第三章 悪友のようなもの(後編)
「珈琲と紅茶、どっちがいい?」
革の破れたソファに腰掛けるプロートに声をかける。
「紅茶だ。三年も一緒にいたんだから知ってんだろうが。なんでわざわざ聞くんだよ」
「いや、とびきりの珈琲が手に入ったんでな。振舞ってやろうかと思ったんだ」
俺は棚に残ったエーテル珈琲味を一瞥した。仕方がないので大人しく紅茶を淹れ、テーブルに置いた。俺も向かいのソファに腰掛ける。
「お前、仕事探しは順調なのか?」
紅茶に口をつけながらプロートが言う。煮え立つ程高温で淹れてやったのだが平気なようだ。
「まぁ、まだこのボロ家に住んでるってことは駄目なんだろうな」
「俺は好きでこの家に住んでるんだよ」
「それは知ってっけどよ。さすがに街勤めじゃあ不便だろ。冒険者の頃ならともかく」
プロートは部屋を見渡す。普段から金のかかった建物ばかり見ているこいつにとって、壁紙も張られていないこの家は余計に貧相に感じるだろう。
「それに場所が辺鄙で家自体もボロいってんじゃあ、女も呼べねぇ」
「お前と一緒にするな」
「大事なことだ、男と女の出会いは」
「お前は男と女の出会いを大事にしすぎだ。俺は旅をしている時、果たしてこれは魔王を倒すための旅なのか、お前の現地妻を作るための旅なのか分からなかったぞ」
「仕方ねぇだろ。行く先々で女が寄ってくるんだからよ」
「それだけじゃないだろ。お前はよく酒に酔った女を連れ込んでいた」
「人聞きの悪い事を言うな」
プロートは眉尻を上げてわざとらしい呆れ顔を作る。
「本気で嫌なら相手も飲まねぇさ。飲んでる時点で向こうもその気なんだよ。言い訳みたいなもんだ」
「言い訳?」
「建前って言い方をしてもいい。自分は行きずりの相手と寝るような女じゃない、酔っていたからだ、っていう建前だ。素直じゃない奴は行動の理由を自分以外に求めたがる」
「よく分からんな」
「そうか? お前も割とそういう回りくどいことを考える性格だと思うが」
「人をひねくれ者みたいに言いやがって」
「ひねくれ者だろ。お前は自分の性格を把握できてないな。街に引っ越したら同居人を作ると良い。一緒に生活する相手がいると自分を見つめなおせるぜ」
「同居人なら既に――」
言いかけたところで、俺は名案を思い付いた。
「プロート、お前、若い女は好きか?」
「なんだ急に。好きに決まってるだろ」
「お前に良い話がある」
俺がテーブルに身を乗り出すと、プロートも多少は興味が湧いたようで「なんだ」と先を促した。
「十六、七才くらいの女を預かる気はないか? 身寄りも金もない人間だ。お前の好きにしていい」
「お前……」
プロートが顔を引きつらせる。四年間共に旅をしていたが初めて見る表情だ。
「いくら仕事が見つからないからといって、手を出す商売は選べよ」
「商売じゃない。一年前に魔物から助けた少女がいただろ? あいつを今俺の家で預かってるんだよ」
「ああ、イリアだったっけか。なら初めからそういえば良いだろ。わざわざ紛らわしい言い方しやがって」
ごもっともだった。こういうところがひねくれているんだろうか。
「悪いが、その話は受けらんねぇ」
プロートの顔が曇る。
「なんでだよ、全員にとって都合の良い話だろ」
「なぁ、リド。俺は国軍で働いてて、今はこの街に住んでんだよ」
「それがどうした」
「毎日、家に帰ってんだ」
「……あぁ、そうか。嫁さんがいるのか」
「そうだ……」
プロートが肩を落とす。百九十
「冒険者だった頃は良かった……。どこでどの娘と遊ぼうが誰にも咎められなかった。それが今は、店番の娘に声をかけただけでも嫁の耳に届きやがる」
プロートは、地獄だ、と呟いでうなだれた。世間では剣聖と称されるほどの戦士だが、嫁には勝てないらしい。
「そもそもお前みたいな奴がなんで結婚したんだよ」
「いや……流れで」
「流れ……」
「今の嫁は、当時付き合ってた女の一人だったんだが――」
当たり前のように複数いたようだ。
