言葉にもティナは浮かない顔で俺を見る。

 上級種との戦いに勝ったってのに、こいつがそんな顔をしている原因は1つだ。

 ディエゴによって断絶凶刃コンティニュー・キャンセラーの刃をこの身に浴びた俺は、コンティニューが出来ないという不具合を体に抱えたままだった。


 ディエゴが死んだ後も俺の体からは呪いが消えなかった。

 それは戦いの最中にティナが俺に正常化ノーマリゼイションの施術を行っても変わらなかった。

 ディエゴが持っていたオリジナルの断絶凶刃コンティニュー・キャンセラー

 その呪いは刃という物質自身が持つものであり、それを解除するためのシリアル・キーが無ければ呪いを解くことは出来ないらしい。

 

 そのシリアル・キーを解析するためには今、ティナの奴に預けてあるまわしい刃を天国の丘ヘヴンズ・ヒルの本部で解析をする必要があるという。

 ティナは己の能力不足だと嘆いていたが、俺はそんなに悲観していなかった。


鬱陶うっとうしいから、いい加減にその辛気しんきくせえツラを改めろ」

「だって……バレットさんは今、大変な苦境にあるんですよ?」

「そうでもねえさ。むしろ楽しいくらいだぜ。ライフが尽きたら終わりってのも、なかなかスリリングじゃねえか」

「な、何をノンキなことを……とにかくこの断絶凶刃コンティニュー・キャンセラーは必ず本部で解析し、バレットさんの呪いを解きますから」


 鼻息荒くそう言うティナだが、俺にはそんなことよりもこの首輪の方がよほど忌々いまいましかった。


「分かった分かった。それについちゃ任せる」

「は、はい! お任せ下さい」

「それより明日の首輪解除は間違いなく行われるんだろうな? 前みたいに失敗しやがったら……」


 俺はそう言ってティナをにらみ付ける。

 明日はいよいよ天国の丘ヘヴンズ・ヒルから首輪解除プログラムが支給される日だ。

 ティナと遭遇そうぐうしてからずっと俺の首にまとわりついてきたこの忌々いまいましい首輪を、ようやく捨て去ることが出来るんだ。

 この首輪のせいで俺の攻撃力は半減しちまってる。

 我ながらそんな状態でよく上級種どもとの戦いに生き残れたもんだぜ。


「大丈夫です。天国の丘ヘヴンズ・ヒルからのプログラムを信じましょう。今度こそバレットさんの首を自由にしてみせます」


 自信たっぷりにそう言って胸を張るティナに俺は疑念の眼差まなざしを向け、ため息をついた。

 とても信じる気にはなれないが、それでもこいつに任せるより他に仕方ねえ。

 ティナは少し気分が落ち着いたのか、気を取り直して言った。


「ところでバレットさんは首輪を解除したら、この先どうされるんですか?」


 ティナの問いに俺は自分のこの先の身の振り方に思いをせる。

 またいつもの暮らしに戻るか。

 悪魔の臓腑デモンズ・ガッツでの鍛錬たんれんや辺境でのケンカに明け暮れる日々。

 俺がこれまで暮らしていたのと変わらぬ日常。

 だが……今ここに至ってそこに戻ることを想像すると、少しばかりの違和感がある。


 俺は目の前のティナを見据みすえ、この数日間のことを思い返した。

 このガキに出くわしてからの数日は、俺がそれまで経験したことない珍妙ちんみょうな出来事の連続だった。

 そうした出来事の末に俺は上級種とやり合って、それでも生き延びることが出来たんだ。

 以前だったら考えられないことだ。


 下級悪魔としてのステータスが上限値を迎えて成長が頭打ちになり、立ち止まっていた俺。

 だが、今回のことで俺は一つ悟った。

 それまで経験したことのない状況に足を踏み入れることで、自分自身にも劇的な変化が訪れることがある。

 それは俺の今後の生き方の指針になるような気がした。

 俺自身、何かを大きく変える時期に来ているんじゃないだろうか。

 

「俺は……旅に出る」


 ふと口をついて出たその言葉が、今自分が真に望んでいることなんだと俺は実感した。

 俺は旅に出る。

 

「旅……ですか。もしかして私に触発されました?」


 ティナは旅という言葉を聞くと意外そうな顔でそう言った。

 確かにこいつも上からの命令とはいえ、単身で敵地に乗り込んでいる。

 それも命知らずにも見習いの身で。

 こいつが多くのことから経験値や知識を得ていることは想像にかたくない。

 

