第3話 地上に向かう道すがら

 洞窟どうくつの地下50層を出発した俺と見習い天使のティナは、十数分のうちに地下30層まで上がって来ていた。

 すでに魔物たちの跋扈ばっこするエリアだが、俺の知る最短距離を通っているため、今のところ奴らにはち合わせせずに済んでいる。

 そもそも今の俺はティナの奇妙な首輪のせいで、攻撃コマンドが使用不可になっていた。

 相手に攻撃を仕掛けることが出来ない以上、普段ならどうってことない怪物どもでも、今は遭遇そうぐうしたくはない。


 俺は後ろをチラリと振り返った。

 ティナの奴は数メートルの距離をはさみ、俺の後ろについてきていた。

 さて……地上に出る前にこのガキに何とかしてこの首輪を外させなければならん。

 こいつを望み通り地上に連れて行ったとして、約束通り俺の首輪を外す保証はない。

 現時点でアドバンテージはこの忌々いまいましい小娘が握っている。


 そのアドバンテージを取り戻すには俺の勝手知ったるこの洞窟どうくつ内にいるうちに仕掛ける必要がある。

 そんなことを考えながら俺がティナに視線を送ると、あいつはいぶかしむような目を俺に向けてきた。


「何ですか? あまりこちらを見ないで下さい。顔が怖いので」

「ああ。そうかよ。この顔は生まれつきだ」


 チッ…… ムカつくガキだ。

 この首輪さえなきゃ一瞬で首をひねって息の根を止めてやるところだぜ。

 だが今は油断をさせておくほうがいい。


「おまえ。そもそもどうやって地下50層まで降りてきた? 初見であそこまで潜れる奴はそうはいねえ」


 ひ弱な見習い天使にはまず無理な話だ。

 俺の問いにティナは溜息ためいきをつきながら答える。


「はぁ。降りたのではなく落ちたのです。地上を歩いていたら、突然地面に大穴が開いて、そこに転落してしまい、あっという間にさっきの場所へ。恐らくあなたがハマっていたさっきのくぼみと同じ現象が地上にも起きていたのでしょう」


 ティナの言葉に俺は即座に理解した。

 そうか。

 何であの2体の上級悪魔がこの洞窟どうくつの天井からいきなり現れたのかサッパリ分からなかったが、さっきのディエゴとかいう猿型の上級悪魔があの奇妙な術で穴を開けて地上から降りてきやがったのか。

 このマヌケな見習い天使はそのとばっちりを食らったってわけだ。


「あなたこそ、どうしてあのような場所に? もしかしてバグを不正に生じさせた犯人を知っているのですか?」


 その問いに俺は表情を変えず、胸の内で算盤そろばんを弾いた。

 こいつはディエゴのことを知りたがっている。

 それをえさに出来ないかと考えた俺は、憮然ぶぜんとした表情を浮かべて言った。


「んなこと、おまえには関係ねえ。話す必要があるか? ねえよ。一言もな」

「確かにそうですけど……さっきのは普通の状態じゃないですよ?」


 食いついてきやがった。

 俺は気取られないようティナに背中を向けたまま歩き続ける。

 そうして俺がだんまりを決め込もうとすると、ティナは生意気なことを言いやがった。


「あなたを八方ふさがりの状況から助け出したのですから、私には事情を聞く権利があるかと思いますが。それにさっきの現象について私はあなたの知らないことを色々と知っています。今後あなたがまた同じ目にあうことがあっても、私からの情報を得ておけば対策の取りようがあるんじゃないでしょうか」


