第2話 次なる指令

 俺が首輪の力で無力化されている間にティナによってこの腕に巻かれたドレイクの腕章は、まるで俺の皮膚ひふの中に溶け込んでいくかのように消えた。

 そして驚いたことに腕章の赤い模様もようだけがまるで炎の刺青タトゥーのように俺の腕に残ったんだ。

 俺のステータス上は腕章を装備したままになっているが、これならば腕章を身に着けてるようには見えない。

 それを見たティナはなぜだか感動したような面持おももちを見せて言う。


「こ、これは多分……ドレイクへの心遣こころづかいじゃないでしょうか。もしかしたらドレイクもバレットさんのように腕章みたいなかざり気を好まない人だったのかもしれません。やはりこれを贈ったのは間違いなく天使長さまですよ。ドレイクの性格を見越して、目立たずに装着できるよう魔法で細工さいくをしたんだと思います」


 なるほどな。

 魔力を通せる皇糸虫こうしちゅうの糸でんだものなら、そういう細工さいくが自在に出来てもおかしくはない。


「すみません。突然変なことして。でも腕章を見ていたら、これはバレットさんが身に着けるべきなんじゃないかって、そんな気がして……」

「とにかく、そんなことはどうでもいいから早くこの状態をなんとか……」


 俺がそう言いかけたその時、俺の視界に再びティナのコマンド・ウインドウが浮かび上がる。


【敵意認定解除】


 途端に俺の体は息を吹き返したように動き出した。

 俺はムクリと上半身を起こすと、目の前のティナをにらみ付けて悪態をつく。


「くそっ。明日解除だってのに最後の最後で腹立たしい。おまえはもう俺に近づくな」

「バレットさんが私に敵意を向けなければ済む話です。もっとおだやかな心で他者に接してみて下さい。あの……ケルの岩山や昨夜のとりでで私を守ってくれた時のバレットさんは……ゴニョゴニョ」

おだやかな心? そんなもん俺が持ってると思うか? ねえよ。一滴もな」

「わ、分かってますけど! 分かって……ますってば」


 何やら顔を真っ赤にしてほほふくらませるティナのそのほほを俺はヒョイッとつまんだ。


「ふえっ? な、何を……」


 目を白黒させるティナに構わず、俺は軽くそのほほをつねってやった。

 こうして触ってみても今は何も起こらない。


「ったく。何をもって敵意認定してるんだか知らねえが、おまえはつくづく変な奴だ」

「へ、変なのはお互い様です。もうっ!」


 そう言って俺の手を払いのけ、そっぽを向くティナだが、ふくれっツラの割にその口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。

 本当に……変な奴だ。

 その時、肩をすくめる俺の目の前でティナのコマンド・ウィンドウが再び開き、ある通知が表示された。


秘匿ひとく通信:本部より】


 それは天国の丘ヘヴンズ・ヒルからティナへの連絡だった。

 その内容を確かめたティナの顔がパッと明るくなる。


「これは……バレットさんが待ちに待った朗報ですよ」


 そしてティナは海の彼方かなたを指差して俺に言った。


「バレットさん。先日、リジーさんと話していましたよね? この海を越えて天国の丘ヘヴンズ・ヒルに向かう途中にある中立の島のことを」

「島? ああ。フーシェ島のことか。それがどうした?」


 目の前に広がるこの海は天国の丘ヘヴンズ・ヒル地獄の谷ヘル・バレーを分けへだてる境界線だ。

 だが、この海の沖にはどちらの国にも属していない中立の島、フーシェ島がある。

 俺は訪れたことはないが、それほど大きくはない無人島だ。


 つい先日、リジーが持ちかけてきた話の目的地でもある。

 アヴァンやディエゴがそこで何やらたくらみ事をしていたらしい。

 俺がリジーと話していた間、たぬき寝入りを決め込んでいたティナは、やはりその話も聞いていたようだ。


天国の丘ヘヴンズ・ヒルの沿岸で作戦行動中の私の先輩が明日、そのフーシェ島まで支援物資を持ってきてくださるそうです。私のアイテム・ストックに補充するために。その際にバレットさんの首輪解除プログラムをもらえることになりました。同時にこの断絶凶刃コンティニュー・キャンセラーも分析を依頼します」


 ようやくか。

 その話に俺は安堵あんどを覚えたが、わざわざ沖合の島まで出向かなきゃならねえのかよ。

 それも面倒くせえな。

 

