第五章 専門家

 ナトリスト城下町には特に大規模な国営施設が三つある。

 一つ目は言うまでもなくナトリスト城だ。王族の居住地であり、軍事基地や役場を内包した施設である。次期王子であるカルバは城内で生活しており、国軍に所属しているプロートの勤務先でもある。

 二つ目は大教会堂。国教であるエタール教の施設であり、王室の人間も礼拝に訪れる。医療施設も兼ねており、女司祭のヴィータを始めとした回復魔導士が多く所属している。

 そして三つ目は魔法局舎だ。魔法の研究施設や訓練施設としてだけではなく、魔法関連の法整備や資格管理等を担う施設でもある。冒険者の内、腕のある魔法使いは大抵ここに勤務しており、俺たちと共に旅をしたラルミネも、現在はここで働いている。


 俺は今、その魔法局舎の一室に通されていた。

 汚れ一つない真っ白な壁紙に、ナトリスト城を遠景で描いた油絵が飾られている。座らされたソファはうちに置いてあるものとは違い高級な物らしく、柔らかすぎて身体が棉に包み込まれているような感覚に陥った。反面、目の前に置かれたテーブルはとても硬そうな大理石製だ。足をぶつければ骨折する可能性もあるだろう。


 試しに拳で叩いてみた。

 かん、と小さな音がした。重量があり硬度も高いので、振動を感じさせない音だった。打ちつけた指の第二関節が鈍い痛みが残った。僅かに痺れがあり、心なしか少し腫れているように見える。


 あれ、もしかして折れたんじゃないか?


「お待たせ」


 壁紙と同じ色の扉が開いた。ラルミネの姿が目に入る。


「ラルミネ、頼みがある」

「知ってるわよ。だから来たんでしょ」

「それとは別件だ。俺の指が折れてないか見てくれ」

「はぁ? なんで?」

「今さっき、このテーブルを殴った」

「なんで?」


 同じ質問が返ってきた。しかし回答には大して興味が無かったようで、俺が答える前にラルミネは翡翠色に変えた目を向けた。恐らく影視ヴィルムで俺の指の骨の状況を見てくれているはずだ。


「残念ながら折れてないわね。もう一度やってみたら?」

「別に折りたいわけじゃない。自分の指を折りたい奴がいるかよ」

「『大理石の机を殴った奴』に限って統計をとれば多数派だと思うけど」


 呆れたようにそう言うと、ラルミネは腰まで伸びた赤い髪を踏まないように持ち上げ、向かいのソファに腰を下ろした。

 小さな手足に凹凸のない体躯。目の前のラルミネはまるで年端も行かない幼女のような身なりをしているが、本人曰く今年で二十四歳になるとのことだった。

 彼女がこのような身体になったのは、魔力の影響によるものであるらしい。


 俺たちが魔法を使うためには、身体に魔力を蓄えるための魔力開通マギカが必要となる。そしてその魔力開通マギカは、この国の法律では成人と同じ十六歳になってからとされている。年齢制限が設けられているのは、身体が成長しきってからしなければならないためだ。


 では、成長しきっていない身体に魔力開通を施すとどうなるか。

 その症状の一例がラルミネだった。

 血管に魔力の通り道を作るというのは、実際に新しい管が通ったりするわけではなく、あくまでその中に魔力が通うようにするだけだ。しかし、人間の身体にとって魔力は異物であり、決して馴染んでいるわけではない。その異物が全身に張り巡らされることによって、身体の成長が止まってしまう、というわけらしい。


 ラルミネは魔法使いであった両親の意思によって、より早期から魔法の鍛錬を行うべく、九歳の頃に魔力開通マギカを行った。その結果、彼女の身体は九歳の頃からほとんど成長しなくなってしまったのだ。

 もちろん未成人の子供に魔力開通マギカを行わせることは重罪であり、彼女の両親は南の果ての島に流され、あと四十年は帰ってこないそうだ。


 話だけを聞くと、魔力開通マギカを行えば若さを保てると思われがちだがそれは違う。「成長」と「老化」はまた別物らしく、現に十六歳やそこらで魔力開通マギカを行った魔法使い達は普通に年を取っていっている。

 ラルミネについてもそれは例外ではないらしく、二十歳を超えたあたりからは入念に肌の手入れをしていると言っていた。「この見た目で肌に張りが無かったら不気味でしょ」とのことだ。聞いてみなければ分からない苦労があるものだ。


 ちなみに、この国の法律では魔力開通は十六歳になってからとなっているが、実際は十八歳になってからする人間が多い。なぜなら人間の身体は十八歳くらいまでは成長するからだ。

 俺は十六歳の時に行ったが、先述のような話を知ったのはその後のことだった。あのインチキ商売人の腐れエーテル屋のオヤジは、魔力開通を行う前に何も教えてくれなかった。俺の身長が低めなのはあいつのせいだと思っている。


