第2話 見習い天使ティナ

「きゃあっ!」


 アホみたいに洞窟どうくつの地中奥深くに閉じ込められて身動きを封じられた俺の前に、いきなりその小娘は現れた。

 真っ暗闇くらやみだったはずの閉ざされたくぼみの中に一条の明かりが差し込んだことに驚いて俺が顔を上げると、頭上をおおっていたはずの岩盤が消え去っていたんだ。

 そしてそこから差し込む明かりが、俺の目の前にいきなり落ちてきた小娘の姿を照らし出す。


 桃色の長い髪に水色の瞳、そして白と黄色の絹糸で編み込まれた法衣を身に着け、その手には銀色の輪環が3つついた錫杖しゃくじょうを持っている。

 まだ幼さの残る表情を見せるその小娘の頭上に浮かぶ輪から、そいつが天使であることは一目瞭然いちもくりょうぜんだった。

 しかも輪が光っていないことから、小娘がまだ見習い天使の身分であることも分かる。

 下級天使よりも下の、天使としては底辺の存在だ。


 この地獄の谷ヘル・バレーと天使どもの国である天国の丘ヘヴンズ・ヒルは地続きで、1つの世界を共有している。

 しかもこの辺境は天国の丘ヘヴンズ・ヒルとの国境が近く、天使どもが現れることもそうめずらしくはない。

 めずらしくはねえんだが……。


「誰だてめえは?」

「アイタタ……うぅぅ」


 地面にぶつけたしりを押さえてうめきながら、小娘は恨み言をブツブツとつぶやいた。


「な、何でいきなりこんな深い階層まで一気に……ハッ。ひっ! あ、悪魔……」


 このガキ。

 ようやく俺に気付きやがった。

 小娘はビクッと身を震わせると、青ざめた顔で咄嗟とっさに白銀の錫杖しゃくじょうを握り直してこちらに向けてくる。

 その手は小刻みに震えていて、見習い天使らしく、いかにも頼りない。

 こいつ……こんな調子でどうやってこの『悪魔の臓腑デモンズ・ガッツ』に入り込んで来たんだ?


 ここは地下50層の洞窟どうくつの底だ。

 最深部であるこの50層は怪物や魔物のたぐいが寄り付かない仕様になっているが、ここに来る途中の階層にはバケモノどもがわんさか湧き出してくる。

 こんな弱そうな見習いのガキがここまでたどり着けるはずは……いや、そんなことはこの際どうでもいい。

 これはチャンスだ。

 俺は天使のガキを出来る限りおびえさせないよう、努めて静かに声をかけた。


「おい天使。どういうつもりでこんな場所に迷い込んだのか知らんが、俺は今この通り身動きが取れん。俺を殺すなら今のうちだ」


 随分ずいぶんと弱そうなガキだが、無抵抗で弱っている今の俺なら、こいつでも殺せるだろう。

 そうすれば俺はゲームオーバーとなり、コンティニューで地上に戻れる。

 こんなクソみたいな「ハマり」状態から抜け出して、地上でケルと上級悪魔どもに復讐リベンジしてやれる。

 このちんちくりんな小娘の登場は俺にとって千載一遇せんざいいちぐうのチャンスだ。

 見習い天使なんぞに殺されるのはしゃくだが、背に腹は代えられねえ。

 こんな場所に永久に閉じ込められるよりマシ……。


「嫌です」


 ……あ?

 今なんつった?


「……どういうことだ? 俺は悪魔でおまえは天使だ。ならやることは一つだろうが。さっさと俺を殺さないと逆に俺がおまえを食い殺しちまうぞ」


 俺は出来る限り声にトゲが出ないよう抑えながらもう一度そう言ってやったのに、その天使のガキは首を横に振りやがった。


「いくらあなたが悪魔でも、無抵抗の者を襲うのは神の教えに背く行為。私はあなたを殺しません」


 ……これだから天使って奴はアタマに来るぜ。

 真顔で寝言ほざきやがる。

 無抵抗の者は殺さない?