「プログラムは電送させろ。フーシェ島くんだりまで何で俺が出向かなきゃならねえんだ」

「いや、別にバレットさんは来なくてもいいですよ。私1人で取って来ますから」

「おまえはアホか。そうしたらおまえは俺の首輪の解除もせずに労せずして逃げおおせるだろうが。そんな勝手を俺が許すと思うか? ねえよ。万にひとつもな」

「い、今さら逃げませんよ。人を疑うそのくせ、少しは直したらいかがですか」


 ゲンナリとした顔でそう言うティナだが、いよいよ明日が首輪の解除ってときにこいつに逃げられたりしたら俺はとんだマヌケだ。

 そんなリスクのある選択をするわけねえだろうが。


「うるせえだまれ。仕方ねえから俺もフーシェ島に行ってやる。そんでおまえの先輩とやらに直接文句を言ってやる。ウダウダ言うならぶっ殺して解除プログラムを奪うからな」

「ハァ。そういうことを言うからバレットさんを連れて行きたくないんですよ」


 ため息をつきながらそう言うとティナは仕方ないといった感じで肩をすくめた。


「それなら一緒についてきて下さい。わざわざ来て下さる先輩に対して電送してほしいなんて私は言えません。ご好意を無にする非礼な振る舞いですから。でもバレットさん。お願いですから先輩や私の同胞たちと絶対にケンカをしないで下さいね」

「そりゃ保証できねえな。俺は天使どもが大っ嫌いだからよ」

「もう!」


 ふくれっツラを見せるティナを無視して俺はこの先の身の振り方について考えた。

 先ほどティナに言ったが、俺はこの辺境を離れて旅に出る。

 これ以上この辺境にいても成長は見込めねえだろうから、どこか別の場所へと移住したいところだ。

 かといって地獄の谷ヘル・バレーの中央を目指せばその辺りを縄張りにするあのゾーランの顔をおがむことになるかもしれねえ。

 それは考えただけでムカついてハラワタが煮えくり返る。


 ゾーランの野郎。

 いつか必ずぶっ飛ばしてやるからな。

 だが、アヴァンやディエゴにやったように策をろうしてゾーランをハメるのは面白くない。

 ゾーランと戦うなら真正面から1対1のタイマン勝負で倒したい。

 らしくねえかもしれねえが、そうしてこそ俺は本当の満足感を得られるような気がする。


 だが、今まで通りのまともなきたえ方をしていたんじゃ、10年たってもゾーランには勝てねえだろう。

 俺のステータスはすでに下級種として上限値に達している。

 何かもっと別の角度からアプローチをしなければ、俺は今のまま変われねえ。


 そのための一つの方法が今リジーに制作を依頼している特殊な手甲の装着だ。

 戦闘時に拳から発する高熱のせいでまともに武器を装備できない俺だが、リジーの作る耐熱性の手甲を装備すれば単純に戦闘能力が上がる。

 もちろんそれだけじゃダメだ。

 今の環境を大きく変える必要がある。


 俺は目の前でふくれているティナを見てふと思い立った。

 こいつは敵地であるこの地獄の谷ヘル・バレーに単身で乗り込んでいる。

 この際だから俺も敵地である天国の丘ヘヴンズ・ヒルに乗り込んで天使どもを相手に戦ってみるか。

 周りは敵だらけの地にこの身を置き、俺の知らない知識や技術に触れれば、そうしたものが俺に新たな化学反応をもたらすってことはないだろうか。

 そんな期待の火が俺の胸にともった。


「ミシェル先輩にお会いするのは久しぶりです」


 思案する俺をよそにティナの奴はノンキにヘラヘラしていやがる。

 旧知の天使に会えるのが相当嬉しいらしい。

 まったくお気楽な小娘だぜ。


「どうでもいいがフーシェ島にはアヴァンたちのアジトがあったんだろう? なら今も奴らの部下が残党として残ってんじゃねえのか?」


 アヴァンとディエゴはすでに運営本部に拘束こうそくされている。

 ならばフーシェ島にあるという奴らのアジトは今どうなっているんだろうか。


「それが島の偵察ていさつに向かった我が同胞の話によれば島は無人のようなのです。彼らはお金でやとった下級悪魔の傭兵ようへいを配下にしていたようですが、やとい主が戻ってこないために解散したみたいですね」


 なるほどな。

 ゆうべとりでに攻め込んできた下級悪魔どもはそういう手合いか。

 アヴァンもディエゴも上級種とはいえランクはBだった。

 ゾーランのようなAランクと違って自分の軍閥ぐんばつを持つことは出来ない。

 だからケルのところのような下級種の集団を取り込んで兵隊として使おうと考えたんだろう。


「今のフーシェ島は平静で人の気配のない場所になっているようですね。ただ、あの不正プログラムを使うディエゴが先日まで逗留とうりゅうしていた場所ですから、まだ何かが隠されているかもしれません」

「そんな場所を待ち合わせに使うのは迂闊うかつなんじゃねえのか」


 ティナの話によればディエゴ本人がゲームオーバーになったとしても、奴がこの世界にほどこした不正プログラムの影響は残るってことだ。

 あの断絶凶刃コンティニュー・キャンセラーのように。

 厄介やっかい代物しろものだぜ。


「はい。ですから本部から私に指令が下りました。今日のうちにフーシェ島に入島して事前調査を行うようにとのことです。不正プログラムの兆候が見られたら正常化して島の安全を保つのが私の役目です」