「それで、何の用なの?」


 ラルミネが不機嫌そうな顔で言う。


「久しぶりに会ったんだ。もっと愛嬌のある顔をしてくれよ」

「こっちは仕事中なのよ。無職のあんたと違って忙しいの」


 言葉の刃が抜き身で飛んできた。これ以上軽口を挟むと更に傷つけられそうなので本題に入ることにした。


「魔法のことで、お前に相談したいことがあるんだ」

「私を訪ねるってことはそうでしょうね」

「それでだな。ちょっと口外されるとまずい内容になるんだが……」

「はいはい。誰にもチクらないから、さっさと言いなさい」


 ラルミネが急かすが、内容が内容なだけに俺はすぐ言葉が出なかった。意を決するように、一つ深呼吸をする。


「亜人系の魔物を人間にする魔法について相談したい」





 相談の内容を告げたときに一回、事の経緯を話している内に三回、俺はラルミネに頭を叩かれた。ラルミネの腕は短くテーブル越しにはこちらまで届かないため、殴る都度、俺は頭を下げさせられた。


「本当はまだまだ殴り足りないけど、手が痛いから勘弁してあげるわ」


 眉間に深い皺を刻んだラルミネが言う。幼い顔つきではあるが、こういう表情をすると大人っぽさがにじみ出る。


「それにしても信じられないことを考えるわね。魔物を人間にしようだなんて」

「禁呪だが人間を魔物にする魔法がある。その逆も不可能ではないはずなんだ」

魔物化ゼイションのこと? あの魔法で魔物になれるのは一瞬よ」

「そう。それは人間が魔物の身体を維持できるような仕組みになっていないからだ。人間だけじゃなく、他の動物でも無理だろう。魔物は明らかに動物の進化を超えた力を得ている。そして魔物達があの身体を維持できる仕組みを作っているのは、ここだ」


 俺は自分の頭部を指で小突く。さっき叩かれた場所なので少し響いた。


「脳に宿った魔力が魔物の核だ」

「それを取り除けば人間になるって言いたいわけ?」

「……と、考えているんだが、どう思う?」


 ラルミネが「うーん」とどこを見るわけでもなく視線を外す。眉間の皺は取れていないが、さきほどまであった怒りや呆れは、今は消えているようだった。疑問を投げかけられたら考えずにはいられない、専門家の性だろう。


「二つ、気になる点があるわ」


 ラルミネが細い指を二本立てる。


「なんだ?」

「一つ目。魔物の脳に宿っている魔力は、私たちが魔物の血や骨から採集している魔力と、恐らく別物よ。魔力の源みたいなものだと思う。どうやって除去するつもりなの?」

「除去するっていうより、吸収する形で行こうと思ってる。魔力移動トラジスくらいなら俺でも使えるしな。もちろん、魔物の骨に残った魔法を吸収するのとは勝手が違うとは思うが、そこは実際やってみて手探りで感覚を掴むしかない」

「……まぁ、あんたは飼配テイムでその魔力の源に干渉するだけの技術は持ってるわけだしね。それも、思考を読めるくらい高精度に扱える。確かにあんたになら出来るかもしれないわね」

「この点については出来なかったら仕方ないと思ってる。残念だがあいつらには諦めてもらうしかない」


 ラルミネは適当な相槌を打ち、二本目の指を立てる。


「二つ目。亜人系の魔物から魔力を差っ引けば人間になるってのは流石に大雑把な考えね。あいつらは魔力込みで成り立っている生き物よ」

「ああ……。人間が獣の皮を被っているわけではないからな。手足は獣に近い形をしているから、『魔物の部分』を取り除いた結果、欠損することになるかもしれん。それでも、人間らしい見た目にさえなれば殺されることはないだろう」


 その後の生活についてはまた別途考える必要があるだろう。とにかくあの魔物が今生き残るための方法として、人間っぽいものにしてしまえば良いというのが、俺の出した答えだ。

 ラルミネはソファの背にもたれ掛かり、呆れたように溜息を一つ吐いた。


「考え方は……間違ってはいないと思うわ。その方法が最適でしょうね。あくまで現代の魔法学の範囲では、だけど」

「そうか。お前にそう言ってもらえると心強いよ。ありがとう」


 俺は礼を言って立ち上がる。多忙のようなので用事が済んだらさっさと帰った方が良いだろう、と思ったのだが、目の前のラルミネは難しそうな顔をして黙ったままだった。ソファから立ち上がろうともしない。


「どうした?」


 俺が尋ねると、ラルミネは視線を合わせないまま返事をした。


「その魔物、差し当たっては怪我の治療が必要なのよね?」

「まぁ、そうだが」

「だったら私が治療しに行ってあげても良いわよ。回復魔法は得意じゃないけど、刀傷を治すくらいは出来るわ」


 思わぬ申し出に、俺は「え?」と間抜けな反応を返してしまう。何かの聞き間違いか言い間違いではないか、と思いラルミネを見るが、彼女はそれ以上何も言いそうになかった。


「気持ちはありがたいが、そこまでしてもらうわけにはいかない。何かあったらお前に迷惑がかかってしまう」

「こっそりやればバレやしないわよ。ちょうど今暇だしね」

「さっき忙しいって言ってなかったか?」

「あれは嘘よ。あんたを罵倒する口実が欲しかっただけ」


 なんだその凶暴な嘘は。


「どちらにせよ、治療するだけでは不十分だと思ってるんだ。怪我を治したところで、魔物でいる限りは討伐対象だ。山へ帰したところでいずれ殺されるだろう」


 実際、あの狼人ライカンは魔物狩りに傷を負わされている。魔物の討伐状況は、今はまだ魔物狩りが追っかけまわしてる程度だが、魔物が少なくなってくれば探知専門の魔法使いを導入した本格的な掃討が始まるだろう。なんせ魔物は今や限りのある魔力資源だ。

