第四章 揚げ餡(前編)

 揚げ餡という甘菓子がある。

 一口大に固めた甘い小豆餡に小麦粉をまぶして油で揚げ、こともあろうか更に砂糖をまぶしたものだ。


 甘ったるいため普段は好んで食べないその揚げ餡を、俺は紙袋いっぱいに詰めて歩いている。

 目的はもちろん、未だ消費できていないあの珈琲のような物の請けにするためだ。エーテル屋に行ってから一週間近く経ち、やっと菓子屋へ行くことが出来た。


 それにしても、まとめて買えば安くすると言われたため大量に買ってしまった。十人くらいの宴会に持っていく量だ。まぁ、珈琲は三本もあるし、小分けにして食べればいいか。揚げ餡は二、三日は痛まずにもつはずだ。

 ほんのりと温かい紙袋を抱えながら、俺はいつものように帰路についた。あと仕事は今日も見つからなかった。


 しばらく歩くと、ここ数日で見慣れた姿が目に入った。家具屋から浮かない顔をして出てきたイリアは俺に気付いたようで、「やぁ」と軽く手を挙げた。


「リドも今から帰るの?」

「ああ。どうだ、仕事探しの調子は」

「お、良いもん持ってんじゃん」


 イリアが菓子屋の店名が入った紙袋を指す。露骨な話題逸らしだが、俺も偉そうなことを言える立場ではないので言及はしない。


「どれ、このイリアさんが荷物を持って差し上げよう」


 一転して満面の笑みだった。俺は決して非力ではない大人の男なので荷物を持つくらいどうってことはないが、役目を与えなければ居候も気持ちが落ち着かないであろう。気遣いの下、紙袋をイリアに渡した。

 並んで歩きながらそれを受け取ったイリアは、袋の口を開いて中身を覗き込む。


「揚げ餡だ! しかもこんなにいっぱい!」

「ちょっと入り用でな。それにしても買い過ぎたが」

「ねぇねぇ、ちょっと食べていい?」


 イリアが歩き食べを要求した。口の端から涎が垂れている。行儀の良い部分が一つもない。


「家に帰るまで待てないのか」

「だって遠いんだもん。それに温かいうちに食べた方が絶対美味しいよ! いや、冷めたやつも私は好きだけどね」

「勝手にしろ」

「やったぁ!」


 イリアは袋に手を入れる。そして揚げ餡を一つ取り出すと、それを自分の口には入れず、俺の口元に差し出した。


「はい、お先にどうぞ」


 涎を垂らすほど早く食べたいくせに、こういうところを弁えていやがる。イリアは俺が揚げ餡を咥えたのを確認した後、自分の口にも放り込んだ。

 俺は咥えた揚げ餡を咀嚼する。小豆餡の香りが鼻孔を通り抜けた。美味だが、やはり甘すぎる。あまり単体で食べたいものとは思えなかった。隣の女はそうではないようで、既に二個目を口に運んでいた。


「お前、菓子が好きだな」


 俺がそう言うと、イリアは口に運んでいた手を止めた。


「変かな?」

「いや、別に変じゃないけど」


 イリアが真顔でこちらを見つめる。菓子好きなことはあまり言及しない方が良いことだったのだろうか。変なところを気にする奴だな。


「お前、前の仕事は菓子が好きすぎて解雇されたようなもんだろ。控えろとは言わんが、ちょっと考えた方が良いんじゃないか?」

「ああ、うん。まぁねぇ……」


 イリアは気まずそうに目線を外すと、手に持った揚げ餡を口に入れた。差し当たって改善する意思はないらしい。


「おい」

「大丈夫だよ。菓子屋の店主さんに言われた通り、次は食べ物を扱わないところで働くつもりだから」


 そういえばさっきも家具屋から出てきてたな。


「あと、住み込みのところで働いた方が良いぞ。お前は信じがたいほどの寝坊屋みたいだしな」

「うるさいなぁ。私はちょっと寝付きが悪いんだよ」


 それは身に染みて知っている。毎晩遅くまでごそごそと物音を立てやがって。そして朝は朝で全く起きやがらない。水をかけても寝続けていたときは風邪をひかせてしまうのではないかと心配したものだ。


「それはそうと、リドの方は何の仕事を探してるわけ?」


 口の端に餡子を付けたイリアが俺を指さす。こいつは困ると話を逸らそうとする癖があるな。


「俺が周ってるのは魔物狩り業者が多いな。あとは行商人や製図屋の護衛とか。どれも失業した冒険者が多く就いてる仕事だから、戦闘力で劣る俺はなかなか採用してもらえないんだよなぁ」

「ふぅん。なんか、身体使うような仕事ばっかりだね」

魔物飼士モンスターテイマーは魔物相手じゃないと話にならないからな。魔物と関わる仕事ってなると自然と身体を使う仕事になる」

「魔法関連の仕事とかはないの? 詳しくは知らないけど、魔物飼士モンスターテイマーって分類としては魔法使いなんでしょ?」

「そうだけど……今後研究が進められるのは一般的な攻撃魔法とかだからなぁ。俺は飼配テイムっていう一個の魔法に特化して訓練してたから、やれることが無い」

「そうなの? でも、リドと同じパーティだった魔法使いの人……。えっと、名前なんだったっけ」

「ラルミネのことか?」

「そうそう。その人が、リドのことを褒めてたよ。他の魔物飼士モンスターテイマーとは段違いの技術を持ってるって」


 思わぬ言葉に俺は唖然とする。

 ラルミネは魔術の申し子とまで言われている天才魔法使いだ。圧倒的な魔力で敵をねじ伏せる王道の魔法使いだったため、邪道な魔法を使う俺に対しては当たりの強い態度だった。しかし裏ではそんな風に思ってくれていただなんて!


「ただ、身体に溜められる魔力量がクソカス過ぎて実戦闘では肉盾くらいの使い道しかないとも言ってたけど」

「…………」


 別に表で言っていた事が嘘というわけでもなかったらしい。まぁ、正当な評価と言えるだろう。


 人間が身体に溜められる魔力には限りがある。そもそもが血管に無理矢理魔力の通り道を作っているわけだが、そこにどれだけの魔力を溜められるかは、個々人の体質によって変わる。ラルミネはこの量が異常に多く、常人の約二・五倍程度だそうだ。正に持って生まれた才能だろう。

 そして、異常に多い奴がいればその逆もいる。それが俺だった。

 俺が身体に溜められる魔力量は、常人の三分の一程度だった。

 冒険者となるには持久力が要る。各地を旅する冒険では、休息や補給をいつ行えるか分からないからだ。特に顕著なのは冒険者の主戦場であるダンジョン内であり、一度潜れば再び外に出るまで一瞬たりとも安心できない。


「まぁ、実際ラルミネの言う通りだ」

「よく分かんないけど、魔力ってエーテルを飲めば回復するんでしょ? それをいっぱい持っていったら良いんじゃないの?」

「魔力の回復はやりすぎると中毒症状を起こす。空っぽの状態から満杯になるまでの補充を、一日に二回程度が限界だ」

「あー、そうなんだ」

「だから、魔力量が少なくても冒険者をやっていける手段として、俺は魔物飼士モンスターテイマーを選んだ。それに特化した訓練をして、技術はそれなりに付いた。けれど今となっては無用の長物だ」


 ふぅん、と相槌を打ちながら、イリアは揚げ餡を口に入れた。


(後編へ続く)

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