過去④ リド十九歳
石床を蹴る五人分の足音が響く。カルバ一行はナトリスト王国の北の山にあるダンジョンを探索していた。最前列にカルバとプロート、一つ後ろにラルミネが続き、最後尾をリドとヴィータが並んで歩いている。
「それにしてもしっかりと造られたダンジョンだな」
プロートが石積みの壁を撫でる。ダンジョン内は壁も床も加工された石材が緻密に並べられており、壁には均等な感覚で松明がかけられている。
隣を歩くカルバが「そうだな」と頷く。
「ここは魔王城にかなり近い。魔物の知性も高いんだろう」
「まぁ、こっちとしては歩きやすくて助かるけどな」
「強力な魔物がいるという意味でもある。気を抜くな」
「抜かねぇよ」
「プロート、カルバ」
二人の会話にラルミネが割って入る。
「あの角を曲がったところに
ラルミネは魔力を可視化する
彼女が言い終わると同時に、角から二つの影が飛び出した。
一つは
もう一つは
「こっちの言葉を理解しているようだな」
カルバが剣を構える。
「ラルミネお嬢様は下がってな。俺とカルバでやる」
プロートが駆け出し、両腰に差した二本の剣を抜いた。
カルバは敵に身体を向けたままリドに呼びかける。
「
後方でリドが「わかった」と答える。
前衛で交戦が始まった。二人の剣と魔物の爪がぶつかり合う音が響いた。
戦闘が終わり、ここからはリドの仕事が始まる。
画板を抱えて座ったリドが慣れた手つきで製図を行う。
「ダンジョンの構造まで分かりそうか?」
剣に付いた血を拭いながらカルバが尋ねる。
「ああ。こいつはかなり知性が高いみたいだ。多分、罠の位置まで分かると思う」
製図作業を続けながらリドが答える。
「宝の位置はどうだ?」
聞いたのはプロートだ。
「どうだろう……今のところそれらしい思考ノイズは見つからないな。あまり人が寄り付きそうにない場所だし、そもそも宝なんて無いかもしれない」
リドの回答にプロートは舌打ちをした。
こつこつと画板を叩く音がしばらく続いた。何もすることのないヴィータが眠気を催してきた頃、「よし」とリドが立ち上がる。周囲を警戒していたカルバがリドの方を向いた。
「お疲れ様。今回は時間がかかったな」
「待たせて悪い。結構入り組んでるダンジョンみたいだ」
凝り固まった背筋を伸ばしながらリドが答える。
「野営が要りそうか?」
「いや、最短ルートを行けばボスまでは半日程度で辿り着くと思う」
リドが作成した地図をラルミネが覗き込む。
「うわぁ、迷路みたいね」
隣でヴィータがリドに微笑みかける。
「お疲れ様。大変だったね」
「まぁ、俺はこういうややこしいダンジョンを効率よく攻略するために雇われてるわけだからな。たまにはこれくらいの仕事しとかないとな」
「で、こいつはもう良いのか?」
プロートが剣の峰で
「……ああ、もう大丈夫だ」
リドの返事を受け、プロートが剣を振り下ろす。刀身が骨を断つ甲高い音が響き、
「そんな顔すんなよ。俺が悪者みたいじゃねぇか」
剣に付いた血を拭いながらプロートが言う。「ああ、悪い」とリドが目を伏せた。カルバが助け舟を出すように口を挟む。
「リドの場合は仕方ないよ。僕らは幼い頃から魔物を排斥するエタール教の思想に馴染んでいるが、リドはそうではないわけだし」
「私も亜人系はちょっと抵抗あるしね。平気な顔で首を刎ねられるあの男がおかしいのよ」
ラルミネが目線を上げてプロートの方を向いた。
「ご指摘ありがとうよ。次からは亜人系を殺す前に一旦躊躇するよう心がける。お前を襲ってくるやつ中心にな」
プロートが目線を下げてラルミネを睨んだ。カルバが間に入り込み、二人を宥めた。
「よくぞここまで辿り着いたな。相手をしてやろう、小童ども!」
しわがれた声が部屋に響く。声の主は、ローブを羽織った身体の上に羊のような頭を付けていた。
カルバ達はこのダンジョンのボスと対峙していた。辿り着いたのは広間のような一室で、規則正しく並んだ石柱以外は何もない場所だった。
羊の亜人とラルミネが同時に炎弾を放つ。両者の中間点で衝突した炎弾は爆炎を上げて炸裂した。それを皮切りに戦闘が始まった。
交戦する両軍を、リドとヴィータは遠巻きに見ていた。応急手当の準備等を終えた非戦闘員の二人には、しばしの暇が生じていた。
包帯と止血剤を手に持ったリドが口を開く。
「ここを越えれば、とうとう魔王城だな」
「ええ、そうですね。カルバさん達なら、きっと魔王を倒せると思います」
「だと良いがな」
直接戦闘を行わない二人は、魔王との戦いをどこか他人事のように話した。
「平和が訪れる事は良い事ですが、皆さんとの旅が終わると思うと、少し寂しいです」
