第五章 エタール教(後編)

 地面に残った血痕を靴で抉り、蹴り上げる。血で湿った土は木の幹に当たり、重みのある音を鳴らした。

 抉れた部分を足で均す。木陰の薄暗闇が広がる森の中を見渡し、残った痕跡はないか探す。


「こんなもんか」


 誰に言うでもなく、自分自身に確認するように言う。追手は付いてこれていなかったようなので、家の周りの痕跡だけ消しておけば大丈夫だろう。きっとそうだと自分に言い聞かせ、家の中に戻る。

 イリアが床に座り、ベッドに寄り添っていた。ベッドでは先程の狼人ライカンが眠っている。飼配テイムで操ってここまで走らせたのだが、解いた途端に意識を失ってしまったのだ。衰弱していた状態で無理矢理身体を動かしたので体力が尽きたのだろう。


 問題は傷の方だった。

 魔物は高い自然治癒力を持っている。その程度は魔物の種類にもよるが、狼人(ライカン)くらいの魔物なら浅い切り傷はたちまち塞がるはずだ。しかしベッドの上のあいつの傷は一向に治る気配がなかった。

 魔王が死んでから魔物の攻撃性が下がったという話は聞いていたが、そもそも持っていた力自体がかなり弱まっているのかもしれない。一応、応急処置は済ませたが、深い傷もあるのでちゃんとした治療が必要だろう。

 俺が回復魔法を使えれば良いのだが、生憎、刀傷を治すような高度な回復魔法は覚えていない。俺が無理に走らせたせいで悪化した傷もあると思うので若干心苦しい。


 まぁ、回復魔法を覚えていても今は使えないが。さっきの飼配テイムで魔力がすっからかんだ。

 俺は紅茶を淹れ、ソファに腰掛ける。


「お前が見ていたところで傷は治らないぞ」


 俺は二人分の紅茶をテーブルに置き、向かい側に座るようイリアに促す。イリアは無言で立ち上がり、俯いたままソファに座った。


「あー、なんだ。お前に魔物の友達がいるってことには驚いたよ。こういうのって専用の交流場とかあるのか?」

「…………」


 イリアは黙ったまま、顔を上げようとしない。


「……茶化して悪い。教育係の影響で、こういう喋り方が癖になってるんだ」

「教育係?」


 イリアが少し顔を上げ、上目でこちらを見る。


「プロートだよ。うちのパーティにでかい剣士がいただろ? 俺が加入してしばらくはあいつが教育係だったから、話す機会も一番多かったんだ。話し方が移ったらしい」

「らしい?」

「他の奴らからそう言われてた。俺は否定してたんだがな」

「でも、今認めたよね? 喋り方が移った、って」


 俺は人差し指を立て、自分の口に当てる。


「あいつらには内緒だぞ」


 俺がそう言うと、イリアは小さく笑った。

 相手の秘密を話させたいときは先に自分の秘密を話してやれ、というのも確かプロートから教わった話法だ。あいつのやり方が身についていることは正直言って不愉快だが、今回に限っては良い方に転がったらしい。


「私は十五年間、ダンジョン内で魔物に育てられたの」


 ゆっくりと、イリアが話を始めた。





 子捨て。

 まだ生まれて間もない子供を親が捨てることであり、大抵の場合は子供を育てるだけの稼ぎが無い場合に行われる。俺の故郷でも一度、枯れ井戸の中から赤子のものらしき白骨が見つかったという話を聞いたことがあった。


 そしてイリアも、親から捨てられた子供だった。今から約十六年前に北の山で捨てられていたそうだ。

 魔物の巣窟である北の山に捨てられていたのは、単純に親元から遠い場所に捨てた方が身元が割れにくいからということと、赤子の遺体を魔物が処理してくれるからという理由だろうと考えられる。無論、道中は魔物との遭遇が避けられないため、冒険者の協力があったのだろう。

 もしくは彼女を捨てた親が冒険者だったかだ。冒険者はパーティで寝食を共にするため、情事の問題が発生することは珍しくない。


 魔物の巣窟に捨てられた彼女は、普通ならそのまま魔物に食われていただろう。しかし、北の山の魔物はそうはしなかった。まだ物心のついていない人間の赤子を見て、一つの策を思い付く。


 この人間を育て、工作員として人里に送り込もう、と。

 あのダンジョンでは道中の雑魚魔物が人語を介する程度の知能を持っており、ボスに至っては流暢に人語を話していた。扱っていた魔法も高度なものが多く、魔王の直系幹部級に高い知性を持った魔物だと思われる。そういう策を巡らせることもあったのかもしれない。