 ……こいつ。

 ひ弱な見習いのくせに、一人前に駆け引きを使いやがる。

 俺は足を止めるとて後ろを振り返り、目を鋭くり上げてティナをにらみ付けた。

 するとティナはサッとそっぽを向いて目を合わせようとしねえ。

 チッ……生意気なガキだ。

 仕方ねえ。


「……ハメられたんだよ。突然現れた上級悪魔のディエゴってクソ野郎にな」


 俺がそう言うとティナは即座にコマンド・ウインドウを起動し、何やらデータ・シートのようなものを展開した。

 ティナの顔の前に多くの奇妙な文字が整然と列を成す画像が浮かび上がる。

 俺には読めない不思議な文字だったが、どこかで見覚えのある文字のような気がした。


「何だそりゃ?」

「秘密の名簿です。ディエゴ、ディエゴ……ありました」


 フムフムとうなづくティナは、かたわらでまゆを潜めている俺に目もくれず、食い入るようにリストを見つめて言った。


「不正なバグでフィールドを変化させる。そういうエラー・プログラムを意図的に使う疑いのある容疑者のリストなんですよ。これは」


 不正なバグ……確かにディエゴのあれは奇妙な術だった。

 奴の腹立たしい猿顔を思い返して憤然ふんぜんとする俺に構わず、ティナは話を続ける。


「以前からこの地獄の谷ヘル・バレーには秘密裏ひみつりにこうしたプログラムが流布るふされていました。ある人物の手によってね。このリストに載っている容疑者たちは何らかの手段でその不正プログラムを入手した者たちなのです」


 そんな話聞いたことねえな。

 さっきのディエゴみたいなワケの分からねえ術を使う奴が他にもいるってことか?


「私はある御方の命を受けて天国の丘ヘヴンズ・ヒルからこの地獄の谷ヘル・バレーへとつかわされました。このリストに載る12名の容疑者を全員捕らえ、正常化するのが私の使命です」


 ティナは鼻息荒くそう言った。

 俺は黙って聞いていたが、何だか途端とたんにアホらしくなって鼻で笑う。


「フンッ。そのある御方ってのはアホなのか?」

「なっ……」


 顔色を変えるティナに何かを言わせるすきを与えずに俺はたたみ掛ける。


「何でそんな重要な仕事におまえみたいな見習いが単独で取り掛かってやがるんだ? おまえが捕まって情報がれるとか考えねえのか? そのおえらい御方は」


 俺の言葉にティナは気色ばんで声を上げた。


「あの御方を侮辱ぶじょくするのはやめて下さい。色々と……色々と事情があるのです。それを簡単には申し上げられません。ですが私は自分を信じて送り出して下さったあの御方の信頼に応えるため、粉骨砕身ふんこつさいしん努力するのみです」


