過去③ リド十八歳

「目ェ逸らすんじゃねぇ、ちゃんと俺の動きを見ろ!」


 草原の上でプロートの怒号が飛ぶ。対峙していたのはリドだった。怒号と共に、目にも止まらない速さで拳打や蹴りが撃ち込まれている。リドはそれを半分も捌けておらず、ほとんどを腹や顔に喰らっていた。

 その様子を不安げに見守る姿があった。

二十メートルほど離れた場所で、僧服を纏った少女が立っていた。少女は落ち着かない様子で、今にもリドに駆け寄ろうかというところだった。


「大丈夫だよ、ヴィータ」


 様子を見かねてカルバが声をかける。カルバは地面に腰を下ろし、愛用している剣に砥石をあてがっていた。

 ヴィータと呼ばれた少女は「でも……」とリド達の方から目を離せなかった。


「プロートは戦闘の専門家だ。ちゃんと大事には至らないよう手加減しているさ」

「でも、もっと優しい訓練の仕方もあると思うのです」

「リドは僕やプロートみたいに騎士学校で戦闘訓練を受けてない。今から普通の訓練をしても成果が出るまで時間がかかってしまう。荒療治だけど、ああいうやり方が必要なんだよ。早く最低限の体術を身に着けてもらわないと、危険に晒されるのは彼自身だからね」

「リド君は私と同じく、魔物との戦闘では待機組です」

「もちろん、君達が戦わないに越したことはないんだけど、前衛の僕らが敵を止められない場合もあるから……」


 カルバは、自分と同じく前衛で戦うラルミネに目配せをする。

 ラルミネは小岩に座って本を開いていた。真っ黒なローブに身を包んだラルミネは、まるで年端も行かぬ幼女のような外見をしていた。

 ラルミネはカルバとヴィータを一瞥し、小さな口を開く。


「あいつも自分の身くらいは自分で守ってもらわないと困るわ。防御魔法の訓練をしても良いんだけど、リドは身体に蓄えられる魔力が少ない体質みたいだから、体術を会得した方がいいでしょうね。エーテルが必要な魔力と違って、体力は休めば回復するもの」

「そうですか……」


 理屈では納得したようだが、ヴィータの表情は晴れなかった。引き続き、リドとプロートの組手を見守った。


「あっ」


 ヴィータが声を漏らす。

 リドの腹部にプロートの拳が減り込んでいた。リドはたまらず膝をつき嘔吐する。吐瀉物が喉に詰まり、地面を向いたまま咳き込んだ。


「おいおい、地面を汚してる間は魔物が待ってくれてると思ってんのか?」


 プロートがうずくまるリドの頭を足で小突いた。リドはよろめきながら立ち上がり、拳を放つ。プロートは身を傾けて躱し、リドの頭に肘打ちを入れた。

 その様子を見たヴィータが泣きそうな顔をカルバに向ける。カルバは「大丈夫だって」とほほ笑む。


「でも、私、やっぱり心配です」

「気にしすぎだよ。ヴィータも、僕たちみたいに何か別の事をしていると良い」


 カルバは手に持っていた砥石を振る。


「カルバさんもラルミネさんも、リド君が心配でしょう?」

「私は別に心配なんかしてないわよ」


 本に目を向けたままラルミネが答える。


「僕はプロートを信用しているよ」


 とカルバも同調した。


「だけど、カルバさん、剣の手入れをしている割には、さっきから全然剣を研ぐ音がしていません。ラルミネさんも、本を開いてはいますがずっと同じページを見ています」


 ヴィータの指摘に、二人は目を背ける。「心配なんでしょう?」と続けて聞かれるが二人は何も答えず、黙って剣と本を見つめていた。

 返事をする代わりにラルミネが大きな音を立てて本を閉じる。


「お腹が空いたわ」


 カルバが砥石と剣を置き、組手をしている二人に呼びかける。


「プロート、リド、そろそろ昼食にしよう!」


 プロートは手を挙げて応答しながら「甘やかしやがって」と小さく毒づいた。


「ほら、ラストスパートだ。気張れよ!」


 プロートが右腕を振る。リドは手首を弾いて凌いだが、直後に左の拳を貰った。次の蹴りは腕で防ぐ。しかし防御の反対側に隙が出来た。プロートはそれを見逃さず、左脇腹を目掛けて腕を振る。


「うおっ!」


 プロートの身体が傾いた。下ろした左脚がリドの吐瀉物を踏み、滑ったのだ。身体が傾いたことにより、脇腹を狙った拳は上にずれ、リドの顎を打ち抜いた。


「あ、やば」とプロートが思わず声を漏らす。

 リドは頭を揺らしたあと、糸の切れた操り人形のようにその場に倒れ込んだ。


 草原にヴィータの悲鳴が響いた。

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