「生意気言うな。とにかくまずは明日だ。偉そうなことは明日の首輪解除を確実に終わらせてから言いな。それまで俺の目の届く範囲にいろよ。もしどこかに逃げやがったら……」

「あの、それなら私、ドレイクの書棚にあった帳簿ちょうぼを探してきます。せっかくの貴重な資料ですから」

「あ? アヴァンの爆風でもう燃えちまってるかもしれねえぞ。ま、好きにすりゃいいさ」


 俺の言葉にうなづくとティナは小走りで瓦礫がれきの山へと足を踏み入れていった。

 この中から帳簿ちょうぼを見つけようってんだから、ご苦労なことだ。

 俺は崩れ去ったとりでをあらためて見渡し、昨夜の激闘を思い返す。

 アヴァンの奴を最後にほうむり去った俺の技、炎獄螺旋魔刃脚フレイム・スクリュー・デビル・ブレード

 ぶっつけ本番にしては上出来だった。


 ま、アヴァンの奴に致命傷を与えたのはティナの仕業しわざだってことが気に食わねえけどな。

 俺は虫の息になったアヴァンにトドメを刺しただけだ。

 それでも俺のスキルのレパートリーが増えたことは事実だった。


「それにしても……一体ありゃ何だったんだ」


 帳簿ちょうぼを探して瓦礫がれきの中を駆けずり回るティナを見ながら俺は昨夜のことを思い返した。

 あの非力な見習い天使のティナが、とてつもない力でアヴァンを圧倒しやがったんだ。

 今、思い返してみても身震いするほどの強さだった。

 それだけじゃなくその口調や立ち振る舞いからして、まるで別人がティナの体に乗り移ったようにしか思えなかった。

 

「ああなったのは、あいつが気を失った後だったよな」


 ティナの姿をして俺に語りかけてきたのが誰だったのかは分からない。

 俺はまだティナにその時のことは話していない。

 ティナ自身も気を失っていた間のことは何も覚えていないようで、俺が自分の力だけでアヴァンにトドメを刺したものだと思い込んでいた。

 ……あいつには何か隠された秘密がある。

 ティナ本人も自覚していない何かが。

 

 別にそれをあばこうとも思わねえし興味はねえが、世の中にはあんな圧倒的な強さがあると思うと、俺の胸の奥で何かがうずいた。

 自分には到底とうてい登れない山の頂点を見上げているような、羨望せんぼう嫉妬しっとのないぜになった、そんな気分だった。

 俺がそんな気分をみしめていると、ティナは瓦礫がれきの下からようやく見つけた数冊の帳簿ちょうぼを手にトボトボと戻って来た。


「見つけられたのはこれだけです。後は焼失してしまったのかもしれません」


 肩を落としながらそう言うティナが手にした帳簿ちょうぼは、爆風の影響でげて黒ずみ、ヨレヨレになっている。

 