ラルミネは「そう」と覇気のない相槌を返す。


「なんだ、急に優しいことを言うじゃないか。どういう風の吹き回しだ?」

「心配してあげてるのよ。魔物を人間に変える魔法なんて、危険だと思わないの?」

「いや……。さっきも言った通り、不完全な人間になるかもしれないが、魔物のまま殺されるよりはマシだろうと――」

「なんで私が魔物の心配なんかしなくちゃいけないのよ。あんたの心配をしてるのよ」

「俺の?」


 ラルミネがこちらを見る。位置的に上目になっているだけかもしれないが、睨んでいるようにも見えた。


「あんたは、今まで誰も使ったことがない魔法を使おうとしてるのよ」

「まぁ、そうなるが……。技術的には飼配テイム魔力移動トラジスの合わせ技だ。個別では使ったことがある魔法だし、失敗したところで爆発が起きるわけでも雷が落ちるわけでもないだろう」

「分からないわよ、そんなこと。爆発が起きるかもしれないし、雷が落ちるかもしれない」


 そんなわけないだろう、と笑い飛ばそうとしたが、彼女の表情は冗談を言っているようには見えなかった。


「私たちの魔法は、所詮は魔物の力を仮初で使っているに過ぎないわ。実用性に引っ張られて使用しているけれど、その仕組みは解明できていない部分が多い。魔法局に務めている老練の局員でも、大陸一の魔法使いなんて呼ばれている私ですら、本当のところでは訳が分からないまま魔法を使っているのよ」


 ラルミネの横顔には、高飛車で自信過剰な普段の様子からはかけ離れた哀愁が映っていた。


「リド。あんたの魔法を扱う技術が高いのは認めるわ。だけど、魔法を知った気にはならないことね」

「……肝に銘じておくよ」


 確かに、俺の魔法に対する認識が甘かったかもしれない。イリアに自慢げに講釈を垂れたりしていたが、彼女ほどの魔法使いが「分からない」とはっきり言うくらいだ。俺が魔法を知った気になっていたのは完全な奢りだろう。


「まぁ、あんたってプロートに虐められすぎて性格は歪んだけど、結構なお人好しだものね。可愛い同居人のために身を尽くしたいのも分かるわ」

「誰がお人好しだ」

「お人好しでしょう? 見ず知らずの老人を背負って病院まで運ぶような。そんな小さい身体のくせに」

「身体の小ささはお前が言えたことじゃないだろう」

「私のこの身体は病気みたいなものよ。それをそんな風に言うなんて最低ね」

「今のは明らかに誘導しただろう」

「そうね。娼婦の格好をして男を振った気分だわ」


 ラルミネがくすくすと笑う。性格が悪い奴特有の笑い方だ。


「それじゃあ帰るよ。ありがとうな」

「あら、もう少しゆっくりしていきなさいよ。久しぶりに会ったのに」

「この後大仕事が残ってるんだ。これ以上英気を奪われたくない」

「気が弱いわねぇ……。あ、ところであんた、魔力が全然残ってないじゃない」


 ラルミネが観知リセプトを発動していた。職業柄そういう癖がついているのか、こいつはすぐに人の魔力を覗いてくる。


「さっき使い切っちまったんでな。帰りにエーテル屋へ寄るつもりだ」

「ちょっと待ってなさい」


 そう言って、ラルミネは部屋を出て行った。しばらくもしない内に再び部屋に戻ってくる。


「確か、一本で全快するのよね、あんた」


 そう言ってラルミネが差し出したのは、翡翠色の液体が入った瓶だった。


「普通のエーテルじゃないか!」

「普通のって何よ」

「良いのか? 貰っても」

「業務用にたくさん置いてあるのよ。空き瓶は返さないといけないから、今飲んでね」


 魔法局員達は普段使いの魔力をエーテルで補充しているようだった。なんとも羽振りの良いことだ。税金の無駄遣いにも思えるので一市民としては言いたいことがないわけでもないが、今の俺にとっては魔力の補充代を浮かせることの方が重要だ。ありがたく貰っておこう。

 俺はその場で瓶を開け、一気に流し込んだ。耐えられる程度の苦みが喉を抜ける。


「美味いな」

「いや、美味くはないでしょう」


 ラルミネが怪訝な顔をする。珈琲味のエーテルを知らない奴の反応だった。

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