 そう言うとティナは感情のたかぶりを抑えるようにくちびるんでうつむいた。

 どうにも妙な話だ。

 こいつの話が本当なら、こいつは天国の丘ヘヴンズ・ヒルから送り込まれた密偵みっていだ。

 それにしちゃ無防備すぎる。

 もっと腕の立つ奴を送り込むか、護衛役に凄腕すごうでの用心棒でもつけるべきだろう。


粉骨砕身ふんこつさいしんねぇ……」


 おまえみたいな見習いがいくら努力したところで……という言葉を俺は飲みこんだ。

 下級悪魔のくせに少しでも強くなろうと日々もがいていたことをさんざん馬鹿にされてきたのは、他ならぬこの俺だ。

 まあそれに天使どもの事情なんざ俺の知ったことじゃねえ。


「ま、別におまえの秘密なんざどうでもいいさ。それより聞かせろ。あのディエゴの奇妙な術にどうやって対処すればいい」

「あなたでは無理です」

「さっきと言ってることが違うぞ。てめえ。ナメてんのか?」

「ナメてなどいません」


 このガキ。

 この首輪がなけりゃ、その細い首を締め上げているところだ。


「俺がまたディエゴの奴と戦う際には奴の奇妙な術への対抗手段が必要になる。それをおまえは知っているんだろう? ならそいつを教えろ」

「あなたにとっての対策は私をそばに置くことです。私が共にいれば十分に対処は可能です。そこで相談なのですが……」


 そう言うとティナは俺をじっと見上げた。

 小娘の小賢こざかしい考えを察した俺は舌打ちをした。


「チッ。ディエゴのところまで案内しろと?」


 そう言う俺にティナは切実な表情でうなづいた。

 ふざけやがって。

 あまり調子に乗ってると……とすごんだところで今は無意味だ。

 それより逆にこれは俺にとってチャンスだ。


「ま、どうせ俺はここを出て自由になったら奴らに復讐ふくしゅうするつもりだからな。ついてくるなら好きにしな。ただし、先に約束は果たしてもらうぜ。話はそれからだ」


 そう言って俺は自分の首に巻かれた首輪を指でつまんだ。

 いつまでもこんなもんを首に巻かれたままでいてたまるかってんだ。


「ええ。それは約束ですから」

「その約束が果たされない限り、俺は地上に出ても動かねえからな」

「はい。分かっています」


 よし。

 これならこいつは俺の首輪を外すだろう。

 そうしなければこいつの目的は果たされなくなるんだからな。

 だが俺は首輪が外れたらこのガキを即座に始末するか、その場に置き去りにしてトンズラこけばいい。

 アドバンテージは俺に戻って来た。

 俺が腹の中でそんなことを考えているとも知らずに、ティナは安堵あんどの表情を浮かべて言う。


「ありがとうございます。ところで……さっきその首輪をつけた際にあなたのお名前を知りました。バレットさんとおっしゃるのですね」


 チッ。

 そういえばこの首輪の装着時に俺の名がウインドウに表示されていやがったな。


「ああ。それがどうした」

「やっぱり。炎獄鬼えんごくきバレット。私はあなたのお名前を知っています。まさかあんな場所でお会い出来るとは思いませんでしたが」


 何だこいつ。

 俺を知ってやがるのか?


「俺の名前なんざ、この辺りでしか知られてねえぞ。どこで聞いた」

「上級悪魔のゾーラン隊長から」


 その名に俺は驚きを隠せずに目を見開いた。


「おまえ……ゾーランの知り合いか? なんでアイツがおまえみたいな見習い天使と……」


 上級悪魔ゾーラン。

 地獄の谷ヘル・バレーで最も戦力に優れた武闘派集団を率いるボスだ。

 亡き魔王ドレイクの後継者の座に現時点で最も近い男と言われている。

 だが……俺にとっては因縁いんねんの相手だった。


「先日、我々天使の総本山である天樹の塔で起きた紛争はご存じですか?」

「……ああ」


 知ってるも何も、それは本来なら俺もゾーランの部下として参加するはずだった戦いだ。

 天使どもの拠点である天樹の塔が堕天使だてんし……堕落だらくして悪の道に走った天使の成れの果ての軍勢に占拠された事件だ。

 ゾーランはどういうわけか、天使どもの拠点を占拠した堕天使だてんしの勢力を駆逐くちくするために挙兵きょへいした。


 悪魔と天使は仇敵きゅうてき同士であるにもかかわらずだ。

 結果として天使どもを救うために堕天使だてんしの軍勢と大乱戦を繰り広げたゾーランの部隊は多くの死傷者を出した。

 そのせいでこの地獄の谷ヘル・バレーの悪魔たちからは悪魔にあるまじき愚行ぐこうだと揶揄やゆされていた。

 だが俺にとって問題なのはそんなことじゃねえ。


 強さを追い求める俺は、より熾烈しれつな実戦の場を求めていた。

 せっかく腕を振るう絶好のチャンスだったというのに、ゾーランの根回しによって俺はその戦いに参加することが出来なかった。

 そしてそのことでゾーランの奴に直接文句を言いに行くと、奴はこの俺を破門クビにしやがったんだ。

 その時のことを思い返すと今でもハラワタがえくり返る。

 そんな俺の胸の内などつゆとも知らず、ティナは雄弁に語った。


「その時にゾーラン隊長にはお世話になりました。天使と悪魔という敵対的立場ではありますが、大きな災いを避けるために尽力じんりょくいただいたこと、感謝しています」

「そこでおまえはゾーランと知り合ったのか」

「はい。私が単身で地獄の谷ヘル・バレーに向かうことを知り、ゾーラン隊長はもし辺境に行くならバレットという悪魔を頼ってみろと言ってくれました」


 あの野郎……。

 ゾーランは俺にとっては戦闘の基礎を叩き込まれた師匠ししょうでもあった。

 だが、今は仲違なかたがいした因縁いんねんの相手でもある。

 なぜこの見習い天使に俺の名前を教えたのか、奴の意図いとは分からねえがクソ面白くないことに変わりない。

 俺は憮然ぶぜんとして言った。


「ゾーランの奴に何を吹き込まれたか知らねえが、俺は奴とはケンカ別れしてんだ。奴の名前を出したことで俺がおまえに良くしてやるとでも思ったら、そいつはとんだ見込み違いだぜ」

「そ、そうですか……残念です」


 やはり何かを期待していやがったか。

 俺の話にティナは意気消沈いきしょうちんしてうつむいた。

 そんなティナの様子に構うことなく俺は再び足を進める。

 だが地下29層に到達しようとしていたその時、俺は異変を感じ取った。


「止まれ」


 身に迫る危機を感じ取った俺の声に、ティナはハッと緊張の面持おももちで足を止めた。

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