「それでも、少しだけでも残って良かったです。貴重な資料ですから」

「そんなもん持ってきてどうすんだ?」


 あきれる俺にティナはやや困ったように笑う。


「分かりません。どこかに寄贈することになると思いますが、しばらくは私が持っていることになりそうですね」


 そう言うとティナは手に持った帳簿ちょうぼをパラパラとめくる。

 だがふいにその手を止めた。


「あ、あれ? これは……」


 ティナが手にしていたのは数冊ある帳簿ちょうぼのうち一番分厚いもので、そのページの真ん中に四角くくり抜かれたあなが現れた。

 そのあなの中には白く小さな包み紙が入っている。

 本の中に物を隠すときの常套じょうとう手段だな。

 ティナは不思議そうにそれを取り出し、俺に目を向けてくる。


「これは……何でしょうか? バレットさんは何かご存知ですか?」

「さあ。そんなもんが隠されてるのも知らなかったぜ」


 確かに俺が昔このとりでで暮らしていた時に見つけた帳簿ちょうぼの山だが、さして興味がなかったこともあり、全てに目を通したわけじゃない。

 というか大半はさわりもしなかった。


「そうですか。こんな隠し方をするってことは、ドレイクにとってそれなりに重要な物だったんじゃないでしょうか」

「そうか? そもそも重要な物ならこのとりでに忘れていったりしねえだろ」

「まあ、そうですけど……開けてみても大丈夫でしょうか?」

「開けたら煙がブワッと出てきて、一瞬でババアになるかもしれねえぞ」

「お、おどかさないで下さいよ。バレットさんも子供っぽいところありますよね」


 ティナは口をとがらせてそう言うと、おずおずと白い包み紙を開けていく。

 すると包み紙の中に入っていたのは一枚の黒い腕章だった。

 腕章か。

 前に上級種が気取って高価な腕章を腕に着けているのを見たことがある。

 自分の位の高さを誇示こじするための見栄っ張りのアイテムだとあざ笑ったもんだ。


「かなりしっかりとした作りの腕章ですね。高価な糸を使っているようです。値打ち物かもしれません」


 そう言ってティナは腕章を俺に手渡した。

 受け取った俺がそれを広げると、黒地の腕章には赤字の刺繍ししゅうで何やら炎のような模様もようが描かれている。

 そしてそれは確かにしっかりとした作りをしていたが、それがただの布で作ったものではないことが俺には手触てざわりですぐに分かった。


「こいつは皇糸虫こうしちゅうの糸を使って織った特殊な布だ」

皇糸虫こうしちゅう?」


 皇糸虫こうしちゅうってのは精密な魔力のこもった糸を吐き出す虫だ。

 その糸で作られた布は、それ自体が強い魔力を持つ。

 俺の話にティナは感心したようにうなづいて言った。


「そんな虫がいるんですか。初めて聞きました」

皇糸虫こうしちゅうは数が少ない希少種なんだ。しかも飼育下じゃ産卵しねえから養殖もできねえ。天然ものを捕まえてきて糸を吐き出させるしかねえから、この布は入手困難なんだよ」

「そうなんですか。バレットさんって意外と物知りですよね」

「フンッ。俺の着ているこの胴着がまさにその布で作られているからな」


 この鳳凰黒衣フェニックスは俺の炎にも耐えられる特殊な生地きじで作られている。

 それこそが皇糸虫こうしちゅうの作り出す糸でつむいだ布だった。


「戦利品か贈答品か分からんが、まあドレイクには大して重要なもんでもなかったんだろ。どう見ても未使用のままだし自分で使わなかったからしまったまま忘れたんだろうよ」


 そう言いながら俺は腕章を裏返して見た。

 すると裏地には緑色の刺繍ししゅうで文字がほどこされている。


【For Drake】


 それを見たティナが思わず目を大きく見開いた。

 

「バレットさん。これ、たぶん女性からの贈り物ですよ。も、もしかして天使長さまから贈られた品では? 絶対にそうですよ。それをドレイクは大切にしまっておいたんですよ」


 ティナは途端に顔をかがやかせてそうまくし立てる。

 鬱陶うっとうしい奴め。 

 

「ケッ。分からんぞ。他に女がいたのかもしれねえだろ」

「な、何でそういうこと言うんですか。バレットさんは意地悪です」

「うるせえ。どちらにしろドレイクはもうこの世にいねえんだ。そんなもん売って金に換えるくらいしか使い道がねえよ」

「売るなんてとんでもない! これは私がお預かりします」


 そう言うとティナは腕章を包み紙にしまおうとしたが、そこでふいに手を止めた。

 それから何かを考え直したような顔で俺に視線を移す。


「これ、バレットさんが着けてみたら意外と似合うんじゃないでしょうか」

「はあ? 突然何言ってんだ?」

「ちょっと着けてみて下さいよ」

「ふざけんな。冗談じゃねえ。腕章なんざ誰が着けるか」


 それでも構わず腕章を手ににじり寄って来るティナを俺は手で押しのけようとした。

 その途端とたん……。


【敵意認定】


「イデデデデデデッ!」


 俺の目の前にクソ忌々いまいましいコマンド・ウインドウが表示され、俺の全身に一瞬の激痛が走り、すぐに力が抜けていく。

 ティナに危害を加えようとしたと見なされ、この首にハメられた首輪が久々に発動しやがったんだ。

 く、くそっ……。


「もう。おとなしくしないからですよ。バレットさん」


 俺が無力化している間にティナの奴はしれっと俺の腕に腕章をはめやがった。

 いきなり何を考えてやがるんだ、こいつは。

 そう思ったその時、唐突に俺のメイン・システムのウインドウが開き、各種能力値に変更が加えられた。

 俺の全てのステータスが10%ずつアップしたんだ。


「な、何だこりゃ?」

「この腕章。ただのかざりじゃなくて、強化アイテムみたいですよ」

「おまえ。それを知ってたのか?」


 あきれてそう言う俺にティナはニッを笑みを浮かべ、一枚の紙を見せた。

 折り目のついたそれは腕章を包んでいた紙だ。


「先ほど気付いたんですけど、この腕章の説明が包み紙の裏に書かれていました。ドレイクは説明書で腕章を包んだようですね」


 ステータスが上がるのは歓迎だが、こんなキザったらしい腕章を……ん?

 その時、俺が見ている目の前で腕章に奇妙な変化が起きたんだ。

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