 しかし、その策が実行される前に俺たちがあのダンジョンを攻略してしまった。

 人間に保護されたイリアは魔物に育てられたなどと言うわけにいかず、記憶喪失を装った。結果的に人里に潜り込むことには成功したが、その後間もなく魔王が陥落。取り残されてしまった彼女は、そのまま人間としての生活を始めた。


 イリアの話はこのような内容だった。

 一通り話し終え、イリアは目の前に置かれたティーカップの紅茶に口をつけた。話しっぱなしで喉が渇いたのだろう。冷めた紅茶を飲み下す音がこちらまで聞こえた。


「なるほど」


 俺はソファにもたれ込む。安物なので深く座り込むと腰に木材が当たって痛い。


「あんまり驚かないんだね」

「まぁな」


 にわかには信じ難い話だろうが、俺の中では腑に落ちた点があった。

 ダンジョン内の魔物は、仕掛けてある罠に自分がかからないよう注意したり、隠してある宝を守ろうとする意識を持つ。その意識を思考ノイズとして読み取り、位置を把握するというのが俺の仕事だった。

 もし人質なり保存食なりの目的で人間を捕らえているなら、それも読み取ることが出来たはずだ。しかし、あのダンジョンの魔物を飼配テイムしたとき、そのような意識は読み取れなかった。その点について、魔物達がイリアを監禁していたわけではないというなら合点がいく。

 イリアがあの狼人ライカンを「友達」と呼んだところを見ると、魔物達にとってイリアは他の魔物と同じような仲間という認識をされていたのかもしれない。流石に一緒になって人間を襲っていたわけではないだろうけれど。


「悪かったな。俺たちはお前を助けたつもりだったが、むしろ逆だったんだな」

「謝らないでよ。リド達は魔物を退治しただけなんだから」

「俺たちにとってはそうだが……」


 イリアにとっては、仲間たちの元から攫って行かれたようなものだ。カルバ達に懐かなかったのも当然だろう。あいつは目の前でカルバ達に仲間が殺されたのを見ていたのだから。記憶喪失は嘘だったにしても、襲撃を受けたショックで塞ぎ込んでいたという点は間違いではなかったのだろう。


「姫様がさ、ずっと励ましてくれてたんだよ。暇があるときはいつも私のとこに来てた」

「ああ……俺らがたまに顔を出した時も大抵いたな」

「ただ、精神的に参ってる人間を励ますにはちょっと強引だった気がするけど」


 イリアが少し困ったような笑いを漏らす。


「城には同年代の娘がいなかったからな。姫様も張り切ってしまったんだろ」

「『私が、失ったあなたの友達よりももっと素敵な友達になるから』って言ってさ」

「あー。場合によっては余計に落ち込ませてしまうような言葉だな」


 記憶している活発で好奇心旺盛な姫様を思い浮かべる。確かに彼女が言いそうな言葉だった。『そっとしておこう』という考えをあまり思いつかないタイプだろう。


「……うん? というか、お前この話、姫様に言ったのか?」

「あー……。はい」


 イリアはばつが悪そうに自分の頬を撫でた。こいつ、姫様になんつう秘密を共有させてやがるんだ。


「言っちゃいけないとは思ってたんだけど……。なんというか、ずけずけと踏み込んでくる割に聞き上手でさ。気づいたら話しちゃってたんだよねぇ」

「そりゃあ良い王妃様になりそうだな」


 そういえば俺も外陸の出身ということで故郷の話を根掘り葉掘り聞かれたことがあった。結果的にパーティの仲間にさえ言っていない両親との確執や魔法の才能についての悩みまでも全部話してしまった。そういう経験がある以上、イリアを責める気にはなれない。


「私、どうしたらいいかな?」


 イリアが不安げにこちらを見る。


「魔物に育てられた少女、ってのは、何の罪になるってわけでもないだろうが、この国では嫌われるだろうな。ただ、俺としては別にこのことを国に通報する気はないよ」


 というか姫様が味方についている以上、通報したら俺が消されるかもしれん。


「問題は、あっちだ」


 俺はベッドの方を指す。

 半人半獣の身体を持った魔物は横たわっていた。身体に掛け布団がかぶさっているため爪は見えないが、身体中を覆う体毛と、頭の上に生えた獣の耳は紛うことなき魔物の証だ。遠目で見ていたときは分からなかったが、応急処置をしたときに確認した身体の特徴を見るにメスの個体のようだった。


