第4話 うごめく魔物ども

「止まれ」


 危機を感じ取って鋭くそう告げる俺の声に、ティナはハッと足を止める。

 いぶかしげに俺を見るティナに構わず、俺は静かに感覚をませた。

 地面がわずかに震えている。

 そして……奴らのニオイがする。

 上か下か……!


「真横だ!」


 俺たちの歩く通路から5、6メートル横の壁に亀裂が入ったかと思うと、一瞬で壁が崩れて向こう側からそいつらが現れやがった。


「て、敵っ!」


 ティナが悲鳴を押し殺すように息を飲む。

 俺たちの前に現れたのは、この『悪魔の臓腑デモンズ・ガッツ』の中層に生息する魔物・石切コウモリだった。

 コウモリとはいっても人の子供ほどの大きさがあり、鋭いつめあごで石の壁や土を切り裂いて掘り進めながら移動する群生の魔物だった。

 奴らは常に数体の群れで行動し、地面、壁、天井などからいきなり現れて獲物をねらう習性がある連中で、その顔の不気味さだけは一級品だ。


 醜悪しゅうあくな連中のつらに、ティナの奴はすっかり面食らってビビッていやがる。

 こいつらが凶悪なのはつらだけで、普段なら俺にとっちゃどうってことのないザコなんだが、何しろ今は首輪のせいでまともに戦えない。

 ここは逃げるが勝ちだろう。

 だが、とっととずらかる態勢に入る俺とは逆に、ティナは白銀の錫杖しゃくじょうを手に石切コウモリどもに向かっていこうとしている。

 ビビッてるくせに何やってんだアイツは。


「相手にすんな! 逃げるぞ!」


 俺の声にハッとしたティナはそれでも引こうとせずに虚勢きょせいを張って白銀の錫杖しゃくじょうを振り上げた。


「わ、私だって戦えます。あなたの戦闘能力を奪った以上、ここは私がこの銀環杖サリエルで……」


 チッ!

 アホめ!

 俺は即座にティナに駆け寄ると、その首根っこをつかみ、有無を言わせず羽を広げて飛び立つ。


「きゃっ? な、何を……」


 ティナが驚きの声を上げるが、構うことなく俺は洞窟どうくつの通路の中を出口目指して飛翔した。

 後方からは石切コウモリどもがギャアギャアとわめきながら追ってくる。

 奴らの飛行速度は大したことねえから追いつかれることはねえだろうが、ああして騒ぎ出すとそれに引き寄せられるように他の奴らがわんさかいてくる。

 そうなると厄介やっかいだ。

 そんな俺の懸念けねんも知らずにティナは声を上げて抗議した。


「じ、自分で飛べますから! それに自分の身は自分で守れます!」

「こういう時はさっさと逃げるんだよ! アホ!」

「ア、アホとは何ですか! 侮辱ぶじょくはやめてとあれほど……」

「状況判断ができねえ奴はすぐ死ぬぞ! おまえが死ぬのは一向に構わんが、俺の首輪を外してから死にやがれ」


 俺は苛立いらだって飛びながらティナを前方に投げた。


「きゃっ!」


 ティナは空中で態勢を整えて白い翼を広げると、不満げな顔で俺に並んで飛び始める。

 俺はティナがふくれっつらにらみつけてくるのを無視して、後方を確認した。

 最初に遭遇そうぐうした数匹の石切コウモリは振り切れたようで姿は見えねえが、その騒ぎ立てる声はまだ耳に響く。


 まずいな。

 数が増えてるぞ。

 あのクソども、仲間を呼び寄せやがった。

 嫌な予感がするぜ。


「おい。この場を切り抜けたかったら今すぐ俺の首輪を外せ。俺が戦えればあんな奴らは何匹いようが物の数じゃねえ」

「それは洞窟どうくつの外に出てからという約束のはずです」

「んなこと言ってる場合か!」


 怒鳴る俺にティナは必死に食い下がってきやがる。


「力を取り戻したら、あなたは私を殺すなり置き去りにするなりして逃げるつもりでしょう?」


 チッ……見透みすかしてやがったか。

 だが、これはこの状況を利用した駆け引きというわけじゃない。

 俺はじっとティナの目を見据みすえて言った。


「ここにはさっきのコウモリどもよりも数段レベルの高い魔物がいる。そいつが出てくると、俺が戦えない今の状態じゃ厳しいんだよ。見習いのおまえじゃ殺されるのがオチだぞ」


 石切コウモリどもが騒いでいるせいで、別の厄介やっかい者が動き出した恐れがある。

 そいつが出てくる前に戦える状態にしておかねえと、さすがに対処が厳しい相手だ。

 俺の切迫した様子にやっと状況を理解したのか、ティナは速度をゆるめて空中で静止した。

 それに合わせて止まる俺にティナは観念したように言う。


「……分かりました。助かる可能性をつぶして2人で共倒れなんて馬鹿げていますから。それにあなたは私が一度助けた相手です。それを無意味にしたくありません。今から……あなたの首輪を解除します」


そう言うとティナは銀環杖サリエルを俺の頭上にかざした。


「無効化解除を開始します」


 途端に首にピッタリとまとわりついていた首輪がゆるくなり始めた。

 よし。

 これでようやく自由の身……そう思った俺は油断していた。

 自分の頭上からそいつが迫っていることに、まるで気が付かなかったんだ。


「バレットさん!」


 そう言うティナが首輪の解除の途中で銀環杖サリエルを放り出して、俺を突き飛ばした。

 その直後、頭上から黒くて長いそれが一瞬で舞い降りてきやがった。

 それは俺の目の前でティナの小さな体を弾き飛ばす。


「へぐっ……」


 短い声を残したティナは軽々と宙を飛ばされて壁に叩きつけられ、そのまま床に倒れて動かなくなった。

 俺が反射的に上を見上げると、天井の一部に開いた丸い穴から、黒くて太く、そして長い尾が垂れ下がっている。

 節くれだったそれは巨大な昆虫の尾だった。


 ティナをぶっ飛ばしたその黒く長い尾は続けざまに俺をねらう。

 俺は即座に右側に身を投げ出してこれを避けると、そのまま勢いを殺さずに地面を蹴る。

 クソッ!