「他の子はそんなに浮気とか気にしない感じだったんだが、今の嫁だけは駄目でな、そういうの。ある日女遊びが原因で喧嘩になって、あいつが泣きながら『もういい』って言って出て行こうとしたんだよ」
「うん」
「すると俺は、彼女を抱きしめるだろ?」
「はぁ」
「『結婚しよう』だろ?」
「だろ? って言われても」
「なんで分かんねぇんだよ。じゃあお前ならどうすんだ、その場面で」
「『もういい』って言われたら『そうか』だろ」
言うが早いかプロートの指が俺のこめかみを弾いた。
「ってぇな!」
「馬鹿か、てめぇは」
「『もういい』って言われたらもういいってことなんだろ。ほっといてやれよ」
「いいか、しっかり覚えとけ。女が泣きながら『もういい』って言ったときは『よくない』って意味だ、抱きしめてやるのが正しい」
「覚えてた結果が今のお前なんだろう」
「そうなんだよなぁ」
プロートが再度うなだれる。忙しい奴だな。
「良いじゃないか、プロート。あんな美人な嫁さんが家にいて、何を不満に思うことがあるんだ」
「西の大陸にこんな諺がある。『美人は三日で飽きるので、また次の美人を探せ』」
「諺を都合よく改変するな。俺は西の大陸出身だ」
「ああ、そうだったか」
プロートは深い溜息をついた。たった一つ言い負かされただけで、まるでこの世のすべてが上手くいかないかのような落ち込みようだ。女遊びをできない日々に相当参っているようだった。
「そんなことよりお前、この汚い家にちゃっかりと女を連れ込んでやがったのか」
「そんなんじゃない。寄生されただけだ」
「まぁ、あの娘はお前にそこそこ懐いてたからな」
「そうかぁ?」
「つうか、俺に懐いてなかった。カルバとラルミネにもだな。ヴィータにはまぁまぁ懐いてたか」
「お前とラルミネは人格の問題かもしれないけど、カルバもってなると単純に怖がられてたんだろうな。お前らが魔物と戦ってる姿を見たんだろう」
カルバのパーティは戦闘員であるカルバ、プロート、ラルミネと、探索要員の俺、そして回復要員のヴィータの五人だった。ヴィータは俺と同じく基本的に戦闘をしないので、イリアを救出したときも待機組だった。
「こっちは命がけで戦ってたんだけどなぁ。悲しいぜ。俺が出し抜かれるなんてよ」
「だからそんなんじゃない。勝負に負けてしまってしばらく泊める羽目になっただけだ」
「何の勝負か知らねぇが、女と勝負して負けるなよ。だらしねぇ」
「いやいや、不利な勝負を気付かずに受けてしまってな」
「間抜け野郎」
言い捨てるように暴言を吐くと、プロートはソファから立ち上がる。
「そろそろ帰るわ。遅くなるとすぐに浮気を疑われるんでな」
「今までの所業の賜物だな」
「うるせぇ」
戴冠式にはちゃんと顔を出せよ、と言ってプロートは扉へ歩き出した。その背中を見て、俺は一つ試したいことが頭に浮かんだ。
「プロート、ちょっと待て」
呼ばれたプロートは「なんだ?」と振り向こうとするが、「前を向いたままで良い」と制する。
プロートは言われた通り扉を向いて立ち止まった。俺はその身体に腕を回し、腰にしがみつく。
「……おい、リド。俺は女遊びが出来ないことを死ぬほど辛く感じてるが、だからって男遊びをする趣味はねぇぞ。百歩譲っても抱く方だ。抱かれる方は死んでも御免だ」
「何言ってんだ。気持ち悪い奴だな」
「いや、どう見ても気持ち悪いのはお前の方だ」
俺はプロートの腰に回した腕に力を入れる。
先日のイリアと俺がとっていた体制を再現した形だ。あの体制から腕を解くという勝負が不利だったということを、今この場で証明しよう。
「プロート。この状態から、俺の腕を外してみてくれ」
言い終える前にプロートは俺の腕を外した。普通に腕を掴んで引き剥がした形だ。あっさりと外れた。
「じゃあな」
青ざめたプロートは、腕を外すとそそくさと帰っていった。
今俺の心が傷ついているのは、友人から変な勘違いをされたからだ、ということにしようと思った。
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