 やるかやられるかのこの世界で、そんなもんはおごり以外の何物でもねえ。

 俺は今にも怒鳴り出しそうになるのをこらえて、小娘をにらみ付けた。


「俺が無抵抗に見えるか? 馬鹿め。さっさとしないと今すぐおまえを食ってやるぞ!」


 牙をいてそうすごむ俺だが、ひ弱そうな小娘はグッと歯を食いしばると生意気にも言い返してきやがった。


「あ、あなたの置かれている状況は普通じゃありません。私はそういうことを正すために、この世界にやってきたのです」


 小娘はそう言うと自分のアイテム・ストックを呼び出して何かのアイテムを取り出した。

 それは燃えるような深紅の色をした首輪だった。

 俺は小娘の話している内容と、これからしようとしていることがサッパリ分からずにムカついて、いよいよ声を荒げた。


「いい加減にしやがれ! さっさとその杖で俺をぶんなぐるなり、神聖魔法で息の根を止めるなりしろって言ってんだ!」


 こんな小娘1人に手こずっている自分自身にも腹が立つ。

 だが、俺の声にビビりながらも、小娘は引こうとしない。

 こいつ……一体何なんだ?

 いぶかしむ俺の目の前で、小娘は真紅の首輪を手に何やら唱えた。


無害の印ハームレス・サイン


 すると……赤い首輪が赤い光と化して小娘の手を離れて宙を舞う。

 それは俺の首にまとわりついたかと思うと、一瞬でまた元の首輪に戻って俺の首に装着された。


【Attack command invalidated:Barrett】


 お、俺の名前?

 この見習い天使、勝手に何をしようってんだ。

 俺は思わずカッと頭に血が上り、小娘にみつかんばかりの勢いでえた。


「何しやがるっ!」

「あ、安全措置です。今からあなたを救出しますが、助け出した途端に襲いかかられては困りますから」


 そう言うと小娘は立ち上がり、白銀の錫杖しゃくじょうを握り締める。

 安全措置……それに救出だと?

 こんなクソガキに何が出来るってんだ。


「救出? 寝ぼけてんのか? 俺のこの状況が分かるだろう、おまえに出来るのは俺をぶっ殺すことだけ……おいっ! 聞いてんのか!」


 俺の怒鳴り声にビクッと肩を震わせつつも、小娘は錫杖しゃくじょうを両手で握って精神を集中するように目を閉じた。

 このガキ、普通じゃねえぞ。

 俺にビビッてやがるくせに、絶対に引こうとしない。

 何か……何か引けない理由があるのか?


 俺は小娘が思うように動かないことに腹を立ててにらみつけた。

 そんな俺の目の前で小娘は高らかに声を上げる。

 

るべき姿にかえりなさい。正常化ノーマリゼイション


 見習い天使の小娘がそう唱えた途端に信じられないような出来事が起きた。

 俺を閉じ込めていた頭上の岩盤が消え、さらに俺が落とされた地面のくぼみがググッと盛り上がって元の地面の高さに戻っていく。

 ほんの数秒のうちにその場は元通りの正常な姿を取り戻していた。

 そして俺はあまりにもあっさりと体の自由を得ることが出来たんだ。


「ふぅ。正常化完了」


 安堵あんどしたようにそう言う小娘を俺は油断なく見つめた。

 こ、こいつ……見た目はまったく弱そうだが、奇妙な術を使いやがる。


「小娘。おまえ……一体何をした?」


 俺の言葉に小娘は一瞬ビクッとしたが、わずかにムッとした顔で言った。


「こ、小娘じゃありません。私はティナ。この場に起きていた不正なプログラムを正常な状態に戻したのです」


 ティナと名乗るその小娘の話は俺にはまったく理解できなかった。

 だが、上級悪魔のディエゴが俺をハメやがったあの奇妙な術……なのかどうかも分からねえやり方。

 あれをこの小娘は無効化できるらしい。

 どちらにしろ俺には理解できない未知の技術だが、んなことはどうでもいい。

 こうして脱出できたのは僥倖ぎょうこうだ。

 後はこの邪魔くさい首輪を引きちぎって……。


「ん?」


 俺は首輪に指をかけて、それを力任せに引きちぎろうとした。

 しかしそれは思いのほか丈夫で、いくら力を入れても外せない。

 何だこりゃ。

 くそっ!