「そうだな。まぁ、俺はもうプロートに虐められなくて済むんだと思うとある程度気が楽にはなるが」
「でも最近はリド君もプロートさんの動きについていけるようになったじゃないですか。初めの頃に比べたらすごく成長したと思います」
「防御だけならな。こっちの攻撃は掠ったこともない」
「良いんですよ。私たちは戦闘員じゃありません。自分の身を守ることが出来れば良いんですから」
「それはそうだが、どうも悔しい。旅が終わるまでにあいつに一発入れたい」
「それは……。無理じゃないですかね。プロートさんは武術の達人です。カルバさんですら、組手の類では一度も勝ったことがないみたいですし」
「一度もか」
「そう言ってました。二人は同じ騎士学校に通っていたそうですが、その頃を含めて、一度も勝てなかったそうです」
「そうか……。プロートに一撃入れることができれば、自分の体術に自信が持てると思ったんだけどなぁ」
「リド君は武術家になりたいんですか?」
「そういうわけではないが、やっぱり戦闘力があれば出来る仕事も多いだろう。魔王を倒した後は別の仕事を探さないといけないわけだし」
「不安ですか?」
「そりゃあな。あいつらは何なりと仕事があるだろうが、俺は能力を活かせそうな職が思いつかん」
「国の魔法局はどうでしょう? ラルミネさんもそこに行くでしょうし」
「今後の戦争を控えた国が必要としてるのは、一般的な攻撃魔法や回復魔法だ。飼配(テイム)に特化した俺みたいな奴は研究職ですら役目がない」
「そうですか……」
「ヴィータは、そういう心配とは無縁だよな」
リドはヴィータが着ている僧服に目配せする。
ヴィータの家系は代々、国教であるエタール教の国営教会で僧侶を務めていた。務めは原則として世襲制となっており、冒険が終わった後は彼女が女司祭となることが決まっていた。
「そうですね。私は特に仕事の心配をすることはないと思います」
だよなぁ、と相槌を打ち、リドは手に持っていた包帯の束を指でくるくると回し始めた。
待機組のリド達の役目は前衛で戦うカルバ達が負傷して後退した際の応急手当等だが、戦闘の経過は順調であり、どうやら出番は無さそうだ、と思い始めていた。
「あの」
隣のヴィータが声をかける。リドは戦闘に目を向けたまま「うん?」と返事をした。
「もし、行く当てが無かったら司祭をする気はありませんか?」
「え?」
リドが思わずヴィータの方を向いた。「危ないから前を向いていて下さい」と注意されて再び戦闘に視線を戻す。
「司祭は男女で行うことになっています。なので、男性の司祭も必要でして。しばらくは現職の父が務めますが、いずれは誰かと代わらなければなりません」
「その代わりを、俺がってことか?」
「はい」
リドは黙って考え込んだ。包帯を弄んでいた手は自然と止まっていた。
ヴィータは「司祭は男女で行う」とぼかした言い方をしたが、実状としては夫婦で行われていた。その上で自分と共に司祭を務めないか、という言葉の意味を改めて咀嚼する。
リドは音を立てないようにこっそりと深呼吸をする。
「ありがたい話だけど、遠慮しておくよ」
「……そうですか」
「いや、別に嫌ってわけじゃなくって……。知ってるだろ?
「そうですね。そういう事にしておいてあげます」
「おい、聞けって」
「終わったみたいですよ」
俺たちの関係がか、と一瞬思ったリドだが、すぐに戦闘の話だと理解する。視線は向けていたが、意識が散漫としていて戦況を把握していなかった。カルバの剣が羊の亜人の胸元を貫いていた。
カルバが剣を引き抜くと、羊の亜人の巨体が大きな音を立てて倒れ込んだ。
「さぁ、皆さんの元へ行きましょう」
ヴィータがすたすたと歩きだす。リドもそれを追いかけるように早歩きで向かった。
前衛に合流したリドに、ラルミネが少し機嫌の悪そうな顔を向ける。そのままリドに歩み寄ると、腹部に正拳突きを放った。全く予測していなかったリドはラルミネのひ弱な拳打にうずくまる。
「お、お前に殴られる覚えはないぞ……?」
「あら、私以外には殴られる覚えがあるの?」
リドが横目でヴィータの方を見る。いつもなら庇ってくれる彼女も、今日はそっぽを向いていた。リドはうずくまった姿勢のまま、背の低いラルミネを見上げる。
「……で、なんで俺は殴られたんだ」
「仕事っぷりが杜撰だから叱ってあげたのよ、
ラルミネが柱の陰を指さす。
宝でも隠されていたのだろうか、だとすれば
「…………は?」
予想だにしない光景に、リドが思わず声を漏らす。
柱の陰には、鎖で拘束された人間の少女が、怯えた様子で身体を丸めていた。
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