露払つゆはらいか」

「はい。島の安全を確保した後、現地で我が同胞たちと合流することになります。私が逃げないか心配なら、バレットさんも同行して下さい」


 俺は自分がその場に同席している光景を想像して思わず顔をしかめた。


「天使どもが少しでも俺に敵対行動を示すようなら、俺は容赦ようしゃなくそいつらを焼き殺すぞ」


 俺の言葉にティナはため息をついた。


「またそんな物騒ぶっそうなことを言って。大丈夫ですよ。私の先輩にはすでに話を通してあります。私がバレットさんと共にいることは同胞たちも知っています」

「ほう。連中は大騒ぎだっただろう。悪魔なんかとなぜ行動を共にしているのかと」


 ムカつく天使どもの顔が目に浮かぶ。

 だが、ティナは首を横に降った。


「多少は驚いていましたけど、ゾーラン隊長のおかげで悪魔に対して一定の理解を持つ天使も増えているのですよ」


 ゾーランは悪魔の身でありながら、天樹での戦いで天使側に加勢して堕天使ともと戦った。

 そのことが天使たちの悪魔に対する印象を少しばかり変えたってことか?

 ケッ。

 馬鹿馬鹿しい。


「ただ、バレットさんが嫌なら明日は島のどこかに身を潜めていらしても……」

「フンッ。俺がコソコソ隠れなきゃならん理由はねえ。おまえが逃げねえか見張ってねえといけねえしな」


 そう言う俺にティナの奴はため息混じりにうなづいた。


「分かりました。とにかくバレットさんの方から同胞たちを刺激するような言動は控えて下さいね」


 そう言うとティナはフーシェ島に向かうための身支度みじたくを始めた。

 フーシェ島までは海風に逆らいながら飛ぶために速度は出ないが、それでも半日もあれば到着するだろう。

 夕方になる前には現地入り出来る。


 目的だった上級種つぶしも終えてどうせヒマだから、天使どもの顔でもおがんでやるとするか。

 フーシェ島で首輪の解除を終えたら、ようやくティナとオサラバだ。

 俺はその後そのまま天国の丘ヘヴンズ・ヒルに侵入しようと考えていた。


「その前にリジーの奴に言伝ことづてを残しておかねえとな」


 手甲の制作を依頼したリジーから進捗しんちょく状況を伝える使い魔が寄こされるのは明日だ。

 崩壊して瓦礫がれきの山となったとりで残骸ざんがいの中から一番大きな壁の残骸ざんがいに目をつけた俺は指に炎をともした。

 そして焼き付け文字でリジーへのメッセージを残す。


【I'll head for Foucher island.】

 

 使い魔は文字が読める。

 これを残しておけば俺の行き先がフーシェ島だとリジーに伝わるだろう。

 俺がその作業を終えると、座ってアイテム・ストックの整理を行っていたティナが立ち上がる。

 作業中にティナのアイテム・ストックをチラッと見たが、その数百種類に及ぶアイテムは内容を確認するだけでもひと苦労だ。


「それだけのアイテムのストックがあるのに、まだ補給の必要があんのかよ」


 あきれてそう言う俺に、ティナは風になびく桃色の髪の毛を手で押さえながら答えた。


「ええ。私のアイテム・ストックは確かにラインナップは豊富ですが、それでも個々のアイテムの在庫数は無限ではありませんから。定期的に補給を受ける必要があるんです」


 個々のキャラクターが持つアイテム・ストックはかなり多くのアイテムを入れることが出来るが、それだけのアイテムを用意するには資金も手間も必要になる。

 こいつがあれだけのアイテムを用意できるのは、天国の丘ヘヴンズ・ヒルからの潤沢じゅんたくなバックアップがあるからってわけか。


「しかしカラシヨモギだの双眼鏡だのと、そのラインナップは誰が選んでんだよ」


 なかあきれてそう言う俺にティナは照れ笑いを浮かべる。


「えへへ。私です。目のつけどころがセンシブルでしょ。こんなのもあるんですよ」


 そう言ってティナが取り出したのは目薬だった。

 それから5分後。


 岸壁に立った俺はしおにおいを感じながら、顔に吹き付ける強い風に目を細めた。

 太陽の光が海面に反射してまぶしいが、俺の目はハッキリと海面に波がうねる様子まで捉えていた。

 さっきティナに渡された目薬の効果が出ているようだ。


「どうですか? あの目薬を使えば海の上でも視界良好でしょ?」


 ティナは得意気にそう言った。

 さえぎるもののない海の上を半日ほど飛び続けるため、強い太陽光を常に浴びることになる。

 そのため光から目を保護して視界を保つ特殊な目薬をティナが用意した。

 さらには強風の中の連続飛行による疲労を軽減するため、筋肉の疲れをいやす薬液も用意され、準備は万端だった。


「行きましょう。バレットさん」


 そう言うとティナは白い翼を広げて意気揚々いきようようと空中に舞い上がる。


「ドーピング剤があるからって飛ばし過ぎるなよ」


 俺も羽を広げて岸壁から飛び立った。

 風は強いが、バランスをくずすほどじゃない。

 俺は力強く羽ばたいて海の上を進み始めた。

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