 苛立いらだつ俺を見て小娘はさらにムカつくことを言いやがった。


「それは私でないと外せません。力で外そうとしても無駄です」

「何だと? だったら今すぐ外せ! さもなきゃ殺す!」


 俺は怒りをあらわにして小娘に詰め寄る。

 天使に首輪をかけられるなんて冗談じゃねえ。

 こんなもん他の奴に見られたら、いい笑い者だぜ。

 だが、小娘は一瞬顔を強張こわばらせるものの、強気に言いやがった。


「無理です。今のあなたは他者を害する行動をとることが出来ないよう、その首輪によって制限されていますから」

「なに? ふざけやがって。ガキが」


 俺は小娘の首根っこを捕まえようとした。

 だが……伸ばした手はまるで見えない壁にはばまれるかのように小娘の手前で止まり、それ以上は前に出せない。

 な、何なんだ一体……。


「その首輪の力です。それを外さない限り、あなたは他者への攻撃などの敵対行動をとることが一切できません。私を傷つけることは不可能と知って下さい。それともう一度言いますが私の名前はティナです。ガキなどと侮辱ぶじょく的な発言はつつしんでいただきたい」

「うるせえっ! 見習い天使風情ふぜいがナメた口をきくんじゃねえ。今すぐこいつを外せ!」


 俺に怒鳴り付けられて身をすくめた小娘は、声を震わせながらそれでも俺を見据みすえる。


「外しません。今それを外すことは私にとって自殺行為なので。あなたが私の希望を満たしてくれるのであれば、その時は首輪を外しましょう」


 このガキ……取引を持ちかけてきやがった。

 そしてビビッてやがるくせに、それでも俺の目をまっすぐ見やがる。

 そんな小娘の態度を前に、熱くなっていた俺の頭が徐々に冷えていく。


 どうやら今は怒ろうがわめこうが状況は好転しないようだ。

 腹立たしいが、この小娘をうまくそそのかして逆転の出目を待つしかない。

 俺はそう考え、まずはこのティナとかいうガキの話を聞いてやることにした。


「チッ。いいだろう。で、おまえは俺に何を望む?」


 俺の問いにティナはおずおずと答えた。


「この……洞窟どうくつからの脱出です。私を地上まで案内していただきたいのです」

「道案内か。いいだろう」


 ここは地下50層。

 この『悪魔の臓腑デモンズ・ガッツ』は悪魔どものみならずプレイヤーとしてここを探索たんさくに訪れる人間や天使どもから、難攻不落の迷宮などと呼ばれている。


 だが、俺やケルのような地元の悪魔はこの最下層に至るまでの最短ルートを知っている。

 特に俺はこの場所を毎日の鍛練たんれんに使っているため、目をつぶっていても地上に戻れる自信がある。

 この小娘の望みを叶えるのは造作もないことだった。


 だが……問題はこいつが地上に戻った際に本当にこの首輪を外すかどうか、ということだ。

 天使はうそをつかない、などと馬鹿げた話はない。

 このガキを地上に戻した途端とたん、はいオサラバとトンズラこかれでもしたら目も当てられねえ。

 俺は天使だろうと悪魔だろうと他人は一切信用しねえ。

 だからこそこのガキに確実に首輪を外させるように仕向ける必要がある。

 俺は頭の中でその算段を立てつつ、小娘をうながして歩き出した。


「こっちだ。はぐれんなよ」

「はい。よろしくお願いします」


 ティナはヘドが出るほど天使らしく律儀りちぎに礼を言って俺の後について歩き始めた。

 やれやれ。

 奇妙なことになった。

 俺は内心でそうつぶやくと、慣れた道のりを地上に向けて進んでいった。

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