 悪い予感が的中しやがった。

 俺は地面に転がる銀環杖サリエルを拾い上げると、地面を全力で蹴りながらティナの元に駆け寄る。

 そしてその肩に手をかけて呼び掛けた。


「おい! 起きろ! まだ解除の途中だぞ! 死んでんじゃねえ!」


 だがティナは目を閉じたままピクリともしない。

 チッ!

 ダメだ。

 生きてはいるが完全に意識が飛んじまってる。


 俺は注意深く前方に視線を送る。

 そこでは天井に開いた穴かられ下がる長い尾が獲物を探して揺らめいていた。

 その尾の先端には鋭い針が光っている。

 やはり来やがったか。


「穴サソリか」


 俺はいまだ自分の首にまとわりつく首輪に指をかけ、苛立いらだちを吐き捨てるように言った。

 穴サソリはこの洞窟どうくつの中では最もレベルの高い魔物だ。

 壁や地面や天井などに穴を開け、そこから尾だけを出して獲物の不意を突く攻撃を得意とする厄介やっかいな相手だった。


 尾の先端についている毒針はまともに刺されて毒を注入されると、神経毒によって数分で呼吸困難におちいって死に至る。

 過去に俺が何度となく始末したことのある魔物だが、今この状況で出てこられるのはマジで面倒だ。

 そして……俺は穴サソリから極力目を離さないようにしつつ、ティナの体を確かめる。


 息はある。

 首の骨が折れているわけでもねえ。

 出血もない……だが。


「チッ。マジかよ」


 ティナの首すじに俺の小指程度の長さの黒い毛が刺さってやがる。

 穴サソリの体毛だ。

 俺は即座にその毛を引き抜いて捨てる。

 まずいぞ。


 ティナの首が青く変色し始めてやがる。

 毒針に直接刺されたわけじゃねえが、恐らく針からしたたる毒液が穴サソリの細かい毛を伝わってティナの体内に入っちまったんだ。

 このままだとこいつは……死ぬ。


 こいつが死ぬとどうなる?

 俺の首輪は消滅すんのか?

 それともこのまま残んのか?

 クソッ!

 俺は自分のひざを拳で打つと、倒れて動かないティナを見下ろした。


 こいつがこうなっちまう事態を引き起こしたのは俺だ。

 悪魔を助けようとして傷を負うマヌケな天使なんざ、聞いたことねえぞ。

 別に天使にあわれみなんざ持たねえし、責任など毛ほどにも感じちゃいないが、とにかく自分の甘さに腹が立つ。

 今日は不運な1日だと思ったが、そうじゃねえ。

 ただ俺がボンクラだっただけだ。


「チッ! とにかくここを抜け出すしかねえ」


 俺はティナを抱え上げて肩にかつぐ。

 とにかく大急ぎで地上に出て、その辺にいる悪魔を捕まえるしかねえ。

 この洞窟どうくつに挑戦しようとする奴なら、穴サソリの毒を中和する解毒剤を持っている可能性が高い。

 それを奪ってこいつに投与するしかねえ。


 穴サソリの毒を解毒する薬を俺は持っていない。

 普段の俺ならあの毒針を食らうなんてマヌケな失敗はしねえからだ。

 それに解毒剤は穴サソリのきもを使った薬で、きもそのものがあればそれ自体が中和剤になるため、いざという時は穴サソリをぶっ殺してきもを奪えばいいだけの話なんだ。

 それが……そんな簡単なことが今の俺には出来ねえ。

 

「ああクソッ! 面倒くせえ!」


 穴サソリの尾はすでに天井の穴の中に引っ込んで消えていた。

 だがこの洞窟どうくつには壁、天井、地面を問わず、そこかしこに穴サソリが開けた穴が開いている。

 奴は次のチャンスをうかがっているはずだ。

 そう思った瞬間だった。

 

 真横の壁から黒い尾が鋭く伸びてきて俺を襲う。

 だが俺はその軌道を読み、飛び上がってこれを回避する。

 そして羽を広げてティナを抱えたまま全速で飛翔を開始した。


 攻撃の封じられた俺にとって不幸中の幸いだったのは、俺の運動能力自体にはまったく影響がないってことだ。

 攻撃が出来ないだけで、走るのも飛ぶのもいつも通りに動ける。

 それにこの洞窟どうくつは俺にとって勝手知ったる庭だ。

 地の利は俺にある。

 逃げ回るのは性に合わねえが、今は地上まで逃げて逃げて逃げまくるしかねえ!

 俺は忌々いまいましさを吐き出すようにえながら、全力で飛び続けた。


「くそっ! ふざけやがって! ド畜生ちくしょうがぁぁぁぁぁ!」

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