「流石に魔物をうちでは匿えん。バレたら牢獄行きだ。そうでなくても俺が個人的に怖い」

「怖くはない……よ」

「お前はそうかもしれんが、お前以外の人間は大抵怖がるんだよ」


 もしこの狼人ライカンと全快の状態で戦闘になったとしたら、多分俺は勝てない。狼人ライカンは結構強い。


「せめて、傷の治療だけでもできないかな。こんな状態じゃ外に出てもいずれ死んじゃう」

「俺は回復魔法を取得していない。秘密裏に魔物の治療を頼めるような伝手もない」

「ヴィータさんは――」

「駄目だ」


 少し声が荒らいだ。イリアがわずかに肩を強張らせる。


「あいつは聖職者、それも大教会堂の司祭だ。魔物の治療なんかしたことがバレたら間違いなく極刑だ。あいつの両親も一緒にな」

「ごめん……」


 イリアが俯く。少し怖がらせてしまったようだが、ヴィータに迷惑をかけるようなことは絶対に避けたい。多分、あいつは頭を下げて頼まれたら断りはしないだろうからな。

 途切れた会話に相槌を入れるように、ベッドの上の狼人ライカンが小さく唸った。俺が大きな声を出してしまったから目が覚めたようだった。


「もふちゃん!」


 イリアが狼人ライカンに駆け寄る。俺の勝手な予想だが、「もふちゃん」というのは多分あいつが勝手に呼んでいる愛称だろう。魔物が自分で名乗っている名だとは思い難い。

 狼人ライカンは上体を起こそうとするが、くぐもった呻き声を漏らして再び枕に頭をつけた。


「動いちゃ駄目だよ、怪我してるんだから」


 狼人ライカンが力なく瞼を開き、イリアを見つめた。瞳は翡翠色だ。俺たちは魔法を使うときに瞳がこの色になるが、血肉と同様に魔力が通っている魔物は常に翡翠色の瞳をしている。


「大人しくしておけ。傷も深いが、何より体力の限界が来ていたお前の身体を俺が無理矢理動かしたからな。しばらくは動こうにも動けんよ」


 俺がそう言うと狼人ライカンはこちらを一瞥し、顎を引くような動きで小さく頷いた。

 少し、どきりとした。

 狼人ライカンは口腔の構造か何かの問題で人語を喋れないが、人語を聞いて意味が理解できる魔物であるとされている。ダンジョン等で遭遇した奴らはこちらの言葉を理解しているような動きをしていたし、それは理解しているつもりだった。しかし、こうして落ち着いた状態で意思疎通をしてみると、まるで人間のようだった。


 イリアは灰色の体毛に覆われた胸を優しく撫で、狼人ライカンと目を合わせて微笑んでいた。よく笑う少女ではあったが、普段見せる笑顔とは違ったものだった。慈しみを含んだようなその表情に、俺は故郷の母の顔が浮かんだ。

 ああ、そうか。こいつにとってこの魔物は、きっと家族のようなものなんだろう。

 しばらくすると、狼人ライカンは再び眠りについた。先程よりかは安心したのだろうか、穏やかな寝息を立てていた。


「おい、イリア」


 俺の呼びかけに「なに?」とイリアが振り向く。


「お前、俺のために何か出来ることはあるか?」

「何か、って?」

「なんでもいい。そいつを助ける見返りに、何か差し出せるものを提示しろ」


 イリアは数瞬悩んだ後、何かに気付いたようにはっとする。頬を赤らめて、自分の胸を隠すように手で押さえた。


「……リドがそうしろって言うなら」


 また声を荒らげそうになったが、イリアの後ろで眠る毛むくじゃらに配慮して、俺は静かに対応した。


「……倫理的に問題のない範囲で何かないか」

「そう言われても……。私に出来ることなんて、そう多くないよ。菓子屋で働いてた時に、お菓子の作り方はちょっと習ったけど」


 俺は戸棚の上に目をやる。棚の上には、黒い液体の入った三本の瓶が堂々とした佇まいで鎮座していた。結局未だに消費できていないエーテル珈琲味×3だ。そういえばあいつらを消費するためには甘菓子が必要だという結論が出ていたのだった。

 もはやそこまで手間をかけるくらいなら廃棄した方が良いのでは、と思われるかもしれないが、魔王が死んで魔物が生まれなくなった以上、魔力は有限資源となった。俺の一存で無駄にしてよいものではない。特にそういうお触れは出ていないが、きっとそうに違いない。

 甘菓子についても、作ってくれるというなら材料費だけで済む。店で買うよりも安上がりだろう。現在無収入である俺の身にはとっても都合の良い話だ。


「よし、それでいい。その魔物を助けた暁には、お前は見返りに菓子作りをしろ」

「助けてくれるの?」


 イリアの顔が晴れる。普段見せているような明るい笑顔だった。


「出来ることはしてみよう」


 そうして、俺は魔物を助けることとなった。

 それは、俺が行きずりの魔物を助けるようなお人好しだからではなく、あくまで見返りを求めてのことだった。

 俺の頭の中で、プロートが腹を抱えて笑っていた。

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